緊急直言 集団的自衛権行使の条文化――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その2)            2015年6月2日

会審議が続くが、野党各党にはもっと奮起してもらいたい。そこで、「緊急直言」として6月8日付直言「徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その2)」を1週間早くアップすることにした。

前回の「その1」では、(1)法案で、自衛隊法3条の「自衛隊の任務」から「直接侵略及び間接侵略」が削除されたことの意味と、(2)国外犯規定の新設の問題性について論じた。法案の3つ目の論点に入る前に、この法案の前提となっている「7.1閣議決定」が、憲法を蹂躙する狼藉行為であることを徹底的に批判し続けることの大切さを強調しておきたい。

重なり合う図

質問主意書

というのも、そこを正すことなく、閣議決定は、集団的自衛権と個別的自衛権とが「重なり合う」なかで、個別的自衛権の範囲の一部を集団的自衛権と呼んでいるだけであると主張する専門家による楽観論が、さまざまな媒体(『沖縄タイムス』2015年3月26日、『世界』2015年6月号、『潮』2015年6月号、『第三文明』2014年10月27日『週刊金曜日』同年8月1日号など、専門的な媒体では『論究ジュリスト』2015年春号「集団的自衛権と7・1閣議決定」特に25-27頁)を通じて、法案に批判的な人々の間にも広まっているからである。この問題については、直言「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ」『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』の68、73、75、81-82頁、『沖縄タイムス』オピニオン欄の拙稿などで批判してきたところであるが、法案の論点に入る前に先に、この説が、12年前にすでに質問主意書で提起され、政府答弁書で否定されていた、およそ「新手」とは言えない代物であることを明らかにしておこう。

現在、個別と集団が「重なり合う」という図を示して自説を展開している首都大学准教授の木村草太氏。しかし、12年前の2003年7月8日に民主党の伊藤英成衆議院議員が、「個別的自衛権と集団的自衛権は重複する部分があるか」について政府に質問主意書(「内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問主意書」〔PDFファイル〕)を提出し、同様の図を用いて政府を問いただしていたのである。右上の画像は質問主意書の問題の部分である。

この質問主意書に対する政府の答弁はこうである(「平成15年7月15日答弁119号 衆議院議員伊藤英成君提出 内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書」〔PDFファイル〕)。

二の1・・・について
 国際法上、一般に、「個別的自衛権」とは、自国に対する武力攻撃を実力をもって阻止する権利をいい、他方、「集団的自衛権」とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利をいうと解されている。
 このように、両者は、自国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるかどうかという点において、明確に区別されるものであると考えている。

政府は、個別的自衛権と集団的自衛権とは、「自国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるかどうかという点において、明確に区別されるものである」と答弁し、重複する部分がある概念であることを前提とする質問の二の1のウについては回答しなかった。当然のことであるが、質問の二の1のイについて、両者は重複しないと考えているから、質問の二の1のウを回答する必要がなかったわけである。

このように、個別的自衛権の行使と集団的自衛権の行使は、自国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるかどうかという点において、明確に区別されるものであり、ある武力行使が個別的自衛権行使に当たるか集団的自衛権行使に当たるかは、二者択一の関係にあり、ある武力行使が個別的自衛権行使でも集団的自衛権行使でもあることはあり得ない。ということが、12年前の政府答弁書によってすでに確認されていたのである。ゆえに、「7.1閣議決定」は、憲法違反である集団的自衛権を容認したものであることは明らかだろう。だが、木村氏はなぜかそこをぼかし、「重なり合っている」という特殊な自説を主張することによって、閣議決定の違憲性に対する、事実上、過小評価となる楽観論を広め、本来、端的に「閣議決定は違憲である」と正すべきところ、これを弱め、曖昧にする「効果」を発揮したのである。

以上のことを踏まえれば、木村氏がいうように「公明党の努力で」、「7.1閣議決定」では限定的な集団的自衛権の行使しか認められなかったのではなく、まさに「公明党の協力によって」、安倍政権は露骨な「憲法介錯」を行ったのである。公明党の「転進」の罪深さは、その後の11法案の閣議決定についても、法案審議においても、何の「歯止め」もかけられていないことからも明らかだろう。政府解釈が半世紀以上も違憲としてきたものを、昨年の閣議決定により合憲なものにひっくり返した安倍政権の狼藉を、解釈技術の提供で合理化した責任は免れない。半世紀以上昔の「法解釈論争」で来栖三郎が問うた「解釈者の責任」の問題にもつながる。

そこで以下、「我が国に対する武力攻撃の発生」が存在しないにもかかわらず武力を行使するという憲法違反の思考方法が、「平和安全法制整備法案」全体に一貫していることを、前回に引き続き、5点にわたって明らかにすることにしよう。


3. 「武力攻撃事態等」と「存立危機事態」の関係

関係図

現行の自衛隊法76条1項は「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃(以下「武力攻撃」という。)が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。」として、自衛隊が防衛出動できる場合を、「武力攻撃発生事態」と「武力攻撃切迫事態」としている。そして、自衛隊の防衛出動時の武力行使については、自衛隊法88条1項が「第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。」と規定している。「武力攻撃切迫事態」では、「我が国に対する武力攻撃の発生」がないので、いわゆる「おそれ出動」として防衛出動はできるが、武力の行使はできない。自衛隊法88条1項の文言上は「武力攻撃切迫事態」でも武力行使ができそうに読めるが、「おそれ出動」では個別的自衛権行使の第一要件である「我が国への武力攻撃の発生」を満たしていないから武力行使はできないというのが確定した政府解釈である。もし「我が国に対する武力攻撃の発生」がないのに武力を行使したら、国際法違反に問われるだろう。

「7・1閣議決定」を受けて、改正案では、自衛隊法76条により防衛出動ができる場合として、「存立危機事態」すなわち「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」を加えた。政府は、個別的自衛権の第一要件である「我が国への武力攻撃の発生」を欠く「武力攻撃切迫事態」でも「武力攻撃予測事態」でも、同時に「存立危機事態」に該当することがあるとしている。つまり、「我が国への武力攻撃の発生」がなくても、自衛隊法76条により自衛隊に防衛出動が下令されれば、自衛隊法88条により武力行使ができるという形にしたわけである。これを正当化する論理は集団的自衛権の行使しかない。

また、「武力攻撃事態等」(「武力攻撃発生事態」「武力攻撃切迫事態」「武力攻撃予測事態」)と「存立危機事態」とは、政府は、観点が違う概念であるとしているから、概念的には「武力攻撃発生事態」と「存立危機事態」とに同時に該当することはあり得る。個別的自衛権と集団的自衛権の「重なり合い」を主張している者が喜びそうな説明であるが、甘い。ある状況がこの二つの事態に同時に該当することはあるだろうが、それは防衛出動の要件が重なっただけであり、防衛出動により自衛隊法88条1項により武力の行使をする場合には、同条2項により「前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例によるべき場合にあつてはこれを遵守」するものとするとされていることから、その武力の行使は国際法に沿ったものでなければならない。「個別的自衛権と集団的自衛権、これは、国際法上、我が国に対する武力行使があるかないかということにおいて明確に一線が引かれています」(2014年6月2日 衆院安全保障委員会・外務委員会連合審査会 岸田外務大臣)とされているから、防衛出動が下令された自衛隊が行使できる武力行使は、自衛隊法88条1項段階で、個別的自衛権か集団的自衛権かのふり分けをしなければならない。他国に対する武力攻撃があり、「我が国に対する武力攻撃の発生」がない「存立危機事態」において国際法上許容される武力行使としては、集団的自衛権の行使ということになる。

「武力攻撃切迫事態」で防衛出動(おそれ出動)ができても88条1項で武力の行使ができないことからも分かるように、自衛隊法76条による事態の認定による防衛出動の問題と、防衛出動により88条1項で武力行使が許容されるかどうかは別問題である。結局、「我が国に対する武力攻撃の発生」が分かれ目である。


4. 防御陣地構築はない――「存立危機事態」で適用されない規定

政府の「「平和安全法制」の概要」〔PDFファイル〕によれば、「平和安全法制整備法案」では、「我が国に対する直接攻撃や物理的被害を念頭に置いた措置は、存立危機事態では適用しない」とされ、「存立危機事態」において自衛隊法の規定を適用しない例として、防御施設構築の措置、公共の秩序維持のための権限、緊急通行、物資の収用、業務従事命令などが挙げられている。「武力攻撃事態」では、自衛隊法77条の2により、自衛隊の部隊は陣地構築をすることができるが、「存立危機事態」では、「我が国に対する武力攻撃の発生」がないので、自衛隊の部隊は侵略に備えた陣地構築をする必要がないということだろう。

また、今回の法案では、国民保護法の改正がない。国民保護法は、「武力攻撃事態等において武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護し、並びに武力攻撃の国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるようにすることの重要性にかんがみ、これらの事項に関し、国、地方公共団体等の責務、国民の協力、住民の避難に関する措置、避難住民等の救援に関する措置、武力攻撃災害への対処に関する措置その他の必要な事項を定めることにより、武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律 (平成十五年法律第七十九号。以下「事態対処法」という。)と相まって、国全体として万全の態勢を整備し、もって武力攻撃事態等における国民の保護のための措置を的確かつ迅速に実施することを目的とする」法律である(国民保護法1条)。「存立危機事態」では武力攻撃がないわけであるから、国民保護法を改正する必要がないのは明らかである。

横畠内閣法制局長官は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とは、「他国に対する武力攻撃が発生した場合において、そのままでは、すなわち、その状況のもと、国家としてのまさに究極の手段である武力を用いた対処をしなければ、国民に、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況であるということをいうものと解されます」(2014年7月14日 衆院予算委)と答弁している。しかし、「我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」といっても、自衛隊の部隊による陣地構築の必要もなく、国民保護法を適用して国民を「敵」から保護する必要もない状況なわけである。日本に対する直接攻撃や物理的被害がないのに武力行使をすることを認めるのが今回の法案の肝であり、このことは「重なり合い」がないことを問わず語りに明らかにしているといえよう。


5. 集団的自衛権行使としての「空爆」の可能性

外国の領土、領海、領空で集団的自衛権を行使すれば、それは海外派兵にほかならない。ホルムズ海峡での機雷掃海について、これが海外派兵に当たることは拙著『ライブ講義』142頁で指摘しておいたが、安倍首相も海外派兵禁止の「例外」であることを認めた。私が指摘しておいた通り、ホルムズ海峡での機雷掃海は海外派兵なのである。

さて、「存立危機事態」に該当して自衛隊に防衛出動が下令された場合、集団的自衛権を行使することができるようになるが、安倍首相は、集団的自衛権行使として「大規模な空爆」はしないと答弁した。複数の答弁があるが、例えば、2014年10月3日衆議院予算委員会では、「例えばかつての戦闘、アフガン戦争、イラク戦争での戦闘、すなわち、敵を撃破するために大規模な空爆や砲撃を加えたり、敵地に攻め入るような行為に参加することは、必要最小限度の自衛の措置の範囲を超えるものだ」と答弁した。ということは、「中規模」あるいは「小規模」な「空爆」であれば、新三要件を満たす限り、憲法上可能ということになる。なお、私は「空爆」と「空襲」を区別しており、「空爆」という言葉を使う場合には括弧を使っている。

1959年3月12日参議院予算委員会で、岸首相は、日本に対する侵略があった場合に、敵の基地を攻撃するために空爆することは、海外派兵の観念に入らないとしている。「日本に対する侵略があった場合に、その侵略が、敵の基地から誘導弾等によって日本に攻撃、侵略が加えられておる、これを排除するのに絶対に方法がないという場合に、あるいはその基地を攻撃するために、こちらからも誘導弾で攻撃するとか、あるいはその基地を爆撃するために飛行機が行って爆撃をするというようなことは、いわゆる海外派兵という観念には入らないのじゃないかというのが私たちの解釈であります。」との答弁である。個別的自衛権行使としても「空爆」の可能性は否定されていない。安倍政権の憲法解釈からいえば、集団的自衛権の行使も「自衛のための必要最小限度の実力の行使」なのであるから、新三要件を満たす以上、集団的自衛権の行使として、「中規模」あるいは「小規模」の「空爆」を行うことが可能になる。日本に対する武力攻撃が発生していないのに、他国を「空爆」することが可能になるわけである。


6. タブーの「台湾有事」

国会審議では、「台湾有事」の際に台湾を防衛するため出動した米艦船に対して、中国人民解放軍が攻撃した場合、自衛隊は米艦船のために集団的自衛権を行使するのかを追及すべきである。安倍首相は、次のように答弁している。

2014年7月14日衆議院予算委員会
○山田(宏)委員 〔中略〕それからもう一つ、台湾有事、この場合についても、状況によったら集団的自衛権の行使はあり得るわけですね。この点だけ確認させてください。
○安倍内閣総理大臣 集団的自衛権の行使については、これはあくまでも三要件に当てはまるかどうかということでありまして、この三要件に当てはまれば武力行使ができるということになるわけでありまして、個別的自衛権に対する三要件がやはりかかっていたわけでございますが、個別的自衛権においても、かつての三要件、古い三要件に当てはまるかどうかということで武力行使ができるかどうかということであったわけでありますが、今回は、集団的自衛権も含めて武力の行使は三要件ということになるわけでございます。(山田(宏)委員「台湾」と呼ぶ) 個別の事態について今つまびらかにお答えをすることは差し控えさせていただきたいと思いますが、あくまでも三要件ということでございます。
○山田(宏)委員 私からは終わります。

安倍首相はホルムズ海峡封鎖という個別の事態では集団的自衛権を行使すると主張しているのであるから、「台湾有事」についてのこの答弁拒否は不誠実である。安倍首相は、その立場を一貫させるというならば、堂々と、「台湾有事」の際に米艦船が中国の人民解放軍から攻撃を受けた場合、「新三要件を満たせば、自衛隊は集団的自衛権を行使して、中国を攻撃する」と答弁すればよいではないか。安倍首相は、中国を攻撃するのかしないのか、国会議員は執拗に追及しなければならない。集団的自衛権行使を認める以上、新三要件に該当すれば、安倍首相らによれば「我が国の存立」に関わるのであるから、中国を攻撃しないということはあり得ないはずである。

なお、安倍首相は、ホルムズ海峡の封鎖をどの国が行うのかについても明言することを意図的に避けているようである。野党の国会議員は、「ホルムズ海峡に機雷を敷設する国としてどこを想定しているのか」を安倍首相に端的に問うべきである。さんざんホルムズ海峡封鎖を叫んでいる以上、よもや「仮定の質問には答えられない」とは答弁しまい。このような安倍首相のイラン敵視政策により、すでにイランは、次に引用する国営放送のイランラジオで安倍首相に対する牽制をしている。イランはホルムズ海峡でイランに対する武力行使を考えている安倍首相を面白くないと思っていることの証拠である。安倍首相の憲法違反の政策がついに日本の外交政策に好意的なイランを警戒させてしまった。

「このことから、アメリカがテログループに武器支援を行ったり、テロリストを都合よく穏健派と過激派の二つのグループに分けたりしているなかで、ISIS対策におけるアメリカとの同調という安倍首相の現在の立場は、日本人の安全を確保することができないばかりか、多くの人が考えているように、地域でのテログループの活動を拡大させることになるでしょう。」(Iran-Japanes Radio「日本の首相の立場、ISIS対策か軍国主義か」

「実際、多くの日本人と一部の近隣諸国は、数十年が経過したにもかかわらず、日本の軍国主義の過去を平和に反する、治安を乱すものと見ています。日本の新聞や機関によって行われた世論調査で、この国の人々は現在の憲法は平和と民主主義の融合だとみています。人々はもしこの憲法がどんな理由であれ変更され、軍隊を持つ方向に向かわせるものとなるなら、明らかにアジアでの軍事的なアプローチの強化を目にすることになると考えています。そのアプローチは一部の国の反発を引き起こすだけでなく、アジアを一種の兵器競争に向かわせることになるでしょう。現在、日本のナショナリストの極右思想が国会を占めており、安倍首相の立場もまた軍事的なアプローチを強化しています。」(Iran-Japanes Radio「日本の軍事力強化の前に横たわる障害」)。


7. 「先制攻撃」について

私は拙著『ライブ講義』93頁・94頁で、「北朝鮮から攻撃を受けた米国を「助けるため」、自衛隊が集団的自衛権を行使して北朝鮮を攻撃すれば、北朝鮮から見れば攻撃していない日本から「先に攻撃を受けた」ことになりますから、日本は国土を含め、北朝鮮の報復攻撃を受けることを覚悟しなければなりません」と指摘した。

驚いたことに、安倍首相は、事実上、この私の指摘と同じことを答弁で述べた。「外形的に他国が攻撃を受け、それを防御する場合には、これは間違いなく、集団的自衛権になるわけでありまして、それを個別的自衛権と言い張ることは、結局かえって、ではそれは先制攻撃をしているのかという批判すら浴びかねないわけでありまして、つまりこれは国際的に認められている集団的自衛権であるという整理をするのが、これが当然のことであろうとこのように思います。」(2015年5月27日 衆院平和安全特別委員会)と。

結局、日本に対する武力攻撃をしていない「敵国」からみれば、日本がその武力行使を集団的自衛権の行使と呼ぼうが、「先制攻撃」と呼ぼうが、日本が先に攻撃をしてくることには変わりがないわけである。安倍首相は、日本に対する武力攻撃がない以上、日本の武力行使を国際法上正当化するためには集団的自衛権と整理せざるをえないだろうと言っているのであるが、いずれにせよ、日本が先に攻撃をすることには変わらないわけであり、図らずも安倍首相は日本が先に攻撃することになることを認めたわけである。

なお、今後の国会審議のために一言述べておくと、「先制攻撃」と「先に攻撃」は法的な意味が違う。政府を追及しようとする野党議員は不用意に「先制攻撃」と言ってはならない。例えば、次のような国会でのやりとりがある。

2014年6月6日 衆議院安全保障委員会
○辻元委員 法制局長官にお聞きしますが、ということは、日本が自分の国が攻められていないけれども武力行使をした場合、相手国から見た場合、これは、日本から先制攻撃を受けた、またはその国と交戦状態になる可能性があるという理解でいいですか。
○横畠政府特別補佐人 先制攻撃という御指摘は当たらないと存じますが、国と国の関係におきまして、いわゆる戦時の国際法というものが適用される関係になるのではないかと理解しております。

ここは法制局長官答弁が正しい。直言でも『ライブ講義』でも、私は「先制攻撃」という言葉を慎重に避け、「先に攻撃してきた」(『ライブ講義』91頁)、「先に攻撃を受けた」(『ライブ講義』94頁)と表現している。国際法上その合法性が疑われている「先制攻撃」と国際法上合法な「集団的自衛権」は異なるので、不用意に「先制攻撃」と言ってはならない。かみ合った審議をするためには、「先に攻撃」と言えばよいのである。議員は今後、この点に注意して政府を追及してほしいと思う。

以上、前回の直言とともに、「平安法案」のさしあたり7つの問題点について指摘してきた。自民党議員ですら、その複雑多岐な法案の説明に苦慮しているというから、これを十分に理解して採決するには相当な時間が必要となるだろう。ところが、自民党の佐藤勉国会対策委員長は、法案の審議時間について、「80数時間で十分」という態度をとり、6月19日には審議時間が84時間に達するため、「十分に議論を尽くした」として審議打ち切り、採決に持ち込む算段だという(『週刊ポスト』6月12日号「安保法案『6・19強行採決』亡国の密約をスッパ抜く」。なお、この記事には私のコメントも掲載されている)。佐藤国対委員長は、「法案の内容なんて知らなくていい。通すことに突き進めばいい」と言ったというから(『日本経済新聞』5月23日付)、これはもう「国会議事堂」ではなく、尾崎行雄(咢堂)のいう「国会表決堂」と化そうとしている(直言「国会『議事』堂はどこへ行ったのか」)。

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