「賛成の反対なのだ」  2005年7月11日

画家・赤塚不二夫氏の『天才バカボン』の実質的な主役「バカボンのパパ」は、水木しげる氏の「ねずみ男」と並んで、昔から私の大好きなキャラクターである。研究室にも各種のぬいぐるみがある(すべて学生からの「寄付」)。「バカボンのパパ」の口癖「これでいいのだ!」は有名だが、それと並んで、「賛成の反対の賛成なのだ」(その逆もあり)という意味不明の言葉もよく知られている。要するに、賛成や反対と言い切らないのだが、決して曖昧な態度をとるわけではない。彼なりのポリシーがある。最後はいつも「うん、これでいいのだ!」で落ちつく。

   先週、ドイツと日本で、賛成するはずの人たちが反対するか、棄権するかで悩ましい選択を迫られる事態が起きた。いずれにおいても、参議院の存在が焦点になっている。日独両国において、屈折した形で、二院制の存在意味が浮き彫りになったといえなくもない。

  7月1日、ドイツ連邦議会はシュレーダー首相の信任決議案を否決した。「信任」案に「賛成」が151、「反対」が296、「棄権」が148であった。『シュピーゲル』誌7月4日号のこの写真を見れば明らかなように、社民党と緑の党の連立与党の議席数は304。過半数を超えている。前日までに40件の法案などを可決しているので、どう考えてもシュレーダー内閣が「行動不能」の状態になっているわけではないだろう。野党は当然、シュレーダー首相を支持しないから「信任」案には一致して「反対」した。だが、連立与党は悩ましかった。連立与党から148人が「棄権」して、結局、野党の「反対」の相対多数で「信任」案は否決された。党執行部は「棄権」するよう呼びかけたが、与党議員のなかには、シュレーダー首相の経済・福祉政策に強く反対している議員もいて、彼らは、現政権のやり方に「反対」のゆえに「信任」案に「賛成」した。連立与党の投票行動を細かく見てみると、社民党は140人が、緑の党は8人(フィッシャー外相を含む)が棄権した。これは社民党執行部の要請に沿うものだった。しかし、社民党から105人、緑の党から46人が賛成にまわった(Frankfurter Rundschau vom 2.7.05) 。社民党のR. ビンディッヒ議員は29年の議員生活のなかで、「歴史的な誤決断」と断じた。法務大臣経験者のH. ドイブラー-グメリン議員も不参加を表明。緑の党のW. シュルツ議員は激しく首相を批判した。「私はこの投票に参加しない。捏造された、ニセの信任問題が起きている」と。シュルツ議員はこのやり方で解散が行われれば、連邦憲法裁判所への提訴もじさずという態度である。彼が怒るのには理由がある。旧東ドイツ出身のシュルツ議員には、旧東ドイツの人民議会(Volkskammerにおける手続きが想起されるのだろう。そこでは、議員はその良心ではなく、党・国家の指導部の命令に従っていたと述懐している。またシュルツ議員は、シュレーダー首相の「政治的出自」でもある「68年世代」が、基本法68条を濫用していることを皮肉った。「68年世代」というのは「APO世代」、日本でいう「全共闘世代」である。私は、「APO世代」のシュレーダーが首相になってから、これを批判的に紹介してきた彼の演説を直接聞いたこともあるシラク仏大統領とともに、イラク戦争への参加を拒否したことは評価されるが、それ以外の政策や政治手法は大いに疑問とされよう。いずれにせよ、連立与党議員の棄権、欠席により、「信任」案は否決された。このような複雑な状況を生んだのも、ドイツの憲法たる基本法にその原因がある。

  1919年のヴァイマル憲法は豊富な社会権条項で有名だが、それと同時に、非常措置権(48条)や議会解散権(25条)など、ライヒ大統領に非常に強い権限を与えていた。「憲法の番人」というと、普通は憲法裁判所など司法府に期待するが、ヴァイマル共和制では、ライヒ大統領が「憲法の番人」とされた。完璧な比例代表制を採用していたため、選挙のたびに連立政権になって、議会の解散が繰り返された。内閣もたびたび変わった。ヴァイマル共和制の14年間に、12人の首相による計20の内閣ができた。一内閣の存続期間は8カ月半にすぎない。国民の政治不信は頂点に達した。国民投票や直接民主制的手法に共感が集まり、それをうまく利用したナチスが、1933年1月、政治権力を獲得した。こうした歴史的経緯から、戦後のドイツ基本法は、直接民主制や社会権に対して否定的な態度をとり、個別条文として配することはなかった。「大統領の独裁」への「トラウマ」から、連邦大統領の権限は儀礼的・形式的なものに縮減された。特に、首相の不信任案や議会解散権を厳格に制限した。例えば、後任の首相を選出して初めて現首相に対して不信任案を出すことができる(基本法67条)。不信任案だけを出すことは憲法上できない。これを「建設的不信任制度」という。もう一つ、議会解散権の制限である。首相が自己に対する信任案を議会に提出し、これが過半数の同意を得られなかったとき、首相は大統領に対して、議会の解散を求める。この首相の提案に基づき、大統領は「21日以内に」議会の解散を決定することができる(68条)。いかに内閣不信任や議会解散に高いハードルが設定されているかがわかるだろう。だから、首相が連邦議会を解散するには、自らに対する「信任」案を出して、それを自分の党の議員たちによって否決してもらうしかないわけである。
  
もっとも、制度が当初考えられていた通りに運用されるとは限らない。現在では、基本法67条の解釈において、同条項の役割はそれほど特筆すべきものではない、とする消極的な見解が学界の大勢を占めている。また、実際の法的効果より、ワイマール憲法体制の克服という象徴的意味合いとして重視されている。むしろ、消極的な見解とは別に、同条項が政権の安定よりも野党・反対党の基盤となっている、という新たな理解の仕方にこそ、今日的な意義が確認されている(渡辺暁彦「ドイツにおける議院内閣制と政権の安定――基本法六七条のいわゆる『建設的不信任投票』制度に関する一考察 」同志社法学272号〔藤馬龍太郎名誉教授古稀記念論集〕404頁以下)。
  
ドイツ基本法のもとで、このような事態は過去に2回あった。コール政権のもとでの解散については、連邦憲法裁判所への提訴も行われている。1983年2月16日の連邦憲法裁判所判決は、そのような形での解散の決定には、「首相が、多数の不断の信任を得る政策が十分に遂行できないほどにその行動能力において侵害もしくは麻痺している」という要件を求めている。前述したように、シュレーダー政権は前日までに40件の法律案などの案件を可決しているのだから、「行動不能」の状態にあるとは到底いえない。ドイツの憲法学者も、この点を厳しく批判している(Der Spiegel vom 4.7.05)。基本法68条をこのように濫用して、直接に選挙民に訴えかけるチャンスを広げようとする手法は、まさに「国民投票(プレビシット)民主制」への道であり、それを危惧する学者もいる。

  シュレーダー首相が無理して議会の「前倒し解散」をするのは、政権への批判に対する「中央突破」を狙ったものといえる。労働、医療、福祉、年金などの政策で、徹底した新自由主義的政策をとって、支持母体の労働組合などからも激しい反発を招いてきた。州レベルの選挙では軒並み敗北し、この5月22日、ノルトライン・ヴェストファーレン州議会選挙で大敗北を喫したのだ。この州は社民党が圧倒的に強く、一貫して政権を担当してきた。州政府の代表から構成される連邦参議院では、この州は人口が多いので議席数も多い。そこが野党の手に移ることで、連邦議会と連邦参議院との間で「ねじれ現象」が一段と進んだ。シュレーダー首相は政権運営が困難になったとして辞任する道を選ぶこともできたが、「抵抗勢力」の拠点たる参議院の構成を理由にして、衆議院にあたる連邦議会を解散しようとしている。連邦議会を解散することで政局の主導権を握ろうというのだ。しかし、どの世論調査をみても、社民党に勝ち目はない。根本的な問題は、「信任問題」で混乱する政治家たちの権謀術数を尻目に、国民の政治への「信任」は低下する一方だということである。本来は賛成すべき「信任」案に賛成しないことが党への忠誠の証であるような奇妙な現実が、「信任」という言葉をジョークにしてしまった。すでに2005年の「今年の言葉」に選ばれるだろうと予測もされている(Die deutsche Vertrauensfrage, in: Welt am Sonntag vom 10.7.05)。
  基本法68条は、21日以内に大統領が解散するかどうかを決める。基本法下の大統領は、形式的・儀礼的な存在である。だが、このところ、「大統領の抵抗」が続く。航空安全法の署名の際にその違憲性に言及し
EU憲法の批准案件でも大統領は署名を拒否した(6月15日)。大統領は、基本法68条の定める「21日以内」という期限いっぱいを使って「熟慮」をした結果、最終日の前日あたりに解散を決めるだろう。ドイツは暑い夏の総選挙になだれ込む。

  7月5日の衆議院本会議。郵政民営化法案の採決では、賛成233 票、反対228票。わずか5票差だった。自民党内では37人が反対し、14人が棄権・欠席した。小泉首相は「白票(薄氷)を踏む思い」だったろう。
  
小泉首相は、もし参議院が郵政民営化法案を否決したら「衆議院解散だ」と議員たちを締め上げている。解散というのは、衆議院議員の資格をその任期満了前に奪う行為であるから、相当な決断がいる。首相の「伝家の宝刀」といわれる所以である。日本国憲法69条では、内閣が、衆議院において「信任」の決議案を否決されるか、「不信任」の決議案が可決された場合に、「十日以内に衆議院が解散されない限り」総辞職することになっている。「解散され」と受け身になっているため、「誰が」解散するかについて、学説上争いがある(解散権論争)。ただ、実際には憲法7条3号の天皇の国事行為の条項を使って、衆議院解散のほとんどが行われている。
  
いまでも記憶が鮮明なのは2000年11月の「加藤の乱」である。あの時、森内閣不信任決議案は否決されたが、もし森内閣信任決議案を出されていれば簡単には通らなかったかもしれないことを、野中元幹事長が語っている。「信任」案には「賛成の反対の賛成なのだ」というところか。いずれの国においても、「これでいいのだ!」ということに簡単にはならないことだけは確かだろう。

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