コピペ時代の博士号――独国防相の辞任 2011年3月7日

宅書庫の手の届く範囲だけで、ブルーの本が10数冊見つかった。ドイツのDuncker & Humblot/Berlinという出版社の国際法叢書(Schriften zum Internationalen Recht)である。私は35年前に大学院に入ったときから、この出版社のシリーズには大変お世話になっている(高額なのが玉に瑕だが)。私の修士論文(1978年)も、この出版社の「公法叢書」のなかの「政党と法」に関するものを参照した。この分野の専門家にとって、馴染みの深い「色」である。

ドイツでは、法学分野の博士学位論文(Dissertation)の多くがこの出版社から出されている。500頁を超えるものから、100頁足らずのものまで色々である。博士論文といっても、日本の修士論文程度のものもあり、博士号は日本よりも容易に取得できる。だから、官僚や政治家はもとより、企業経営者やホテル支配人、商店主まで、名刺をもらうとドクター(Dr. )のタイトルが付いていて、驚かされることがある。ちなみに、ドイツの場合、大学教授になるには教授資格論文(Habilitation)が必須であり、これの方が博士学位論文よりはるかにレヴェルが高い。教授の数は限られているが、他方、博士号をもち、「ドクター○○」と言われる人々はかなりの数にのぼる。

政治家でも博士号をもつ人は多い。現在のA.メルケル首相も物理学研究で博士号をもち、H.コール元首相は法学博士である。そうしたなか、先週3月1日、グッテンベルク国防大臣が、その法学博士の学位論文に大量の剽窃があることが判明し、辞任した。Karl-Theodor Freiherr von und zu Guttenbergという何とも長い名前である。私の嫌いな指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンの「フォン」(von)が高貴の出を示すことはよく知られているが、名前にFreiherr von und zu まで入ると正真正銘の貴族(男爵)の表示である。彼は博士論文の表紙に「男爵」と入れている。

冒頭の写真、下段真ん中のものが、グッテンベルク前国防大臣のその博士論文である。『憲法と憲法条約――米合衆国と欧州連合における立憲的発展段階』。2009年発刊で、総頁数は475頁である。このシリーズのなかでは大分な方に属する。
私はこれを入手し、ざっと読んだものの、印象に残らなかった。事実叙述がひどく細かいわりに、一つひとつの分析・検討の面が薄かったからだ。文献目録だけで49頁(S.416-464)もあって、本当にこんなに読んだのかと思うほどの分量である。最近の博士論文の傾向なのだが、パソコンの検索機能やデータベースの法令・判例検索などを使えば、例えば、憲法における主権の所在についての記述で、米合衆国州憲法にWe, the people”という言葉がどう使われているかを示すために、すべての州憲法を引用して、脚注でその部分をズラリと並べて見せることも容易である。実際、脚注には文献の頁数の明記がない。おそらく、データベースの検索機能でヒットしたものをコピーして若干加工してペーストしたものだろう。憲法裁判所の判例で、ある一つの言葉がどう使われたのかを示すのに、判例検索で、1950年代から最近までの全判例を脚注で何頁にもわたって並べた本を読んだことがある。昔のように判例集を読みながらではおよそ書けない。検索・コピペ時代。論文が薄味となった所以である。

グッテンベルクの「博士論文」では、脚注の荒っぽさも気になった。週刊誌『シュピーゲル』が剽窃部分の対比を行っているが(Der Spiegel,Nr.8 vom 11.2.2011,S.22-25)、そのなかに、米国の政治制度に関する概説書から拝借した箇所が示されている。一字一句丸写しであることがわかる。また、私もかつて論文で紹介したことのある元ベルリン自由大学教授のU.K.プロイスの憲法概念について、括弧で人名だけ書いてある。実物では注761なのだが、そこには頁数が書いてない。つまり、他人の論文からコピペした後、原著者が引用した脈絡を無視して、人名とタイトルだけを注として付けたのだろう。当該論文を本当に読んでいるか、かなり怪しい箇所ではある。先週いっぱいかけてメディアはさまざまに報道したが、最近の報道では、単なる剽窃ではなく、この博士論文全体のゴーストライターがいたという疑いも出ている。彼は国防大臣に就任する2年前にこの論文をバイロイト大学に提出している。

そもそも、こうやって週刊誌に指摘される前に、博士論文審査過程で気づくべきだったのではないか。この論文を審査した博士論文指導教授(Doktorvater)の責任ということにもなる。「はしがき」には、世話になった教授たちへの熱い感謝の言葉が並ぶ。私が院生時代から読んできた著名な憲法学者(P.ヘーベルレ)の名前がそこにある。その名を冠したゼミナールまで書いてあり、何とも痛ましい。本件に関連して、バイロイト大学は、国防相の博士学位を取り消した。

ドイツでも「大学のマクドナルド化」(U.ベック)が指摘されている。2010年春には、「博士号を売る」ということで、100人の教授らが検察当局の取り調べを受けた。くるところまできたようだ。

では、なぜこんなことになったのだろうか。グッテンベルクは保守のキリスト教社会同盟(CSU)所属の議員で、弱冠39歳で国防大臣に抜擢された。美人の妻をもち、お屋敷に住む。毛並みのよさでは政界のトップスターである。「将来の首相候補」と嘱望されていた。彼は国防大臣になるや、徹底的なパフォーマンス政治を行う。アフガニスタンの派遣部隊を電撃訪問した際には、妻を同行させている。華やかな女性と手をつなぎ、戦場に降り立つ姿は、兵士の士気にどのように影響したか。

ドイツは1950年代半ばから兵役義務制(徴兵制)をとってきたが、グッテンベルクのイニシアティヴで、今年7月1日を期して、徴兵制が停止されることになった。ドイツは本質的に志願兵制の軍隊に変わる。「廃止」ではなく「停止」だが、実質的には兵役義務制の終わりである。この問題はまた別の機会に詳しく語ることにしよう。

ところで、強引なパフォーマンスで乗り切ってきたグッテンベルクに対する軍の抵抗も大きかった。徴兵制をなくした張本人ということで、軍関係者から妬まれていたとしても何ら不思議はない。一般に政治家を陥れるには、異性スキャンダル、カネの問題、そして経歴に関わる事柄(経歴詐称など)が使われる。彼のような貴族の場合、まさに切り札としての「名誉」スキャンダルが登場したわけである。

日本では、法学博士号の取得は容易ではない。法学系の大学教授のうち、法学博士号を取得している人は、世間が想像するよりもはるかに少ないのである。これは博士号を研究者の「入口」と考える理系と異なり、文学系や法学系では、教授を長くやってそれに対する「勲章」、つまり「出口」のように考えられていた時期が長かったからである。

それが80年代、特に91年からは博士号の位置づけが変わり、「課程による博士」を多く出すようになった。加えて、「大学院重点化」のなかで、学位をとにかく出せというオブセッションが年々高まっていった。一般に、学位審査の世界は、例えば学位論文には値しないと判断して審査に付さないこともあるし、取り下げをさせることもある。だが、ここのところ留学生には何としてでも出せというプレッシャーは年々強まり、学問の結果としての学位ではなく、「手段としての学位」、さらに「目的としての学位」の傾向が生まれている。「薄利多売」ならぬ「博士多売」の世界になりつつある。

ところで、日本の政治家で学位をもっている人はどのくらいいるだろうか。結論から言えば、衆議院議員15人(外国の大学は2人)、参議院議員14人(同3人)の計29人である。このうち外国の大学は、衆院が鳩山由紀夫前(まもなく元?)首相(スタンフォード大学・工学博士)ほか1人、参議院が猪口邦子議員(自民)(エール大学・政治学博士)ほか2人の、衆参合わせて計5人にすぎない。
国会関係者に照会して、『衆議院要覧(乙)』(平成21年10月編)および『参議院要覧(Ⅲ)』(平成22年版)などを調べてもらったのがこの数字である。内訳は、日本の大学が、医学博士10(衆4、参6)、工学博士6(衆のみ)、農学博士2(同)、政治学博士1(同)、学術博士3(参のみ)、水産学博士1(同)、芸術工学博士1(同)である。外国の博士号は、工学博士1(衆のみ)、国際政治学博士1(同)、政治学博士2(参のみ)、経済学博士1(同)、である。
ここで一見して気づくことがある。日本の立法府、そしてそこから選ばれる大臣たち、そこには法学博士(博士〔法学〕)がいない、ということである。

 なお、要覧や議員のホームページを見ると、博士課程(単位取得・満期)退学が6 人いる。彼らは博士論文を提出しないで退学したもので、「博士号取得者」にはカウントされない。また、表記の仕方が一貫せず、明らかに1991年の制度変更後にもかかわらず、「博士課程修了」と表記している議員もいる。厳密に言えば、「博士課程満期(単位取得)退学」を「修了」とするのは、経歴詐称である。怪しい議員が衆院に2人いた。かつて米国の大学を卒業したことを偽ったとして、経歴詐称で辞職した衆院議員がいた(「小さな嘘と大きな嘘」)。隔世の感がある。

 先週まで人気の国防大臣だったグッテンベルクの本を改めて読んでみると、やはり記述が異様に細かく、詳しすぎるのが気になる。連邦議会議員をやりながらここまで書けるのか。各紙の報道によると、どうも連邦議会の調査部門の職員がかなり書いたようである。そういう目で本書をみると、3頁にわたる「総括」(S.405-407)が妙にリアルな文章であることに気づく。「2004年6月18日、ヨーロッパ憲法史が書かれた」で始まる。これは欧州理事会が「欧州憲法条約」案を採択した日付のことを言っている。そして結びの言葉は、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)の欧州憲法条約案の審議に向けた評価や立場を収録するということで終わっている。論文の結論部分が、自分の所属する党の方針を6頁(S.408-413)にわたって収録することで終わりとするのは、明らかに論文の構成として疑問である。審査にあたった著名な憲法学者は、この弟子の論文のこの部分をどう評価したのだろうか。
なお、この博士論文が高く評価した「欧州憲法条約」は、2005年にフランスとオランダの国民投票で否決されたため、終焉を迎えた。全加盟国で賛成を得られないと発効できない仕組みになっているからである。

大臣を辞任し、議員も辞職する40歳前のグッテンベルク男爵には、もう少し落ちついてじっくりと、自分の頭で、欧州の未来について考えてほしいと思う。

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