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『東京新聞』デジタル版で毎月最終木曜日に「水島朝穂 東京新聞への直言」を連載しています(無料会員登録で3本まで読めます)。
最新:8月27日 「異様な状況をどう脱するか 高市首相の言葉への危機感と悪法への怒り」


過去の記事はバックナンバーをご覧ください。

ドイツからの直言はこちらをご覧ください。
2026年ベルリン訪問記の5回連載はここから。

参考:オルセン昌子『ドイツのふり見て 我がふり直せ―47年間ドイツで暮らして 見たこと 考えたこと』(2026年)
今週の「直言」

2026年9月9日


学生たちに「刺さった言葉」

10年前、ボンでの在外研究中、モスクワとヴォルゴグラード(旧スターリングラード)を訪れた。当時、モスクワ大学で在外研究中だった佐藤史人氏(現・名古屋大学教授)に案内と通訳をお願いした。このロシア取材については、3本の「直言」にまとめた。直言「スターリングラードの『ヒロシマ通り』―独ソ開戦75周年(1)」、直言「ロシア大平原の戦地『塹壕のマドンナ』の現場へ―独ソ開戦75周年(2)」、そして直言「『収容所群島』とグラーク歴史博物館―独ソ開戦75周年(3・完)」である。その際に撮った1枚の写真が、この7月、思わぬ反響を呼んだ。

     中央大学文学部の初年次教育科目で話をすることを依頼され、7月2日、「いま、『平和』を考える」というテーマで、文学部1年生を対象にしてオンデマンド配信を行った。講義を視聴した学生たち967人から感想(質問を含む)のレポートが届いた。採点のため、すべて読んだ。 

     非常に多くの学生が、講義のパワーポイントの最後のページの言葉に強い印象を受けていた(冒頭の写真参照)。「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?」“What should we do today in order to prevent the return of the past tomorrow?”

     2016年7月に訪れたモスクワのグラーク歴史博物館で、出口近くのモニュメントに刻まれていた言葉である。これについては、3年前の直言「「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?」―自民党元幹事長の憲法9条論」で紹介したことがある。私は学生レポートの講評のなかで、この博物館の「その後」について触れた。この博物館は、スターリン時代の「収容所群島」の生々しい実態を記録しており、ロシアが自らの過去を反省することのできる国であることを示す「良心」ともいうべき存在だった。ところがロシアによるウクライナ侵攻後、状況は一変した。2024年に博物館は活動停止となり、2025年には館長が解任された。そして2026年には別の「記憶博物館」へ改組されることになり、内部の展示は撤去された、と。

    学生たちには、「現在、ロシア法の専門家に調査を依頼している。調査結果は新しい『直言』として公開する」と約束した。今回これを果たすことにする。

    先月末、佐藤氏から詳細な調査結果が届いた。以下は、その資料をもとにした10年前の「直言」の後日談である。そこに掲載した博物館や展示物の写真は、もはや見ることができないので、この機会にリンクまで細かくクリックしていただけたら幸いである。


政府自身が「数百万人の犠牲」を認めていた

    私がグラーク歴史博物館を訪れる前年、2015年8月15日、ロシア政府は「政治弾圧犠牲者の記憶の永続化に関する国家政策構想」を決定していた。いま読み返すと、現在のロシア政府の文書とは思えないほど率直である。

    当時のロシア政府は、政治弾圧の犠牲となった数百万人の国民を記憶しない限り、ロシアは「完全には法治国家になりえない」とまで明記していた。また、強制的集団化、それに伴う飢餓、大弾圧、グラーク(強制収容所)、財産の剥奪、強制移住にも具体的に言及する。そして、政治弾圧を「時代の特殊性」によって正当化したり、それが歴史的事実であること自体を否定したりすることは「容認することができない」と断言していた。

    もちろん、当時のプーチン政権がスターリン主義との完全な決別を目指していた、などという単純な話ではない。同じ文書には「行動的愛国主義」という言葉も登場する。過去の国家犯罪への反省と国家への忠誠とは緊張関係にある。この二つの方向性がすでに同居していたのである。しかし、それでも、政府自身が「大規模な政治弾圧」を認め、その犠牲者を記憶し、公文書へのアクセスを保障し、それを学校教育にも取り入れることを国家政策として掲げていた事実は重い。グラーク歴史博物館は、まさにこうした流れのなかで発展していった。

     2015年には全国の博物館を結ぶ「記憶博物館協会」も設立され、その翌年には地方の小さな記憶博物館を支援する「記憶基金」もつくられた。2017年には、モスクワで、政治弾圧犠牲者の全国的記念碑「悲しみの壁」が完成した。その除幕式には、ほかならぬプーチン大統領が出席している

     2018年には「人々の運命と我が国の歴史におけるグラーク」という常設展示が始まった。犠牲者の証言を記録する「私のグラーク」、市民が自分の家族の失われた歴史を調べるための「文献センター」、学校教育のための「記憶の授業」などのプロジェクトも展開された。そして2021年には、人権と法の支配という困難な問題に誠実に向き合ったとして、欧州評議会の博物館賞を受賞している。だが、その博物館が、わずか数年後に消されることになったのである。


「ウクライナ戦争」で「過去」が変わった

    転換点は、2022年2月24日に始まったウクライナ侵攻だった。戦争は現在だけではなく、過去までも変える。その変化が露骨な形で現れたのが、2024年6月20日の「政治弾圧犠牲者の記憶の永続化に関する国家政策構想」の改訂だった。名称に変更はなかったが、中身はまったく別物になった。

    2015年版にあった「政治弾圧の犠牲となった数百万人」という記述が消えた。強制集団化も、それに伴う飢餓も、「何百万人もの人々が命を奪われ、グラークの囚人となり、財産を奪われ、強制移住させられた」大弾圧についての具体的記述も消えた。1991年から2014年までに351万人余りが名誉回復されたという数字も、「弾圧を時代の特殊性によって正当化することは許されない」という一文も消えた。

    元あった文章が削られただけではない。その空白に新しい言葉が書き込まれた。「国家的利益」「伝統的なロシアの精神的・道徳的価値」「破壊的な情報・心理的影響からのロシア社会の保護」、そして、バルト諸国やウクライナの「ナチスト」「祖国反逆者」「民族主義組織」に対する非難である。歴史の主語が変わったのである。 すなわち、かつての文書は、「国家は自国民に何をしたのか」を問うていたのに対して、新しい文書が語るのは、「敵はわれわれに何をしたのか」ということである。

     さらに、新しい構想には、すでになされた政治弾圧犠牲者の名誉回復決定を再検証し、「ナチ協力者」や「祖国反逆者」については、その決定を取り消す方向性まで盛り込まれた。死者の名誉さえ、現在の政治権力がもう一度審査するというのである。

     こうした動きは、2020年のロシア憲法「改正」により、保守的・愛国主義的価値が憲法に書き込まれたことと無関係ではないだろう(直言「戦争のために憲法を変える―2020年ロシア憲法改正の深層」参照)。


突如、「防火違反」が発見された

   2024年11月13日夜、グラーク歴史博物館は、「防火安全上の違反」が発見されたとの理由で、翌14日から無期限で活動を停止すると発表した。過去の防火安全の検査では一度も指摘されなかった問題が、なぜこの段階で明らかになったのかは不明である。あまりにも唐突だった。しかし、周辺事情を見れば、孤立した出来事ではなかったことがわかる。

    スターリン時代の国家犯罪を調査し続けてきた人権団体「メモリアル」(ノーベル平和賞を受賞)は、すでに2021年に解散させられていた。同じ頃、政治弾圧の犠牲者が暮らしていた家の壁に、その人の名前などを記した小さなプレートを取り付ける「最後の住所」という運動も攻撃されていた。これはドイツの「躓(つまず)きの石」を参考にして始められた運動だった。サンクトペテルブルクだけでも441枚設置された銘板のうち101枚が撤去されたという。記憶が、一枚ずつ壁から剥がされていった。そして最後には、博物館そのものが消されたのである。


館長の解任、展示物を運び出す

    2025年1月13日、2012年以来館長を務めてきたロマン・ロマノフが、モスクワ市文化局によって解任された。さらに2026年2月20日、モスクワ市は博物館の建物を別の博物館に転用すると発表した。新しい施設が記憶するのは、グラークの犠牲者ではない。「大祖国戦争期におけるソビエト人民に対するジェノサイドの犠牲者」である。 

   3月12日には旧グラーク歴史博物館の展示撤去命令が出され、収蔵品と展示物は梱包され、運び出された。建物内部は耐力壁を除いて解体された。冒頭の写真のモニュメントも撤去されたのだろうか。ここまでくると、「閉館」という言葉では足りない。記憶の解体である。

    かつてそこにあったのは、国家権力によって逮捕され、処刑され、収容所へ送られた一人ひとりの人間の記憶だった。その場所をいったん空にして、今度は「外敵によって被害を受けたソビエト人民」の記憶を書き込む。 国家犯罪の犠牲者から、祖国戦争の犠牲者へ。「国家が国民に何をしたか」から、「敵が祖国に何をしたか」へ。

    「新しい博物館」では、大祖国戦争(第二次世界大戦の独ソ戦を指す愛国的呼称)と現在の「ウクライナ戦争」との類似性を示すなど、子どもたちへの愛国教育を行うことも想定されている。「新しい博物館」の「施設情報」によれば、博物館の設立日がグラーク歴史博物館の設立日である2001年12月6日になっている。2026年の出来事は、法的には「新博物館の設置」ではなく「博物館の改称」という扱いである。建物は残る。しかし、そこで記憶される歴史が入れ替えられ、書き換えられたのである。


「歴史的真実」とは何か

    2024年の国家政策改訂を批判した政治学者ボリス・ヴィシネフスキーは、改訂後の文書を読んでも、誰が弾圧したのか、誰が弾圧されたのか、その弾圧とは何だったのか、誰が責任を負うのか、何人が犠牲になったのかが分からなくなった、と指摘する。「政治弾圧犠牲者の記憶の永続化」という文書の題名だけは残った。しかし、その「記憶」から、誰が、誰を、なぜ弾圧したのかが消えている。これほど奇妙な「記憶」があるだろうか。

    前述したように、 私が2016年にモスクワで見たグラーク歴史博物館は、国家にとって都合の悪い過去も国家自身が記憶しようとする、一つの可能性を示す場所だった。10年後、その場所から展示物が運び出され、壁が壊され、別の「歴史」が入れられたわけである。 

    記憶を改変する上で、歴史そのものを消す必要はない。意味を変えればよいのである。加害の記憶を被害の記憶に置き換える。国家による暴力を外敵による暴力に置き換える。そして、それを「歴史的真実」と呼ぶ。

   ヴィシネフスキーは、2024年の政策転換を批判した際に、その結びにおいて、ストルガツキー兄弟の小説『神様はつらい』の一節を引いている。「真実とは、いま国王のためになるもののことである。それ以外はすべて嘘であり、犯罪である」と。

    ここで、10年前、グラーク歴史博物館の出口で撮影したあの言葉に戻る。「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?」

    学生たちが「刺さった」と書いたこの問いを発した博物館そのものが、「過去の再来」のなかで消されてしまった。だからこそ、この問いは、2016年よりも10年後のいま、はるかに重く響く。

    権力が「歴史的真実」を決め始めるとき、最初に壊されるのは過去ではない。現在に生きる私たちが、国家の過去を自由に問い直すことのできる場所なのである。


「過去」の改ざんとたたかう

    私は、これまでの人生のなかで、虐殺と弾圧の現場を訪ね歩き、過去の負の歴史を覆い隠し、改ざんする動きを見てきた。ナチスの犯罪行為をなかったことにする歴史の改ざん、「アウシュビッツはなかった」はいうまでもなく(直言「歴史改ざん主義に抗して―映画「否定と肯定」と」参照)、イスラエルのガザでの暴虐への批判を「反ユダヤ主義」として否定する動き(直言「イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか」)など複雑である。アルメニア人集団虐殺をめぐる対立もある。カンボジアのポル・ポト政権の虐殺の根っこにも「大粛清」の思想と行動がある。日本でも、「南京虐殺はなかった」という歴史改ざん主義の動き(直言「「虐殺」の現場を歩く―南京の旅(2)」)や、沖縄戦における「集団自決」を否定する動きなどがあり、ついには歴史修正(改ざん)主義者が首相になってしまった。8月15日の「終戦記念日」に、従来の首相は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」としていたのに対して、高市早苗は、「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」と、使役の助動詞を加えた表現へと言い換えた。自分は正しい。みんな相手が悪い。プーチンと高市早苗の距離は驚くほど近い。

    ドイツでも、9月6日のザクセン=アンハルト州議会選挙で、プーチンやトランプとも距離の近い、歴史改ざん主義の極右政権が誕生する気配である(直言「トランプ政権の歴史逆走―ドイツ総選挙への介入?」参照)。極右政権との連立だけは阻止するという「防火壁」(ファイアーウォール)は風前の灯火である(追記:「ドイツのための選択肢」(AfD)は44.4%と得票を倍増させて第一党となった)。

   なお、以下は、2024年に生じた国家政策の転換について佐藤氏が参照したノーヴァヤ・ガゼータ紙のオンライン記事(ロシア語)である。

Вишневский Б. Memento — шоры: В России уточнили каноны государственной исторической памяти: советские репрессии не были «массовыми», а амнистии политзеков дали свободу «бандеровцам»// Новая газета. 2.9.2024.

 《付記》GULAGについて、ネット上でも「グラーグ」とするのが多数派(wikiを含めて)のようである。ロシア語のキリル文字のカタカナ化の原則からすると「グラーク」となる。レフ(トルストイの名前)、キエフ、ゴルバチョフも、このルール(語末子音の無声化)に基づいた表記方法である。2016年の「直言」以来10年間これを用いてきたので、今回も「グラーク」で一貫させることにしたい。

【文中敬称略】
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「アシアナから」:カブールの職業訓練施設の一少年

Dieses Spielzeug wurde aus der Aschiana-Schule,
Kabul geschickt.

――「アシアナから」――

2002年のカブールの職業訓練施設で一少年が作った木製玩具。
肉挽器の上から兵器を入れると鉛筆やシャベルなどに変わる。
「武具を文具へ」。
平和的転換への思いは、いつの時代も同じです。
詳しくは、直言「わが歴史グッズのはなし(6)アフガニスタン」参照

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