「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと
2015年10月19日

アレクシエービッチ氏

年秋は、いろいろと賞が話題になる。10月上旬の週は、ノーベル賞の各賞が数日おきに発表され、日本人受賞者が出る度に、新聞の一面は政治の重要事件が横に吹き飛ばされてしまう。2015年はノーベル医学生理学賞と物理学賞で地方国立大学出身者が受賞したことも話題となった。これは、基礎研究軽視と地方大学切り捨ての安倍政権に対する何よりの反証となるだろう。

そして、平和賞である。10月9日(発表日)の数日前からメディアは「予定稿」の準備に入っていた。私の自宅や携帯にも3本の電話が入り、メールも届いた。9日当日は授業中に携帯に着信があった。憲法9条をノーベル平和賞にからませる動きに対して私は賛成も反対もしないという立場だから、ここ1、2年、このテーマに関する限り、メディアの取材はお断りしてきた。

「直言」でノーベル平和賞について書いたのは5年前である(「ノーベル平和賞と「零八(08)憲章」)。そこでも指摘したが、ノーベル平和賞ほど論争的な賞は他にない。すなわち、「受賞者の顔ぶれはまさに、ノーベル平和賞110年の国際政治を投影している。国際紛争の当事者たち、例えば、1973年のキッシンジャー米国務長官とレ・ドゥクト・ベトナム労働党政治局員(辞退)、1978年のベギン・イスラエル首相とサダト・エジプト大統領、1994年のアラファトPLO議長とペレス・イスラエル大統領とラビン・同首相など。また、ウィルソン(1919年)、カーター(2002年)、オバマ(2009年)の米合衆国大統領、ゴルバチョフ・ソ連大統領(1990年)、ブラント西独首相(1971年)、金大中韓国大統領(2000年)などの政治家たち。…日本では佐藤栄作元首相が「非核三原則」で受賞したが、 核密約 や 日本核武装の検討などが明らかになるにつれ、受賞への疑問も強まっている。だが、「これがノーベル平和賞なのだ」と割り切ることも必要なのかもしれない。清濁ひっくるめて、国際政治の複雑さがそのまま受賞者の選択に反映しているからである。 いずれにせよ、この賞への過大評価も過小評価も禁物であると。

平和賞が、その国の政権に抑圧されている人々に授与されたケースも少なくない。1975年、ソ連の反体制活動家で物理学者のアンドレイ・サハロフ博士。1989年、ダライ・ラマ14世。1991年にはビルマ(ミャンマー)民主化運動の指導者、アウンサンスーチー氏。1993年、ネルソン・マンデラ(南ア大統領)。そして、2008年、中国の人権活動家(作家・詩人)の劉暁波氏である。2015年の平和賞は、「アラブの春」の先駆けとなったチェニジアで、2013年にイスラム政党と世俗派の対立解消に貢献した国内4団体からなる「国民対話カルテット」に与えられた。「アラブの春」から中東での激震が本格化し、「イスラム国」(IS)を生み出していったことを考えれば、ノーベル平和賞の存在とその意味は複雑である。

ドイツの保守系紙は「ノーベル平和賞における巨大な誤った決定」という見出しで、同紙が疑問と思う受賞者を列挙する(Die Welt vom 9.10.2015)。そのなかで、最近アフガニスタンで、2009年ノーベル賞受賞者のオバマ大統領が、1999年受賞者の「国境なき医師団」を爆撃して死者を出したことを皮肉っている。

今年のノーベル賞のなかで私が納得したのが文学賞である。日本のベストセラー作家が、毎年この時期、「いまか、いまか」と言われながら「期待」を裏切られ続けているが、今回の受賞者を聞いて私はうれしかった。ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ。私がこの作家のことを知ったのは、2000年11月4日に放映されたNHKスペシャル「ロシア――小さき人々の記録」が最初だった。

この作品を収録したビデオを、2001年以来、ゼミ3月合宿で上映している。ゼミ生の多くがこの作品を14年前から見ている。「巨大な国家のなかで懸命に生きる「個人」に光をあてた」作品で、スターリンの「粛清」で父親を銃殺された娘のインタビューから始まり、独ソ戦で生き残ったのに「人民の敵」にされ、その後「英雄」になって名誉回復するも、ソ連崩壊ですべてを失って自殺した男の話、アフガニスタン戦争から帰還した兵士とその母親の話。チェルノブイリ原発事故で現場に真先に飛び込んだ消防士の妻の話は衝撃的である。そして、息子をチェチェン戦争に送るのを阻止する「母親たちの会」の話。ここでアレクシエービッチはいう。「人々の語り方には明らかに変化が生まれている。かつては『我々』だったが、いま最初に来る言葉は『わたし』。『わたしの家、私の生き方・・・』。独り立ちする個人があらわれはじめている」と。最後は、軍隊で虐待されている恋人を脱走させた女性の話。「チェチェンの戦争は政府には必要かもしれないが、ロシアという国には必要ないわ」というあっけらかんとした女性の言葉が印象的だ。「これだけの被害者の声を聞いたのに、加害者はずっと姿を隠している。国家がつくり出す神話。それが最も恐れるもの、それは生きている人間の声です」というアレクシエービッチの言葉で終わる。感動的な作品である。この受賞の機会に、NHKには是非とも再放送をしてもらいたいと思う。

アレクシエービッチの作品『チェルノブイリの祈り――未来の物語』(松本妙子訳、岩波現代文庫、2011年)には、NHKスペシャルに出てくる消防士の妻も登場する。名もなき「小さき人々」に寄り添い、どんなに小さな声にも耳を傾け、ていねいに拾っていく彼女の筆には何ともいえない迫力がある。その彼女が、「フクシマ」の被災者に強い関心をもつのは当然だろう。原発事故直後に、「チェルノブイリから福島へ」というメッセージを寄せている。

「・・・原子力は軍事用も平和利用も同じこと。同じく人間を殺してしまう。世界三位の経済力を持つ国が平和利用の原子力を前になすすべを知らない。進歩という名のあとに残ったのは進歩の残骸ばかり。進歩という蜃気楼の墓場だ。原子炉の安全装置は最高レベルといわれながら、大地震の前には取るに足りない子供服のように役立たなかった。・・・」
(『東京新聞』2015年10月9日付夕刊)

ノーベル平和賞だけでなく、今年は文学賞もまた、ある種のメッセージを発していた。現代国家・社会の深刻な問題にペンで立ち向かうこの作家の粘り強さには刮目すべきものがある。

この10月はもう一つ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」をめぐっても議論になっている。ユネスコが10月10日、旧日本軍による「南京大虐殺」の資料を世界記憶遺産に登録したと発表したからだ。ユネスコの記憶遺産は、「世界的な重要性をもつ歴史的記録物」を登録・保全し、広く公開することを目的としている。ベートーヴェンの「第9」のスコアやマルクス『資本論』草稿から、フィリピンのマルコス独裁政権を倒した「ピープルパワー革命」のときのラジオの放送まで登録されている。当然、その国、その時代、あるいは関係国との関係で「政治的要素」を含む。こうした流れからして、日中戦争に関連した資料が登録の対象になることは一般的にはあり得ることである。この南京事件で一番問題とされているのは、犠牲者数である。記憶遺産に登録された中国が申請した文書のなかには、犠牲者数を30万人以上と記した記録が含まれている。

日本外務省のHPには、「非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり、正しい数を認定することは困難」という見解が示されている。中国の動きに対して日本政府は直ちに反応。「中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾」という外務省報道官談話を出した。「30万人以上」という数字が国際機関によりオーソライズされ、日本の「負の歴史」の宣伝に利用されかねないというのだ。

菅義偉官房長官は10月13日の記者会見で、ユネスコの拠出金の停止や減額を含めた措置の検討に入ったことを明らかにした。仰天の対応である。ユネスコの財政を支えている日本が、自分に気にくわない資料が登録されたことを理由に、拠出金を停止・減額すると脅す。これは、6月に自民党の「文化芸術懇話会」で、広告を出す企業やテレビ番組のスポンサーに働きかけて、メディア規制をすべきだと叫んだチンピラ政治家たちと同じ発想、その国際版ではないのか。南京虐殺では犠牲者数に諸説あるといっても、東京裁判では「20万人」、歴史研究者の間では「十数万から20万人」「約4万人」「2万人余り」などの数字が使われているが、膨大な数の人々が虐殺されたのは事実である。

昔から「南京虐殺はなかった」という人々はいたが、とうとう政府がそういう人々に乗っ取られてしまった。いまの安倍政権はかつての自民党政権ではない。1年前の直言「歴史的逆走の夏―朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?」でも引用したR.ジョルダーノ『第二の罪――ドイツ人であることの重荷』(永井清彦訳、白水社、1990年)によれば、ヒトラー時代にドイツ人が犯した罪を「第一の罪」とすれば、「第二の罪」とは、戦後において「第一の罪」を心理的に抑圧し、否定することで、その手法としては8つある。その一つが、「600万人も殺していない」というものだ。いま、政府が押し出している主張は、「南京では30万人も殺されていない」ということであって、もし、ドイツ政府が「ユダヤ人は600万人も殺されていない」といったらどうなるか。ドイツでは「アウシュヴィッツはなかった」と言ったら刑事責任を問われるのである(民衆扇動罪、刑法130条)。

死者の名前も特定できず、数だけが一人歩きして議論されている。もう「数」の議論はやめるべきである。亡くなった無数の「小さき人々」の「声」に耳を傾けることこそ重要であろう。

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