どんな武力行使もしないわけ 2004年8月16日

か月ぶりの広島である。日本YWCA「ひろしまを考える旅」の企画。広島市国際青年会館で、全国から集まった高校生たちに「ヒロシマから憲法を考える」という話をした。イラン、タイ、ベトナム、中国などからの留学生も参加した。いつも、この時期、この場所に来ると厳粛な気持ちになる。話にも力が入った。高校生たちの真剣な眼差しが印象に残った。

  私が講演した場所から直線で950メートルほどの距離にある細工町19番地(現在の中区大手町1-5-24)の島外科医院。59年前、その上空580メートルで爆発したウラン235爆弾「リトルボーイ」こそ、一切のものを無差別に破壊しつくす殲滅手段の始まりだった。承知のように、哲学者カントは「殲滅戦」を否定した。そういう戦争をやれば、敵味方の双方が同時に滅亡して、「永遠平和は人類の巨大な墓地の上にのみ築かれる」からである(『永遠平和のために』第6条項)。戦争や武力行使が「意味をもつ」のは、何らかの「目的」達成のための「手段」として「有効」だからだろう。それが、守るべき「目的」(例えば、国土、自国民など)をも破壊・消滅させてしまう結果になれば、「手段」としては意味をなさない。自衛権の要件の一つとして、「必要な限度」を超えてはならないというのがある。一個中隊規模の国境侵犯に対して、当該部隊を攻撃して撃退することは自衛権行使の範囲内とされるが、相手国の首都まで爆撃することは過剰防衛となるわけだ。その破壊力の巨大さ、無差別性、放射能の影響の深刻さなどを考えれば、核兵器は常に「過剰殺戮」の兵器ということになる。また、核兵器は、隣国に対して使用した場合、放射能汚染が国境を超えて自国民にも及ぶ可能性がある。「自衛のための戦争」を認める人も、「自衛のための核戦争」には躊躇する所以である。日本国憲法は一切の戦争と武力行使の否定、戦力不保持、交戦権否認という、不器用なまでに徹底した平和のありようを求めたが、「非現実的」「理想論にすぎる」などの非難を当然予想しながら、あえて、高いレヴェルの平和理念を掲げた背景には、人類初の「核兵器を使った殲滅戦」の経験、ヒロシマ・ナガサキ体験があったことは明らかだろう。いったん戦争や武力行使、戦力という「手段」の有効性を認めれば、軍の論理の自己増殖は最終的に核武装へと逢着する。日本は核戦争の悲惨を体験したからこそ、一切の武力行使や戦力を否認するという徹底した平和主義を、その憲法に採用するに至ったのである。

  8月6日、秋葉広島市長は「平和宣言」のなかで、「米国の自己中心主義」を批判しつつ、その米国に追随する日本政府に対して、「世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮を匡(ただ)すべき」ことを求めた。昨年の「平和宣言」では、1963年8月のワシントン大行進におけるキング牧師演説から40年ということもあって、同牧師の「暗闇を消せるのは、暗闇ではなくて光だ」という言葉を引用していた。「『力の支配』は闇、『法の支配』が光です。『報復』という闇に対して、『他の誰にもこんな思いをさせてはならない』という、被爆者たちの決意から生まれた『和解』の精神は、人類の行く手を明るく照らす光です」と。イラク戦争後5カ月の時点での昨年の宣言に比べて、今年の宣言は憲法についてより明確に言及した。これは、米国の武力行使の態様が、小型核兵器使用までも含意し始めたこともあって、そうしたときに徹底した平和主義を採用する日本国憲法を変えていいのか、という強い危機意識が生まれたからだろう。3日後の「長崎平和宣言」も、「日本国憲法の平和理念を守り」という表現を使った。二つの「平和宣言」がともに憲法を守ることに言及したことは、新たな核軍拡傾向を阻止するためにも、憲法の平和主義に「こだわる」ことの大切さを再認識させてくれる。

  この広島「平和宣言」に対して、『読売新聞』8月7日付社説は、「反核の訴えに政治を絡めるな」と非難した。「平和宣言で、憲法改正問題に踏み込むのは異例のことだ。護憲を反戦や反核と結びつける主張は、冷戦時代の左翼勢力の思考だ。これでは、世界に誤ったメッセージを伝えてしまう」として、自社の世論調査で65%が「憲法を改正した方がいい」と回答したことを挙げながら、「大きく変化した国民の憲法意識を直視しない発言と言わざるを得ない」と書いている。だが、どの世論調査でも、「憲法改正」一般には賛成しながらも、「9条改正には反対」という人が賛成を上回っていることを忘れてはならない。「反核」を主張するならば、ブッシュ政権が「先制攻撃」のためには小型核兵器使用もじさずという「政治」の現実と正面から向き合わざるを得ないだろう。集団的自衛権の行使を可能にする改憲は、核兵器廃絶をめざす世界の世論に対して、日本もまた米国の「先制攻撃」戦略により積極的・協力的な方向に舵をとるという「誤ったメッセージ」を発信してしまうことになる。『読売』社説の「反核」の主張は、米国の小型核兵器使用をちらつかせた「先制攻撃」戦略までも容認する、別の意味で「政治」を絡めた「現実的」主張にほかならない。読売改憲試案11条2項が「非核3原則」を「非核2原則」(「持ち込ませず」の削除)に低めたことを想起すれば、『読売』社説の「平和宣言」批判のギラついた政治性が透けてみえてくる。

  いま、国連の集団安全保障は重大な岐路に立っている。憲章における安全保障のありようを、冷戦後の新たな条件のもとで改革していく課題も明確になりつつある。その際、武力行使や軍事介入の抑制が自覚されつつあることが重要である。一時期、安易な軍事介入が頻用されて、かえって事態を混乱させたことが重要な教訓を与えている(ソマリア、ボスニア等)。ところが日本ではいま、「武力行使を当然には否定しない態度」が「責任ある平和主義」であるかの如き言説が横行している。現実には、米国のしり馬にのる恰好で、自衛隊を「普通以上の軍隊」にする方向が加速している。国連憲章第7章に基づく「真正の国連軍」が編成される見込みは当面ないが、日本は、仮に国連軍が編成されても、「国連決議」があっても、それに基づく「正当な武力行使」にさえ参加しないという形で、その責任を果たすべきだろう。武力行使や集団的自衛権の行使が「責任ある平和主義」だと勘違いしてもらっては困る。日本に課せられた責任とは、ヒロシマ・ナガサキ体験と、日本がアジアに対して行ったことへの反省からできた憲法のもとで、「武力行使はしない」という姿勢をギリギリまで追求する責任である。そのことによって、第二次大戦終了時の力関係を反映した「連合国憲章」としての側面をもつ国連憲章を、21世紀にふさわしい形に改めていく力も生まれてくるだろう。

  そうしたなか、民主党岡田代表がワシントンで、「憲法を改正して、国連安保理の明確な決議がある場合、海外での武力行使を可能にし、世界の平和維持に積極的に貢献すべきである」と語った(『朝日新聞』7月30日付)。岡田氏は、集団的自衛権の行使には反対するとしながら、国連決議を条件にして武力行使を認めた。小泉首相の主張との違いを明確にする意図でこう述べたのだろうが、場所とタイミングも最悪だった。メディアの報道も、「改憲」と「武力行使」の2つのキーワードが突出してしまった。『朝日』の一面肩の見出しは「国連下で武力行使可能――改憲と決議、前提に」である(東京本社14版)。岡田氏は小泉首相の集団的自衛権路線に対して、集団安全保障の方向へのシフトを明確にするあまり、そのコアの問題である「国連の武力行使への参加」を強調しすぎてしまったようだ。いま、正規の国連軍による武力行使の可能性はほとんどない。そうではなく、米国単独の軍事介入や、「有志連合」による集団的軍事介入が、国連決議もなく、国連憲章違反の先制攻撃の形で行われていることが最大の問題なのである。

  筆者は1999年に『この国は「国連の戦争」に参加するのか』という本を出した。先日、大阪の朝日放送の記者が拙宅に取材に訪れたが、記者が私に取材しようと思ったのは、本書との出会いがきっかけだそうだ。著者としてこれにまさる喜びはない。出版時点では周辺事態法がメインで、このタイトルは少々「フライング」ぎみだったかもしれない。でも、これからは、改憲論との絡みでも、「『国連の戦争』ならば参加していいのか」という問題が鋭く問われてくるだろう。

  なお、念のために言っておけば、「国連の戦争」というのは比喩であって、厳密に言えば不正確である。戦争違法化は1928年の「不戦条約」(戦争放棄条約)に始まる。国連憲章は二つの例外(第7章強制措置と自衛権)を除いて、武力行使違法化にまで進んだ(2条4項)。1956年、日本が国連に加盟にしたとき、国連憲章第7章の軍事的強制措置への関与が話題となった。日本は憲法でいかなる武力行使も禁じているため、軍事的強制措置への参加を実質的に留保することを含意して国連に加盟したわけである。安保理決議に基づくさまざまな武力行使のバリエーション(91年湾岸戦争型からソマリア型等々)もあるが、日本は常にそこから距離をとり、安易な武力行使を抑制する役回りを果たすべきだろう。私のいう「国連の戦争」とは「真正国連軍」(憲章42、43条)による武力行使から、安保理決議を受けた多国籍軍型軍事介入までも含意するもので、日本は一切の「国連の戦争」から距離をとるべきである。そして、国連の「民主化」の方向をにらみつつ(杉浦功一『国際連合と民主化』法律文化社参照)、世界でさまざまに追求されている、非軍事・非暴力による紛争解決の工夫と実践に積極的にコミットすべきである。ヒロシマに原爆が投下される41日前にできた国連憲章の「通常兵器を前提とした軍事認識」を、核時代を踏まえたものに変えていくよう努力することである。軍縮と武力行使抑制の方向に世界を変えていく。これが、日本に課せられた「平和への責任」にほかならない。

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