雑談(84)音楽よもやま話(15)皇紀2600年奉祝音楽 2011年1月10日

つてわが家に、 祖父の代から受け継いだ大量のSPレコードがあった 。メンゲルベルク、トスカニーニ、ワインガルトナーといった 往年の指揮者たちのSPレコードが懐かしい 。若い人たちには想像できないと思うが、重い78回転のレコードの片面で録音できるのはせいぜい4分30秒。モーツァルトの交響曲1曲でも、レコード裏表で3枚必要だった。マーラーの交響曲第9番ニ長調(わが家のものはブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルだった)は黒い分厚いケースに10枚びっしり入っていて、本当に重かったのを記憶している。第4楽章が終わるまで19回もひっくり返すのはかなり大変である。そのSPレコードも、私が北海道の大学に勤務している間に、 父が勝手に処分してしまった。 場所をとるので邪魔だというのが理由だった。かなりがっかりした。

 そのなかに、白っぽいケースに薄い赤や青の上品な模様が描いてあるレコードがあった。日本語で「紀元2600年奉祝」とあったのを覚えている。作曲者はリヒャルト・シュトラウス。実はこれだけは一度も聴かなかった。父親が顔をしかめて「駄作だ」と言ったので、20代の私はことさら聴かなかったのである。今にして思えば、父が処分する前に一度でも聴いておけばよかった。

 このSPレコードは、リヒャルト・シュトラウス(1864 〜1949年)が作曲した「皇紀2600年奉祝音楽」作品84( Festmusik zur Feier des 2600jährigen Bestehens des Kaiserreichs Japan op.84)である。1940(昭和15)年が神武天皇即位改元(皇紀)から2600年にあたるとされたことから、政府(近衛文麿首相)は、大々的に記念行事を準備した。日米開戦の1年前、大イベントをやって、戦争に向かう「国民精神の高揚」をはかろうとしたわけである。奉祝企画の一環として、政府は米英独仏伊とハンガリーの6カ国に奉祝音楽の作曲を委嘱。米国は対日関係の悪化からこれを拒否した。残りの国々では、それぞれ作曲家に委嘱した。英国では、若きベンジャミン・ブリテンが、「鎮魂交響曲」(Sinfonia da Requiem) を完成させた。だが、レクイエムの宗教性の問題もあり、また皇室に対する非難を含むと見なされて、日本政府はこれを受け取らなかった。ブリテンのものを含め5曲作られたが、シュトラウスの作品が奉祝曲のメインにされた。 6カ国に委嘱する段階で、すでにこの結論は見えていたようにも思う。当時のナチス・ドイツ政府が日独伊防共協定の同盟国日本のために作曲させた「国策音楽」という評価を、この曲はその誕生から帯びることになった。

 ところで、シュトラウスはナチス協力者とされてきたが、実は積極的に協力したわけではなかったようである。居並ぶ人々が「ハイル・ヒトラー」の敬礼をしているとき、シュトラウスだけは横目で隣の人を見ながら、手を中途半端に挙げている写真を見たことがある(M.Ksater,Herr Komponist und die Brandstifter--Richard Strauss im Dritten Reich,in:FAZ vom 19.1.2000,S.46)。その写真のキャプションには、「心半分のヒトラー敬礼で」(mit halbherzigem Hitler-Gruss) とある。積極的なナチス思想の信奉者であったわけでもなく、時流にのってナチスに協力したというのが、この新聞論説の分析である。

現在CDで入手できるのは、ウラディミール・アシュケナージ指揮のチェコフィルハーモニー管弦楽団の演奏である(EXTON,OVCL00195)。欧米でほとんど演奏されず、日本でもそのタイトルと性格から、戦後は数回しか演奏されていない。年末に、たまたまこのレアな曲のCDを購入。仕事場でじっくり聴いた。交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28と、 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30 とのカップリングなので、金返せにならない「保険」は一応付いている。 録音は1998年1月16日、プラハ「芸術家の家」ドヴォルザーク・ホールで行われたとジャケットにある。たまたま私はその1年半後に同じ場所でチェコフィルを聴いている。今回、普通の音楽として、何らの先入観もなしに聴いてみた。年末の仕事場ということで、一晩に5回も続けて。結論は、演奏は立派だが、曲そのものはかなりクェスチョンだった。

演奏時間は15分48秒。「海の風景」、「桜の祭り」、「火山の噴火」、「侍の攻撃」、「天皇賛歌」の5部からなる。出だしの「海の風景」は、「アルプス交響曲」作品64のようなはじまり方だが中途半端で、「アルプス」の方がまだドラマチックである。続く「桜の祭り」は、弦と木管中心に静かに展開するが、いたって単調である。突然、ティンパニと金管の咆哮で、これが「火山の噴火」とされているが、「アルプス交響曲」第2部の「雷雨と嵐」のような迫力はない。突然、激しい弦の刻みがフーガ風に展開される。この部分が「侍の攻撃」という箇所である。変なタイトルである。やがてフルオーケストラで「天皇賛歌」に至る。「アルプス」のような美しい旋律や高揚感もなく、途中からグロッケンシュピーゲルなども加わって無理に華やかにしようとしているが、恥ずかしいほど繰り返しが多く、また展開も平板である。

CDの解説を書いた岡田暁生氏の評価では、「アルプス交響曲の日本版」となっている。「アルプス」が作品64で、「皇紀2600年」が作品84だから、多分に「アルプス」を模写した傾きは感じる。「侍の攻撃」や「天皇賛歌」も無意味に力むだけで内容は薄い。「アルプス」を意識しつつ、取って付けたような表題を付けて、短期間にまとめたという印象は否めない。これを「ヒマラヤ交響曲」というタイトルにして、「日の出」「頂上」「日没」といって表題を付けても通用しただろう。なお、この「皇紀2600年奉祝音楽」の背景には、岡田氏によれば、次のようなことがあった。

「この作品が作られたのは、シュトラウスが『メタモルフォーゼン』や『カプリッチョ』や『最後の4つの歌』で再び最晩年の創作の輝きを取り戻す以前、いわば一番スランプにあった時代である。それでもシュトラウスのこの作品は、やはりよく『書けている』。近代の作曲家としては珍しいくらいシュトラウスは、『芸術家の自我』がない職人気質の人だった。…マーラーのような『自己表現』は彼には無縁だった。作曲家の内面生活の苦悩を作曲ネタにするということを、シュトラウスはほとんどしなかった。彼は、依頼があってギャラの折り合いさえつけば何でも書く、そして必ず一定の水準に保つ職人だったのだ。…これだけオーケストラがよく鳴って、次々に美しいメロディーか出てきて、仕上げが手馴れた実用音楽にはなかなかお目にかかれまい」。

なかなか辛辣である。今年は「皇紀2671年」になる。この曲が作られて71周年ということでもある。ということは、今年、2011年の12月8日(ハワイ時間では7日)は、 日本軍による真珠湾攻撃(太平洋戦争開戦)から70周年である 。  この曲は、日米開戦の1年前、1940年12月7日と8日、東京・歌舞伎座で、「皇紀2600年奉祝交響楽団」(指揮はヘルムート・フェルマー)により初演された。これには松岡洋右外相らが参加した。松岡は日本の国際聨盟脱退時の首席全権であり、また日独伊防共協定締結の立役者でもある。

「皇紀2600年奉祝音楽」は、その誕生から初演の日付に至るまで、すべてにおいて非音楽的要素に彩られている。ただ、これがほとんど演奏されることのない理由がそうした特殊事情だけでないことを、私自身、今回何度も聴いてみて確認できたように思う。 音楽好きの読者の皆さんはこの曲について、どのようなご感想をお持ちだろうか。メールでお教えいただけると幸いである。

トップページへ。