「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
       (2006年12月1日午後7時収録、 12月2日午前5時35分放送

   1.防衛庁から「防衛省」へ

 今週、教育基本法改正案と、防衛庁を「防衛省」に「昇格」させる法案が衆議院を通過しました。戦後60年がたって、この国のかたちを変えるほどの性格をもつものですが、新聞各紙の扱いは意外に地味でした。それぞれの法案がもつ本質的な問題について、国会での審議が十分であったかといえば、これはかなり疑問といえます。

 いま、なぜ、防衛庁を「防衛省」にするのか。2001年に環境庁が環境省へ格上げされ、長官が大臣になりましたが、環境問題の重要性などから反対はありせんでした。でも、防衛庁の問題はそれと同じようには考えられない、複雑な事情を抱えています。

 各紙社説の評価も分かれました。『朝日新聞』11月30日付は「改めて昇格に反対する」というタイトルでこれを批判。『東京新聞』12月1日付は「疑問と懸念がまだ残る」というタイトル。これに対して、『読売新聞』同日付は「『対立』するのがおかしかった」として、防衛省への移行を当然としています。『産経新聞』社説は「超党派の合意を評価する」として、民主党の賛成で「超党派の合意」が出来たとまで言い切っています。

 52年前に保安庁から防衛庁になったとき、「自衛のための必要最小限度の実力は憲法9条に違反しない」という解釈により、自衛隊は軍隊・戦力ではないとされ、政府は長らく「専守防衛」という建前をとってきました。『朝日』社説がいうように、戦後日本は、過去の歴史を反省し、軍が政治をゆがめた過ちを繰り返さず、戦後再び持った武力組織を軍隊とせず、自衛隊としてきたことは、「普通の軍隊とは違う存在であることを内外に明らかにする効果を持った」「軍事に重い価値を置かない、新しい日本のあり方の象徴でもあった」。つまり、「国防省や防衛省でなく『防衛庁』という位置づけにしたのも、同じメッセージである」と書いています。

 重要なことは、今回、「防衛省」になるだけでなく、「わが国を防衛する」という自衛隊の主たる任務に海外派遣任務が加わったことです。これまで「余技」として自衛隊法の本則ではなく、雑則で定められてきた海外派遣任務が、自衛隊の「本業」になるわけです。これは巨大な転換です。『東京新聞』社説は、「海外活動の本来任務化によって随時派遣を可能にする『恒久法』制定に弾みをつけ」、「海外での武力行使につながる領域」に踏み込むことを危惧しています。

 ここで詳しく立ち入る時間はありませんが、この問題では、『朝日新聞』12月1日付第3社会面の、防衛OBたちのコメントが目を引きました。そのなかで、竹岡勝美元防衛庁官房長(83歳)は、「専守防衛」の意味を改めて説き、防衛大一期生の志摩篤元陸幕長(71歳)も、海外任務が「なし崩し的に高まってきた」ことを指摘し、「海外では『軍』として動かねばならない時もある。その腹づもりが政府や国民にあるか。もっと論議すべきだ」と述べています。さらに、夏目元防衛事務次官(79歳)は、省への昇格は評価しつつも、イラク攻撃などに米国の傲慢さが感じられるなかで、政治の責任が大事であること、「先の大戦で日本がひどい目にあったことから、先輩たちは『軍』の統制に神経を使った。その結果が『自衛隊』だ。国会議員が制服自衛官から直接意見を聞くのはいいが、安易に乗っかるようでは困る。今の政治家に見識がどれだけ備わっているか、が問題だ」と指摘しています。夏目氏は歴代の防衛事務次官が大蔵、警察出身者だったなかで、初めての防衛庁生え抜きの事務次官です〔※訂正:夏目氏は特別調達庁(後の防衛施設庁)出身で、防衛庁本庁生え抜き第一号は西広整輝氏〕。そういう人の言葉として重く響きます。

 近年、与野党問わず、「防衛」問題での政治家たちの軽やかな発言が目立ちます。なぜ、日本が「軍事」について抑制的であるのか。軍事的選択肢を徹底して否定した憲法のもとで、「専守防衛」という苦渋の説明でやってきた半世紀。防衛省と海外任務の本体業務化。そのもつ意味は、国のかたちを変えるほどの意味をもっています。しかし、衆院通過までの委員会審議の時間は、わずか14時間20分でした。                        


2.「いじめ」と教育基本法改正問題

 衆院を通過した教育基本法改正案の参議院での審議が始まりました。今週は「教育改革」のタウンミーティイング(TM)における「やらせ」や「さくら」の問題に集中しました。『毎日新聞』11月28日付によると、内閣府の調査の結果、全8回のうちの6回で、政府の依頼によって参加者の「動員」や過剰な経費の計上が明らかになりました。1回あたりの参加者の平均が389人で、そのうちの93人分がお金を払って動員されていたそうです。『読売』30日付によると、TMの「やらせ質問」や動員(さくら)を依頼した内閣府や文科省の職員の電子メールが参議院の委員会に提出されました。問1から問4までの質問ポイントと座席表が添付され、昨年3月の松江市のケースでは、「今回は特に発言者の振り付けは行っていません」と書いたメールもあったそうです。『朝日』1日付によると、静岡県での教育改革TMでは、送迎用ハイヤーを現地調達せず、わざわざ東京から走らせ、その経費が57万円もかかったと伝えています。ちなみに会場は静岡駅から徒歩5分の距離だそうです。委託した広告代理店への経費が極端に増えた会場もあり、教育改革TMは、「やらせ」「さくら」「水増し」で運営されていたと批判されても仕方ないでしょう。野党側は「民意の偽装だ」と反発。教育の基本を定める教育基本法改正を審議するにしては、その基本前提に問題があるといわざるを得ないと思います。

 教育基本法の根本問題の議論がなお十分ではありません。特に教育基本法10条にいう、教育は「不当な支配」に服することなく国民に直接責任を負って行わわれるという条項は重要です。『朝日』29日付は、衆院通過を伝えた一面記事の総合面受け記事で、この点に着目。「不当な支配」の定義をめぐっては、教員組合などの介入に限定する解釈が出ていますが、実は教育行政機関もまた「不当な支配」の主体となりうる点が重要です。1976年の最高裁「旭川学力テスト事件」大法廷判決は、戦前の国家統制的教育への反省から、教育行政機関の行為でも、国民の信託に反する場合は、「不当な支配」となり得ると指摘していました。『朝日』はこの判決を紹介。教育基本法改正(法案16条)で、行政機関が法律に基づいて行う行為は、「不当な支配」と解釈される余地が低くなると指摘しています。こういう大問題について、十分な審議がなされたとはいえません。

 今週、政府の「教育再生会議」が、「いじめに毅然とした対応をとる」という緊急提言をまとめました。「見て見ぬふりも加害者」「加担教員は懲戒」(『読売』29日付夕刊)、「毅然対応・現場は困惑」(『毎日』同)といった見出しで各紙とも一面トップでした。『北海道新聞』30日付社説は、この提言は、1995年に、愛知県の中学生いじめ自殺を契機に、旧文部省の「いじめ対策緊急会議」がまとめた報告書と同様だとして、10年前の報告書が実効性がなかったこと、それは現場の取り組み不足と同時に、「いじめ対策の難しさがある」と指摘しています。今回、「再生会議」の「毅然とした対応」として、いじめた子どもに「出席停止」の命令(学校教育法26条、40条)が提言されましたが、結局、盛り込まれませんでした。その代わり、別教室での指導や社会奉仕活動への参加が提言されましたが、これは「出席停止と同じだ」という委員もいます(義家弘介同会議担当室長)。『毎日』28日付夕刊特集は、「教育再生会議」の審議が非公開で1カ月過ぎたことを分析して、英国や米国の教育改革が過剰に参考にされていることへの批判が出ていることを紹介。『毎日』30日付の「クローズアップ」欄は、「教育再生会議」で「出席停止」が消えて、「社会奉仕」が提言されたことの意味を探っています。記者の取材で委員の一人が、「社会奉仕は議論したこともない」と不満を漏らしたことを紹介する一方で、安倍首相が自著で「大学入学条件にボランティア活動を義務づける」と述べていることの兼ね合いに注目しています。

 「いじめ」問題はきわめて複雑であり、当該生徒の出席停止や社会奉仕という学校外への放逐でも解決しないし、他方、教師の懲戒を前面に出すことで、現場への萎縮効果も否定できません。教育というものは、未来を担う子どもたちを育てるきわめて重要な営みであり、かつ非常にデリケートです。その時々の権力者たち、力をもった人々が、強く、大きな声で、こうしろ、ああしろと口を挟むことが、教育の現場にもたらす影響について考えるべきです。「教育再生会議」や政治家たちの饒舌さの向こうに、教育行政もまた「不当な支配」となりうることの自覚があまりにもないことに驚かされます。そんな時に、「不当な支配」の制約を緩和する教基法10条を改めることは、飲酒運転が悪いという自覚のないドライバーに酒をすすめるようなものかもしれません。                                 


    3.最高裁、前納学費返還について初判断

 

 終わりに、ちょっと違った角度から一言。私も受験生として34年前、親として10年前、子どもの大学受験に際して、前納した学費が返還されなかった体験を持っています。「一度納付したものは、いかなる理由があっても返還しない」。この「特約」は長い間、大学の「慣行」でした。返還を求める訴訟が相次ぎ、下級審の判断も分かれました。9割の私立大学はこの慣行を改めましたが、今週27日、最高裁第2小法廷は、授業料の返還を命ずる判決を言い渡しました。28日付各紙はほとんど一面トップです。判決は、消費者契約法を適用して、この法律が施行された01年4月を基準に、それ以降については、入学を辞退した受験生に対して、入学金をのぞく授業料などの返還を命じました。各紙の社説や解説記事は概ね好意的でした。ただ、『朝日新聞』29日付社説だけは、「物足りない判決だ」というタイトルで、「本命の大学が合否が分からない段階で、受験生側はわらにもすがる思いだろう。その足元を見て、結果的に法外な違約金のようなものを払わせる理不尽さを十分に考慮したか疑問が残る」と批判しています。二審の大阪高裁が、大阪の医科大学のケースで、614万円の授業料等の返還を命じましたが、そこでは、「優越的な地位を利用した暴利」として、公序良俗に反する契約は無効とする民法の原則(90条)を適用しました。入学金が「手付金」のようなものなら、数十万円は高すぎるとも指摘しています。入学金の返還を認めない以上、これは現状の追認の判決だとも書いています。

 大学に勤める人間ですが、個人的には、一般入試の合格辞退者については、入学金の全額を返還しないのは高額すぎるので、何らかの緩和策が必要だろうと思います。