「政局的平和主義」――安倍政権の歪んだ対外政策             2014年2月24日

安倍首相とエルドワン首相

人は「一生懸命」「誠実に」「丁寧に」「行儀よく」やっている(語っている)つもりでも、相手はそうは受け取らない。その壮大なるズレと勘違いが安倍政権の特徴と言えるかもしれない。まさに悲喜劇である。それは韓国・中国との間だけの問題ではない。昨年12月の靖国参拝では、米国政府から「失望」という強烈な言葉が発せられたことは、さすがの安倍首相も「想定外」だったようである((『朝日新聞』2014年1月28日付2面検証記事を参照)。

ドイツの知人が送ってくれた『南ドイツ新聞』の記事は、日本の対外的メッセージのズレ具合を整理する上で参考になった。この記事は、日本政府が国際的に孤立を深めているだけでなく、「思いがけない新たな同盟者を求めている」ことにも注目している(Süddeutsche Zeitung vom 7.1.2014,S.7)。

同紙はまず、安倍首相がトルコのエルドワン首相と「8カ月の間に3回も」会談していることに驚く。安倍首相は短期間に2回トルコを訪問しており、原発を売り込み、軍需協力を強めていることは、米国との冷えきった関係との比較でも際立つという。同紙がさらに注目するのは、ベトナムとの関係である。ハノイで安倍首相はベトナムとの「共通の価値」を語った。ベトナムは共産党一党独裁体制で日本は民主主義国家だが、何が「共通の価値観」なのかと言えば、それは「反中国」の一点だという。安倍首相はサウジアラビア、カンボジア、ラオス、アフリカ諸国を訪れ、ロシアのプーチン大統領とも頻繁に会う。その一方で西ヨーロッパ諸国とは疎遠で、フランス大統領と原子力産業について共通の利益があるだけである。そして、ドイツのメルケル首相が、2008年のG8以来、6年も訪日していない事実を指摘して終わる。

この論説を見ると、ドイツ人がなぜ安倍政権に違和感を抱くのかがよくわかる。保守政権でも「脱原発」に転換したドイツでは、「3.11」を体験した日本が原発を再稼動させるだけでなく、地震国トルコに原発を売り歩くこと自体が信じられないことである。しかも、よりによって、ヨーロッパから見れば問題だらけの人権侵害国家と熱心に交流する。ベトナムやラオスの一党独裁国家やアフリカの反民主国家、ソチ五輪に向けて同性愛宣伝禁止法を施行したプーチン大統領との「蜜月」がやたら目立つ。トルコのエルドアン首相と短期間に3回も立て続けに会ったのはまずかった。

ドイツでエルドアンがどう見られているか、安倍首相は知っているだろうか。例えば、保守系紙の記事に、「エルドアンを捜査する者は監獄行きになる」という見出しの記事があった(Die Welt vom 8.1.2014)。昨年12月、政府関係者50人以上に贈収賄等の容疑がかかったとき、エルドアン首相は警察組織の粛清を行い、1700人以上の捜査関係者を更迭した。この2月5日には、ウェブサイトの閲覧を禁止する権限を政府に与えるインターネット規制強化法が国会を通過した。トルコは2014年、「報道の自由度ランキング」(国境なき記者団作成)で、世界の180カ国中154位である。ちなみに、日本は特定秘密保護法制定などにより59位と、昨年よりランクを6つも下げた。この間、安倍首相が熱心に交流した国々は、ほとんどが報道の自由の制限された国であることは偶然ではないだろう。

なお、安倍首相はインドとも強い関係を作ろうとしているが、インドは急速な軍拡を行っている国である。「日印同盟」も語られ、このまま深入りすると、中印紛争の当事者になりかねない。こうして、安倍政権は、『南ドイツ新聞』のいう「思いがけない新たな同盟者」をさらに増やしていく。それは、かつての「ダイヤモンド安保」を超える中国包囲網となっている。とうの中国も軍拡傾向が著しいけれども、それに恰好の口実を与えているのが安倍政権の歪んだ対外政策なのである。

「積極的平和主義」

安倍首相は唐突に「積極的平和主義」を語り始めた。9月26日の国連総会一般討論演説が最初だったと思うが、これには猛烈な違和感を覚えた(直言「誤解される言葉の風景」参照)。その後の国会演説や答弁でも多用されるようになり、一部メディアでも肯定的に扱われるようになった。しかし、安倍首相のいう「積極的平和主義」は平和主義の一類型では断じてない。結論から言えば、国際協調主義(憲法98条)を悪用して、日本の対外的な軍事機能を一気に拡大することを憲法の平和主義の名のもとに正当化しようとするものであり、平和主義の政治主義的利用、端的に言えば、「政局的平和主義」である。

昨年12月17日、「国家安全保障戦略」に基づく新たな「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」(2014〜2018年)が閣議決定された。3自衛隊による機動的な統合運用を推進する『統合機動防衛力』が打ち出された。従来なら一内閣一つくらいの施策が続々と繰り出されている。国会における議論は最初から眼中にないかのようだ。早速、NSC(国家安全保障会議、実質は4大臣会合)を使ってサクサクと決めている。半世紀近くにわたりこの国の対外政策の柱の一つだった「武器輸出三原則」の、よりによって「紛争当事国」への輸出禁止を削除する方向である(『毎日新聞』2月22日付)。中国包囲網のために必要と判断すれば、『南ドイツ新聞』のいう「思いがけない新たな同盟者」にも武器輸出を認めようというのか。法的根拠もない、首相の私的諮問機関(※リンク先はPDFファイル)でしかない「安保法制懇」(14人のアベトモ)を、国会審議よりも重視して、あたかも集団的自衛権行使容認のための公的な同意手続きのように扱うあたりも、立憲主義に対する「無知の無知」に居直る「傲慢無知」安倍晋三の面目躍如である。

すでに忘れられているが、昨年9月19日、自民党の安保関係合同部会で、高見沢将林官房副長官補は、集団的自衛権の行使が認められた場合の自衛隊の活動範囲について、「『絶対、地球の裏側に行きません』という性格のものではない」と述べていた(『朝日新聞』2013年9月20日付)。発言はあまり問題にされず、「地球の裏側」なんてリアリティがないという扱われ方をした。高見沢氏は米国通で、防衛政策局長時代、鳩山内閣の対外政策の足を積極的にひっぱり、中途で挫折させることに大いに「貢献」した人物である。集団的自衛権行使を閣議決定でやれると本気で考えている安倍首相のもとで、この発言がリアリティを増してきたと言えるだろう。

ところで、安倍内閣に対する支持率が下がらない。これは本当に不思議である。世論調査それ自体のはらむ問題性はひとまずおくとしても、安倍首相の主張や政策に共感する人々が少なからずいることもまた確かだろう。2月9日の東京都知事選挙で、20、30代のなかで田母神俊雄候補の支持率が高かったことは決して過小評価できない。若い世代では、有力候補よりも多くの支持を集めたからである。その背景には、市民の意識変化がある。この点に関連して、11年前の日弁連の講演のなかで語ったことをここに引用しておこう。

…国際社会が米国の軍事力を使って危険を未然に排除しようと考えはじめたとき、私たちの内側にある危険な因子が顔をもたげてくる。それは「私たちの豊かさを守りたい」から「私たちだけの豊かさを守ればいい」と考える「新自己チュー」(新自己中心主義)だ。それは、自己中心主義と自己中毒(過激なナルシシズム)の合体といえる。 日本でもナショナリズムとナルシシズムの合体版が勃興してきた。「日本こそナンバー1」と扇動する政治家と一緒に、武力を行使する国になったとき、一人ひとりの中から「新自己チュー」が生まれてくる。

お互いを尊重しあいながら、自己実現していく社会が本当の市民社会だが、いつのまにか他人を傷つけても自分が良ければよいという社会になりつつある。北朝鮮や白装束集団など、あらゆる問題でそろそろ日本の市民の中にそのような気配が感じられる。

それが「有事法制」に賛成する世論の背後に見えてきた。「新自己チュー」によってつくられる社会、そういう社会がささえる「フツーの国家」、それは端的に言うと一人ひとりの市民が「帝国主義的市民」(渡辺洋三東大名誉教授の言葉)になった瞬間だと思う。私たちは、一人ひとりが「帝国主義的市民」のあり方を拒否し、あくまでも人々と共存しあいながら自己を実現することを願う市民でありたい。…

「『日本こそナンバー1』と扇動する政治家」という上記の指摘は、11年後の安倍首相にこそあてはまる。1月24日の施政方針演説では、「世界最先端の」「世界に冠たる」「世界最高の」と、35箇所も「世界」という言葉を使ったという(『東京新聞』1月29日付)。安倍首相の過度な自意識と他国への過剰な張り合いは尋常ではない。歴史をきちんと踏まえたドイツの政治指導者は、口が裂けても「世界に冠たるドイツ」とは言わない

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