「撤退」か「撤収」か  2006年7月3日

月29日、小泉首相はブッシュ大統領との日米首脳会談を行い、日米共同文書をとりまとめた。「21世紀の同盟」宣言と報じられた(『毎日新聞』6月30日付一面トップ)。だが、今回の米国訪問は、エアフォースワン(大統領専用機)に搭乗して「グレースランド」(エルビス・プレスリーの旧宅)を訪れるのが最大の目玉のようだった。驚くばかりである。「世界のなかの日米同盟」が語られているが、これには重大な疑義がある米軍再編が規定路線のように進んでいくことにも多大の疑問がある。「日米安保体制」が「グローバル安保体制」に転換していく。これでいいのか。イラクから自衛隊を引きあげるというが、実際は、航空自衛隊の活動は継続され、その内容は質的に変化している。「撤退」なのか「撤収」なのか。私は本質的問題は、陸自はいなくなるが、空自の活動の質が問われるべきだと考える。かつて「転進」といって実際は退却したのを、今度は「撤退」ないし「撤収」と見せかけて、戦闘地域への 「前方展開」を行う。これは、規模(量)や内容はまだ地味だが、今後の日米の軍事関係の「質」に関わる重大な問題を含むように思う。
  でも、多くの人々は、イラク戦争の「はじまり」についてもう忘れてしまったようである。今回は、少し前に書いた原稿をUPして、お互いに「想起する」という努力を怠らないようにしたい。過去に目をつぶり、忘却の彼方に追いやるものは、現在に対しても盲目となり、未来に向けて過ちを繰り返していくという教訓が、いままさに問われているように思う。

  Googleに「デスクトップ検索」という機能がある。これで昔のメールやファイルと「再会」した。そのなかに、「小泉内閣メールマガジン」第87号(2003年3月20日午前7時送信)があった。「らいおんはーと〜小泉総理のメッセージ」のタイトルは、「イラク問題に対する日本政府の方針」。ブッシュ大統領がイラク開戦を宣言するのに呼応して、日本政府がブッシュ支持を明確にした直後のものである。「戦争か平和かと問われればだれでも平和と答えるでしょう。私もそうです。しかし、問題は、大量破壊兵器を保有するイラクの脅威に私たちがどう対峙するかです。…フセイン政権がこれらの兵器を廃棄する意思がないことが明らかになった以上、これを放置するわけにはいきません。このアメリカの決断を支持する以外に解決の途はないと思います。これが、支持の理由です」と述べ、「日米同盟の重要性を踏まえて」、「日米の同盟関係を堅持しながら、今後も国際協調、国際協力を追求していかなければならないと思います」と書いている。小泉首相の文章の下には、「特別寄稿」として、岡本行夫氏(内閣官房参与、外交評論家)の一文が続く。岡本氏は、「揺るぎない信念には正直言って感銘を受けました」と首相を持ち上げながら、「地球上の全人口を何度も繰返し殺害できるくらいの大量破壊兵器をイラクの手から取り上げなければ、そうした兵器はやがて世界中に拡散して取返しのつかないことになる。それにその行動の先頭に立つアメリカは、いざというときに日本を守ってくれる唯一の同盟国である。アメリカ支持しかない…。そのとおりだと思います」と、小泉首相の主張に全面的に賛同している。
  1週間後の3月27日午前7時配信の「小泉内閣メールマガジン」第88号も出てきた。「早期解決を望む」というタイトルの「らんおんはーと」では、より明確に「日米同盟」を押し出し、ブッシュ政権の武力行使を支持している。この小泉メッセージには、岡崎久彦氏(元在サウジアラビア大使)の「小泉総理発言に思う」という一文が続く。「戦後半世紀、ここまではっきり日米同盟の重要性の認識を示した総理がいただろうか。かつて鈴木総理が、日米安保条約は軍事同盟でないという趣旨の発言をして日米信頼関係を傷つけた事を想い出すと隔世の感がある」「戦後半世紀、日本政府は初めて、国家安全保障の長期的大戦略を堂々と打ち出したのである。それを敢えてした小泉発言を有り難く思う」と。手放しの喜びようである。

  だが、小泉首相の「決断」は間違っていた。大量破壊兵器は結局存在しなかった。岡本氏のいう「地球上の全人口を何度も繰返し殺害できる」兵器をイラクは持っていなかった。過剰な脅威をあおり、戦争にまで持っていったブッシュ政権の責任は思い。小泉首相らの姿勢は、「親米」というよりも、信仰的とも思える米国への信頼感である。3年3カ月前の「イラク戦争」開戦直後の言動から見えてくるものは、冷静な眼差しを失った「何がなんでも米国支持」の危なさである。ヨーロッパ各国、とくに独仏は、米国との関係を大事にしつつも、イラクの大量破壊兵器査察の強化を主張して、武力行使には慎重な姿勢を貫いた。そうした国々の冷静な視点は、「らいおんはーと」には微塵もない。
  そもそも「地球上の全人口」を何度も殺せる大量破壊兵器の最大の保有国は米国である。その米国に、ここまで無批判に、ここまで従順になれる心象風景は何だろう。戦後歴代の首相のなかで、小泉首相が飛び抜けているのは、この点だろう。

  2003年2月14日の国連安保理で、米国務長官は「大量破壊兵器」の存在を示す証拠を出せなかった。これに対して、フランスのドビルバン外相(当時)は、「(大量破壊兵器の)査察こそ、効果的かつ平和的にイラクの武装解除を可能にする」と力説した。結びで、米国に恩を感ずる「古いヨーロッパ」という言葉を使うと、議場に拍手が起きた。議長役のフィッシャー独外相(当時)は、「安保理では拍手はいけません。今日がバレンタインデーでも」と、満面に笑みを浮かべて議場を静めた。この瞬間、国連安保理の場で、武力行使を急ぐ米英の孤立は明らかとなった。日本の国連大使は、どこまでも米国を弁護する孤立した姿をさらした。「もっと査察を!」(武力行使反対)の声は、国際社会の大勢だったのである。
  翌2月15日(土曜)、米国や欧州など、世界各国で1000万人が街頭に出て、武力行使反対を訴えた。ロンドン100万、ローマ300万、マドリッド200万、ベルリン50万という空前のデモが世界各地で行われた。ニューヨーク38万、サンフランシスコ25万、ロサンジェルス10万というのもすごい数字である。

  しかし、ブッシュ大統領は、「ゲームは終わった」と軽口をたたいて、武力行使の道を選択した。やがて、イラクに「大量破壊兵器」が存在していなかったことについて、米国政府自身も認めざるを得なくなった。北ベトナム爆撃の口実を作った「トンキン湾事件」(1964年8月)と並ぶ「稀代の大嘘」となった。

  04年1月に小泉首相は自衛隊の部隊をイラクに派遣した。「復興支援活動」というが、そもそもイラクに「復興」を必要とする悲惨な状況を作ったのは誰なのか。フセイン大統領の独裁政権は、北部のクルト人に残虐な仕打ちをしてきた。「大量破壊兵器」保有の疑惑も存在した。91年湾岸戦争で多くの犠牲者を出し、国民生活はどん底だった。経済制裁で薬品や食料が不足し、多くの子どもたちが死んでいった。その疲弊したイラクは、歴史と伝統のある中東有数の国であり、国連創設時の51カ国の一つである。1986年6月のサッカー・ワールドカップのメキシコ大会に出場。グループBで最下位ながら、対ベルギー戦で1点を入れている。国内には、フセイン政権に反対する運動もある。
  自衛権行使の要件もクリアしないのに、最新兵器の展示会のような過剰な武力の行使によって崩壊させ、悲惨な無秩序状態を作りだした張本人は誰か。「侵略の定義」(1974年国連総会決議3314)に当てはまることを公然と行ったのは、米国ブッシュ政権であった。
  その後、総選挙が行われ、米国の後押しする臨時政府ができたものの、「傀儡政権」としてこれを認めない人々がいる限り、武力抵抗闘争がおさまる気配はない。外国の武装勢力や国際テロ組織もイラクに入り、民衆のなかに充満する怨嗟と怒りを養分として、活動の場を広げている。占領に抵抗する人々から見れば、協力者はすべて「鬼畜米英の手先」とうつる。当然、攻撃対象となる。
  すでに米軍の死者は2500人に達した(06年6月15日国防総省発表)。毎日のようにイラク市民が命を奪われている。民間プロジェクト「イラク・ボディ・カウント」が開戦から続けている死者数カウンターには、最大42900人という数字が並ぶ

  イラク特措法で派遣された陸自「復興支援群」は、宿営地サマワで、「自らを衛る隊」に徹して、この2年半、死傷者も出さずに撤退することになった。しかし、「鬼畜米英」とともに占領に参加した「日本軍」に対するイラク民衆や抵抗勢力の眼差しは厳しく、二人の外交官と人質の日本人が殺されている(なお、外交官殺害は、7.62ミリ固定銃座車両〔抵抗勢力は持っていない〕からの射撃の可能性もある)。
  給水活動にしても、 1リットルに換算したら「世界一高い水」になるだろう。現地の人々にとって、それなりに「役立った」ということをもって、自衛隊派遣の本質的問題が解消するわけではない。小泉首相が選択した、自衛隊派遣というブッシュ支持の方策は、イラクに対する侵略戦争と違法な占領統治への加担行為と評価されざるを得ない。「自衛隊の国際政治的利用」を外交カードとしたい政治家たちや、これに便乗して「普通の軍隊」を目指す高級幹部。イラクで実際に活動したのは、饒舌な政治家や高級幹部たちではなく、自衛隊を「職場」として選択し、与えられた任務を誠実に果たす寡黙な陸曹クラスの隊員たちであった

  陸自撤退の影で見えにくいが、実は、空自の活動はむしろ拡大されつつある。6月20日、額賀防衛庁長官は、イラク特措法に基づく実施要項を変更。空自イラク復興支援派遣輸送航空隊(隊司令・西野厚一佐以下200人)の活動実施区域として、新たにバグダッドの多国籍軍司令部施設を加え、部隊を改編(10人増員)した。これで、バグダッド飛行場などへの米軍の人員・物資輸送を行うわけだ。バグダッドは「非戦闘地域」とは言えない。サマワに籠もる「象徴」的活動を実施した陸自「撤収」の影に隠れた、米軍協力の実質的「拡大」にほかならない。海外派遣恒久法への布石とも言えるだろう。なお、この写真はイラク派遣輸送航空隊の隊員が使用したものである。

  なお、政府は「撤収」という表現を使ったが、各紙6月20日付(自衛隊の準機関紙『朝雲』のみ22日付)を見ると、『朝日新聞』と『毎日新聞』が「撤退」、『読売新聞』と『朝雲』が「撤収」という言葉を使っている。『毎日』6月26日付コラム「発信箱」によると、「撤退を決定」と報じたことに対して、「毎日は『退』という字を用いて敗北感を強調し、自衛隊をおとしめている」という批判が届いたそうだ。毎日コラムは、撤退と撤収はどんな辞書を引いても同義であり、外国軍隊のイラクからの引き揚げを『毎日新聞』は「撤退」と表現してきたという。そして、こうした声に対して、国会質問で、「軍人を侮辱する言辞」があったとして問題になった69年前の状況を挙げて、防衛庁が「自衛隊を侮辱する言辞」に目を光らせる時代でなくて幸いだ、と皮肉っている。これはやがて、皮肉にとどまらなくなるかもしれない。

  そこで思い出したが、旧日本軍は、「撤退」と言わずに「転進」という表現を使った。「撤収」を使う現在の政府の発想のなかに、60年以上前の「転進」に近い発想はないか。 陸上自衛隊は「撤収」させるが、航空自衛隊の輸送部隊は、米軍兵士や物資を戦闘地域にも輸送する。防衛庁長官が実施要項の変更でもって、イラク特措法という臨時的法律の枠を超え、すでに新たな活動を展開しはじめたのである。陸自の象徴的な活動に比べれば、戦闘地域への米軍兵士や物資の輸送は、まさに戦闘行動と一体不可分の行動である。かつては「撤退」を「転進」といってごまかしたが、今度は「撤収」という形をとりつつ、部分的に、戦闘地域での軍事活動の質的強化ないし新展開をはかりつつあると言ってよいだろう。「撤収」と見せかけた、戦闘地域への「前方展開」である。これが国会における議論もなしに、実施要項の変更で実務的に進んでいく。ここに大きな問題がある。
  先崎一統合幕僚長は、「今回の活動を通じて得た成果の一つは、有事に近い体験を数多くの隊員が経験できたことで、今後の組織にとって非常に大きい」(『読売新聞』6月21日付)と述べている。政治や外交の世界に、軍事思考が確実に浸透している。これが「普通」になりつつある

  かつて石橋湛山(戦後7人目の首相)は、2.26事件(1936年)のあと、急速に軍国化が進むなかで、次のように述べた。「今日の我が政治の悩みは、決して軍人が政治に干与することではない。逆に政治が、軍人の干与を許すが如きものであることだ」(『石橋湛山評論集』岩波文庫)。饒舌な政治家や背広を来たエリートたちの、対米一辺倒の「軍事思考」は危ない。その意味で、湛山の言葉は教訓的である。

トップページへ