憲法施行55周年は岡山市で――安全より自由を 2002年5月6日

のところ分刻みの生活が続いているが、大型連休中は「時間刻み」になり少し息をする余裕ができた。それでも、3日朝の飛行機で岡山に向かい、午後から憲法記念講演をやって、翌朝早く東京へ。羽田空港から研究室に戻って新聞各紙の検討を行ってから、車で渋谷のNHK放送センターに向かう。「新聞を読んで」の収録だ。都内の道路が連休のためガラガラで、予定の時間より30分早く着いた。わずか30分だが、連休のおかげで得をした気分になった。その分、早く帰宅して仕事ができる。授業と会議のない休日しか、本来の仕事(原稿書き)ができないのが悲しい。連休こそは仕事。こんな生活を20年続けている。
 得をしたと言えば、岡山ではわずかな滞在だったが、とても快適な時間を過ごすことができた。3日の新幹線が満席だったため、早朝の飛行機にしたのが功奏した。広島空港並みのアクセスの悪さを覚悟していたので、岡山空港から岡山駅まで、連休ですいた高速道路を使って予定より早く着くことができた。講演までたっぷり3時間はある。10年ぶりに岡山城と後楽園を見学することにした。タクシーを使うまでもないので、路面電車で行くことにする。乗客はみなラフな恰好で、連休ムードたっぷり。そこへ新聞7紙を抱え、重いカバンをぶら下げたスーツ姿の男が乗り込んできたものだから、乗客は一斉にこっちを見る。一昔前の決め台詞(せりふ)を使えば、「お呼びでない、お呼びでない、これまった失礼いたぁしゃした!」(植木等)という雰囲気である(微苦笑)。
 岡山城内では、関が原合戦展示会をやっていた。特に印象に残るものなし。1階の喫茶室で「コーヒーぜんざい」を注文する。「岡山城だけの名物」ということだが、普通のコーヒーのなかに甘いぜんざいが入っている。「だから何なの」というものだが、一度だけなら許せる味だった。後楽園を散策する。家族連れがたくさん来ている。憲法記念日を軸に父親が常に不在のわが家では、5月の「ゴールデンウィーク」というものは存在したことがない。いまは成人した子どもたちがまだ小さかった頃は、平日の空いた遊園地などに頻繁に連れていってあげたものだが。やはり「家族で大渋滞に巻き込まれる」というのも、日本人には大切なイベントなのかもしれないな、などと後楽園を歩きながら思った。
 竹林の先のベンチで講演の準備をする。背後で鶴が鳴いている。 5月の風は実に爽やか。とてもリラックスした気分だ。後楽園を出て、城近くの料理屋で「烏城寿司」を食す。特に記すことなし。そこから講演会場へ。ロビーには、広島大時代の教え子が4名来ていた。配偶者と一緒の人も。同志社大からの交換学生で早大水島ゼミに1年間在学したF君が父親と一緒に来てくれた。昨年の徳島講演以来1年ぶりだ。ホームページの情報力はすごいと思う。地方講演では、こういう再会ができることが何よりの楽しみである。
 さて、松元ヒロさんのコント「デタラメ天国、日本」は抱腹絶倒だった。ラストに上演された「憲法くん」は、5年前に彼と2人でつくった「思い出の作品」だけに、観客の一人として客席に座ったものの、私の心は緊張していた。松元さんは憲法前文をパーフェクトに言い終え、「私をどうするかは、皆さんにかかっています。皆さん、おまかせしましたよ」と結ぶと、感動の拍手が続いた。ホッとした。この作品のシナリオは、松元さんと私の共著として、作家井上ひさしさん縁の劇団こまつ座の季刊『the 座』41号(1999年5月)に収録されている。また、拙稿「〔現場からの憲法学・連載4回〕日本国憲法施行50周年――「笑い」から憲法を考える」(『法学セミナー』1997年7月号)にも紹介されているので参照されたい。
 記念講演では、「有事」関連3法案の根っこにある発想の仕方(「有事」思考)を批判しつつ、それを超える発想、「平和の憲法構想」について約80分間、話をした。そのなかで、「4文字熟語思考停止症候群」に陥らないよう注意を喚起した。90年代初頭、「国際貢献」という言葉が一人歩きして、いつの間にか自衛隊の海外出動が常態化してしまった。「『政治改革』待ったなし!」なんて某キャスターまでが叫んだけれど、出来上がった制度は、比例代表制を「刺し身のつま」にしただけの、醜悪な小選挙区制だった。「規制緩和」「行政改革」から「構造改革」まで、それ自体は反対しずらい言葉の前に、人々は思考停止に陥った。だから、この種の4文字熟語は、「誰の」「何のための」「どういう」という3つの要素を抜きにして論じてはならない、と指摘した。いま最も怪しいのが「安全第一」である。9.11事件以降、「自由よりも安全を」という風潮が世界をおおっている。「武力攻撃事態法案」のタイトルのなかに、「国及び国民の安全」という言葉が出てくる。自衛隊法3条には、自衛隊は「…国の安全を保つ」ことを主任務とするとある。自衛隊法のどこにも「国民の安全」を守る任務は出てこない。「国防」は国を守ることであり、国民を守ることではない。両者は重なることもあるが、時には対立する。旧日本軍は「国体」を護持するため、沖縄の民衆を切り捨てた。「軍隊は民衆を守らない」という沖縄県民の確信的な思いは、かかる体験に基づく。
今国会に提出された「有事」関連3法案では、「国民の安全」が前面に押し出されている。合意調達を用意にするという狙いだけでなく、国家が国民の「安全」の「保護者」として登場してきていることに注意を要する。「国民の保護義務」を果たすための国家介入を批判することはむずかしい。市民自身が「保護者」としての国家の役割に期待し、それを求めている場合にはなおさらである(ストーカー法、人権擁護法等々)。9.11事件はまさにそういう国家の復権である。「対テロ戦争」から身近な隣人への盗聴・密告に至るまで、自由の縮減につながる事態が確実に進行している。『産経新聞』5月3日付社説は、憲法を国際連帯の「足かせ」ととらえ、これからは「安全」を基本価値にすえよと説いている。しかし、国家機関も市民も「安全第一」で突っ走れば、「怪しいだけの人」や「危ないということが『予測されるに至った』人」は全員逮捕するか、監視対象にするのが一番手っとり早い。「究極の安全は究極の不自由を生み出す」という言葉通り、「安全」の突出は市民社会に不幸な結果をもたらす。このことは、内にも外にも「不信の構造」で完全な安全を確保しようとする原子力発電所を見れば明らかだろう。だから、「外敵」に対して鎧をつけて向き合い、「内敵」に対しては、プライバシーを侵害してまでも、その情報を国家に伝えようと努める。「有事」関連3法案のもう一つの効果は、そうした「気分」を市民のなかに浸透させることである。
 「気分はもう有事」の人たちがなんと多いことか。テレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」に出演するや、「おい、水島よ。竪琴をもってビルマに帰ったらどーよ」〔注・小説『ビルマの竪琴』の水島上等兵を念頭に置いた言葉〕などと、メールやスレッドで絶叫する若者たちがあらわれた。彼らの発想は、まさに「非国民」排除のそれである。そんな今だからこそ、あえて言いたい。「安全よりも自由を」と。日本国憲法は、平和を愛する人民とともに、自分たちの安全を保持しようとしている(憲法前文)。「安全」を絶対的価値として、内と外に対して過度の国家介入を引き出すことは誤りである。憲法に基づく「安全の守り方」を探ることこそ肝要だろう。
 ややまとまりのない文章になってしまったが、詳しくは、今朝語ったNHKラジオ「新聞を読んで」を参照されたい