どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア 2012年8月13日



ンドン・オリンピック(五輪)が終わった。204の国・地域の代表が一同に会して、日頃の練習の成果を競う。全力で取り組むアスリートたちの姿は美しいし、尊い。それが感動や興奮を呼ぶのだろう。他方で、オリンピックは、「別の手段による政治の継続」という面を濃厚に持っている。国家の思惑がさまざまに交錯し、メタル獲得戦争(五輪では金銀銅メダル、南沙諸島などではレアメタル)の様相を呈する。 国内では、日頃「ニホン」と発音する人までも、「ニッポン」と絶叫する。一種の戦時状態であるただ今回は、北京五輪の時のような国家主義コテコテの嫌らしさを感じないですんだのが、せめてもの救いだったが

思えば今年は、ミュンヘン五輪の40周年だった。パレスチナゲリラがイスラエル選手11人を殺害した事件から40年が経過した。 この直言では、スピルバーク監督作品「ミュンヘン」について書いたことがあるが、あのミュンヘン五輪のテロ事件については、依然として謎が多い。『シュピーゲル』誌の最近号には、テロの警告が存在したのに、ドイツ治安機関が十分対応しなかったこと、そして、その不作為を隠し続けてきたことを、新たな資料の発掘によって明らかにしている(Der Spiegel,Nr.30 vom 23.7.2012,S.34-44)。ロンドン五輪も、ミュンヘン40周年を意識して、徹底した警備態勢をとった(なお、アテネ五輪の厳重警備について、 直言「あのエアバスを撃墜せよ!」を参照)。 民間軍事会社(PMC)では十分対応できず、英国軍が警備に投入された。4年に1度のオリンピックは、現代における国家や社会のさまざまな問題や矛盾が短期間に、集中的に表に出てくる傾きにある。

私は昔からスポーツ観戦はしない人間なので、 オリンピックやワールドカップの時期は憂鬱になる。ニュースの途中で妙に明るいアナウンサーの声になった瞬間、テレビを切ってしまう。家人のブーイングが出るので、近年はかなり妥協しているが。

それでも朝食の時間帯は愉快ではない。特に8月7日。女子サッカーが決勝に進出したということで、NHKも朝から大騒ぎ。7時の「おはよう日本」では、アナウンサーがいつになくハイテンションで、男性アナウンサー(早大法卒)は「それでは、その他のニュースを」と、明確に言い切った。それが「自民党、内閣不信任案提出へ」というニュースと、東京電力が事故直後のテレビ会議の映像を修正の上公開したというニュースだった。ともにきわめて重要なニュースで、通常ならば、政治部や社会部の記者に報告させながら掘り下げるところである。特にテレビ会議の映像を、東電は1年5カ月もたって、なぜ、この時期、このタイミングで公開したのか。オリンピックのどさくさ紛れで公開すれば反発が少ないと考えたとすれば、あまりに姑息である。また、消費税増税法案採決を目前にした緊迫する事態のなか、内閣不信任決議案をめぐる与野党の駆け引き。こういう重大な局面で、NHKが一瞬であっても、「その他ニュース」扱いをした事実は忘れるべきでない。

ワイドショー番組ではさらなる本末転倒が見られた。たまたま7日午後、ニュースでも見ようとテレビをつけ、ちょうど国会からの記者報告をやっていた「ミヤネ屋」なる番組にチャンネルをあわせると、私の嫌いな関西系司会者が、「オリンピック期間中にもかかわらず、国会では不信任案が出て…」とやったので、思わずのけぞり、瞬間的にスイッチをoffにしていた。この国の政治が五里霧中の状況にある時、メディアの頭が「五輪夢中」なのは情けない限りである。

メディアが浮足立って伝えるのはいつものことだが、上記は特にひどい例である。開会式4日前の「直言」で、 「この17日間は、『こっそり決める政治』が跋扈しやすいので、要注意である」と書いたが、その通りになった。

テレビに比べ、新聞はいくぶん冷静さを確保しているものの、8月5日付各紙東京本社14版の一面は、対応が鮮やかに分かれた。冒頭の写真をごらんいただきたい。 もしNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」がまだ続いていたら、私はこう語っただろう。

『日本経済新聞』を除く各紙は、14版(最終版)の降版ギリギリでサッカー男子準決勝進出を伝えた。『読売新聞』は一面トップで伝え、『毎日新聞』は「バトミントン女子銀メダル」の下に急遽差し込んだ。だが、もしオリンピックがなかったら全紙の一面トップになった記事がある。それが、全国11カ所で開かれたエネルギー政策に関する意見聴取会の結果を政府が4日に公表したというニュースである。「討論型世論調査」という触れ込みで、「国民的議論」をやったというのが政府の言い分である。

『朝日新聞』7日付はサッカー男子4強の横に「原発ゼロ支持7割」と、4分の1の紙面をこれに割いた。『読売』『毎日』一面がこれに関する「記事ゼロ」だったのに比べれば、『朝日』はまだましだったかもしれない。

こうした全国紙と対照的だったのが、『東京新聞』7日付である。「67%『ゼロ』選択」という一面トップ見出しに、「2030年では遅すぎるも多数」という縦4段見出しを入れた

そもそも政府の「討論型世論調査」に問題はなかったのか。仙台や名古屋で、電力会社の管理職や役員が明に暗に会社の意見を代弁して問題となったが、それよりも、「2030年、電力に占める原発の割合」を、0%、15%、20〜25%という3つの選択肢で問うやり方に問題はなかったのか。しかも、なぜ3択なのだろうか。

さらに問題なのは、「2030年」という時点での数字を問うていることである。「2030年の段階でゼロ」ということは、それまでの18年間は原発維持賛成にカウントされかねない。だからこそ、「2030年では遅すぎる」という意見の存在を強調した『東京』の縦4段見出しが光る。加えて『東京』は二面で、3択にした狙いを、ゼロと20〜25%の間で、無難な15%を選択するよう誘導していると批判している。政府が配った資料も、15%に向かうように仕組んであったという。だからこそ、ゼロと回答した人が7割近くいた事実は重要である。

これに対して、別世界なのが『日経』7日付である。冒頭の写真の左下には、「北海道、冬に10%節電」「泊再稼働見込めず」の見出しが見て取れよう。猛暑の真っ只中にあえて冬の話を一面トップに持ってきて、暖房や融雪に影響が出るから原発を再稼働させましょう、という原発推進の意図が透けてみえる紙面構成である。この日、『日経』と『東京』の一面は、実に対照的だった、と。

 なお、意見聴取会での電力会社社員(役員)の発言が批判を浴びるや、政府はその日のうちに「電力会社社員は参加させない」という方針を打ち出した。これはおかしい。組織(会社)を離れて、個人の意見を言えない「空気」はこの国の深刻な問題である。他方、特定の組織に所属する個人には意見を言わせないというのも、集団主義的発想にほかならない。 首相官邸前のデモが、無数の個人の参加という形をとっているように、いまこの国では、主張する個人が生まれている。

「決められない政治」から「決める政治」へ。政治の中身を問うことなく、「決める」という形にだけこだわるのは異様である。「8.15靖国参拝こそ『決められる政治家』の条件である」と煽られ(『週刊ポスト』8月17/24日号〔櫻井よしこ〕)、「決められる政治家」を目指して、野田首相は8.15に靖国参拝をするのだろうか。辻立ちで「マニフェスト」の意義を熱く説いていた県議レヴェルの政治家が、去年の暑い夏の終わり頃に首相になり、 いまや一丁前に「首相の靖国参拝」の当事者になろうとしている。壮大なる勘違いがここにある。

オリンピックが終わった。「五輪夢中」の頭をリセットして、「どさくさ紛れに『決める政治』」を許さず、しっかりチェックしていく必要があるだろう。


《付記》合宿等で不在のため、本稿は8月7日夜に脱稿したストック原稿である。その後「近いうち解散」で与党と自公が合意した。自民党は、内閣不信任決議案と問責決議案(参院)の提出方針を撤回。消費税増税法案は10日に可決・成立した。「近いうち」という、日本政治史、解散史に残る迷文句が誕生した。

トップページへ。