雑談(35)「新聞を読んで」余滴 2004年8月23日

NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」の担当週は、新聞の読み方が微細・周到・徹底したものとなる。必要に応じて、同じ新聞の東京本社版と大阪本社版、西部本社版を比較することもある。時には10版統合版(広島など)と東京本社14版との「版の比較」(見出しなどの違い)をすることも。全国紙だけでなく、ブロック紙、地方紙にもこだわる。ただ、日々の生活では、毎日切り抜く余裕がないため、定期講読の4紙が山をなすことになる。書庫を通るときに、「崩落」にあう危険も。これは恐怖である。
  夏と冬の長い休みの最初の数日は、たまった本や雑誌、新聞の整理をするのが恒例となる。単行本には蔵書印を押して、「即読」(「速読、乱読、斜め読み」から「熟読・精読・味読」まで)、「積ん読」(積んでおく)、「書庫行き」の3つに分類する。献本については礼状やメールを出す(最近、失礼していますm(_ _)m)。これをやり出すと半日はすぐたってしまう。雑誌(週刊誌・月刊誌・季刊誌)も同様だ。付箋を入れながら、飛ばし読みをする。一つも付箋が入らなかった雑誌は「書庫行き」である。まったく役立たないものは「にこにこクラブ行き」(近所の老人会の廃品回収)となる。でも新聞が分量的に一番やっかいである。朝読毎の三大紙と東京新聞の計4紙の約半年分を切り抜く。今年も3月と8月に、まとめて新聞整理をやった。
  ところで、新聞の切り抜きは、この35年間休むことなくずっとやっている。ある程度まとまるとファイル(袋)に入れて、段ボール箱に入れ、何十箱にもなった。札幌、広島、東京と引っ越しのたびに運んだ。だが、20年間に一度も開かなかったものもあり、ある時期に処分した。運送費を考えれば「壮大な無駄」にみえる。「いつか読むだろう」ということのために、結局、ゴミの山を築いたのか。でも、資料の山が崩れて、そこから宝物のような資料が一点見つかることも稀にある。そのために「山」が必要だった、と考えることにしている。手間隙かけたものは、その分が見えないところに生きている。「無駄は無だ」という考え方は貧しい。「無意味の有意味」である。

  新聞を切り抜いていると「オヤッ」と思う記事にめぐり合う。他方、不快な記事もある。後者の例が『東京新聞』3月11日第一社会面トップ。「東京音大教官が入試問題漏えい」の大見出しである。「教官との一問一答」の囲み記事。私立・東京音楽大学が今年の入試で出題した英語の問題を、その大学の非常勤講師(早大教授)が、受験生向け講習会で教えていたというのだ。「入試に出るから覚えておくように」と言ったとか。講師が事前に指摘した練習問題から20問がそのまま主題されたという。大学の事情に通じた人ならば、入試問題を非常勤講師が知っているのは驚きであり、入試問題作成のルーズさが問われるだろう。
  大学教員、とりわけ私立大学教員にとって入試業務は「絶対的義務」であり、すべてに優先される。そして毎年、各種入試問題の作成・採点などに大変な労力を費やしている。私が不快だったのは、この記事を書いた記者も、社会部当番デスクも、整理部記者・デスクもすべて旧国立大学出身者か、あるいは無自覚な私大出身者としか思えないことである。なぜなら、記事は非常勤講師のことを一貫して「教官」と呼んでいるからである。大見出しで一箇所、囲み記事の見出しで1カ所、本文中では5カ所も「教官」が出てくる。東京音楽大学は私立大学である。「大学に生徒はいない。私大に教官はいない」
  音楽大学で思い出したが、私もかつて広島の音楽大学で非常勤講師をやっていた。同じ『東京新聞』6月2日付外報面にあった小さな記事に、「携帯メールで解雇通知――経営不振の英保険会社」「従業員、怒り爆発」というのがあった。私も、電子メールで非常勤講師を解雇されたことがあるので、この怒りはよぉーーくわかる。

  さて、7月から8月にかけて猛暑が続いた。『北海道新聞』8月4日付夕刊には、異例の暑さで、熱中症で病院に担ぎ込まれる人が続出していると出ていた。私が北海道滞在した4日間は、北海道としては異例の猛暑。でも、東京の39.5度を体験した私にとっては大した暑さではない。でも、北海道に家を建てた体験からすれば、東京の暑さと単純に比較できないことはよくわかっている。建物はすべてを冬モードで作ってあるので、短い夏の猛暑に弱いのだ。窓も寒さを避けることを主眼に作ってある。クーラーがある家はほとんどない。訪ねた旧友の家でも、何年かぶりに扇風機を出したという。
  一方、「テロの危険」で殺気だつ米国からは、すごい話の記事が届いた。機内で「自爆」とメモした日本人男性が、手錠をかけられ、身柄拘束されたというものだ。8月3日付夕刊各紙がこれを報じたが、『毎日新聞』は共同AP電の14行ベタ記事扱い。ほとんど気づかない。それに対して、『読売新聞』は第一社会面(一社)肩の囲み記事、『朝日新聞』が一社ハラの囲み、『東京新聞』も同じ扱いだ。それぞれけっこう目立つ。『読売』は黒地に白抜きで大きく“suicide bomb”の見出し。縦見出しが「辞書引こうと米機内でメモ 邦人乗客一時拘束」。『朝日』は縦と横の見出しを組み合わせて、「『自爆』と英語でメモ 米旅客機騒然」「『単語調べようと…』日本人男性一時拘束」と詳しい。『東京』は「実は『自爆』」「米機内で知らない英語メモしたら」である。記事の内容は見出しで語られている通りである。
  シカゴ空港を離陸したユナイティド航空機内で、60代の日本人男性乗客が紙に英語で“suicide bomb”(自爆)と書いているのを他の乗客が見つけ、乗務員に通報。同機は離陸を中止して、男性は空港警察に拘束された。男性は新聞を読んで英語の勉強をしていた。意味がわからない単語があったので、メモをして辞書で調べようとしていただけだった。警察で事情を聞かれて、釈放されたというのがオチである。ただ、空港警察は男性に手錠をかけて拘束し、乗客120人も機外に出されて、捜索を行った。同機は3時間遅れで離陸したという。保安当局は、「深刻なテロの脅威がある現在、機内で今回のようなまぎらわしい行動をとらないよう、乗客は十分注意すべきだ」と述べたそうだ。
  だが、「まぎらわしい行動」とは、英単語の意味を調べようとした日本人男性なのか、それをのぞき見て大騒ぎをした隣の乗客なのか。「単語の意味を調べるためにメモをする自由」というのは表現の自由の問題ではない。男性は当然、そのメモを他人に見せることを予定していない。まったくプライベートな勉強メモである。単語程度でこのありさまだから、機内で、テロの問題をテーマにした論文の原稿書きをしていたら、確実に通報されるだろう。「愛国者法」やテロ対策の過激化で「息苦しい社会」になった米国を象徴する話ではある。朝毎読・東京のなかでは、このケースでは『朝日』が一番興味をひく書き方だった。

  最後に、猛暑関連で「水」にちなんだ話を。『信濃毎日新聞』のコラム「斜面」8月2日付は、「水にかかわる生活意識調査」(ミツカン水の文化センター)について触れていた。猛暑のなか、私も健康に注意して、普段よりも自覚的に水分補給を心がけていたので、目にとまった。今年で10回目という「水」に関する調査によれば、「一番美味しい水」の第一位は「わき水」である(44%)。二位は「市販のミネラルウォーター」(21%)、三位が「渓流の水」(15%)と続く。大都市圏に住む者には、わき水も渓流も「あこがれの水だろう」とコラムは書く。私も、外国産より国内の銘水を好んで買う。日常生活は上流域の水源に支えられている。水の供給県として思い浮かぶところはと問われれば、長野県がトップだった(25%)。最も美味しい水が飲めるというのでも長野県が一位である。コラムの我田引水的(?)な筆致が少々気になるものの、信州大好き人間の私としては、この調査結果は納得した。この文章を書いていたら、急に美味しい水が飲みたくなった。夏休みの間に中央高速を飛ばして、信州の水を飲みに行くとしよう(ついでに蕎麦と牛乳も)。というわけで、夏休みモードのストック原稿で失礼しました。