「復興」と「仮の町」――東日本大震災から1年(その2) 2012年3月19日

「3.11」を前にした2日間、福島に滞在した。郡山市内のホテルで1週間分の地元紙(民友・民報)に目を通した。自宅で講読している朝毎読・東京の論調とは違い、県紙としての視点は明確である。福島に軸足を置くとこうなるのか、という記事が随所にあった。とりわけ県民の避難状況についての特集記事「避難生活、今なお」は、県紙ならではの紙面構成だった(『福島民友』3月10日付8面特集)。見出しを拾うと、「6万2674人が全国46都道府県へ(山形が最多)」「県内避難9万7828人 民間借り上げ住宅6割超」「避難町村の役場機能移転の状況」「市町村別の人口流出の動向 197万人台へ」「各町村見通し不透明」等々。見出しだけでも、福島の厳しい現実が見えてくる。

東日本大震災は、死者・行方不明合わせて19131人(2月末現在、警察庁まとめ。なお、この数字は『朝日新聞』3月11日による)。途方もない数字である。数の向こう側に一人ひとりの個人がいる。今も34万3000人の方々が避難生活を余儀なくされている。避難生活の疲労や震災のショックで体調を崩すなどして亡くなる「震災関連死」も増えている。3県52市町村で1365人にのぼる(『朝日』3月7日付。なお、『読売新聞』3月11日付は1479人としている)。65歳以上がその95%を占める。福島では原発事故による「複合被災」の現実があり、「見通し不透明」が精神的負担をさらに重くしている。

3月10日午前、福島県司法書士会の研修会(郡山市熱海で開催)で2時間ほど講演をした。全県の会員280人のうち149人と他県の司法書士14人が参加した。主催者から与えられたテーマは「東日本大震災と復興への道筋――憲法の視点から」である。大変むずかしい問題である。受講者は、原発事故の被害に苦しむ福島県の各地から集まった司法書士の方々である。開会前、挨拶されたので名刺を渡そうとすると、避難先から来たので名刺はないという方もおられた。

講演のなかで、「職業(Beruf)としての司法書士」について触れた。マックス・ウェーバー『職業としての政治』(岩波文庫)を引照しつつ、“Beruf”という言葉には「使命」という意味も含まれていることを説き、原発事故で深刻で困難な状況にあるなか、司法書士が住民の「権利の保護」(司法書士法1条)のための活動を積極的、創造的に展開していくことは、まさに「使命」であると語った。

さらに講演では、「言葉にこだわる」という節を設け、さまざまな物言いを批判的に検討した。政治家やメディアは「復旧・復興」という形で、2つの言葉を「・」で簡単につないで語ってしまうが、「安全・安心」という怪しげな言葉と同様、「・」には要注意だと指摘した。東京では「復興」というけれど、かつての生活や生活・社会基盤をもとに戻すどころか、当座の応急的な状況もままならぬ、その意味では「復旧」さえしていないところが随所にある。それなのに「復興増税」という漢字4字が一人歩きして、永田町では増税の各論に入っている。国会では「やるべきことは何か」などが議論されるが、それに対してJAは3月8日付各紙に全面広告を打った。そのタイトルは「復興より先に、やるべきことはないと思う」であった(『朝日新聞』3月8日付32面の全面広告参照)。

2月10日、復興庁が発足した。「復興庁、弱い権限」「与野党の妥協の産物」(『朝日』2月10日付)、「被災地そっちのけ…復興庁遅すぎた船出」「権限めぐり 政治ゲーム9カ月」(『東京新聞』10日付)、「復興庁に『縦割り』の壁」」「実務部隊は省庁ヒモ付き」(同11日付)。私は「遅い、遠い、小さい」と、復興庁を特徴づけた。各紙が触れない「遠い」には、私が昨年6月の段階で主張していた、「『復興庁』も、被災地に前方展開して、福島市か仙台市に置かれるべきだろう」との含意がある。その復興庁がいまやっているのは、補助金の査定や「復興特区」の審査が中心である。大臣を見ても、復興庁の軽さを感じる。講演では、震災における救助(救出、救急、救命、救難)、救援、復旧、復興の全過程における「国家と個人」、「中央と地方」についても論じたが、これらの点に関しては、森英樹・白藤博行・愛敬浩二編著『3.11と憲法』(日本評論社、最新刊)が多角的に解明しているので参照されたい。

この日、午後のセッションでは、「原発避難地域の現状報告と原子力損害賠償の実務」、「東日本大震災に伴う登録免許税の実務」、「東日本大震災被災者支援策について」という3本の報告が行われた。最初の報告を担当した渡辺和則さんは、双葉郡富岡町の事務所の建て替えをした直後に震災にあい、現在は避難先のいわき市内に仮事務所を置いている。富岡町は福島第二原発の立地町、第一原発10キロ圏の警戒区域に指定されている。

渡辺さんの報告資料には、賠償金の各種請求書が多数添付されている。これが実に細かいのだ。「避難生活等による精神的損損害」、「避難・帰宅費用」(交通費、宿泊費、家財道具移動費)、一時立入費用、生命・身体的損害、就労不能損害などの各項目について、それぞれ詳細な記入が求められている。字も小さい。こういう書類を作成することは、とりわけお年寄りには困難を伴うだろう。そこに司法書士の「使命」がある。渡辺さんは日本司法書士会連合会原子力損害賠償対応プロジェクトチームのメンバーでもあり、これからますますの活躍が期待される。

講演のあと、郡山市の降矢通敦さんの車で、大玉村安達太良の応急仮設住宅を訪れた。警戒区域の富岡町の240世帯が住んでいる。そこは山裾の非常に寒いところである。役場仮事務所のプレハブで、自治会役員の方と話をした。

事務所前の住宅の入口に黄色い旗が立っているのを見つけた。これが朝出されると、そこに住む高齢者が、「今日も起床しました」という合図になるそうである。映画「幸福の黄色いハンカチ」(山田洋次監督作品)にヒントを得たものだろう。なお、ここの仮設住宅では最近、1 人が「孤独死」したという。そのこともあって、いくつかの家の玄関先には、小型回転赤色灯(パトライト)が設置されている。万一のときに、寝床近くにあるボタンを押せば、これが点灯して異変を知らせる仕組みである。費用はどこから捻出しているのかと質問したところ、仮設住宅の自治会で負担しているとのことだった。

仮設住宅の外れに、「仮設診療所」があった。ドクターカーが停車しているのでそれとわかるが、建物だけでは一般の仮設住宅と区別がつかない。よく見ると、診療所の看板には「仮設」という文字が付いているが、ドクターカーには「富岡町大玉診療所」と、「仮設」の2文字がない。思わずカメラのシャッターを切った。

前述の役場仮事務所で、14時から東電による説明会があると聞いた。東京電力は、年間積算放射線量50ミリシーベルトを超える帰還が困難な地域については、住宅などの資産を全額賠償するという方針を出している。しかし、賠償金の支払いはなかなか進んでいない。警戒区域にある富岡町の住民には、どのような説明をするだろうか。関心をもって会場のC 集会所に向かった。

集会所入口の掲示板には、直近の放射線量を書いた紙が貼られている。ドアを明けると東電職員が2種類の資料をわたしてくれた。A4の「原子力存在賠償の状況について」1枚と、A4カラー版23頁の東京電力株式会社「福島第一原子力発電所・福島第二原子力発電所の状況ならびに今後の取り組み」(平成24年3月10日)という文書である。

集会所は狭く、畳の上に30人ほどがびっしり座り、東電の担当者の話を聞いている。私は入口近くの板の間に座った。担当者は、原子炉の仕組みの説明をだらだらと行い、さらに昨年の事故について、「たまたま私は4号機爆発のとき、近くにおりまして…」などと、個人的感想まで語り始めた。「おいおい、誰に向かって話しているのか」と思わず叫びたい衝動にかられた。

説明会の予定時間は90分と決められている。この日のメインは、配布資料にある「第3 回本賠償における請求」である。賠償項目の追加として、「知人、親戚宅への宿泊費実費分」(1世帯あたり1泊2000円)といった具体的数字も出ている。住民の関心は明らかにここにあるはずなのに、大半の時間を市民講座のような専門的説明に費やす。東電は「丁寧に、丁寧にご説明申し上げました」というのだろうが、こういう語り口を慇懃無礼というのである。

ついでながら私は、「丁寧に説明する」という言葉を聞くと虫酸が走る。特に野田首相が、「沖縄の皆さま方に丁寧にご説明申し上げる」というとき、身悶えしてしまう。そもそも「説明」というのは「説いて」「明らかにする」わけだから、乱暴でぞんざいな言い方は言葉の本来の意味になじまない。だから、「丁寧に説明する」というのは言葉の過剰なのである。  

東京電力の説明会に腹を立てながら集会所を出ると、富岡町議会選挙のポスター掲示板が近くにあった。各候補者は、県内各地に分散した富岡町住民の仮設住宅をまわるのだろうか。いずれ「震災と選挙」というテーマで書いてみたいと思う。

ところで、講演の前夜、郡山市内で前述の降矢さんと、昨年4 月に車で被災地を案内していただいた白土正一さんとお会いした。拙著『東日本大震災と憲法』を献本し、お礼するためだ。その食事会でお二人から、福島の復興の方向と内容についてさまざまな意見が出た。

白土さんは、「双葉町や大熊町は放射線量がきわめて高く、50年から100年は人が住めない。何年たったら帰村できるという言い方をもうやめて、国の責任で別にコミュニティをつくるべきだ」と断言した。降矢さんも、「森林の除染は不可能に近い。葛尾村の除染には、1人5000万円かかる。一世帯3人で1億5000万円になる。これだけの費用をかけるなら、他の方法を考えた方がいい」という意見だった。お二人とも、帰還できないことを前提にして生活基盤を確保することを国や東電に求めることの大切さを強調した。

政府は、金と力の「逐次投入」をやっている。政府はこのほど、避難区域を、「帰還困難区域」(年50ミリシーベルト超で、5年以上住めない)、「居住制限区域」(年20ミリ超から年50ミリ)、「避難指示解除準備区域」(年20ミリ以下)の3つに再編した。3月16日、この再編に照応して、原子力損害賠償紛争審査会は、精神的苦痛1人月10万円を「避難指示解除準備区域」の住民に支払い、「帰還困難地域」の住民には5年分一括で600万円を、「居住制限区域」には2年分一括で240万円支払うことを決めた(『毎日新聞』3月17日付一面トップ)。ただ、政府は「帰還困難区域」も「5年」という数字を掲げることで、浜通りの双葉町なども除染すれば10年後には住めるかもしれないという期待を抱かせ続けている。

降矢さんは「人にとって5年は重い」と述べ、1歳は6歳に、15歳は20歳に、80歳は85歳に…と、5年はそれぞれの人生にとって重要であるという。早く決断して、別のところに新しい生活基盤をつくることの方が、当初は「故郷を失う」という反対が出るかもしれないが、長期的に見ればその方がいい、と。ちなみに、避難者へのアンケート調査を見ても、「今後の生活に不安を感じていること」のトップは「住宅のこと」が22%、仕事と収入、子どもの教育を加えると51%になる。「帰還の可否、町村の復興」は13%である(『福島民友』3月10日付1面)。

昨年9月末、原発から半径20~30キロの「緊急時避難準備区域」の指定が解除された川内村では、2012年4月から役場や学校などの機能を復活させる「帰村宣言」を行った。一見明るいテーマに聞こえるかもしれないが、家族のありようからすれば大変深刻な問題なのである。父が帰村し、母子は他の県(地域)にとどまる。そういう家族が生まれることは容易に想像がつく。

他方、「計画的避難区域」に指定された飯舘村は、約6000人が全村避難をしているが、村は3200億円をかけ、住宅を2年、農地を5年、森林を20年で除染し、住民に帰村を促す方針である。「森の約束」。このモニュメントは、4月に飯舘村役場を訪れたとき、役場入口近くの芝生に埋め込まれているのを撮影したものだが、原発と無関係な村づくりを着実に行ってきた飯舘の人々の、帰村への思いが痛いほど伝わってくる。

だが、同じ飯舘村の酪農家、長谷川健一さんは、帰村ではなく、集団移住を提言する。「村面積の75%は山林。そのすべてを除染しなければ、“移染”にしかならない」。部分的にだけ「除染」しても、汚染物質は移動しただけで根本的な解決にはならないというわけである。そのままでは「時間がたつほど、若い人を中心に村に戻る人は少なくなるだろう」とみる。避難先で新たな生活基盤を築く人も徐々に増えている。「私だって生まれ育った古里に帰りたい。だけど、これだけ汚染された土地で農業を再開するのは難しい。除染がうまくいかず、何年か後に『やっぱりだめでした』ではどうにもならない。村全体で移住する『新・飯舘村』のような選択肢を考えておく必要がある」(『東京新聞』3月4日付)と。

「移染」という視点は、福島県司法書士会でも、ある司法書士が私に語っていた。除染の効果を疑問視する声は決して小さくないと感じた。降矢さんも白土さんも、除染が有効な地域は徹底して行い、そうでないところはあえて除染は断念するという決断が大切だという。すでに大熊、双葉、富岡の各町は、いわき市内に「仮の町」の建設を検討しており(『朝日』3月7日付)、大熊町は3月16日、いわき市周辺に「仮の町」の整備を始める復興計画を決定した(『毎日新聞』3月17日付社会面トップ)。5年を待たず、自治体の動きが始まった。「遅い、遠い、小さい」ではなく、これを国がどう支援していくかが問われている。

なお、『福島民友』3月9日付の一面トップは「衆院 福島特措法案が通過」である。サブ見出しは「月内成立へ 国が帰還、雇用支援」である。「福島復興再生特別措置法案」の修正案が3月8日、衆議院本会議で可決されたことを報じたものだ。当初の政府案では、長期にわたり避難生活を余儀なくされている高線量地域の「居住制限区域」や「帰還困難区域」の自治体や被災者への支援が盛り込まれていなかった。衆院の与野党修正協議のなかでその必要性が認められ、雇用と生活安定に向けた施策の展開が明記されたというが、本格的な復興への力の集中というには距離がある。なお、「復旧・復興」が、福島特措法では「復興・再生」になっている。

いつまでも仮設住宅の「仮の宿」に人々を押し込めておくのではなく、本格的な生活基盤とコミュニティの再建のために、国の力を集中すべきだろう。その意味で、「仮の町」へと向かう被災自治体の動きにも注目したい。

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