暴風雨下30時間で考えたこと 2002年9月16日
月の第1週、37名のゼミ学生を連れて沖縄合宿を行った。昨年が長崎だったから、2年ぶりの沖縄である。私のゼミの合宿は、取材テーマの選択からアポとり、現地での取材を学生たちが行う。私が同席すると取材相手が本音で語れないため、私は同行しない。今回は環境班、基地班、経済班、平和班の4つに分かれて、レンタカーで各地を取材した。一人残った私は、現地の知人や友人を訪ねたり、自分のテーマで取材をしたりする。今回は那覇市と沖縄市で講演を入れた。その一つが、那覇市男女共同参画室那覇女性センターでの講演だが、これが「幻の講演」になってしまった。
  私たちが沖縄に着いた9月3日、台風16号が沖縄本島に接近中だった。4日午後は晴れたものの、夕方から風雨が激しくなり、夜半には暴風圏内に入った。名護方面に取材に向かった学生たちには、早めにホテルに戻るよう指示した。夜までに全員が無事戻ってきた。嘉手納飛行場のフェンスが倒木で壊れる写真や、県庁前の樹木の様子から、風の強さが想像できるだろう。まる30時間、私たちは暴風圏内にいた。「中心気圧は955ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は40メートル、半径170キロ以内は風速25メートル以上の暴風域」という状態が1日以上続いたのだ。中心気圧も風速も変わらない。速度も大変遅く、時速6キロ。久米島付近では長時間停滞した。
  4日夜半に「台風の目」に入って静かになったときに少し眠ったが、猛烈な「返し風」が始まると同時に目がさめ、朝まで眠れなかった。朝方、ひときわ大きく揺れて、突き上げられる感じがした。「5日午前6時26分最大瞬間風速57.4メートル(那覇で歴代6位)」(『琉球新報』6日付)の瞬間である。
  ところで、暴風圏内にあった4日夜、講演会中止で一人でホテルにいた私を、『オキナワと憲法』の共編著者である仲地博さん(琉球大学教授)が夕食に誘ってくれた。高良鉄美さん(同)と上河内千香子さん(専任講師)も一緒だ。上河内さんは広島大学時代、学生として私の講義を聴いたという。警報下、高良さんの車で近くの料理屋に向かう。話が盛り上がり、いざ帰ろうという時になって、凄まじい暴風雨になった。ホテルまで送ってもらう車のなかで仲地さんは「今までも大きな台風は経験したけれど、暴風雨のなか、外にいたのは初めてです」とポツリ。私のために、「沖縄の常識」に反した無理をさせて恐縮している。
 台風については、本土(特に東京)と沖縄との認識や感覚のズレが大きい。4日午後、金城睦弁護士が私を訪ねてこられ、しばし歓談したが、15分ほどたつと、「台風の準備もありますのでこれで失礼」とお帰りになった。台風が来たときは家にいて、外には決して出ない。これが「沖縄の常識」なのだ。金城さんの話によると、東京から赴任した裁判官が、暴風警報が出ているにもかかわらず公判を開いたそうだ。「台風で裁判所が休みになるのか」という感覚だろう。他方、沖縄の自治体職員(防災関係を除く)や民間企業も、台風が直撃するときは無理して出勤しない。バスの全面運休が一つの目安である。学生たちも、自治体関係者へのインタビューをかなりキャンセルされている。
  ところで、今回の16号については、台風に慣れっこのはずの沖縄の人々も、けっこう迂闊だったと反省しているようだ。『琉球新報』6日付社説は、「侮り反省し次回の教訓に」という社説を掲げ、この台風が「強い」台風程度ではなく、「非常に強い」「猛烈な」台風だったと述べ、「それだけ備えを怠ったといえるかもしれない」と書いている。社説はいう。「奇妙な光景もみた。16号の上陸直前の夕方、那覇市内の道路はいつものように渋滞。ぎりぎりまで職場に残った結果だろうが、警報も発表され、バスも夕方には運行停止が伝えらているから、本来なら職場を早く切り上げる必要があったのではないか」と。この渋滞の列に私たちの車もいた。さらに社説はいう。「過去幾度も直撃を予想されながら、はずれたことがあった。台風への侮りは、こうした積み重ねが『狼少年』風になってしまったからだろうか」と。
  とにかく沖縄の台風は半端じゃない。東京あたりに来る台風を50歳くらいの中年だとすると、沖縄を襲う台風は17歳のギャルというところか。生命力旺盛、方向も不安定ではちゃめちゃ強力で、はじけている。955ヘクトパスカル,最大風速40メートルというパワーが30時間も持続するのはすごい。雨も400ミリを超えた。死者1名、負傷33名。停電・断水が大規模に起こり、ライフラインが切断された。サトウキビを中心とする農作物被害も甚大だ。地元紙は大見出しで報じたが、全国紙の扱いは小さかった。各紙とも東京、名古屋、大阪、西部の4本社があるから、地域により重点も異なるし、記事に違いが出るのは当然だ。沖縄は各社とも西部本社(福岡)管内だから、例えば『朝日新聞』西部本社版は5日付第2社会面に写真入りの記事を載せている。だが、東京本社版がこの台風に触れたのは、5日付夕刊のベタ記事だけである。
  台風の場合、新聞よりもテレビやラジオが重要な情報源となる。ホテルの部屋で今後の予定を決めるため、台風の進路や速度などの情報を得ようとして、テレビをつけっぱなしにしていた。だが、情報はなかなか得られない。NHKだけは、画面に青色のスペースを設けて、文字情報を流し続けた(近年、全国的にも行われている)。しかし、情報量は限定される。民放ではキー局のバラエティ番組などが延々と続き、台風情報はごくたまに流される地元ニュースだけ。しかも時間が短い。学生たちもテレビの台風情報の少なさ、ニュースの取り上げられ方に驚いていた。キー局や放送センターにいる人々にとって「大変だ」となれば全国扱いになるが、今回のように「沖縄だけ」という場合、扱いの差は歴然としてくる。ニュースステーションやニュース23でも、台風に触れたのは番組開始から相当時間がたってからだ。凄まじい暴風雨のなかで、見慣れたキャスターたちのゆったりとした語りが、この日は妙に浮いて聞こえた。このような思いを、基地の問題を含めて、沖縄の人々は戦後ずっと持ち続けてきたのだろう。
  5日朝7時のNHKニュースの天気予報でも同じことが起きた。女性アナが、「沖縄は暴風雨にお気をつけください」という趣旨のことを早口で述べて、すぐに青森の長閑(のどか)な風景にふった。冒頭からずっと台風について触れていないので、天気予報の時間まで待っていたが、この早口である。流れているのは東京中心の天気予報。沖縄の台風に触れたのずっとあとだ。放送局側からすると、実際にはたいした時間ではないのだろうが、暴風雨直下では長い時間に感じた。くだんの女性アナは日頃から表情が乏しいのだが、冒頭の瞬間的なふりは、沖縄から見れば逆効果だったと思う(ニュースステーションの女性アナも同様)。
  昔のテレビニュースでは、「台風は北に抜けました」という言い方があった。東京(キー局)にとって台風一過でも、東北や北海道はこれから台風が来るわけだ。そこで、最近では「これから台風の進路にあたる地域では十分ご注意してください」という表現が用いられるようになった(ただし、台風が日本を去っても、台湾や韓国、中国への眼差しも必要だろう)。そういう言葉だけの問題だけではなく、毎年台風が確実に上陸する沖縄(九州、高知なども同様)では、NHK沖縄放送局が独自に編成できる番組枠をもっと広げて、台風情報をもっと流せるようにすることが求められる。民放(沖縄テレビ、琉球放送、琉球朝日)でも、もっと独自の台風情報を流すことはできないものか。日頃からどの局も、独自の編成枠が小さすぎるという問題があるのだろうが、今後、南西方面の放送の拠点として、東京と違った独自の視点で放送できるようにしていくべきだろう。「武力攻撃事態法案」で民放を指定公共機関に加えて、「有事」に協力させるなんてことを考えるよりも、この方がよほどリアリティもあるし、意味もあると思うのだが。