なぜ、まだ辺野古なのか――思考の惰性を問う 2011年10月24日

 

の写真は4月21日に、私のゼミの女子学生が沖縄県名護市辺野古で撮影してきたものである。米海兵隊キャンプ・シュワブとの境界に、今年になって分離壁の建設が始まった。学生が撮影したコンクリート製の分離壁には、市民団体がすでに横断幕を張り付けている。

   この場所には長らく有刺鉄線があって、市民がたくさんのメッセージを括りつけてきた。こちらの写真は昨年4月の直言で使ったものである別の角度から撮影した写真も紹介した。私自身、何度もここに立った。有刺鉄線の緩くなった箇所から基地内に 1 メートルほど立ち入ったこともある。それくらいアバウトな境界だったが、夏明けには頑丈なフェンスによる境界が完成した(市民団体の写真参照)。

私は米海兵隊普天間基地の辺野古「移設」問題を、「沖縄問題」ではなく、「外国軍隊駐留放置問題」であると指摘してきた。米国政府部内にすら、海兵隊の沖縄駐留の意味はなくなったという見解が存在するなど、海兵隊沖縄駐留を正当化する理由はかなり怪しくなっている。にもかかわらず、日本政府は、「抑止力」論の思考の惰性にとらわれ、辺野古への「移設」を強行しようとしている。2010年5月の「日米合意」(日米安保協議委員会の外務・防衛担当閣僚[2プラス2]の声明)を自明の前提のように言う人たちがいるが、沖縄では県知事、名護市長など県内41市町村の全首長、県議会が反対し、県民の世論調査の結果も大多数が反対を表明している。普通の民主主義国家であれば、その地域全体が反対している所に政府が基地を「移設」することは考えられない。政府間の「合意」が成立しているといっても、沖縄県全体が反対している以上、その「合意」の見直しを求めて交渉するのが筋である。米国に対しては何も言わず、沖縄県には賛成するよう「説得」を繰り返す。一体、どこの国の政府なのだろう。これは米国民から見ても、不思議な光景ではないか。

鳩山由紀夫が首相だったとき、少なくとも主観的にはこの問題に誠実に向き合おうとしていた。元秘書官の佐野忠克が先週17日、那覇市内のホテルで行われた講演のなかで、「鳩山氏は米国に『(移設先は)国外、少なくとも県外』と間違いなく言ったが、十分に検討する時間がなかった」と述べ、鳩山がグアムや県外への移設を目指したものの、「2010年5月」という期限を区切って交渉したため、断念に至ったと説明している(『沖縄タイムス』10月19日付)。「最低でも県外」という言葉を鳩山が発した瞬間、辺野古「移設」はなくなったと考えるべきだ。この発言がなければ、仲井真弘多沖縄県知事は基地受け入れの方向で動く気配を示していたが、この発言で「県内移設」は選択肢から消えた。問題の性格が変わったのである。鳩山が「最後のチャンス」を活かせず、その後の情けない撤退があったとしても、これは鳩山の一つの「功績」であったと私は考えている。それに比べて菅直人は、首相在任中、沖縄・普天間問題からことさら距離をとろうとした。この首相と沖縄との冷やかな関係は、自民党時代のどの首相にも例がないほどだった。これを私は「沖縄はどこ行ったのか」で問うた

では、現在の首相の野田佳彦はどうか。この人物は実に便利な顔をしている。感情が顔や態度や乱暴な言葉にすぐ出てしまう前任者と異なり、一体何を考えているのか、表情にはまったく出てこないのである。沖縄問題についても自らの考えは示さず、官僚が引いた既定方針を述べるだけである。そして、この間、沖縄への閣僚の「逐次投入」を行っている。

先々週の川端達夫総務相(沖縄・北方担当相)(11日)、北澤俊美前防衛相(民主党副代表)(13日)に続き、先週は一川保夫防衛相(17日)と玄葉光一郎外相(19日)が沖縄入りして、県知事や名護市長と会談した。誰が行っても、何を言っても相手が翻意することはあり得ないことが最初からわかっていながら、閣僚の無意味な派遣を繰り返す。「野田佳彦首相の年内訪沖の地ならし」(『毎日新聞』10月17日付社説)という見方もあるが、これは「成算のないアリバイづくり」(『朝日新聞』10月19日付社説)と評されるように、まったく誠意のない、ただ「沖縄を説得しています」ということを米国に示すためだけのポーズではないか。毎回応対する知事や名護市長が気の毒である。このような姑息なやり方が米国政府に評価されるとは思われないし、何よりも沖縄に対して失礼である。

『産経新聞』19日付社説は、「普天間移設、首相は沖縄説得に汗流せ」と書いているが、汗を流すべき相手が違う。沖縄の状況を米国に説明して、もはや辺野古への「移設」は不可能であることを米国に対してはっきり言うべきなのである。

ところで、先週までの閣僚らの沖縄訪問の過程で、私は次の3つの発言に注目したい。
   まず、玄葉外相が訪沖前に語った言葉である。この松下政経塾8期生は9月5日の新聞インタビューで、この問題は「日米合意に基づいて進めていく」と述べ、現行の辺野古「移設」案を推進する考えを示したが、その際、「沖縄の負担軽減は大事なので、踏まれても蹴られても誠心誠意、沖縄の皆さんに向き合っていく」と語ったという(『朝日新聞』9月6日付)。沖縄県知事は怒った。一体誰が踏んだり蹴ったりするのか、と。玄葉は驚いて釈明していたが、後の祭である。そもそも外相というのは、その国の民の利益を守るために、外国政府と交渉するのが仕事ではないのか。沖縄県知事のところに出かけ、空虚で「成算のないアリバイづくり」を試みる玄葉外相は、米国務省の日本出張所長代理補佐くらいの役回りしかやっていない。日本国外相なら、自国民たる沖縄県民の意を受けて、米国に「踏まれても蹴られても」交渉を続けるべきではないか。

もう一つの発言は、北澤前防衛相のものである。閣僚訪沖の影に隠れて全国紙の報道では目立たなかったが、沖縄での扱いは大きかった。北澤は10月13日に沖縄県知事に対して、「どんな困難があってもやり抜いていく」と述べたというのだ。彼の主観的・瞬間的意図は、とにかく問題解決に全力を挙げる程度の意味合いだったのだろう。しかし、記者会見で知事にそう述べたと言った途端、それは「県知事と県民に向けて発せられた言葉だと受け止めるしかない。はっきり言って、これは恫喝である。強大な政治権力をもつ政権党の大幹部が、お願いをする相手の首長に言う言葉だろうか」という形で反発が広まっていった(『沖縄タイムス』10月15日付社説「『恫喝政治』を危惧する」)。沖縄メディアは発言をことさらに悪く解釈していると考えるべきではないだろう。言葉というのは、誰が、誰に対して、どのようなタイミングで発せられるかによって変わってくる。辺野古「移設」が問題になっている時に、それに反対する知事に面と向かって、与党幹部が「どんな困難があってもやり抜く」と言えば、「あなたがどんなに反対しようとも、我々はやりますよ」と言ったに等しい。

実は北澤には知事に会うことより、もっと実質的な目的があったようである。1泊2日の沖縄滞在だが、知事に会う前日の12日夜、私も14年前に宿泊したことのある名護市のリゾートホテル、ザ・ブセナテラス(1998年沖縄サミット会場)のレストランで、条件付き基地受け入れ派の3区長(辺野古、久志、豊原)や名護漁協組合長、名護市議らと会っていたのだ(『週刊金曜日』10月21号「金曜アンテナ」欄参照)。広い120席のレストランを9人で貸し切り、創作イタリアンとワインを振る舞い、北澤は基地受け入れ派とどのような話をしたのだろうか。その翌日、県知事に対する「やり抜く」発言になったのだが、北澤は同時に「移設にともなう環境影響評価(アセスメント)の最終段階の手続きも進める」と述べていたことが注目される(同上)。

3つ目に注目したい発言は、その環境影響評価に関連して、北澤の4日後に沖縄入りした一川防衛相が語ったことである。一川は、辺野古「移設」に向けた環境影響評価の手続きについて、最終の評価書を「年内に提出できる準備を進めている」と正式に表明し、その際、米海兵隊が来年沖縄に導入するとしているMV-22B高速強襲輸送機「オスプレイ」を「評価書の中でしっかり評価することで作業を進めたい」と述べた。沖縄ではこれは、政府が「評価書で辺野古での使用機種をオスプレイに変更することを初めて公式に示した」と受け取られた(『沖縄タイムス』10月19日付)。

「日米合意」とされる昨年5月の「日米共同声明」には、この「直言」でも指摘したように、「1800メートルの長さの滑走路(複数)」(the runway portion(s) of the facility to be 1800 meters long)とあって、括弧で“s”が付いている。1800メートル滑走路は1 本にとどまらないわけで、V字型やX字型など、「オスプレイ」の運用構想に即したものになっている。辺野古「移設」は、単に普天間のヘリ部隊の移駐にとどまらず、「オスプレイ部隊」の新編となる可能性も高まってきたわけである。「オスプレイ」は離着陸時、ヘリコプターになり、上空に行くと、機体の上部を向いていたプロペラが水平になって、プロペラ機のように飛ぶ。騒音が際立ってひどく、事故も頻繁に起こしている曰く付きの機種である。沖縄県民の不安と怒りはますます高まるだろう。「安全保障は素人」の一川が、そうした事情を十分熟知して知事に語ったのかはわからない。「防衛相は、日米合意の進展を促す米国の声に唯々諾々として従い、知事に方針を伝えただけだろう。県民から見れば、米政府のご用聞きとしか映らない」(『琉球新報』10月18日付社説)。厳しいが、当然の指摘だろう。

結局、野田首相による閣僚・党幹部の「逐次投入」は、沖縄側の反発を増しただけだった。『東京新聞』10月19日付「こちら特報部」は、野田内閣による「沖縄詣で」について、「米国におべっか」「なぜ自国民優先せぬ」という見出しで鋭く批判している。

もはや辺野古はない。そこから「日米合意」の仕切り直しをしていくことこそ、最も現実的な道ではないだろうか。

(文中敬称略)

トップページへ。