番外編(4) ナンバープレートの話 2000/2/21 ※本稿はドイツからの直言です。

写真①

際免許証を日本から持ってきたが、去年春にドイツの運転免許証(Führerschein)をとった。材質も大きさもクレジットカードと同じ。EUマークや透かし模様もなかなかいい。日本のような免許更新の制度がないから、一度とれば一生使える。いつ来ても、EU諸国ならどこでも運転できる。ところで、道路を走っていると、他車のナンバープレートに関心がいく。車を買うとき、登録した都市の名前を頭に、あとは好みのイニシャアルと数字を申告すればよい(先行の同じ番号がなければそれでOK)。私の場合、BN-AM393である。BNはボンを示し、AMは私。実は403(私の誕生日)にしたかったのだが、BN-AM403はすでに登録済だった。家族全員と愛犬の誕生日もだめ。結局393になった。
  頭のイニシャルは都市により異なる。Bはベルリン、KAはカールスルーエ、Dはデュッセルドルフ、DDはドレースデン、MZはマインツというように。なお、HBはハンブルクと思い込んでいたが、昨年春ブレーメンに行ったら、HBばかりが走っていた。ハンザ都市ブレーメン。だからHB。同じハンザ都市のハンブルクはHH、リューベックはHLとなる。他国を走っていてBNナンバーに出会うと、お互いに意識する。ポーランドのひどいガタガタ道BNナンバーに出会った時のこと。相手もホッとしたのか、わざわざ速度を落として、こちらを覗き込んできた。そこで家族がニッコリ笑いかけて挨拶しようとしたのに、向こうは「ン?日本人」というような複雑な顔をして、速度をあげて離れていった。いい気分はしなかった。

  さて、ここボンで昨年夏まで目立ったのが、Oナンバーだ。外交官とその家族が使う車。アフリカ諸国のなかには、ベルリンへの移転費用が出せないため、ボンに大使館をとどめる国もある。そのため、今もO100番台(アフリカと旧ソ連のCIS独立国家共同体)の車が結構走っている。隣人のブルガリア陸軍の駐在武官(国防省がボンにあるので、彼はここに住む)の車は、O-23。その先のルワンダ大使館にたった一台ある年代物のベンツはO-115だ。ちなみに、日本はO-67、アメリカはO-17。この車に対する警察の規制は、一般車より甘い。一方通行逆走くらいは見逃す。祭りの時、Oナンバー車が進入禁止地帯に入ってきて駐車。女性が子ども2人を連れて買物して戻るまで、何の規制もなかった。
  なお、国連開発計画(UNDP)や国連ボランティア(UNV)など、たくさんの国連機関が近くにあるが、そこの人々の車はOではなく、真ん中が194で統一されている。BN-194-98とくれば国連職員だ。でも、普通は誰も気づかない。コソボ問題協議でオルブライト米国務長官らも頻繁に出入りしたペータースベルク城。ゴルバチョフも泊まったことがある。今はホテルとして一般に開放されている。コソボ情勢が緊迫したときは出入りが激しかったこの場所も、いまは閑散としている。監視所も無人。昨年秋、ここに普通の3倍の値段のコーヒーを飲みに行った。眺めは最高。その時、駐車場でX番号の車を見つけた。珍しいので写真に撮った。NATO関係者の車である。
  ちなみに連邦軍の車両はY。ところで、私のように米軍基地があった街(東京・府中市)で育った人間は、米軍車両のナンバーに敏感だ。沖縄県民も、交通事故が起きたら、まず相手車がYナンバーかどうかを確認する〔注:2016年3月21日リンク追加〕。米軍人・軍属・家族もコテコテのアメ車ばかりでなく、日本車に乗る人もいるから、まずナンバープレートに注目する。そこがYナンバーだと、事故処理に手間がかかるからだ。
  なお、いま乗っている車を3月末に売りに出すが、娘はナンバープレートを日本の自室に飾りたいという。だから2枚とも持ち帰ることにした。1年間3万キロ走行の記念に、私も書斎に飾るからだ。もっとも、東京の家に置いてある車には、しばらく乗らないことにする。道路の左側を走る自信がないから。


注:冒頭の写真は2016年3月21日に追加された。