「首相官邸前異状なし、報告すべき件なし」――テレビ報道の劣化  2012年7月2日

実に大きな事件が起きていても、キャスターが涼しい顔をして「それでは今日はこのへんで」と締めてしまえば、それで終わりで、「ニュース」は存在しなかったことになる。逆に、レポーターが興奮気味に現場から中継映像を送り、キャスターとのかけ合いにでもなろうものなら、もうそこでは何か大事なことが起きていると、視聴者は思ってしまう。台風上陸前の砂浜であったり、容疑者が逮捕された警察署前だったり、スキャンダルが疑われるタレントの事務所前だったり…。中継の必要もないような場合でも、現場からの声を入れると、何となく重要な出来事が起きていると思ってしまうところに、テレビの怖さがある。H.シラー=斉藤文男訳『世論操作』(青木書店(1979年)原題はMind Manegement)によれば、「断片性」と「速報性」を駆使すると、重要でないことを重要なことにすることもできるし、反対に、重要なことを重要でないことにすることもできる。

2012年3月から毎週金曜日の夕方、首相官邸前にたくさんの人々が集まり、大飯原発の再稼働反対を訴えてきた。6月に入って、「警察発表」ですら万単位になっているのに、テレビのニュースではほとんど報道されなかった。「重要でないこと」にされてしまい、『東京新聞』を除き、新聞ではベタ記事扱いにさえならない状態が続いた。この国のほとんどの人々にとって、長らく、「首相官邸前では何も起きていなかった」のである。私は先週の直言で、「ベルリンの壁」崩壊につながっていく旧東ドイツ「月曜デモ」になぞらえながら、これを「金曜デモ」として注目をよびかけた

6月29日(金)夕刻。首相官邸前には、日米安保条約反対で国会を包囲したデモ(1960年6月)以来のたくさんの人々が集まった。主催者発表で15〜18万人、警視庁発表で1万7000人という。いずれにしても、すごい数である。7時半頃になって官邸周辺の路上にまで広がっているのを見て、私は半世紀ぶりの快挙だと思った。52年前は立法権を取り囲んだが、今度は原発の再稼働を決めた行政権の頂点、首相官邸を中心に、霞が関の官庁街を普通の人々が取り囲んだ。横断幕も組合や組織の旗もなく、「ベルリンの壁」を崩した1989年5月の「ヨーロッパピクニック計画」になぞらえれば、まさに「永田町・霞が関村ピクニック」である。

ツイッターなどで自然発生的に広がっているところにも、これまでの組織動員的なデモとの違いがある。たくさんの普通の人々が街頭に出て、原発の再稼働に反対しているのに、テレビの反応は鈍かった。22日の「報道ステーション」は例外的に詳しく報じた。今回、29日9時のNHKニュースが初めて映像で伝えた。本当に簡単に、いろいろな出来事の一コマのようにあえて小さく。比較的多数の人たちが霞が関でデモをしている程度の印象の報道だった(追記:翌30日朝のTBS「みのもんたのサタデーずばッと」は詳しく伝えた)。

インターネットの世界はまったく違った。Yahoo「リアルタイム検索」という機能で、「首相官邸前」と入力すると、デモに参加した人たちがツイッターから発信する生々しい声が並ぶ。途中からヘリの中継も始まった。メディアが報道しないなら市民がやろうと、ついに市民が金を出し合ってヘリコプターを飛ばし、上空から首相官邸周辺のデモの様子を撮影。インターネット上で中継したのである(→IWJの映像)。「道路に人があふれてます!」。テレビレポーターの「いつもの喋り方」とは違った、たどたどしい語り口が、かえって映像のリアリティを高めていた。

 ネットがテレビを超えてしまったのか。ことほどさように、テレビとテレビ報道の劣化は著しい。『朝日新聞』2012年6月16日付B版に、「最近のテレビ番組はつまらない?」というアンケート結果が出ていた。もちろん朝日読者の意見だから、一般視聴者よりはテレビに厳しくなることは十分予想できる。実際、「つまらない」と回答した人が75%もいた。最も評判が悪かったのはバラエティ番組。「暴露話や予定調和型の進行など、お手軽で軽薄感ばかりが目立つ」「頭の悪さや品のなさを売りにするなんて最低」という声が「たくさん届いた」そうである。「グルメ」番組も評判が悪いという。出演者が一口食べた途端、「ウマ〜イ」と叫ぶ…。夕方のニュース番組にまで「檄ウマ」系が増えるなか、「食べ物の番組が多すぎる」という批判も多かったそうだ。民放のニュース番組の質の低下は目を覆うばかりである。

 平日の夕方6時15分以降の時間帯は、東京の民放のどの局も、例えばTBS系ニュースでは「N特」のようなアホコーナーになるので、私は、NHK首都圏ネットワークしか見ないことにしている。地方都市空襲についての丹念に取材した特集コーナーなどもやっていて、バラエティ化した他局にはない企画が光る。だが、残念ながら、ここでも首相官邸前のデモについて報道することはなかった。

ところで、前述の朝日アンケートでは、「つまらない地上派放送局は?」という質問に、フジテレビと日テレが他局を圧倒して上位にランクされている。「面白いチャンネルは?」には、NHKとテレビ朝日が上位を占め、日テレが最下位というのも、朝日読者へのアンケートの結果だから驚くこともないだろう。

 以上のようなB級アンケート記事を紹介したのも、「つまらない地上派放送局」の筆頭に挙げられた日本テレビの「報道局のエース」が辞職したことについて書くためである。

水島宏明氏(54歳)。札幌テレビ(STV)時代から知っている。1987年の作品、「母さんが死んだ――生活保護の周辺」は秀逸だった。日本テレビに移り、ドイツ特派員となった。私がちょうどボンで在外研究をしていた頃、彼はベルリンの日本テレビ支局に特派員として勤務していた。99年7月、日本で制定目前だった通信傍受法(盗聴法)について、ライン河沿いの連邦議会議員会館の見える歩道橋の上で取材に応じた。ボンにいる私の姿は、日本テレビ系列で放映された

この取材を受けて以降、「ボンの水島からベルリンの水島さんへ」というメールを送ると、「ベルリンの水島よりボンの水島さんへ」というメールが届くようになった。そんなメール交換のあと、私が帰国してしばらくして、日テレ系ニュースで偶然彼の姿を発見した。オランダ国境に近いカルカールの原子力発電所が廃止されて、複合娯楽施設になったという現地報告である(直言「原発が遊園地に」)。

 その後、メールのやりとりはほとんどなかったが、2007年1月、突然、水島さんからメールが届いた。「NNN ドキュメント2007」でご自身が制作した番組を放映するのでみてほしいというものだった。ビデオに録画してじっくり拝見した。それが「ネットカフェ難民 漂流する貧困者たち」(2007年1月28日深夜放送)だった。24時間営業のインターネットカフェで寝泊まりする人々の姿を描いたもので、社会に衝撃を与え、厚生労働省も対策に乗り出した。一テレビ番組が社会を動かしたのである。その後も、たまたまチャンネルを回しているときに、「ズームイン!!SUPER」でニュース解説をされているのを発見したりした。ドイツ特派員、ドキュメンタリー番組ディレクター、そして日本テレビ解説委員という彼の3つの顔をみたことになる。

 そして、今年4月7日、「(元)日本テレビのミズシマです」というメールが飛び込んできた。「実は先週、日本テレビを退職して、法政大学社会学部で『メディア論』を教えています」という。驚いた。直言「痴漢冤罪事件はなぜ起きるか(1)」のなかで、日本テレビの報道を批判的に扱ったことに関連して、水島さんは系列各局に注意喚起をしたという。そうしたこともできる、「日本テレビの良心」と思っていた方だけに、辞職は残念だった。「日本のテレビの状況を少しでも変えようとテレビ局の内部で努力してきましたが、自分の力の限界を悟り、『外から』と『将来に対して』刺激を与えるべく、テレビ局から飛び出す決意をしました。今週から教員生活が始まりましたが、やることが多くて大変な仕事だと改めて知った次第です…」。

大学での授業は慣れただろうか、などと思っていた5月21日、『週刊ポスト』6月1日号が発売されて、そこに水島さんの記事が出ていて、またまた驚かされた。「『ズームイン』解説でもおなじみの名ディレクターが抗議の辞任!」「日テレ『元報道局のエース』が告白」「テレビの原発報道はひどすぎる」。震災以降、原発報道への不信感が高まっているが、「一番肌身に感じていたのは当事者のテレビマンたちだった」という編集部のリードを受けて、水島さんはこう語る。

「(退社の)きっかけは、原発報道です。…私のライフワークである貧困問題は『そんな暇ネタはボツだ』という扱いを受けました。NNNドキュメントの企画会議では、『うちは読売グループだから、原発問題は読売新聞の社論を超えることはするな』と通達された。…幹部や中堅社員が、あらかじめ報道内容のディーテールまで会議で決める傾向が強まっています。現場に出る若手社員や下請けの派遣社員は、その指示に沿った取材しか許されない。でも、我々は社員である前にジャーナリストですから、本来は自分の目で現場を見た上で、自ら報道すべきことを判断すべきです。震災以降、現場軽視をますます痛感し、私は会社を辞める決意を固めました。…」。

3月30日の最後の出勤日、水島さんは同僚たちに語った。「ひどい番組をひどいといえない。それではジャーナリズムとはいえない。事実を伝える仕事なのに。もっと議論して、いいたいことをいい合おうよ」と。

「この間の震災・原発報道を通じて露わになったのは、自らのありようを検証できないテレビ局の体質です」と、水島さん。本社や記者クラブ詰めの記者の多くは、現場にいかず、国や東電の発表内容をそのまま報じるだけ。ワイドショーの現場では、報道局が撮ってきた映像を使い回し、短時間だけ現地に入るレポーターが番組名のついたマイクを使うなど、見せかけだけの独自性で勝負しているという。

水島さんの発言で注目されるのは、日本テレビが福島第一原発1 号機の水素爆発の映像を持っていながら、これをすぐに放映しなかった経緯である。「国民の不安を煽って後で責任を問われる状況になりかねない」という単純な発想だった。「…すぐに映像を流すべきでした。実際に避難を始めた人もいて、国民の命に関わる映像でした」と水島さんいう。そして、この件については、いまだ社内で検証されていないという。日本テレビは政府の対応について厳しく批判するのだが、自社のこの対応についてしっかり検証すべきだろう。

 水島さんは、大学教員になったことについて、「私はこの現状を変えるため、何色にも染まっていない学生に、本来のジャーナリズムを教えていく道を選びました」とその決意を語っている。13年ぶりに、ドイツの地名を大学名に変えて、「法政の水島より早稲田の水島さんへ」「早稲田の水島から法政の水島さんへ」というメールの交換が再開された。

 メディアのなかにいて、なおギリギリの努力を続けている人々がたくさんいる。そのなかには、私の友人、知人、教え子たちも含まれる。彼らの奮闘に期待したい。

 付記:冒頭の写真は、6月29日の首相官邸前デモを報道する朝毎読東京の4紙。『東京新聞』だけ一面トップ。『朝日』と『毎日』は小さな写真を付けて、かろうじて一面に持ってきた。『読売』は見事に黙殺した。なお、本直言のタイトルは、レマルク『西部戦線異状なし』(新潮文庫)からとった。

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