歴史的逆走の夏――朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?            2014年9月29日

日本を、取り戻す

ミ生の一人が7月1日午後に自民党本部前で撮影した写真である。「日本を、取り戻す」というスローガンの意味が実によく理解できる夏だった。そして、この国が、このわずかな期間で失ったものの大きさを思う。

ねじれ解消餅

戦後70年を目前にして、この国は何十年も歴史を逆走してしまったかのように見える。それは昨年7月の「ねじれ解消」によってもたらされたものである。それをわかりやすく表現したお菓子がこれだ。国会見学者のための休憩所などで売られている。中身は黒胡麻をたくさん使った餅だが、食べてみると味はどちらも同じで、かなり甘かった。

「ねじれ解消」について、ドイツの新聞(FAZ)は、「民主的一党国家への道」と書いた。ナチスと旧東ドイツの一党独裁を体験したドイツ人からすれば、「一党国家」は「あるべからざる政治」のキーワードである。「ねじれ」がなくなってから1年後の2014年夏、その意味を痛感することになった。

8月12日、『朝日新聞』は一面トップから二面まで使って、「戦後70年へ」の連載を始めた。第1回は「和解へ 虐殺の記憶共有」というタイトルで、三浦俊章編集委員の署名記事が並ぶ。ノルマンディー上陸作戦の4日後の1944年6月10日、フランス中部のオラドゥール村で、ナチスの武装親衛隊が女性・子どもを含む村人642人を虐殺した。そのことを記録すべく、廃墟はいまもそのまま保存されている

昨年9月4日、ドイツにとって歴史的にきびしいこの場所を、ドイツの大統領が初めて訪問した。フランス大統領とともに、である。かつて「記念日外交」について書いたことがあるが、国のトップが歴史的に問題のある場所を訪れ、そこで発する言葉は、きわめて重要なメッセージになる。ドイツとフランスは、第一次世界大戦開戦100周年の2014年、第二次世界大戦後70年を前にして、歴史的和解の道をさらに進めたと言えるだろう。前出の三浦編集委員の記事は、独仏をつなぐ「合同テレビ」(24時間、二カ国語で同じ番組)の試みも紹介している。そして、「取材後記」をこう結ぶ。「歩んだ歴史や置かれた国際環境がそれぞれ異なるのはその通り。相手が歩調を合わせて進むのが和解であって、日本だけでなしえるものではない。そのうえで、一歩距離をおいて考えてみてはどうか。『負』の歴史を抱え、周辺国と関係改善が必要という点では〔日独は〕共通している。首脳の政治的リーダーシップと相互理解の地道な積み重ね。そこに解決の糸口があるのではないか」と。

だが、ドイツと異なり、日本は中国・韓国の指導者と首脳会談すら開けない状況が続いている。2年前の9月11日、当時の野田佳彦内閣が、石原慎太郎都知事(当時)の挑発にのってしまい、尖閣諸島の国有化を閣議決定した(日中紛争勃発の「9.11」事件)。「周恩来・田中角栄」(1972年)、「鄧小平・園田直〔外相〕」(1978年)と積み重ねられてきた、日本に有利な「棚上げ」路線が崩壊した瞬間である。日本政府が閣議決定という形をとった以上、中国はこれまでの「棚上げ」路線を捨てざるを得ない。この作られた緊張は、海洋進出を狙う中国に格好の口実を提供することになった。中国側にも周恩来や鄧小平のような老練な指導者はおらず、日本側も、「価値観外交」を過度に押し出し、不必要な摩擦を広げてしまう安倍晋三首相のもと、「首脳の政治的リーダーシップと相互理解の地道な積み重ね」とはほど遠い状況が続いている。

そして今月11日、メディアにとっての「9.11」事件が起きた。この日、朝日新聞社長が記者会見し、東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」をめぐる報道の誤りを認め、5月20日付朝刊の記事を取り消した。「第1原発にいた所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し第2原発へ撤退した」というもので、「調書」の全体像がまだ見えない段階で、「記者の思い込みと、記事のチェック不足が重なった」(朝日社長)のが誤報の理由とされた。現場関係者への裏付け取材などが十分でないまま、スクープ狙いで突き進み、「調書」の内容をゆがめてしまったことは否定できない。だが、『朝日』の「調書」報道の記事は誤りを含むという点では「誤報」だが、その後「調書」の公開を行わせる結果になったという点では、新聞の社会的役割を果たしている。まるで社会の害悪であるかのような朝日叩きが続いているのは、きわめて異様である。朝日に謝罪が足りないと非難する同業他社(特に読売・産経)が誤報をしていないとは言わせない。人のことを言えるか、という気分だが、ここではこれ以上「吉田調書」の問題には立ち入らない。むしろ、朝日叩きが、原発事故の不都合な真実を明らかにする取材・報道活動を萎縮させ、再稼働に向かう流れを加速することを憂える。

第二の罪

それよりも、「メディアの9.11」において、朝日社長が、慰安婦報道における「吉田清治証言」について、「訂正するのが遅きに失した」と謝罪したことから始まったもう一つの朝日叩きが重大である。そのなかで、慰安婦問題そのものを否定するような論調も生まれている。9月中旬の出版社系4週刊誌(現代、ポスト、文春、新潮)が朝日叩きで横一線になったのには驚いた。

9月11日の朝日新聞社長の会見は、内容もその後の対応も含めて決してほめられたものではない。この問題を批評する池上彰氏のコラムの掲載を、朝日が拒否したことも失策だった。こうした問題を含めて、社内の検証がさまざまなレベルで行われるべきことは当然だろう。だが、朝日叩きに便乗して、朝日が長年にわたって取り組んできた戦時性暴力の報道そのものを否定するような動きが生まれていることはきわめて憂慮される。

吉田証言は虚偽だったが、そこから飛躍して、慰安婦問題を「強制連行」の有無に矮小化することは正しくない。慰安婦問題に関する1993年「河野官房長官談話」は、「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であるとしている。これを安倍内閣も継承している。日本軍が慰安所の設置・管理に関与した事実や、甘言・強圧などにより、本人の意思に反した慰安婦の募集があったことは動かしがたい事実である。「強制連行」に関する一つの証言が否定されたからといって、この問題の本質に変わりはない。

安倍首相は2013年2月7日の衆議院予算委員会で、「人さらいのように、人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということは、それを示すものはなかった」と答弁している。朝鮮半島は当時、日本統治下である。軍が「人さらい」などという極端な方法をとる必要性もなかった。「河野談話」は、「総じて本人たちの意思に反して行われた」としており、民間業者を介在させた構造的な強制性こそ問われるべきなのである。

安倍首相は、9月11日、ラジオ番組に出演し、「慰安婦問題の誤報で多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたのは事実」と語った(『毎日新聞』2014年9月12日付総合面)。私はかつて読んだR.ジョルダーノの『第二の罪――ドイツ人であることの重荷』(永井清彦訳、白水社、1990年)を思い出した。書庫で探したが、24年も前に読んだため、引越しを繰り返したので見つからない。再度注文したところ、2005年に復刊されたものが届いた。一気に再読した。

ジョルダーノによれば、ヒトラー時代にドイツ人が犯した罪を「第一の罪」とすれば、「第二の罪」とは、戦後において「第一の罪」を心理的に抑圧し、否定することである。彼は「第一の罪」否定の手法として、8つの「集団的情動」を挙げる(30-38頁)。

(1)「殺されたのは600万ではなかった、そうじゃなくて・・・」
(2)「しかしわれわれは何も知らなかったのだ!」
(3)「強制収容所はドイツ人の発明ではない、かつてブーア人と闘っていたころのイギリス人が発明したのだ・・・」
(4)「ヒトラーがやったのは悪いことだけじゃない、いいことだってあるんだ、例えばアウトバーンの建設のように・・・」
(5)「他の連中だって罪を犯したのだ。われわれだけじゃないさ!」
(6)「ナチ犯を告訴するのをやめろ、ドイツの裁判所でナチス審理をするのをやめろ―― 一体だれが金を出しているんだ。」
(7)「ヒトラーの下では秩序、規律があった。夜でも安心して外出できた。それなのに、いまは・・・」
(8)「もういい加減に忘れなくてはならない、もういい加減にケリをつけねば・・・」

ジョルダーノはいう。この8つの情動、その「単純さ、いや素朴さ、はっきりと感じられる感受性のなさ――この情動を擁護する人びとと話しをしていると、大人を相手にしているのではなく、子供の行動様式を相手にしているのだ、という印象が自然に沸いてくる。・・・年齢不相応の反応様式は危険な誤謬を示している」(40頁)と。何とよく似た議論が日本にもあることか。「南京では30万人も殺されていない」「慰安婦はほかの国の軍隊にもいたではないか」「一体、いつまで謝罪だ何だと言っているんだ。いい加減に・・・」。そう、「人さらいのように家に入ってきて慰安婦にしたという事実はない」という安倍首相の物言いも、何と子どもっぽいことか。

日本という国が、戦後70年を目前にして、侵略戦争を否定し(「村山談話」の見直し)、構造的な戦時性暴力を否定し(「河野談話」見直し)、最終的に「大日本帝国」を「取り戻す」ところまで行きかねない、という懸念や憂慮をもたれるとすれば、これほどの不幸はない。

実際、第二次安倍内閣の閣僚や党幹部のなかに、ネオナチやヘイトスピーチと親和性をもった人物が複数いることが、国際社会に懸念を抱かれる原因になっているように思う。例えば、英国『ガーディアン』紙9月9日付は、2人の安倍首相の側近が並んで写真を撮った人物が代表をつとめる団体は、「ヒトラーを礼賛し、党員たちはハーケンクロイツの腕章を着用し、ナチス式の敬礼をしている」と書いた。まさに、安倍首相の言動と危うい閣僚たちの存在が、「日本の名誉」を大きく傷つけているのではないか。

そうした国際社会の厳しいまなざしをまったく意に介さず、権力をほしいままにしている政治家たちは、朝日新聞社長を首相の外国訪問に同行させて謝罪させよとか、国会に招致して検証せよなどと言い出している。政府に対するメディアの自由な批判を認めない独裁国家ではあるまいし、そんなことをすれば世界の笑いものになるだろう。安倍首相とその周辺の傲慢不遜な態度は早晩、自らの奢る勢いでつまずくことになるだろうが、しばらくはこうした言説が世界に発信され続けるのだろう。日本の平和国家としてのこれまでの貯金は崩され続けていく。一体、誰が「日本の名誉」を傷つけているのだろうか。

さて、この慰安婦問題における「誤報」問題をきっかけにして、歴史に対する誠実な態度の必要性を改めて思う。ドイツでも、ドレスデン空襲(1945年2月)の残虐性について語ることは、戦後長らくはばかられてきた。「ユダヤ人虐殺をやったドイツが何をいうか」と。しかし、一般市民に対する無差別爆撃の問題性は問い続けられなければならない(直言「ドレスデンのねじれ」)。ベルリンの「ホロコースト記念碑」をめぐる複雑な問題もある。さらに、1945年のベルリン陥落の際、占領した旧ソ連軍によって、10万人を超える女性たちがレイプされた事実(旧東プロイセン地域などを入れると200万ともいわれる)が明らかになったのは、旧ソ連の極秘文書を使ったA.ビーヴァー『ベルリン陥落1945年』(川上洸訳、白水社、2004年)が発刊された後だった。

戦後70年を前にして、もう一度、私たちはドイツのR.v.ヴァイツゼッカー元大統領の言葉に耳を傾けよう(直言「『心に刻む』ということ」)。

問題は、過去を克服することではない。そんなことはできるわけがない。後に過去を変更したり、あるいは起こらなかったことにすることはできない。だが、過去に目を閉ざす者は結局、現在にも盲目となる(Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.)。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのだ。

【追記】
ジョルダーノの『第二の罪』初版はその後、1990年に読んだ時の書評やドイツの新聞の関連記事と一緒に見つかった。そのため、写真を差し替えた。――2014年10月7日

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