雑談(38) 「食」のはなし(8) 寿司  2004年11月22日

47都道府県のうちの41都道府県(04年12月現在) で講演をやっているので、うまい寿司に出会う機会が多いのは「役得」だろう。言うまでもなく、北海道はネタが最高である。シャリがいま一つというのは相変わらずの課題だが、ネタに外れはない。沖縄の寿司は、南方系の魚の好みにより、評価は分かれる。富山のイカ、大分のヒラメ(豊後水道でとれる脂がのった特大のもの)、高知の鰹、広島の小鰯などなど、想像したら涎が出てきた。
  寿司と言えば、近年、回転寿司やデリバリー店の存在が目立つようになった。一昔前だったら、回転寿司は仕事の途中で空腹をふさぐ程度のもので、じっくり舌を使うために行くところではなかった。近年、回転寿司のレヴェルはかなりあがってきた。値段もリーズナブルで、トロ、アワビ、ウニばかり注文する娘を連れていっても、冷や汗をかくことはない。デリバリー店も、電話一本で確実に届く。安い値段で、平準化された味を保つ。家でパーティーなどをやるときには便利だ。ワイワイやりながらだと、舌がしゃべりの方に気をとられ、どれもうまいと感じさせてくれる。でも、私が子どもの頃は、寿司はそう滅多に食べられるものではなかった。だから、子ども心に葬式は、終わってからの「お清め」で寿司が出てくるから嫌いではなかった。
  さて、今や世界のどこへ行っても"Sushi"を食べることができる。もっとも5年前、ドイツのある中都市で"Sushi"を注文すると、サーモン入りオニギリが出てきて呆れたことがあるので、あてにはならないが。とはいえ、"Sushi"は今や世界的な食べ物であることに間違いはない。
  
この「寿司のグローバル化」は、世界のどこに行っても寿司屋があるということだけでない。回転寿司で使われるネタは、地球上の「七つの海」のどこでとれたものかはわからない。つまり、「寿司ネタのグローバル化」である。ヒラメだと思って食べていても、実際の魚を見たら腰を抜かすようなアフリカ産巨大魚ということもあるらしい。回転寿司やデリバリーの値段の安さは、大量仕入れだけでは不可能だろう。だから、回転寿司でグローバル(地球)を味わうのもいいが、地元の近海でとれた新鮮な魚介類を使ったローカル(地域)な味わいも大切にしたいと思う。
  私は、講演などで地方に行ったときは、その地域の名産を必ず食べることにしている。現地の空港や駅に少し早めに着いて、一人でうまい店を探すこともある。こうして都会の生活で「グローバル化」した胃袋に、ローカルな気(栄養)を送り込むわけだ。これも私の健康法の一つである。というわけで、各地をまわったときに印象に残った寿司や寿司屋の話を書こうとも思ったが、ここでは、私の講演を聴いた方が宅配便で送ってくださった「押し寿司」の話をしよう。

  2001年9月22日、新潟県中頸城郡頸城村で講演をした。「ジャストくびき」(地域学セミナー)の講師の一人に選ばれたのである。友人の芦沢宏生実践女子大学教授がコーディネーターで始まった企画で、新藤宗幸立教大学教授(現在千葉大学教授)なども講演している。芦沢氏とは、「ベルリンの壁」崩壊前の1988年5月、「日独平和フォーラム」(作家・小田実氏が主催)に参加してドイツ各地(旧東ベルリンの平和活動家との交流を含む)をまわって以来のお付き合いである。私が頸城村セミナーを担当した週は「9.11」の11日後ということもあり、話にも力が入った。直言でも、この村のことを書いた。人口9800人。新潟県有数の米作地帯であり、上越市の近郊住宅地として発展している。
  
講演の当日、村には昼前に着いたので、控室には「くびきの押し寿司」が用意されてあった。大島喜一村長(当時)と一緒に食べたら、これが実にうまかった。一見すると普通の押し寿司なのだが、三段重ねになっていて、なかなか凝っている。まず米がいい。東頸城の菱ケ岳の清らかな伏流水を使って作られる「蛍の里のコシヒカリ100%使用」となっている。独特の粘りとコシが評判の逸品だそうだ。 押し寿司は三つの層に分かれていて、一番上の層がほどよい甘さのアミエビと味噌漬けと白ゴマ、二層が赤ジソの葉と炒り卵、そして三層は野菜の五目煮(カンピョウ、ひじき、ちくわ、人参、油揚げ、椎茸)となっていて、これが酢飯の酸味と微妙に絡み合う。各層が青笹で仕切られているので、笹の香りが酢飯にほのかに残る。見かけよりもずっとリッチである。これ一品で十分なご馳走になる。
  作り方を聞くと、「寿司枠」という木製の枠に入れて、その上に漬物石などを置いて重しをかける。酢飯や青笹に殺菌効果があるので、夏場でも2日程度の作り置きができるのだという。もともと地元の主婦たちがお盆の時期や来客をもてなすときに作るもので、明治時代は春の田植えの「こびり」として食されたという。「こびり」というのは「小昼」から転じたものだ。「寿司枠」は村の多くの家庭にあるという。押し寿司は、地域の家庭料理だったわけだ。1985年に地元の主婦グループが各家庭の味を統一して「頸城の押し寿司」として試作品を作り上げた。小学校の調理室なども使ったという。こうして1997年3月、越後湯沢駅で駅弁として売り出して一般の人にも知られるようになった。
  押し寿司が入っていた箱には、「太陽と大地の恵みを受けて、素朴さと自然が息づく本物の味」というキャッチフレーズが書いてあるのだが、「素朴さ」はその通りだと思った。日頃、前述のような食材のグローバル化、さらには「味の規格化」(化学調味料や科学の発展の結果)が進み、私たちはマインド・コントロールならぬ「タング・コントロール」(舌操作)をされていると思う。そういうときは、地方の昔ながらの素朴な味にじっくりひたって、舌の復権をする必要がある。その意味で、昔ながらの味、素朴な味は大切にしたいと思った
  講演で列車を使うときは、広島の「もぐり寿司」、岡山の「祭ずし」など、小魚や海老、アナゴ、貝などの具がこれでもかと奥まで潜んでいる駅弁も楽しい。頸城村の押し寿司も、私の旅の味の一つになった。幸い「駅弁の甲子園」と言われる「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」(新宿・京王百貨店)に毎年出店し、売り上げベストテンに入る健闘をしていることを知った(『読売新聞』地域情報ニュース「うまいもの図鑑」(甲信越編2003年7月7日)参照)。曾祖父の時代から京王〔帝都〕電鉄沿線に住む私としては、新宿の京王百貨店は日常のテリトリーなので、今度この大会が開催されたら是非買いたいと思う。
  なお、3年前の頸城村講演の際、大島村長(当時)に公用車で村内のポイントを案内していただいた。特に坂口記念館は印象に残った。「酒の博士」として知られる坂口謹一郎博士(東京大学名誉教授)の業績をしのぶものだが、立派な旧家「楽縫庵」も見学した。地方に根をもつ学者の生きざまに感銘を受けた。
  頸城村は2005年1月1日に上越市と合併して、上越市頸城区になる。今年7月の調査では、村民は合併賛成48.9%、合併反対45.2%だった。あと1カ月で「頸城村」はなくなる。村民が区民になる。何ともさみしい。「村」の心と味は、いつまでも保存してくれることを願う。

付記:この「雑談」38回「食の話」第8回は、10月初旬に押し寿司が届いた直後に執筆し、10月25日にUPする予定だった。しかし、10月23日に新潟県中越地震が起きたため、今日まで掲載を控えていたものである。地震の日に頸城村の知人にメールしたところ、地震の被害は思ったより少なくてすんだそうで、村のホームページにも人的被害なし、建物被害も数件とある。楽縫庵も無事と聞いてほっとした。なお、3年前の講演の帰りにJR直江津駅でこの弁当を見つけた。越後湯沢駅などでも売っているという。地震で被害を受けた上越新幹線が早く復旧して、この弁当が車内でも食べられる日が早く来ることを祈りたい。

付記:新潟県中頸城郡頸城村は、2005年1月1日をもって消滅した。
小泉「構造改革」の「平成の大合併」の暴挙によるものである。
現在は、上越市頸城区という味気ない行政上の地域自治区になっている。なお、「くびきの押し鮨」は今も販売されている。

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