ドイツ基本法70周年の風景――「愛すべき基本法」と「みっともない憲法」?
2019年5月20日

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5月23日は、ドイツの憲法にあたる基本法70周年の日である。それを前にしてドイツではさまざまな行事や企画があるが、その一つとして、5月2日、ドイツ連邦参議院のボン連絡所(旧連邦参議院議事堂)で一つの集会が開かれた。なれ親しんだボンで、1999年5月の基本法50周年の際、さまざまな企画をハシゴしたことを思い出した。もし今滞在していたら必ず参加していたことだろう。集会では、作家や哲学者、ジャーナリストなど10人が思い思いに基本法70周年を語った。主催は連邦政治教育センター。政府機関が、自国の憲法の70周年にあたり、「基本法、ありがとう」(#danke grundgesetz)というタイトルで特集を組み、基本法に対する、個人的な「愛の告白」(Liebeserklärung)を行わせるのには驚いた。このプロジェクトのシンボルが冒頭左の写真で、ドイツ国旗をハート型の風船にして、そこに条文を意味する§の記号が書いてある。

首相が「みっともない憲法ですよ」、「いんちきの憲法」、「いじましい憲法」と悪口と悪罵の限りを尽くす日本とのこの違いは何だろうか。「憲法ヘイト首相」ともいうべき安倍晋三氏とそのご一党(自民党とイコールではない)は、「国民主権、基本的人権、平和主義の3つをなくさないと本当の自主憲法にはならない」(長勢甚遠元法相)というすごい人たちである。前のめりで憲法改正を叫び、改憲扇動を行う安倍首相の「カンナ屑が燃えるような語り口」を聞きながら、70回目の「ドイツの憲法記念日」に思いを馳せたいと思う。

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ドイツ連邦議会では、5月16日、基本法70周年についての一般討論が行われた(冒頭右の写真参照)。冒頭、W.ショイブレ連邦議会議長は、「基本法60周年」と言い間違えた。1991年の在外研究時から注目してきた切れ者政治家ショイブレも老いたり、と思った。自由討論の形をとり、すべての党の党首や議員団長が2時間にわたり演説した。いずれも基本法を高く評価していたのが特徴的だった。とりわけ、緑の党の女性党首は、基本法を「わが民主主義のハートビート(鼓動)」(Herzschlag unserer Demokratie)と評した。キリスト教社会同盟(CSU)州議員団長は、基本法を「ドイツ史の恵み」(Segen der deutschen Geschichte)と称した。右翼ポピュリストの「ドイツのための選択肢」(AfD)議員団長も、基本法が少数派を保護することに言及してこれを「国の最大の成果」と特徴づけた上で、他党によるAfDに対する排斥的な姿勢を非難し、連邦大統領までもこれに加担していると叫ぶなど挑発を続けた。これを牽制するショイブレ議長に対して、後ろを向いて非難するなどの場面もあり緊張した。左派党議員団長は、「基本法の精神は我々に社会政策を形成するよう義務づけている」と社会国家〔福祉国家〕を強調した。

他方、すべての会派の政治家たちが、改革の必要性も語った。キリスト教民主同盟(CDU)議員団長は、連邦・州の管轄領域と財政規則をより明確に定めることを求めた。インターネット規制についても踏み込んだ。社民党(SPD)党首は、「基本法の文言の美しさと明確性」を文学者のように誉め、基本法の補完についてはあまり意味を見いださなかった(保守系紙Die Welt vom 16.5.2019の表現)。自民党(FDP)党首は、連邦憲法裁判所に基本法条文の解釈を委ねるだけでなく、憲法自身が事物の水準に合わせなければならないと語り、連邦憲法裁判所の解釈・運用に加え、基本法自身を改める必要性を説いた。

各党が大きく一致したのは、憲法が政治倦怠やポピュリズム政党の勃興の時代に憲法を保護する要請という点である。「国の多数により憲法が支えられないときは、憲法は自らを保護することはできない」とCDU議員団長はいい、FDP党首は、「ヴァイマルは憲法で破綻したのではなく、社会が憲法の価値を支持しなかったことで破綻したのである」として、ヒトラーを生んだ原因としての反憲法的な社会の空気を現代につなげた。

70周年の連邦議会の討論から、ドイツでは改憲の動きが活発なようにもうかがえる。「あなたは基本法をどのように改正したいですか」という特集を組んで(Süddeutsche Zeitung vom 16.5.2019)、ツイッターで読者の議論を集める新聞もある。例えば、ハンドルネームSilaneaさんの5月17日の書き込みは非常に細かく、かつ具体的で、前文と個別条文は24にも及ぶ。まず、前文の「ドイツ国民は、神と人間とに対する責任を自覚し」という部分の「神と」を削除すること。6条4項の「すべて母親は」を「すべて両親のうちの一方は」にするか、すべて削除する。10条2項(電話盗聴を可能にする条文)の全部削除。12a条3項(緊急事態における代替役務者の扱い)の削除、13条2項(捜索の例外)の削除、16a条の庇護権についての2項以下の制限を削除する。24条1項が「連邦は、法律により、主権を国際機関に委譲することができる」について、法律ではなく「国民表決により」と改める。44条1項の連邦議会調査委員会について、「公開しない」例外を削除する。79条2項は、基本法改正について連邦議会と連邦参議院(参議会)の総議員の3分の2が必要とされているが、これに「国民表決」を通じた有権者の80%以上の同意を付け加える。81条(立法上の緊急状態)の削除、等々である。Silaneaさんの改正提案は、基本法的価値をより促進する方向でなされているように見える。

なお、基本法改正については、ハンドルネームORileyさんも、基本法79条2項の基本法改正法律の成立要件について、「連邦議会構成員および連邦参議院の票決数の3分の2の同意を必要とする」に、「ならびに国民投票における投票数の過半数」を加えることを提案する。こちらは日本国憲法96条に近い形である。Silaneaさんのように、有権者総数の80%以上の賛成がないと改正できないとなると、「超硬性憲法」になってしまうだろう。いずれにしても、一般市民が憲法についてさまざまな角度から提案をするというのは興味深いが、日本の改憲論議とは異なることに注意する必要がある。

ドイツ基本法の70年について、米英仏3カ国による占領下での制憲という事情にもかかわらず、それを「占領憲法」「押しつけ憲法」という人はいない。日本よりもドイツの方が、占領3カ国の軍司令官たちは、個々の条文にまで露骨に注文をつけていた。国民はそれを承知で、基本法を全面的に受け入れている。

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そもそもドイツ基本法の大前提は、「人間の尊厳」である。5月16日の連邦議会での討論を紹介する7時のニュース(heute)は、基本法1条1項「人間の尊厳は不可侵である」(Die Würde des Menschen ist unantastbar)の条文の紹介からはじまった。なお、1948年のヘレンキームゼー草案では、1条1項は「国家は人間のためにあるのであって、人間が国家のためにあるのではない」という形で、カント的な格調高い哲学的文言が条文化されていた。人間の手段化の極致であるナチスに対するアンチテーゼが冒頭で明示されたのである(直言「ドイツの憲法が生まれた場所、ヘレンキームゼー再訪」参照)。それと、ドイツにおける議会の存在が重要である。議長が「ここ、連邦議会に民主主義の心臓(Herz der Demokratie)が鼓動している」というほどに、議会における徹底した議論が当然の前提となってきた(直言「議会は「民主主義の心臓」」)。国会における議論を限りなく形式的なものにして、都合が悪ければ、憲法が要求する臨時国会の召集すらネグってしまう日本とは大違いである。

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さて、ドイツ基本法70年の底流には、170年前のフランクフルト憲法の存在がある。その前史として、フランス革命の影響を受けた西南ドイツ地域で生まれた「マインツ共和国」(1792年)が注目される(マインツの州首相官邸のある地区は、いま、「マインツ共和国の広場」になっている)。その「共和国宣言」1条には「自由と平等に基づく法律に従う〔…〕国家」とあり、「マインツ共和国」は「ドイツの地における最初の民主的実験」と評される所以である。そして、1832年5月27日に「ハッバッハ祭」という、検閲の廃止などの要求を掲げた政治運動も展開され、そうした歴史的実験の上に、フランクフルト憲法(1849年)が制定された。実際に施行されなかったとはいえ、その立憲主義的伝統と内容は、現在のドイツ基本法のなかに息づいている。今年8月に100周年を迎えるヴァイマル憲法を経て、70年前にボン基本法が制定されたのである。直言「ドイツ基本法の故郷を歩く」でも書いたように、ライン河畔の小さな町でできた憲法が世界の憲法に大きな影響を与え続けているのは、ドイツの「民主主義の4つの試み」の蓄積があるからだろう。

基本法70周年の連邦議会での討論で、基本法改正の提案や主張が多く出されたことはすでに指摘した。国民のなかからも、基本法をよりよいものにする提案が出されている。しかし、これが日本の改憲論議と異なるのは、前述した長年にわたる国民と憲法との深い関わり合いの歴史だけでなく、基本法自身が、改正の限界を明確にしており(79条3項)、およそ憲法の大原則に手をつけるような改正の議論が存在しないからである。ドイツ基本法改正提案では、連邦と州の権限関係、直接民主制の導入、男女同権の強化、LGBTなどへの配慮の規定等々である。日本の自民党改憲草案(2012年)の包括的人権制限条項の導入や国防軍の設置などは、現行憲法の基本原理の根本に触れるもので、ドイツ人の感覚からすれば、これは憲法改正の議論ではない(歴史逆行的な新憲法制定の主張)。

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ドイツは頻繁に改正しているのに、日本では一度も改正していないという人がいるが、これはドイツの実態を知らないものである。ドイツ基本法はその制定の翌々年に早くも第1回の改正が行われ、2019年3月までに63回の改正を経ている。大きな改正としては、軍事法制を導入した第7次改正(1956年)や、緊急事態法制を導入した第17次改正(1968年)がある。私は10年前の直言「ドイツ基本法60周年に寄せて」において、基本法の頻繁な改正についてこう述べた。「特に1968年改正による電話盗聴(10条2項)や、1998年改正で、13条の住居の不可侵条項に、組織犯罪対策との関連で室内盗聴(盗聴器の設置)が認められたことについては批判がある。また、動物保護のための基本法改正。この改正はその後実現するが、私はあまり評価しない。また、基本法1条の、基本法の「魂」ともいうべき「人間の尊厳」の相対化も進んでいる。「許される拷問」があるという考え方は、憲法学者の間にもある」と。63回目の改正にしても、デジタル教育のための財政援助をめぐる州の権限に関わる問題である。改正の内容抜きにして、改正頻度を語るのは無意味であろう。

最後に、ドイツ基本法を語る場合、連邦憲法裁判所の存在を抜きには考えられない。5月12日、憲法理論研究会の春季研究総会(龍谷大学・京都)で行われた(憲法理論叢書27〔2019年秋〕所収予定)。テーマは「憲法裁判の現在」で、冒頭に報告に立った畑尻剛氏(中央大学)は、「ドイツの連邦憲法裁判所―その普遍性と特殊性」と題して、ドイツの憲法裁判の最新動向を詳細かつ緻密に分析した。そこでは、ドイツは、「ドイツ連邦憲法裁判所共和国」と言われるほどに、連邦憲法裁判所の存在が大きいことが強調された。ドイツ基本法とは、連邦憲法裁判所が「これが基本法である」というものにほかならない、と。連邦憲法裁判所は国民の人気と信頼も高い。畑尻氏の報告では、「(非常に)信頼する」が基本法78%、連邦憲法裁判所75%であり、連邦議会39%、連邦政府38%、政党はわずか17%である。畑尻氏は、高い信頼の要因として、(1)国民にとって支持できる判決を多く出していること、(2)少数者保護の機能、(3)連邦憲法裁判所の存在とその憲法解釈の重要性に対する広範な基本的コンセンサスの存在、(4)連邦憲法裁判所の裁判官の公正性に関する信頼、(5)法治国家を重視する姿勢、を挙げる。日本の最高裁とは異なり、連邦憲法裁判所は多くの違憲判決を出している

16人の裁判官の構成を見ると、8人が公法系の大学教授である。畑尻氏は、「信頼の根源としての「法に基づく合理的な思考、国法学的思考」」を指摘する。それだけ憲法学者の存在が大きいということだろう。「公法研究者の約9割が安保法案を違憲・違憲の疑いありと言うが法案を成立させる」「憲法学者の7割が違憲と言うから改憲する」という趣旨の安倍首相の憲法研究者への偏見と蔑視は異常であり、かつ異様である。象徴天皇制の代替わりという重要な憲法事項にもかかわらず、生前退位問題を検討する首相の諮問会議「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のメンバーにはあえて憲法研究者を入れず、審議会常連の行政法研究者が選ばれた。事務方が推薦した女性憲法研究者を安倍首相が蹴ったといわれている。よほど憲法学と憲法研究者がお嫌いなのだろう

なお、連邦憲法裁判所については、直言「連邦憲法裁判所に入る―建物の軽さと存在の重さ」参照。

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