権力者が改憲に執着するとき  2007年4月16日

ジモリ(ペルー元大統領)、ルカシェンコ(ベラルーシ大統領)、プーチン(ロシア大統領)、オバサンジョ(ナイジェリア大統領)、ムバラク(エジプト大統領)、安倍晋三(日本国首相)。これらの人々に共通することが一つある。それは、改憲により権力基盤を強めようと試みていることだ。そして、その多くが、自らの任期延長のための改憲に手をつけている(安倍首相だけが「人気延長」)。

  そもそも任期とは何か。「期間を限って一定の公職に選任された者がその地位にある期間」である。選挙という一定のサイクルで有権者のコントロールを働かせて、権力の私物化や腐敗を防止しようとする設計である。一定の当選回数を理由に、立候補を禁ずる。これは純粋に民主主義原理からは説明できない。3選以上は権力腐敗が進行する可能性が高いという政治的経験則をもとに、権力腐敗と濫用を抑制するという立憲主義の観点から説明するほかない。立憲主義の核心は権利保障と権力分立にあり、権力の制限とチェックが要請されるからである。アメリカ合衆国憲法修正22条は、「何人も2回をこえて大統領の職に選出されてはならない」と定める。また、27の州で知事の3選を禁じている。中南米の諸国では、独裁政権が相対的に多いということもあって、大統領職の2期連続就任が禁じられてきた。ペルーの旧憲法も2期連続を禁止していた。「人気があっても任期で辞める」という制度設計は合理的である(この下りは『国公労調査時報』2004年12月号所収の拙稿参照)

  ペルーの日本大使公邸人質事件で有名になったフジモリ元大統領。この「直言」第1号を 、「日本大使公邸人質事件」で始 めたので、よく覚えている。 フジモリは「テロ撲滅」を理由に強権政治を行い、民間人殺害の疑いで、ペルー当局から訴追されるに至った。逃げるように日本にやってきて居座り、その政治生活の終わりは惨めなものだった。フジモリが大統領時代にやったことの一つに、大統領任期の延長がある。彼は92年に憲法を停止し、93年末に新しい憲法を制定した。新憲法では、連続再選が一度限りで認められることになった。2期目に入ったフジモリは、「現行憲法公布以前に始まった大統領の任期は、憲法の大統領再選規定に該当しない」という「真正憲法解釈法」(1996年)を制定させ、実質的な3選を狙った。野党は「3選出馬は憲法違反」と反発。憲法裁判所に提訴した。国会は、違憲の主張を貫いた判事3人を罷免。憲法裁判所は機能停止に追い込まれた(『朝日新聞』2000年2月25日付)。3選禁止規定は、権力の「うま味」と「甘味」を知ってしまった大統領には、邪魔な存在となった。

  「欧州最後の独裁者」といわれるベラルーシ(旧白ロシア)共和国のルカシェンコ大統領。1996年、最高会議(議会)との対立から、国民投票によって憲法を改正して最高会議を廃止。その上で、二院制の議会を新設し、大統領に権限を集中する一方、大統領任期を2年間延長した。その2期目の任期が切れる2004年10月、憲法の3選禁止規定を削除する憲法改正国民投票を実施した。中央選管は投票率89.7%、賛成票86.2%の「圧倒的な賛成で承認された」と発表したが(『朝日新聞』2004年10月19日)、ベラルーシの独立系団体の「出口調査」によれば、改正賛成は48.4%にとどまったという(共同通信10月19日付配信)。2006年選挙でルカシェンコは3選。その任期満了時には17年の長期政権となる。自分の息子を要職に登用。「世襲」を狙っているという観測もある。

  ロシアのプーチン大統領は、2008年3月で任期を終えるが、憲法の3選禁止規定がうざったいようだ。これを改正するには、上下両院の3分の2以上の賛成が必要である。上院は大統領の任命なので、問題は下院である。下院の選挙結果を重視したプーチン政権は、3月11日に行われた14の地方議会の選挙で勝利するために、かなりの無理をした。地方選管が票の操作を露骨に行い、モスクワ州議会選では、野党の得票が、ある投票所では74票から2票へと改ざんされていることが明らかになった。これを報じた新聞は「改憲・プーチン3選へ手段選ばす!?」と見出しを打った(『東京新聞』2007年3月25日付)。野党の選挙登録の排除や、選挙の公正を求める中央選挙管理委員3人の解任など、かなりの荒療治に発展しているという。

  アフリカのナイジェリアでも同じようなことが起きている。オバサンジョ大統領は2期目だが、憲法の3選禁止規定が邪魔になってきた。そこで、3選禁止規定を撤廃する改憲案を出した。憲法改正には上下両院の3分の2の多数が必要である。2006年5月16日、上院(109人)は賛成少数で、改憲案を否決し、3選禁止規定は残った。その直後、オバサンジョ大統領は、2007年5月をもって引退することを表明した(『朝日新聞』2006年5月19日夕刊)。オバサンジョの場合は、両院の3分の2以上という加重された手続が、権力者に対する抑止効果になった一例といえよう。

  さて、エジプトのムバラク大統領の場合は、超・長期政権なので、3選禁止規定は問題にならない。任期問題はいまは昔である。むしろ、反対政党の抑圧が関心事である。この3月、エジプトで憲法改正国民投票法が成立した。政府は3月27日に、前日の26日に行われた国民投票において、憲法改正案が75.9%の賛成で承認されたと発表した(『東京新聞』2007年3月28日付)。だが、国民の関心は低く、投票率は27%にとどまった。独立系の人権団体によると、この数字すら水増しされている可能性があり、実際には6〜9%の投票率だったと推定している。改正のポイントは、宗教政党の禁止と大統領の権限強化だった。最大野党のムスリム同胞団の弾圧が狙いとされている。最低投票率が定められていないと、10%に満たない賛成で憲法が変えられてしまうということが、先月、エジプトで起きたわけである。

  そこで、安倍首相である。日本は議院内閣制なので、上記のような大統領制の国々と同じには議論できない。安倍首相の場合は、任期延長のための改憲ではなく、祖父の想いを受け継ぎ、自らの評価(人気)をあげることに執着しているようにもみえる。ただ、自民党総裁任期を延長するという「禁じ手」はありうる。日本は、「総理・総裁」という言葉があるように、与党の総裁任期が、首相としての存続期間に連動する奇妙な国である。ただ、権力絶頂期の小泉前首相ですらやらなかったことを、安倍首相がやることはまずない。日本では、権力者の「任期」ではなく、憲法改正手続のハードルを下げることに主眼が置かれているのが特徴かもしれない。

  自民党の「新憲法草案」(2005年10月28日公表)は、 96条で「衆議院又は参議院の議員の発議に基づき、各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を経なければならない」としている。日本国憲法96条の「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」と比べると、衆議院だけでも発議できること、「総議員の過半数」にハードルを下げたことがわかる。発議主体と発議要件を緩和して、憲法改正を容易にしたいという気持ちが滲み出ている。
   なお、憲法96条については、国会が憲法改正を「発議」する前提として、原案の「発案」を誰がするかという問題もある。各議院の議員に発案権があることは疑いない。問題は内閣に発案権があるか否かである。憲法96条には内閣に発案権があるという明文の規定がない。学説上、これを認めるものもあるが、あまり積極的な理由づけからではない。むしろ、「一見、議論の実益のない問題に見えるが、内閣総理大臣および国務大臣たる者の、その資格における憲法尊重擁護義務の内容にかかわる点では、重要なちがいをもたらすものとなりうる。憲法改正という最も重要な場面での憲法条項の沈黙は、内閣の発案権を否定するものと解する」(樋口陽一『憲法』創文社)とするのが妥当だろう。憲法が何も規定していないことは、ある程度自由に決めてよいという方向で考えるべきではない。憲法自身の改変を誰に「発案」させるかは重要事項であり、内閣を具体的に挙げなかったことは、内閣には発案権を認めていないと理解するのが妥当だろう。

   だが、3月29日の憲法調査特別委員会では、内閣発案を否定するニュアンスの保岡興治筆頭理事と、肯定的な意見を述べた塩崎官房長官との間で、微妙な認識のズレが生じていたという。そのことを、辻元清美議員が連載コラムで紹介している(「永田町航海記」『週刊金曜日』4月6日号)。『朝日新聞』4月14日付の改憲シュミレーションのなかで、官房長官が、内閣が改憲原案を国会に出せばと進言したところ、「そんな手があるのか」と首相は目を輝かせた、とある。実際の話ではないが、自分の人気が急速に落ちているからこそ、「自分の任期中に憲法を改正したい」と執念を燃やす安倍首相ならば、かなり「想定内」の話ではある。


  いま、この国で、憲法改正がそんなに緊急の課題なのだろうか。その点で、『読売新聞』の最近の世論調査は興味深い(同紙2007年4月6日付)。この調査では、「日本国憲法を評価する」という意見が85%に達した。「〔日本国憲法が〕日本に平和が続き、経済発展をもたらした」とする者が87%である。では、憲法改正についてはどうか。「憲法を改正する方がよい」は46%で、昨年調査より9ポイント減少した。「改正しない方がよい」は39%で7ポイント増である。この世論調査で、憲法改正派が10年ぶりに50%を下回ったことについて、『読売』は、「自民党は国民運動で合意形成を」とハッパをかけている。同日付社説も「『改正』へ小休止は許されない」と、改憲賛成の意見が減ったことに焦りをつのらせている。それにしても、自民党支持者にも改正派が昨年比で10%も減ったこと、安倍内閣を「支持する」と回答した人の34%が「改正反対」と答えていることをどう見るか(なお、それ以前に「憲法○条改正」ではなく、いまだに「憲法改正」の賛否を問う世論調査の問い方に問題もある)。

  国民投票法案については、NHKが4月9日に公表した世論調査も興味深い。それによると、国民投票法の与党修正案について「賛成」は29%、「反対」が24%、「どちらともいえない」が40%だった。「今国会で成立させるべきか」を問うたところ、「成立させるべきだ」が28%だったのに対して、「今の国会にこだわらずに時間をかけて議論すべきだ」が71%という数字だった。性急な憲法改正に慎重な意見は、6、7割とみてよいだろう。ちなみに、イラク特措法の延長については、「賛成」17%、「反対」45%、「どちらともいえない」32%で、「延長ノー」が有力である。

  安倍首相の「お目々キラキラ、改憲一直線」の路線には、改憲賛成派のなかからも、「これは、ちょっと…」というためらいが出てきたのではないか。そういう時に危惧されることが一つある。それは「重大事件」ないし「緊急事態」が起こる(あえていえば、「起こされる」)ことである。これから参院選までの間は、何が起きても不思議はない。新聞の一面トップに「お目々キラキラ」首相が 、リーダー顔で躍り出るような「サプライズ」。「9.11」前のブッシュ大統領の自信のない態度と、その後の豹変ぶりとが重なる。その意味で、「イラク特措法」延長「米軍再編法」「海外派遣恒久法」など、安倍内閣が妙に急いでいることも、 ブッシュ政権が北朝鮮に異様なほどの「寛容」を示しているのも、イランを主ターゲットにしたことと無関係ではあるまい。あるいは、東アジアの緊張を一気に高める「サプライズ」 も、か。


   ここで、 「改憲」というテーマからは外れるが、 書き残しておきたいことがある。 それは、先々週の4月2日が 「フォークランド紛争」25周年だったことである。いま、なぜフォークランド紛争なのか。この日、日本のメディアでは扱いは小さかったが、ヨーロッパのメディアではけっこう触れられていた。いろいろな意味で、教訓的だからだろう。
   いまから25年前、イギリスから12000キロ以上離れたフォークランド(マルビナス)諸島に上陸したアルゼンチン軍を駆逐するため、イギリス空母機動部隊がはるばるやってきた。イギリス政府部内ですら、まさか戦争になるとは誰も考えていなかった。だが、サッチャー首相一人は、断固として戦争の道を選択した。その結果、1982年4月2日から6月14日までの74日間の戦闘で、イギリス軍255人、アルゼンチン軍649人、島民3人の命が失われた。

  「必要ならば戦争を起こす」のが権力者である。実際、誰も戦争になるとは思っていなかった。前線で対峙していた両軍の兵士も同じだった。だが、戦闘が始まり、死傷者が続出するにつれて、「まさか」という驚きから、焦燥感と絶望感が広がっていった。両国内では、戦争の展開のなかで、異様な熱気に包まれた。そして、イギリスが勝利すると、サッチャー首相の地位は不動のものとなった。ドイツのある論説は、「鉄の女の偉大な勝利」という見出しで、「フォークランドなくしてサッチャー主義なし」と書いている(Die Welt vom 2.4.2007)。1997年のブレア政権誕生まで、イギリスにおけるサッチャー主義の改革(「ゆりかごから墓場まで」の社会福祉を切り捨てていく新自由主義的改革)は、この戦争での勝利がなければできなかったという。
   戦争に向かう前 、人々は理性を失う。 ときには熱狂で、ときには諦めで 。そして 、たくさんの人の死がもたらされ、メディアを含めて、戦争が一段落すると反省モードに向かう。 その際、 「必要な戦争だった」というときの「必要性」は、そのときの権力者が自らの権力を強める「必要性」ということがある。これは歴史を眺めれば、無数の事例が確認できる。議会がイラク撤退法案を可決し、世論もまた70%が撤退を求め、ブッシュ政権の対外政策に批判的になるなかで(Foreign Affairsの調査。Die Welt vom 5.4) 、国内世論の「熱狂」と「統合」を効果的に創出するための新たな「サプライズ」の必要性が高まっている。

  そういうとき、東京都知事選挙で、9条改憲に異様な執着を見せる人物が3選した。野党は、「『最善』を選んで『最悪』を招くより、『次善』に集結して政治を変える」(山口二郎の政治時評『週刊金曜日』2007年4月6日号)ことができなかった。深刻な総括と議論が求められる。そして、先週4月13日、国民投票法案が衆議院を通過した


付記:韓国のノムヒョン大統領が改憲を一時試みたのは、自身の重任を可能にするというものではないようである。現在、大統領任期5年、国会議員任期4年であり、それぞれ異なる年に選挙が行われるため、「与小野大」現象がおきやすい。そこで、大統領任期を4年にして、国会議員と同時に選挙できるようにすることで、安定した政権運営をはかるとともに、選挙コストの削減をはかるというところに主眼があったようだ。それゆえ、ここに挙げる例としては適切さを欠くと思われるので、韓国関係の記述をすべて削除することにした。ご理解をたまわりたい。

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