ノーベル平和賞と「零八(08)憲章」 2010年10月18日

つの事件や事故が一瞬にして当事者を「有名人」にすることがある。そして、その人生を変えていく。10月13日、南米チリのサンホセ鉱山落盤事故で、地下700メートルに閉じ込められていた作業員33人が、69日ぶりに全員救出された。その模様を世界各国のメディアが中継した。 特殊カプセルで一人ひとり時間をかけて地上に引き上げる方法をとったこともあり 、名もない作業員の顔や経歴も、家族や微妙な私事まで、全世界に広く知れ渡ってしまった。「有名人」になることが、本人や家族にとって、必ずしも幸福ばかりをもたらすものでないことは、多くの事例が示すところである。なお、「33人」のなかにボリビア青年が一人含まれていたことは、1884年に講和条約(パルパライソ条約)締結後も国交がなく、対立関係にあったチリ・ボリビア両国にとって、プラスの影響を与える可能性もある。ボリビア大統領が現場に赴き、救出作業にあたる人々に感謝の言葉を述べ、チリ大統領と握手する映像は、おそらく100回の首脳会談にまさるだろう。これは幸福な方に含まれるかもしれない。

 ところで、一つの「賞」が受賞者個人を超えて、その国のあり方にも大きな影響を及ぼすことがある。ノーベル平和賞(Nobel Peace Prise)。これほど論争的な賞は他にないだろう。ダイナマイトにより巨万の富を築いた人物の名を冠した平和賞。その「破壊力」(政治的影響力)はきわめて大きい。「時限爆弾」のように作用して、受賞者のいる国の深部に変動をもたらすこともある。

受賞者の顔ぶれはまさに、ノーベル平和賞110年の国際政治を投影している。国際紛争の当事者たち、例えば、1973年のキッシンジャー米国務長官とレ・ドゥクト・ベトナム労働党政治局員(辞退)、1978年のベギン・イスラエル首相とサダト・エジプト大統領、1994年のアラファトPLO議長とペレス・イスラエル大統領とラビン・同首相など。また、ウィルソン(1919年)、カーター(2002年)、オバマ(2009年)の米合衆国大統領、ゴルバチョフ・ソ連大統領(1990年)、ブラント西独首相(1971年)、金大中韓国大統領(2000年)などの政治家たち。さらに、ドーズ案やマーシャルプランなど、戦後復興に貢献したとされる政治家たち(ドーズ米副大統領〔1925年〕、マーシャル国務長官〔1953年〕等)…。日本では佐藤栄作元首相が「非核三原則」で受賞したが、 核密約 日本核武装の検討 などが明らかになるにつれ、受賞への疑問も強まっている。だが、「これがノーベル平和賞なのだ」と割り切ることも必要なのかもしれない。清濁ひっくるめて、国際政治の複雑さがそのまま受賞者の選択に反映しているからである。 いずれにせよ、この賞への過大評価も過小評価も禁物である。

受賞の話題性が、当該国の政策への批判的な問題提起の意図をもって行われる場合もあるだろう。平和賞が、その国の政権に抑圧されている人々に授与されたケースも少なくない。例えば、1935年、ドイツのジャーナリスト、カール・フォン・オシエツキーは、ナチスにより反逆罪で投獄され、強制収容所に移送されたときに受賞した(1938年に収容所で病没)。1975年、ソ連の反体制活動家で物理学者のアンドレイ・サハロフ博士の受賞は明確な問題意識のもとに行われた。1975年「ヘルシンキ宣言」(全欧安全保障協力会議:CSCE)で、人権と諸自由の尊重がうたわれて以来、ソ連・東欧圏への人権外交が一層強化されていったが、まさにその年に受賞した。 

1989年の受賞はダライ・ラマ14世。中国ではネットでその名前を出すことすら、統制の対象になるほどの人物である。天安門事件の年に、中国のチベット抑圧政策を睨んでの受賞であることは明らかだった。

 1991年にはビルマ(ミャンマー)民主化運動の指導者、アウンサンスーチー氏が受賞。 軍事政権 への圧力となった。スーチー氏は受賞後20年近くなるが、いまだに自由を拘束されている。1993年受賞のネルソン・マンデラ(南ア大統領)の投獄体験は映画にもなった。

2003年に受賞したイランの女性弁護士で人権活動家のシーリーン・エバーディー氏も数度の投獄体験をもち、平和賞のメダルと賞状を当局に押収されている(『東京新聞』2009年11月27日付)。

このように、ノーベル平和賞の「国際政治史」を見てくると、10月8日、獄中にいる人権活動家(作家・詩人)の劉暁波氏が受賞したことは、「想定の範囲内」のことかもしれない。いま、世界で最も「人権問題」で焦点となっているのは中国だからである。 北京オリンピック(2008年) や上海万博(2010年)など、経済や文化、スポーツなどの面で「開放」政策を一段と加速させている一方、政治や人権面ではきわめて遅れた状態にとどまっている。

 ノーベル平和賞選考委員長は、「民主主義と人権(の尊重)が世界平和には不可欠だからだ」と述べ、「中国は大国として、批判や監視、議論の対象になる責任を引き受けなければならない」と指摘した(『朝日新聞』10月9日付夕刊)。劉氏の受賞が決まってからの中国政府の反応は、余裕のない、過剰で子どもじみたものだった。関連のニュース映像を露骨に切断したり、ネットの関連項目を削除したり、ノルウェーの政府や国民に対して八つ当たり的な「制裁」を加えたり…。劉氏の妻の携帯電話をつながらなくさせ、買い物まで禁止するなど、国家的いじめである。中国政府が繰り出すおとなげない手法の数々は、全世界に直ちに伝わっていった。

 中国政府の公式見解は、10月14日の外務省報道局長定例会見が論点をまとめて提示している。(1)劉暁波氏は犯罪者であり、彼に平和賞を与えることは、中国国内で犯罪を奨励することである、(2)中国への内政干渉であり、主権侵害である、(3)中国はノルウェーとの協力を望まない、(4)劉氏の妻の代理出席は認めない。

  (3)から言えば、ノーベル賞委員会は、ノルウェー政府から独立した機関である。中国政府は、国家・社会・党が一体化した自分の国のあり方からしかものを見られないようである。(2)については、人権は国境を超える時代になっていることを中国政府は知るべきである。国際人権規約がスタンダードになり、中国も90年代にこれを受け入れた以上、人権問題での国際機関や各国の指摘に対して、「内政干渉」という形で反応することはアナクロニズムでしかない。

(1)の「犯罪者」というのが中国政府の最大の拠り所だが、そもそも劉氏がいかなる罪を犯したのかが問われるべきである。

刑法旧102条の「反革命宣伝煽動罪」は典型的な目的罪で、「反革命的」と見なされれば、言論も出版もあらゆる行為がこれに該当して、処罰の対象となる。国際人権の時代、あまりに露骨すぎるため、1997年に削除された。かわって導入されたのが「国家政権転覆煽動罪」(刑法105条)である。「国家政権の転覆を組織、画策、実行し、社会主義制度を転覆するもので、首謀者又は重罪の場合は無期又は10年以上の有期懲役…に処す。デマ、誹謗又はその他の方法で、政権の転覆を煽動し、社会主義制度を転覆する者は、5年以下の懲役…に処す」。

劉氏がこの105条になぜ違反するのか。それは、2008年12月10日に、劉氏らがインターネット上に「零八(08)憲章」を掲載したからにほかならない。中国の知識人303人が連名で発表したこの宣言で指導的役割を果たしたというだけで、「国家政権転覆煽動罪」にあたるというのだから驚きである。劉氏は今年2月に懲役11年の判決が確定して、服役している。 この憲章が本当に国家政権転覆の煽動文書なのか。 一度、全文をじっくり読んでみることをおすすめしたい

前文は、清の欽定憲法100周年という歴史から説き起こす。「長きにわたる人権災難」(原文)を経て、人々のなかに、「自由・平等・人権が人類共通の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度構築」という認識が定着してきたという。だが、中国は名前だけの「人民共和国」で、実質は「党の天下」であると断定する。「反右派闘争、 大躍進 、文化大革命、 六四天安門事件 や、宗教活動及び維権〔権利擁護〕運動の弾圧など一連の人権災難を引き起し、数千数万の命が奪われ」たと指摘している。

中国は97年と98年に国際人権規約に署名し、2004年に全国人民代表大会で「人権を尊重し、保障する」という文言を憲法に加える改憲が承認されても、それらは文字上だけのもので、「法律あって法治なく、憲法あって憲政なし」が現実であるという。

 各論では、自由、人権、平等、共和、民主、憲政の6つの柱を示し、19項目の個別的な要求を提示している。(1)憲法改正、(2)分権と権力分立、(3)民主的立法、(4)司法の独立、(5)公共機関の公用〔党の撤退〕、(6)人権の保障、(7)公職選挙、(8)都市と農村の平等、(9)結社の自由、(10)集会の自由、(11)言論の自由、(12)宗教の自由、(13)公民教育、(14)財産の保護、(15)財政・税制改革、(16)社会保障、(17)環境保護、(18)連邦共和、(19)正義の転換である。 

(2)では、権力のチェック・アンド・バランスにより、行政権力の過度な拡張を防ぐことが求められている。「中央権力は、憲法による明確な制限の下に権力を与えられ、地方は存分に自治を実行する」と。これは、「党治国家」のあり方への最も深部での対案だろう。 (8)は中国的特殊性で、都市部と農村部の格差はあらゆる面で広がっており、とりわけ全人代の代議員の「一票の格差」は日本の比ではない。代表選出における都市・農村格差は、全国「人民代表」の幻想性を象徴するものと言えよう。

「党」との関わりでは、(5)(9)(13)が注目される。(5)では「軍隊の国家化」、即ち、軍隊からの党組織の撤退が要求されている。北朝鮮や中国の軍隊は「党の軍隊」である。中央軍事委員会委員長(主席)が最高権力者である。9月28日、北朝鮮の金正日の息子が「中央軍事委員会副委員長」に就任した。また、中国共産党第5回中央委員会総会で、習近平国家副主席が、「中央軍事委員会副主席」になるかが取り沙汰されている(10月16日現在)。最大の暴力装置である軍を統率する地位如何で指導部の序列が決まる点で、両国とも共通している。「08憲章」の軍隊の国家化は、「普通の国」への要求と言えよう。

(9)では、共産党一党の「執政特権」の解消を求めている。「政党活動の自由と公平な競争の原則の確立」「政党政治の正常化」が主張されている。実質的な共産党独裁体制の放棄要求と言えよう。(13)の「公民教育」も共産党という一政党・結社に忠誠を誓わせる教育から、中国の「公」民教育への転換を求めている。いずれも、中国の「党治国家」の核心に切り込む要求である。

ちなみに、中国憲法3条は 「民主集中制」という歴史的遺物を国家原理として採用している 。本来、政党はパーティであって、「パート」(社会の部分)である。中国共産党員は7799万5000人(20009年末、中共組織部発表)と公称されるが、それでも全人口13億2500万のわずか5.8%にすぎない。社会のなかのごく少数が「党中央」を頂点に、全体を支配している。

さて、注目されるのは、(4)の憲法裁判所や違憲審査制の要求である。「国家の法治に対する重大な危害を与える各級〔共産〕党の政法委員会を早期に廃止して、公共機関の私用を回避する」。つまり、「党治国家」の現実では、国会(全人代)が制定した法律や規則などを違憲・無効とする仕組みが存在しない。疑わしきはすべて党の判断、である。国家機関からも地方機関からも党の委員会を排除すれば、ようやく、権力分立の前提が生まれる。憲章はそこを明確にしている。

 (19)では、「文化大革命」や「天安門事件」などで政治的迫害を受けた人々と家族に対する名誉回復と国家賠償〔補償?〕を打ち出している。「過去の克服」と「社会の和解」という観点が重要だろう。

 なお、(18)では台湾・マカオの問題に言及され、「各民族共同繁栄」が言われているものの、 チベットや新疆ウイグルなどの少数民族迫害への直接の言及は慎重に回避されている 。 人権のところでも、 「死刑大国」の現実に触れる下りはない 。また、核兵器の廃絶や軍の問題についてはまったく触れられていない。その代わり、国連常任理事国として、大国にふさわしい「貢献」を求めている。やはり大国意識は免れていない。

ともあれ、「零八(08)憲章」は、「国家政権転覆煽動」どころか、中国の徹底した立憲化、民主化、人権尊重の要求であり、真摯で建設的な提言といえる。これを「転覆」と見なす中国政府が、いかに国際人権の基準、あるいは近代立憲主義の基本から遊離しているか、明らかだろう。

 ノーベル平和賞を受賞したのは劉暁波氏個人だが、私は、「零八(08)憲章」が受賞したと見ている。ノーベル賞委員会も、劉氏を「憲章」のシンボリックな存在として授賞対象にしたのだろう。委員会の「授賞理由」も、「憲章」に詳しく言及している。また理由のなかで、中国憲法35条が引用されていることに注目したい。

憲法35条は、「言論、出版、集会、結社、〔デモ〕行進、示威の自由」をすべての国民に保障する。また憲法5条3項は、「すべての法律、行政法規および地方的法規は、憲法に抵触してはならない」と定める。刑法105条は「国家政権の転覆」という途方もないレッテルを当局が貼れば、政権批判の言論はすべてこれに該当してしまう。105条のこのような過度の表現の自由規制は違憲であり、憲法5条3項により無効ということになろう。だが、中国には違憲審査制が存在しない。ノーベル平和賞「授賞理由」には、劉氏を有罪にした判決は中国憲法に違反するという指摘がある。

10月12日、中国共産党の元幹部23人が、インターネット上に「憲法35条を実行し、検閲を廃止し、言論・出版の自由の約束を果たせ」というタイトルの公開書簡を発表した。毛沢東主席の元秘書や、人民日報の元社長など、党の重鎮が名を連ねる。このサイトは、政府によってすぐに削除された。中国憲法35条の条文は、ノーベル賞委員会の文書から、元党幹部の書簡に至るまで、随所に引用されている。劉氏は犯罪者ではなく、違憲の法律の違憲の運用によって有罪とされたのである。劉氏に近い弁護士が、北京市高級人民法院(高裁にあたる)に再審請求を行う見込みという(『朝日新聞』10月13日付)。だが、裁判官は全員党員であり、党の方針が変わらない限り、「民主集中制」が遺憾なく発揮され、再審請求が退けられる可能性が高い。

当面、中国がとるべき方向は、劉暁波氏を釈放して、妻の劉霞さんとともに授賞式に出席させること。そして、全国人民代表大会選出の「憲法委員会」(仮称)を設置し、法律や命令・規則などの違憲審査を可能にすることである。「零八(08)憲章」を犯罪文書とすることなく、少しでも「体制」内に取り込む度量と覚悟を示すべきだろう。

付記:旧国名(西独など)や肩書は、煩雑なのでその当時のものとした。

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