雑談(18)「北の国から」に寄せて 2002年8月12日

月、23時間だけ帯広に滞在した。北の大地は、私に元気をくれた。かつて6年生活したときの「元」の「気」を思い出すとともに、北海道のワイルドな原野が「原気」もくれた。だから、私にとって、北海道は年に一度は行く「現場」であり「原場」なのである
 その北海道を舞台にしたドラマ「北の国から」がいよいよ最終回を迎える。9月6〜7日2夜連続で放映される。必見である。「前夜祭」的な意味を込めて、8月中に旧作の再放送もある(8月23日(金)『北の国から 記憶 1980〜1987(総集編)』; 8月30日(金)『北の国から 記憶 1989〜1998(総集編)』 )。まだ見たことのない方は、この機会に是非どうぞ。

  最終作品は「北の国から2002遺言」。東京から道央の富良野に移り住んだ一家族の「その後」を、21年もかけて見つめ続けた超ロングランのドラマである。番組開始時から同じキャスト、同じスタッフ。主人公の成長はキャスト自身の成長と重なる。私もこのドラマの主人公(純)を息子の成長とダブルらせて見てきた。視聴者は、それぞれに自分や家族を重ねて、このドラマを見てきたことだろう。家族のあり方が問われたり、自然と人間の関係が話題になったり、「古きよき北海道」を思い出すとき、このドラマはいつも人々の心のなかで蘇るに違いない。「北の国から」は自然の描き方が丁寧で、リアリティがある。雲の切れ間から太陽の光がのぞき、緑の草原に影を落とす。そこを登場人物の一人が横切っていく。そんな些細なシーンも、撮影には相当な時間をかける。瞬間的な風景一つもおろそかにされていない。北海道に生活していても、そんな瞬間滅多に見られないというシーンがふんだんにある。しかもそれがさり気なくおり込まれているところがすごい。普通のドラマでは考えられないほどの息の長いカメラワークである。

  歴史(ヒストリー)が物語(ストーリー)を必要とするように、この一家族のストーリーは無数の「私たち」のヒストリーでもある。20年前に道民になった時、娘はまだ生後6カ月だった。そこで小学校1年の1学期まで過ごした。息子は幼稚園から小学校5年まで。そして北広島に家を建てた。一番いい場所に書斎を作り、公園の上の方から子どもたちがスキーで滑り降りてくるのを見ながら原稿を書いていた。最高だった。「二度とない人生だから」、その瞬間、その瞬間を精一杯生きる。私の北海道6年間もそんな「とき」だったように思う。だから、「北の国から」のテーマ音楽が流れるだけで、条件反射的に目がうるんでくる。子どもたちの友だちと、その家族と、それをとりまく美しい自然とすばらしい人々と。私たち家族にとって、第二の故郷である北海道が目に浮かんでくる。

  変わるものと変わらないもの。変わっていいものと変わってはならないもの。このドラマは、さまざまなことを気づかせてくれる。いわば「気づき」のドラマである。広島大学時代、授業のなかで学生に推薦した。「見おわってから、心に必ず何かが残るから」と。特に教育学部や学校教育学部の学生たちは敏感に反応した。早大に来てからは、学生サイトによる授業バッシングもあるため、テレビや映画の話に長時間脱線することはほとんどなくなった。この機会に学生たちにも推薦しておきたい。

  ところで、北海道時代、『札幌学院評論』という学内誌の創刊に関わり、初代編集長として7号まで出した。その間、映画監督の山田洋次さん、作曲家の故・いづみたくさんなどにインタビューをして、巻頭記事を作ったことがある。1987年に富良野で、「北の国から」の原作・脚本の倉本聰さんにインタビューする企画をたてた。ところが、実現直前になって、編集担当職員の初歩的ミスでこれが流れてしまった。それまで私に協力してくれた有能な職員が別の部署に異動させられたことが痛かった。倉本さんのインタビュー記事を作れなかったことが私の14年前の後悔である。だから、倉本さんが最終作でどんなラストを用意してくれているか。来月の放映をいまから心待ちにしている。

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