在任期間のみ「日本一の宰相」――「立憲主義からの逃亡」
2020年8月17日

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憲政史上最長になったけれど

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週の月曜、8月24日は、日本憲政史上における一つの「記念日」である。安倍晋三首相の通算の在任日数が2887日となり、桂太郎(1848〜1913年)を抜き、憲政史上最長となったのは2019年11月20日だったが(直言「安倍政権の滅びへの綻び―総裁3選党則改正の効果」)、「通算」ではなく、2012年12月26日の第2次政権発足から連続の在任日数が2799日に達し、大叔父・佐藤栄作(1901〜1975年)を抜いて歴代最長となるのが来週24日なのである。長年にわたる自民党政権のなかで、どの「総理・総裁」も、党則の総裁3選禁止規定を守った。あの人気絶頂だった小泉純一郎でさえ、周囲が党則改正による続投を進言するも、「人気があっても任期で辞める」に従った。だが、安倍首相は、どの世論調査でも、内閣支持の一番の理由が「他に適当な人がいない」という消極的支持であるにもかかわらず、何を勘違いしたのか、4年前、自民党の党則80条4項(「3選禁止」)を改正して、「人気がなくても、任期で辞めない」という挙に出た。来週の月曜日に日本憲政史に刻まれる「最長記録」は、このような経緯のなかでのものとして理解する必要がある。

14年前の総裁選は広島から

冒頭左の写真をご覧いただきたい。2006年9月1日、52歳の誕生日を迎える20日前、自民党総裁選の第一声を広島であげた安倍晋三官房長官である。これを一面トップで伝えたのは『読売新聞』で、原爆ドームを背景に入れて、「広島で「タカ派」払しょく?」という見出しは意味深い。政策の強調点を西部本社版(福岡)が「改憲、教育改革」と例示的に並べたのに対して、東京本社版は「改憲・官邸主導」と東京政治部の問題意識が表に出た格好である(直言「「失われた5年」と「失われる○年」―安倍総裁、総理へ」)。この日の地元『中国新聞』は、写真なしの地味な記事だった。『朝日新聞』は、この日の夕刊コラム「素粒子」で、「なぜ、いま安倍晋三氏なのか。自民党総裁選の会見は拍子抜け。ア(曖昧、抽象的な公約で)、ベ(弁舌さらさら意味不明)、シン(新憲法の旗でも振れば)、ゾ(族議員の神輿に乗って)、ウ(『美しい国へ』行けるのか)」と皮肉っていた。

なお、14年前の安倍総裁誕生の際の「直言」で私は、「タカ派、安倍晋三の危なさ」をこう表現した。「交通法規〔憲法〕を確信犯的に無視するドライバーが、大型トラックの運転席に座り、道路に走り出したのに近い。このトラックは行く先々で、たくさんのトラブルを起こすだろう。ドライバーは、饒舌に語りながら、「お目々キラキラ、真っ直ぐに」トラックを走らせていくのだろう。この国の不幸は続く。」と。

第1次安倍政権で失われた1年

第1次の安倍政権は、この国の戦後の枠組を大きく変える法律を次々に成立させていった。とりわけ「改正」教育基本法防衛庁「省」移行関連法(ちなみに、私は参院外交防衛委員会で参考人としてこの法案に反対した)、憲法改正国民投票法の三つは、どれ一つとっても、かつてなら一内閣を必要とする大仕事だった。安倍の「突破力」(私は「無知の無知」の突破力と呼ぶ)によって、これらを短期間に一気に成立させてしまった。「話しあおうよ どこまでも」という「話しあいのマーチ」をイメージソングにしていた頃の、派閥均衡型のかつての自民党ではなくなっていたことが背景にある。小泉純一郎の「自民党をぶち壊す」路線の「効果」である。

だが、安倍の政治的寿命も最初は1年が限度だった(直言「送別・安倍内閣(その1)」)。集団的自衛権行使合憲の政府解釈変更を第1次の安保法制懇談会に委ねたものの、その答申が出る2007年11月を待たずに、安倍は政権を投げ出してしまった(直言「ナトー好きの首相―送別・安倍内閣(その2・完)」)。研究室には安倍辞任号外がたくさんあるが、冒頭右の写真は、トランプとのツーショットを絡ませた予言的なものである。

安倍晋三復活への道

政権投げ出しの翌年冬、安倍は行動を開始した。その「再登板」など決してあってはならないとして、12年前に直言「安倍晋三氏は議員辞職すべし」まで出した。そのなかで、「彼は今後、130日ちょっとで辞職したもう一人のアベ首相(阿部信行)と同じような役回りを演ずるのだろうか。阿部元首相は、1942年2月、「翼賛政治体制協議会」会長に就任して、軍部と一体となった選挙を行い、日本政治の「死に水」をとることになった。」として、議会・国会を破壊した「二人のアベ首相」の共通点を指摘していた。

もっとも「平成のアベ首相」の方はきわめて運がよく、2012年9月26日の自民党総裁選で勝利して復活をとげる。第1回投票では、石破茂 199票(議員票34、地方票165)、安倍晋三 141票(議員票54、地方票87)、石原伸晃 96票(議員票58、地方票38)であった(他の2候補は略)。議員票では石原の後塵を拝し、地方票では石破に倍近くの差をつけられていた。地方の自民党組織は、安倍ではなく石破を総裁にふさわしいと判断していた。結局、決選投票となって、安倍108票、石破89票で安倍が総裁に選出されるという劇的な逆転劇が起きた。

この逆転はどうやって生まれたか。両院議員総会が開かれた自民党本部8階ホールではあるドラマが起きていた。事前の票読みで石破に入れるつもりの議員たちが、投票をするために壇上にあがった際、一瞬会場の中程に座る石破をみた。すぐ隣に座る女性議員と親しげに話している。「石破政権になれば、あの女性が官房長官になるかもしれない。あいつにこき使われることだけはごめんだ」。そんな思いから、自分くらいは石破に入れなくてもいいだろうと投票先を変更した議員がいたようである。壇上から同じ光景を目撃し、同じ行動をとった議員も複数人いたようで、彼らは結果が出てから仰天した。投票先を変えた議員が自分以外に何人もいることを知ったからだ。彼らはこれを表に出すことはしなかった。もしも、例えば10人が安倍ではなく、石破に入れていたら、安倍98、石破99で石破総裁が誕生していた可能性があった。以上は、某全国紙の政治部記者に直接聞いた話であるが、実際のところはわからない。ちなみに、安倍政権誕生の鍵となったかもしれないその女性議員は誰か。その議員が主計官時代にやったことがこれだ(直言「「片山事件」と北海道」参照)。

安倍政権は何をやったか

この7年8カ月の間、「経済の安倍」「外交の安倍」「拉致の安倍」、「危機の宰相、安倍晋三」など、次々に国民の批判をかわすため、新たなキーワードや施策が繰り出されてきた。もっとも、「結果がすべて」というご自身の言葉に沿っていえば、そのすべてについて結果を出せず、「失われた8年」となることが確実な状況となってきた。政権発足時の目玉だった「アベノミクス」。安倍政権誕生とともに始まったとされる景気拡大は、2018年10月には終わり、政府が当初「戦後最長」の可能性を指摘していた記録更新は幻となったことは、『産経新聞』の経済サイトですら指摘するに至った(7月30日)。また、コロナ危機のもとでの日米欧6カ国の指導者の対応比較では、安倍のコロナ対応はトランプ以下のマイナス34%という最低の評価しか受けていない(『東京新聞』2020年8月13日)。「アベノマスク」という愚策は言及するのすらはばかられるほど不評をかい、「アベノアプリ」はいまだ普及せず、「アベノ五輪」を「ウィズコロナ五輪」として実施しようとしている。もはや狂気の沙汰としかいいようがない。

トランプとプーチンにいいように遊ばれた「アベノ外交」。直言「「外交の安倍」は「国難」――プーチンとトランプの玩具」で指摘した通りである。「アベノ人事」はこの8年近くで官僚機構を疲弊・堕落させ、日本の優秀な官僚たちの力を削いできた。コロナ危機に十分に対応できない日本の状況は、「アベノ人事」による公務員制度の破壊も原因のなかにあるように思う(直言「公務員は「一部の奉仕者」ではない―「安倍ルール」が壊したもの」参照)。「アベノ人事の3つの傾向」については、『日本経済新聞』が4年前にまとめていた(同紙2016年7月24日付)。@盟友・ベテラン、A側近・お友だち、B「ポスト安倍」ということだが、この間の人事はAに傾斜しすぎている。しかも、「アベノ人事」は「不適材不適所」である。

アベノ人事の悲惨な結果

この写真は、『週刊金曜日』8月7/14日合併号の特集「さよなら! アベ政治」のものである。第1次政権からの約9年間で、大臣・副大臣・政務官が16人辞任、3人逮捕と書いている。なぜ、こういうことになるのか。人をみる目がないのは、自分をみる目、つまり安倍晋三という人間そのものに起因する。小心で狭量、人間の器の小ささゆえに、自分を批判する人を許せない。自分をチヤホヤする人にはやさしく、批判する人にはどこまでも冷たく突き放すだけでなく、ことさらに敵視する。それを忖度した周辺が、その人物にさらなる仕打ちを加えていく。

政権投げ出しで失意の底にあった時、これを支え、励ましたのが、菅義偉らの政治家と、山口敬之が「高尾山登山メンバー」と名付けた第1次政権時の秘書官、今井尚哉や北村滋らであった。自分をちやほやしてくれる者を徹底的に厚遇する。安倍流「5つの統治手法」を駆使した結果、この国は無政府状態に近いものに変質してしまったのだろうか(詳しくは、直言「「総理・総裁」の罪―モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ・・・」参照)。

ところで、他方、安倍は、自分を少しでも批判する者は執念深く記憶にとどめ、意趣返しも含めて執拗かつ徹底的にたたくのだが、最近、安倍の「倍返し」のすごさを実感したのが、かつて「首相の責任」「[安倍は]もう過去の人」といった溝手顕正参院議員を落選させるべく、刺客(河井案里)を立て、それに1億5000万円の資金(10倍返し)をつけたことである(直言「「総理・総裁」の罪」)。これは溝手への私恨を、税金(政党助成金)を使って、買収という違法な方法ではらそうとしたもので、問題の本質はそうとう深刻である。

広島・長崎・沖縄のアウェイ・アベ

安倍にとって、8月6日と9日は苦手である。広島と長崎の原爆の式典で挨拶をしなければならない。内心は祖父ゆずりの核兵器保有論者だから、広島・長崎はアウェイ感がいっぱいである。市長たちも自分に批判的なことをいうことが決まっている。とりわけ核兵器禁止条約などというトランプが嫌う条約の批准を迫ってくる。被爆者の目も厳しい。長崎で被爆者から「どこの国の総理ですか」といわれたときの屈辱は忘れない。だから、長崎では、被爆者からの要望事項をすべてスルーする。長崎原爆資料館に9回ともいかないのは、日本の首相としてあり得ないことなのだが、自分に批判的な被爆者の誘いなど、のるものかと思っている。幼児性が著しい(6月23日の慰霊の日に沖縄でも同様の態度である)。

8回目の広島・長崎の平和祈念式典での「あいさつ」は特にひどかった。『毎日新聞』8月11日付によると、長崎のあいさつ文1153文字中、約93%にあたる1078文字が広島のものと一致していた。「こうなるともう、「使い回し」か「コピペ」と言わざるをえない。被爆者団体などからは当然、「ばかにしている」「心に響かない」といった批判の声が上がった」。なお、8月15日の全国戦没者追悼式における首相式辞にはアジア近隣諸国への配慮は一貫してなく、今年はさらに「歴史と向き合う」も消えて、安倍流の軍事を押し出す「積極的平和主義」が際立つものとなった(故・奥平康弘教授の指摘参照)。他方、天皇の「おことば」には、前天皇と同様、「深い反省」と「再び戦争の惨禍が繰り返されぬこと」という言葉が入っていた。

国のトップには、それなりの人間的魅力が必要である。立場は違っても、その言葉に重みが求められる。安倍の軽さは単に声のトーン(カラカラカラという高音)だけではない。繰り返し同じ言葉をつかい、しかもそれが現実と著しく乖離しているのに恥じらいもなく使うところである。「躊躇なく」「スピード感をもって」「真摯に」「丁寧に」・・・。詳しくは、直言「第96代内閣総理大臣の「恥ずかしい」政治言語」参照のこと。

安倍政権「終わりの始まり」のスタート

コロナ禍において、明らかに潮目が変わってきた。安倍政権の支持率が急速に落ちている。日本テレビの8月の調査では「支持する」37%、「支持しない」54%となった。安倍政権の評価がここまで落ちたのは、政権発足以来のことである。嫌韓的論調で露骨だった『週刊ポスト』(小学館)が、8月14/21日合併号の巻頭特集で、「安倍首相を引きずりおろす「最終手段」! 「落選運動2020」を始めよう」という具体的な方法論まで提起するに至った。10月25日総選挙を想定して、289選挙区の当落を予測している(自民党68減、野党連合73増)。

また、財界展望という経済誌、『ZAITEN』8月号は、端的に、「さらば! 安倍晋三」という特集を組んでいる。「珍写真で振り返る「永遠の幼児」・・・」という記事もあって、かなり激しい安倍批判を行っている。保守系雑誌がここまでやるようになったのは注目される。

英国紙『ザ・ガーディアン』では、安倍首相はAWOL(エイウオール)と批判されている。『ワシントンポスト』も、決定的に重要な局面で安倍首相は「AWOL」状態にあるとしている。“absence without leave”の略で、「許可がない離脱」「職務放棄」などと訳され、軍隊用語では「敵前逃亡」となる(JCAST8月14日[井津川倫子])。

「立憲主義からの逃走」については何度か書いてきたが、安倍政権は、野党が憲法53条後段に基づいて臨時国会の召集を求めても、まともな「言い訳」すらしないで無視し続けている。この政府の行為は違憲であるばかりか、反復継続してこの条項を壊死させていく行為といわざるを得ない。もはや憲法軽視や憲法無視の世界ではなく、安倍の場合は「憲法蔑視」の世界に入っているが、さらにそこから進んで、「立憲主義からの逃亡」の域に達している。内閣支持率の調査で「支持しない」が過半数を超えるところまできたことは、「安倍政権の終わりの始まり」のスタートである。

《文中敬称略》

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