わが歴史グッズの話(44)番外編・グッズの可能性とリスク
2018年8月6日

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「ヒロシマ」から73年の日である。安倍晋三首相は5日に呉・東広島などの被災地をまわり、広島市南区元宇品のグランドプリンスホテルで、総裁選への立候補を断念した岸田文雄政調会長の慰労会をして、今日(6日)にヒロシマ(被爆地)に入る。ここでも総裁選しか頭にないのか。

さて、恒例の「夏の祭典」が佳境である。1085枚(3科目分)の定期試験の答案を、「春の祭典」をガンガンかけて(これは冗談、別の曲です)採点する。そこで今回は、ストック原稿をアップすることをお許しいただきたい。

44回目の「わが歴史グッズの話」である。前回は「朝鮮戦争「休戦」から「終戦」へ」だったが、今回は少し趣向が違う。番外編として、「歴史グッズ」をめぐる効用と可能性、そしてリスクについて書く。

私が古道具、古物にこだわり出したのは、小学校の高学年からだ。自宅と同じ敷地内にあった獣医診療所の2階建て物置は、私にとって「巨大な玩具箱」だった。使わなくなった注射器(馬用)は水鉄砲、長い注射針はダーツだ。陸軍燃料廠関係の鉄兜などもあった。父が子どもの頃に「グリコのおまけ」として入手した文鎮もある。なぜか私はこれを小学生の時から勉強机に置いて使っていた。冒頭の「肉弾三勇士之像 グリコ株式会社」の文鎮である。戦時メディアが創作した美談「肉弾三勇士」の意味も考えず、私はこれを教科書のページ押さえとして使っていた。


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もう一つ、小学生の頃からの「歴史グッズ」は、物置の先にあった万年塀の「穴」だった(直言「平和における「顔の見える関係」」参照)。戦争末期、家の庭で遊んでいた父の従兄弟がP51ムスタング戦闘機の機銃掃射を受け、その12.7ミリ機関銃弾が背後の万年塀を貫通したのだ。これを我が家の「戦争遺跡」として保存し、この間、自治体の企画や、東京弁護士会の「戦後70年企画」でも展示して、見学にきた中学生に触ってもらった。機銃弾が人間に命中したらどんな状態になるか想像してみようと話すと、彼らはその穴を見ながら息をのんでいた。

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私の歴史グッズは、メディアにもかなり協力してきた。ただ、実際に放映されたのはそのうちの半分もない。防空法関係のグッズはかなり使われた。NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」でも活用された。 この写真は、テレビ朝日「報道ステーション」で使われた警察予備隊の受験参考書(1950年)である。2015年3月に安倍首相が、自衛隊を「わが軍」と呼んで物議をかもしたが、その際、「自衛隊は軍隊ではない」ということを示す資料として、テレビ局のクルーに提供したものである(直言「「我が軍」という憲法違反の宣言?箍が外れた安保法制論議(2)」)。

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東日本大震災の時に研究室の書棚が崩れて破損した「ナチス提灯」については、愛媛県西条市の提灯工房に依頼して修繕した経緯を『東京新聞』2015年6月3日付夕刊が伝えた。実際に出てみて、一面トップだったことに驚いた。日独伊防共協定を、安保関連法制定に爆走する安倍政権に意識的に重ねる、夕刊担当デスクの判断だろう。

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大学の講義の理解を深める上で、効果的なグッズ使用法の例がある。それは、法政策論の講義で「安全とは何か」ということを論ずる際、「誰が」「誰のための」「どのような安全」を「どのように」「どの程度」守るのかという視点で論ずる際、この写真にある3つのグッズを別々に出していく。まず、一番上の「安全ピン」。これは米海兵隊で使用されている巨大な被服止めだが、書画カメラの画面上で、針の部分を使い頸動脈を刺せば殺人の手段にもなるということを示す。また、陸軍の南部14年式拳銃のモデルガンを画面に出して、その安全装置の意味を問う。レバーを「火」にすれば弾丸が発射される。「安」は暴発を防ぐためのものである。そして真ん中のナイフ。ソ連を「悪の枢軸」と呼び、米国の「安全保障」第一の軍拡路線を主張したレーガン・ブッシュ(父)が、1980年大統領選挙の際に支持者に配った選挙運動グッズである。この3つのグッズを画面に同時に出して、「安全」概念の多義性やその問題性を考えさせるのである。

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また、劣化ウラン弾(25ミリ機関砲弾の薬莢)を見せる。誰しも放射能がないのかと顔をくもらせる。触らない学生もいる。だが、よく考えてみよ。遠方から撃った機関砲弾が戦車に命中した際に放射性物質が付着するのであって、射撃した対戦車ヘリの下方に落下した薬莢に放射性物質が付着する可能性は皆無に近い。そのように説明すると学生もホッとした顔になる。

また、冒頭右の写真にある警察、消防、自衛隊の車両の前面についているエンブレムも学生の興味をひく。パトカーの旭日章(警察章)や消防車の消防章はなじみが深い。自衛隊車両のものは警察予備隊、保安隊、そして60年代の自衛隊で使われていた。警察章と鳩を半々に組み合わせたもので、自衛隊は軍隊ではなく、警察的な面をもっていることを象徴している。これを法政策論の講義の際、書画カメラで映し出す。2016年に作られた陸上自衛隊のエンブレムは、ついに軍刀を前面に押し出すものとなった。「普通の軍隊」への道程である。「桜刀」というもので、いずれ鞘の代わりに2本の刀を交差させる図柄に変化していくのだろうか

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昨日(8月5日)は東京にもどり、大学でのオープンキャンパスの模擬講義を行った。ここ10年以上担当している。そこでは、ドイツ統一の5カ月後に東ベルリンに滞在した際に採取した「ベルリンの壁」を、私が撮影した証拠写真と一緒に高校生に回覧している。昨年のオープンキャンパスに参加してこれに触って、早大法学部を目指したという学生が、いまの1年ゼミ(導入演習)に4人もいる(毎年1人前後)。「ベルリンの壁」は、私の保有する「歴史グッズ」のなかで最もインパクトが強く、かつ影響力の強いものといえるだろう。

だから、オープンキャンパスの時は職員に頼んで、参加者全員が触れられるように配慮してもらい、最後に演壇の私のところに確実に届けてもらっている。というのも、かつてある講演会にこれを持参したおり、こんなことがあった。「(講演中)左前方にいた若い男性が、連れの女性と「壁」を使ってキャッチボールを始めたのである。私は息がとまりそうになった。たくさんの越境者の命を奪った冷戦の象徴である。あまりに悲しい。」(直言「雑談(43)「そりゃないぜ」の世界(2)」)。

入手するのに非常に苦労した貴重な「歴史グッズ」だが、是非とも手にとって「体感」してほしい。そういう思いから授業で学生に、また講演で参加者に回覧することがある。妻にはいつも「あなたはサービス過剰なのよ」と言われるが、学生や聴衆の喜ぶ顔を思い浮かべると、どうしてもやってしまう。でも、上記のような不愉快な思いをすることも、残念ながら少なくない。「歴史グッズ」回覧のリスクである。

2000年6月、ある講演で、回覧した手榴弾(火薬なし) を、私の目の前に座っていた年輩の人が分解し始めたのである。直言「雑談(3)「そりゃないぜ」の世界へ」ではこう書いた。「「目が点」になった。注意しようと思ったが、話の流れを壊したくないのでそのまま話を続けた。情けない気持ちでいっぱいだった。本人の目前で、何のためらいもなく、黙々と「分解作業」を続けるその人の姿が目に残る」と。

重要な資料なので回覧しないで手元に置いておいたにもかかわらず、なくなったことがあった。北海道時代の1988年のこと。依頼された講演テーマは治安維持法の現代的読み直しだったので、『特高必携』を持参した。円卓で座って話す10名程度の研究会だった。「古書市で高倍率のくじ引きを勝ち抜いて入手した一品なのでとりわけ愛着がある。これは貴重資料のため回覧せず、私の手元に置いておいた。ところが帰宅後、なくなっているのに気づいた。真っ青になって会場に電話したが、見つからない。主催者に連絡すると、私の隣に座っていた人が、面白そうなので家に持ち帰ったという。学校の歴史教師が中心の会だったが、あきれてものが言えなかった。」(直言「雑談(3)」)。

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13年前、他学部での講義の時にドイツ軍兵士のヘルメットを見せたことがある。「・・・5箇所に貫通痕があり、これをかぶっていた兵士は即死しているはずだ。授業が終わって教壇のところに学生がたくさん集まってきて、「先生、ヘルメット見せてください」といってきた。私が別の学生の質問に答えるために目をはなしたその一瞬、一人の男子学生が、ヘルメットを手にとってポーンポーンと転がし始めたではないか。私は大声でその学生を叱責した。学生たちは固まった。「君は人の命をどう思っているんだ。これをかぶっていたドイツ兵は亡くなっているんだよ」。私の剣幕に学生は青ざめ、最後には、「申し訳ありませんでした」と頭を深く下げて帰っていった。私は研究室に行くたびに、このヘルメットの前でお香を焚いてきた。・・・」(直言「雑談(43)」)。以来、このヘルメットは授業にも講演にも持参していない。一昨年、ここにスターリングラード攻防戦(1942年)で戦死したソ連兵の水筒が加わった。これも授業や講演には使わない。

小さな講演で、1902(明治35)年の投票所入場券を回覧したことがある。それは、透明ケース(A5サイズ)に入っていた。しかし、「貴重な資料なので、ケースから中身を出さないで、みるだけにしてください」と頼んだにもかかわらず、ケース内のそれは、フチが折れ曲がり、押し込まれた状態でもどってきた。誰かがなかに指を入れて、引き出して触ったものと思われる。100年も昔のものだから、紙は相当に弱っている。以来、ケースの全周囲をセロテープで封じている。

全学部生対象の講義をこの20年ほど年に1回だけ担当している。いつも大教室まで、たくさんの歴史グッズを両手にさげてもっていく。NGOが実現に重要な役割を果たした対人地雷禁止条約の話をするため、いろいろな地雷を教室に持参する。10年ほど前、旧日本軍の93式地雷を回覧している時、参加者の一人が地雷上部についている信管をポロッと取ってしまった。これには愕然となった。もちろん火薬は入っていないが、戦前のものなのでもろくなっている。これ以来、回覧するグッズを厳選することにした。

だが、今年5月、同じく全学部生対象の科目で、金正恩のスマホを回覧した。2つ回覧したが、そのうちの1つがもどってこなかった。研究室に資料を置いて帰宅し、そのまま大型連休に入ったため、紛失に気づいたのはかなり時間がたってからだった。幸い、ネットオークションでまだあったので、もう一度購入してスマホとiphoneの両方を研究室に展示している

私の研究室には、こうした「歴史グッズ」が密集展示してある。大きなリュックを背負って勢いよく入ってくると、グッズに触れて下に落ちてしまうことがある。そういうことが何度かあったので、研究室のドアに注意書きを出している。それでも、これをよく見ないで、大きな鞄を肩にかけたまま入室してくる人がいるのでヒヤヒヤする。8年前、陶器製の消火手榴弾が割れてしまったことがあったから。

妻には「あなたはサービス過剰なのよ」と言われ続けているが、今週の世田谷区の講演でもグッズの回覧は続ける

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