雑談(44)個人のコンピューター(PC)からの自由?  2005年10月10日

口陽一先生が、今年3月末に早大法学部を定年退職された。先生が5年前に早稲田に着任されたときにまずやったことは、研究室の机の上に置かれた貸与パソコン(全教員に貸与)を机の下にしまうことだったという。先生は一貫した手書き派で、あれだけ多数の著作をすべて手書きで出されていることに、驚嘆せざるを得ない。手書きの研究者はいまや、数えるほどしかいない。〔元〕東北大学教授の蟻川恒正氏も手書き派で知られる。独特の文体は彼一流の改行のなせる技だろう。ワープロ原稿にはない、独自の味を出している。

  私も修士論文をはじめ、助教授時代の最初の頃は手書きであった。26年前に初めて雑誌に載った「ミルクの匂いがするキナ臭い論文」(息子にミルクをやりながら執筆した「西ドイツ緊急事態法制の展開」『法律時報』1979年9月号から、80年代半ばまでの論文はすべて手書きだった。そうした手書きの生原稿が、この3月の研究室引っ越しの際に大量に出てきた。何度も手を入れて真っ赤になった原稿の束を見て、懐かしい気持ちになった。手書きの場合、欄外にたくさん書き込んで挿入したり、糊で張りつけた別紙が何枚も重なっていたりと、文章作成の苦闘の痕跡がそのまま残っている。ワープロの場合は、更新してしまえば、前の文書は完全に消えてしまう。でこぼこした、個性たっぷりの手書き原稿の束と、きれいに整ったワープロ原稿とでは、存在感がまるで違う。作家の記念館には、書き込みや朱がいっぱい入った原稿用紙が陳列されているが、ワープロやパソコンで執筆した作家の場合は、プリントアウトした原稿が陳列されるだろうか。それとも使用していたワープロやパソコンが展示されるのだろうか。あまり見たくない風景である。

  意外と思われるかもしれないが、実は私自身はアナログ派である。8年前からホームページを出しているのでデジタル派、パソコン通とみられているが、まったくの誤解である。最近のDVDも私のテンポにあわず、危うく壊しかけた。この4月から使っている新しい大教室もなじめない。コンピューター管理のシステムは、私の講義の呼吸と合わないのである。黒板とチョークの粉が懐かしい。
  思うに私とパソコンとの相性の悪さの原因は、まず、あの何ともいえない、立ち上がるまでの「時間」にある。ワープロなら電源を入れて、すぐに書ける。手書きとの差は数秒程度である。他方、パソコンが立ち上がるまでに、書く気力が失せることもある。もう一つは、機能の多さだろう。新しいバージョンになるたびに、どんどん余計な機能が増えていく。私は、「小さな親切、大きなお世話」「小さなお節介、大きな迷惑」の類の新しい機能はどんどん外していった。エクセルすら削除してしまったから、困ることもあるが気にしない。そうすると、書くことに徹したワープロ専用機の合理性が光ってくる。
  なお、私は、講義などでパワーポイントは使わない。完璧に美しい画面を出して、論点も見事に整理されてプレゼンすると、確かにわかりやすいのだが、人間の思考が画面に支配されて、そこで話術を発揮して、人の想像力をかきたてるには、どうもしっくりしないのである。話す側も聞く側も、画面を「見る」ことに依存してしまう。もちろん、理系のテーマなどではパワーポイントは有益で、かつ有効だろう。でも、私個人としては当分の間は使わないつもりである。これは個人主義というよりも、個人趣味に近い。

  先の研究室引っ越しのときに、奥に埋もれていた古い本と再会する機会が多々あった。ある大家の本の間から、青焼きの湿式コピーのレジュメが出てきた。いまは学界でも世間でもかなり著名になった某氏が、20代前半の院生時代に報告した際のものである。それを大学院生に見せたところ、「あの先生の手書きレジュメ!」と、妙に感動していた。ただ、いまの院生たちは「青焼きレジュメ」を知らないことも分かった。私たちの院生時代は、院生読書室に青焼きコピー機があった。ブルーの線が入った薄い紙に黒ペンで書き込んでいく。それを青白い光に通すと、湿式コピーができる。その感光液の独特の匂いがしみ込んだレジュメを乾かして、授業や研究会で使う。湿式コピーはそのまま置いておくと字が消えてしまうのが特徴である。今回のレジュメは、本の間に挟み込み、書棚の奥の暗いところにあったので、27年間「遮光保存」されていたことになる。変色していない青焼きコピーの手書き文字を追いながら、若き日の彼の鋭い指摘を見つけ、うれしかった。さらにそれよりも古い本のなかから、ガリ版と鉄筆で書いた私のレジュメも出てきた。学生時代のものだ。いずれにしても、一枚一枚、手で書き、印刷する。この文字通り「手作り」のレジュメを見ながら、20代の若き日に議論した仲間たちの顔が浮かんできた。

  いまは、学生も院生も大量のレジュメを出す。情報量がものすごく多い。論点もたくさん書いてある。注も多い。でも、情報過多の丁寧なレジュメが手元にあると、報告者はそのまま読んでしまって、口頭報告の技が磨かれないということはないだろうか。自分ではたくさんレジュメを作って理解できているが、初めて報告を聞く人にとっては、話を聞きながら、目で追い、かつ思考も活性化させるという複数の営みを強いることになる。昔の大学院の授業や研究会は、ガリ版や青焼きのレジュメが数枚あるだけなので、情報量が限られている分、相手の顔を見ながら、丁寧に説明する必要があった。情報が少ない分、かえって思考がピュアになって議論が盛り上がったという面もあるだろう。最近の授業や研究会などでは、膨大なレジュメを目で追うのに忙しく、また報告者もレジュメに甘えて、報告したつもりになってしまっていることが少なくない。口頭で相手にしっかり自分の考えを伝える独自の努力を怠っているように思う。レジュメや資料に過度に依存することなく、口頭報告は独自に準備して、時間内におさまるようにリハーサルくらいして、本番にのぞんでほしい。あえてレジュメなしで、相手の顔をみなから1時間、しっかりと自分の考えを伝えることも、時には必要かもしれない。そうすると、いかに自分がそのテーマについて理解しているか、あるいは理解していないかがよぉ〜く分かると同時に、そのテーマを相手に理解してもらうには自分のすべての力を使う必要があることを悟るだろう(声のトーン、表情、目の動きも含めて)。
  
パソコン時代の授業や講演は、大量のレジュメや資料、パワーポイントなどのおかげで便利になった反面、人間の温もりのする、人間らしい「知の交流」がおろそかになってきたようにも感じる。27年ぶりに、「憲法交流会」という院生の研究会で使った青焼きレジュメと再会して、そんなことを思った。

  さて、前にも書いたが、私はパソコンでは原稿を書かない。メールを書くときだけは、やむを得ずパソコンを使う。もっとも、私のワープロ歴は20年である。1985年3月、当時100万円近くしたワープロ(オアシス100シリーズ)を購入した。薄給の助教授にしては、車を買うくらいの覚悟がいった。当時は5インチのフロッピィである。青焼きコピー同様に、これを見た人も少ないだろう。いまは90年代半ばのワープロ専用機を頑固に使いつづけ、書くことに徹する世界を楽しんでいる。10年も前に生産が中止されたため、インターネット・オークションで同機種を2台入手しておき、故障に備えている。
  
パソコンの場合、文章を書くというシンプルな行為について、あまりに付帯的な機能が多すぎることも、私の趣味に合わない。注も勝手に付けてくれるし、行端変更、自動改行みんな、便利である。でも、注は一つひとつ、手書きのように付けていくから楽しい。時間がかかるが、やむを得ない。他方、パソコンが自動的に脚注をつけてくれると、注がどんどん増えていくことにもなる。不必要な注を増やすくらいなら、注をつける機能や自動機能のない素朴なワープロ専用機の不便さは私にとって心地よい。私はせっかちで、気が短い性格だから、パソコンのワードなどで原稿を書くと、どんどん書き進んでしまい、注もたくさん付けてしまうだろうから、そうした「暴走」をしないように、自らの行動の余地を自ら限定ないし制限しておくわけである。一種の「プリコミットメント」かもしれない。そもそも「書く」という営みは、実にシンプルな、しかし大切な行為である。それをパソコンの機能に影響されたくないし、文章の流れを阻害されたくもない。パソコンを使うと、ファースト・フード感覚で文章がつくられていくので、あえて手書きの感触を残しておきたいだけなのである。これをパソコンで文章を書くことにすでに習熟している皆さんにおすすめしているわけではない。あくまでも私の趣味の問題である。

  ところで、ワープロ歴20年ということは、「親指シフト・キーボード」歴が20年ということでもある。研究室のパソコンでメールを書くときは仕方なくローマ字入力を使うが、自宅で仕事をするときは、パソコンも含めてすべて「親指シフト・キーボード」にしてある。ここで「親指シフト」とは何かについて解説が必要だが、それは2年半前、イラク戦争開戦直前の「直言」で詳しく書いたので参照されたい
  日本語を日本語として入力することも、一つの文化であると私は考えている。薬師如来を「YAKUSHINYORAI」と打ち込む違和感。日本人らしく日本語で「やくしにょらい」と心を込めて打ち込み、変換キーを優しく押す。オアシスなら一発変換である。弥勒菩薩も唐招提寺も日本語で入力して変換するのが礼儀だろう。加えて、ローマ字入力だと「とんでも変換」の例にこと欠かないということもある。
  「ミスコン」といってもきれいな女性の話ではなく、「変換ミス・コンテスト」というのがあるらしいが、その2005年の第一位は、「今年から海外に住み始めました」が「今年から貝が胃に棲み始めました」になった例。「うちの子は耳下腺炎でした」が「うちの子は時価千円でした」になるのも、ローマ字入力で一括変換をやるからだろう。親指シフトなら、高速度で打ち込むが、こういう一括変換は不要だから、とんでもない変換ミスは少なくてすむというメリットがある。

  90年代のワープロ専用機がいずれ「絶滅」して、パソコンで原稿を書かなければならなくなったらどうしよう。そう考えているとき、たまたま酒井順子さんの連載エッセー「その人、独身?」を読んで、我が意を得たりだった。『週刊現代』2005年9月24日号の連載83回。「『手書き』という快感」というタイトルだった。
  酒井さんもパソコンではなく、私と同じく、古いワープロ専用機で原稿を書いているという。でも、旅先でどうしても書かねばならない事情に追い込まれる。そこでホテルで手書きの原稿を書きはじめる。「これが案外、新鮮で楽しいのです。ワープロで原稿を書き、パソコンや携帯でメイルを打つけれど、筆記具を使用して文字を連続して書くという機会は、今やほとんど無いわけです。しかし、手書きで、それも縦書きで文章を書いていると、『これこれ!こういう楽しさがそういえばあったよねぇ』と、思い出されてくるではありませんか。頭の中の考えを指先が文字にしていくという、ほとんどそれは生理的な快感。筆が乗ってくると、キーボードを高速で叩くのとは違うグルーヴ感に包まれます」「旅先のホテルにて、手書きの原稿を書き上げた時、私は満足感に包まれていたのでした。字は汚いし修正は多いし、決して美しいものではないけれど、一文字一文字を自分が書いたという達成感がある。出来上がった原稿に対する愛着も、いつもとは違う感じ」。
  ワープロは「絶滅の危機に瀕する機械」であり、酒井さんは「ワープロ様」とまで呼んで、いとおしがる。その彼女は、結びでこう書いている。「今回の一件があって、私は思ったのでした。もしもこの先、ワープロ様がお壊れになったとしたら、パソコンで書くのではなく、手書きに戻るのも良いかもなぁ、と」。

  まったく同感である。私も、台風14号の直撃を受けた長崎で、酒井さんと同じ体験をした。合宿から帰ってすぐにNHKラジオ第一放送の「新聞を読んで」のスタジオ収録があるので、長崎のホテルで原稿を準備した。諫早市に台風が上陸。激しい風雨のなか、外には一歩も出られないという状況下で、手書きで24枚を書き上げたとき、本当に新鮮な気分になった。今回の「新聞を読んで」原稿の大半は、手書きで執筆して、打ち直したものである
  原稿用紙に向きあうときは、何者にも支配されない、勝負の雰囲気がある。モンブランの太字の万年筆がすべるように流れるときの「快感」を思い出した。パソコンで原稿を書かざるを得なくなったら、手書きに戻るのもいいかな、と本気で考えている。
  と、ここまで書いてきて、やや腰砕けだが、「第三の道」が見つかりそうである。富士通が、「親指シフト」ユーザーのために、親指シフトのノートパソコンの販売を始めたらしいのだ。富士通もようやく、自社が開発した「親指シフト」という画期的な「文化財」の価値を自覚したようである。もし、私と相性がよかったら、親指シフト・ノートパソコンも検討してもいいかな、と思っている。個人のコンピューター(personal computer)からの自由とは、「コンピューターに支配されない個人の自由」というふうに限定解釈してオチとしよう。

付記:学会シーズンのため、ストック原稿をUPします。なお、一部に送信しているメルマガ「直言ニュース」(10月10日号)は、大阪滞在中のため休止します。

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