カンボジア美容ボランティアのこと  2007年4月30日

「国境なき医師団」のことはよく知られている。私もささやかながら支援を続けている。「国境なき技師団」というのもある。 そして 最近、「国境なき美容師」ともいえる活動があることを知ることになった。

  カンボジアのシェムリアップ(プノンペン北西250キロの町。世界遺産「アンコールワット」の観光拠点)に、「アンコール小児病院」を建設し、援助を継続している団体がある。 ニューヨーク在住のアーティスト・写真家の 井津建郎氏が中心になってはじめた活動で、“Friends without a border”という。これに、同じくニューヨーク在住28年の美容師・南田稔さんが協力。小児病院や孤児院などで子どもたちのヘアカットをする活動を毎年続けている(3年前に新聞に紹介されている)。「たかが美容師、されど美容師への転換」がモットーのようで、若い美容師に参加を呼びかけ、問題意識のある人を審査して採用しているそうである。 この美容ボランティアにはリピーターが増えてきたので、最近では競争率は10倍という。

  そのカンボジアには大変な歴史がある。ちょうど32年前の1975年4月17日。クメール・ルージュ(ポル・ポト派)がプノンペンを「解放」した。だが、それからの約4年間、カンボジアでは大量虐殺が行なわれ、全土が 「キリング・フィールド」(Killing Field)と化した。カンボジアが死刑廃止条項をもつ憲法を制定したのは1993年。その後、国際社会の援助もあって、少しずつ復興していく。私は2001年春に訪れたが、ツールスレン収容所(S21で見たものは、いまも生々しく蘇ってくる。武器縮減の活動をする団体国連人権高等弁務官事務所の活動などを知ったこともあり、カンボジアの「その後」はずっと気になっていた。そんなおり、たまたま美容雑誌の広告で南田さんの活動を知って応募し、この2月にカンボジアに行った一人の美容師の話を聞いた。

  彼女は現地に行って、大人が少なく、子どもばかりであることにまず驚く。衛生状態のひどさは 想像以上で、物乞いの子どもたちが寄ってくることに心をいためた。それでも、「カットのやり方を教えてくれという子もいるし、バリカンの使い方なども真剣に習おうとする。アメをあげると一人でなめないで、しばらくなめてから、それを兄弟の口の中に入れてあげていたので、助け合って生きているんだなと思った」という。
   彼女のグループは、3日間連続で、病院や孤児院でヘアカットをやった。1日6時間。40人くらいが並んで順番を待っている。一人せいぜい10分くらい。「頭はシラミがいっぱいという子も。見たこともないカナブンみたいな虫が何匹も頭皮に張り付いた子どももいた。虫をソーッとよけて、髪だけカットした」とも。

  彼女いわく。「日本なら、流行のスタイルなどはテレビ・雑誌などでイメージできるけど、カンボジアでは女の子はおかっぱのロングヴァージョンで、きれいに整っていればいいという感覚。でも、軽さのあるスタイルを求める子もいる。情報が広がっていけば、髪形の注文も増えてくると思う。笑顔で『ありがとう』といってくれる。日本でヘアカットして、こんなに感謝されたことはない。みんな笑顔がとても素敵だった。だから、この子たちをもっともっと可愛くしてあげたいと思って、心をこめてカットした」という。

  この美容ボランティアの活動には条件がある。渡航費、滞在費はすべて自分持ち。約束の時間に現地集合。一定金額を寄付し、共通経費 も負担する 。それに加えて、現地にいろいろなものを持っていく。彼女はペン、リコーダー、フリスビー、ハブラシ 、タオルなどをスーツケースに詰めた。だが、エコノミークラスの機内持ち込み重量をオーバーしてしまい、追加料金はかなりの額になる。そこで、比較的軽いハブラシを大量にスーツケースにつめていた。服や化粧品などよりも、ハブラシの方が多い。まるで行商のような出で立ちで、カンボジアに向かった。「行く前は、こんなものもなくて、かわいそうと思ったけど、その国なりの生活があることがわかってきた。多額のお金は人の心を変えてしまう。外から余計なことをしすぎてはいけないということもよくわかった」という。

  彼女は、シェムリアップで、小児病院建設に中心的役割を果した井津氏と一緒に食事をしたそうである。彼女いわく。「世界の子どもたちの写真を撮っている有名なカメラマンなんだよ。その人がずいぶん前にカンボジアにきたとき、親子と話をしている、まさにその最中に、その子どもが目の前で死んでしまった。それで、何かできることはないかということで、病院を建てることを考えついたんだって」。そして彼女は続ける。「平和って何だろう。戦争がなければいいのか。『地雷がある国』の平和って何だろう。地雷博物館に行き、こんな残酷なものがまだたくさんあると知って、とても驚いた」。
   最後に、彼女は話をこう結んだ。「髪をカットしてもらうと、誰でも微笑む。髪をカットして『ありがとう』といわれると、思わずこちらも微笑んでしまう。貧しい国、地雷のある国に行ったのに、心はとても安らかになったよ。日本に帰ってから、カンボジアの子どもたちの笑顔を思い出すたびに、仕事中でも笑みがこぼれてしまう。『おい、何、にやけてんだよ』とお店の人にいわれるほど。カンボジアって、本当に『微笑みの国』だと思ったよ」と。

  以上が、「国境なき美容師」に参加した人から聞いた話だが、実はこれは、私の娘の体験である。娘のことは、8年前の「直言」で触れたことがあるが、昨年11月、彼女が突然、カンボジアへ行くといいだした。あまりに唐突だったので驚いた。娘がニューヨークの南田さんにメールを送ったところ、幸い参加を許可するというメールが届いた。でも、かの国の歴史の勉強などはすべて後回し。私の「直言」も横目でみるだけ。それでも、インターネット検索や関係者相互のメールのやりとりによる情報交換は熱心にやっていたようだ。とにかく「子どもたちのヘアカットをしたい」という、そのあまり に軽い感覚 に驚きながらも、後日、本人のメールを読み、いろいろと考えているのだということはわかった。
   以下、その応募のメールと、帰国後の感想メール、現地で撮影した写真を、本人の同意を得て掲載する。メールに添付されていた南田さんの返信メールも読ませていただいた。そのアドバイスの適切・的確なことに感銘を受けた。美容の世界で働く若い人たちが、こういう形で海外に出て、頭で考えるよりも先に、指(ハサミのこと)が動き出すというのも、すばらしいと思った。 ヘアカットを通じてその国の文化や歴史や生活にも触れ合っていく。これも勉強なのだと感じた。この活動を続けている南田さんのご努力に敬意を表したい

 

カンボジア・アンコール小児病院ボランティア活動実行責任者 南田稔 様

2006年11月27日

こんにちは。「しんびよう」の募集欄を見て応募させていただきます。
   私は美容師歴5年目になります。元々美容師になった理由が有名なカリスマ美容師になりたいというのではなく、人のために自分も何かやりたいと思ってなりました。

  高2の時、親の仕事の都合で、1年間ドイツに住んでいました。インターナショナルスクールに入学して、色々な国の人と友達になりました。言葉の壁がこんなに高いなんてと、すごく辛い時期もありました。でも、言葉はなくても笑顔だけでみんなも笑顔になるということを感じました。そこから言葉をだんだん耳から覚えていき、3か月たつころには、お互いの国のことや、プライベートなことなどを話せるようになりました。アフリカやイスラエルなど、国内事情が厳しい国の子とも仲良くなり、今まで知らなかったそれぞれの国の実情もたくさん知りました。国連で働いている人たちとも親しくなり、そのうちの一人は東ティモールに選挙監視団として行きました。

  そんな環境にも恵まれて、私は平和について深く考えるようになりました。父の仕事の関係で、よくカンボジアのことも聞いていて、私にも何かできることはないだろうか、と考えていました。日ごろの営業のなかでのお客様との会話を通じて、「ありがとう」という言葉の意味を日々感じています。営業なのでどうしてもお金はいただきます。でも、それよりも心から喜んで帰っていかれるお客様を見ていると、こんな自分でも、こんなに人を笑顔にすることができるんだ、と思うときがあります。お金をもらわなくたって、人を笑顔にできる特技をもっといろんな人にしてあげたい。そう思い、自分の腕を磨きながらボランティア団体を探していました。

  ケニアの友達のつながりで、ケニアに行く話もあります。でも、今回、美容師として行けるという募集を見つけて、すぐに親やお店のオーナーに話しました。私の夢がこのような活動をすることだと知っている両親やオーナーは、危ない場所と知りつつも、許可をくれました。私は、カンボジアの子供たちに笑顔をあげにいきたいです。

  日本に住む私は、毎日危険を感じながら生活をしたことはありません。目の前で家族をなくすことすら想像できません。体の一部をなくしたらどうなるのかも想像できません。それだけ私たちは平和すぎる毎日を送っているのではないでしょうか。こんなに幸せなのに、さらにまだ欲をだします。液晶テレビに変えよう、今日は贅沢して焼き肉に行こう、新しい洋服が欲しい…。でも、ふと外を見れば、物欲よりも普通の幸せが欲しい、あしたは誰も怪我をしませんように、と願う。そんな人たちのために、私にも何かできないでしょうか。髪を切ることしか特技のない私ですが、笑顔を与える自信はあります。ぜひ私にもこのボランティア活動に参加する機会を与えていただきたいのです。どうぞよろしくお願いします。

 

南田稔 様

2007年3月4日

  お久しぶりです。お元気ですか?レポート遅くなりました。すいません。
   この度はとてもいい経験をさせていただきました。帰国してそのままの足で仕事に行き、それから毎日会話ネタはカンボジア(^0^)帰国してから、世界の平和とはなんだろうと新しい自分のテーマとして考えています。

  私はボランティアというものを、カンボジアに行くまで「困っている人々のためにしにいくもの」「元気を与えたい」等とかんがえていました。でも現地に行って少しかわりました。「元気」は、人それぞれ色々な元気がある。いくら貧しくったって、みんなすごくキレイな笑顔を持っていた。日本人の感覚だけで見てしまうと、全てがかわいそうに見えてしまう。もちろん環境は悪いし改善していくべきだと思います。しかし、その状況が普通の生活になっている彼らなりの幸せな時間というのが見えました。孤児が多い理由、国が発展できない理由…。全ては戦争という憎むべきものから始まって、戦争が終わった今でも心や体に傷を負いながら一生懸命生きている。でもその中で彼らの目はほんとにきれいでした。
   その目を見て思いました、ボランティアだからといってやりすぎてはいけないのではないかと。私たちボランティアはあくまでも外国人。その国の困っているところは世界中で助け合わなければならない。でも、何でも与えすぎてしまうとよくないのではないでしょうか。ボランティアというのは手を差し伸べて、手助けをしたら後は自分達の力で進んで行く。それがその国の力となり、自分たちで大きくしていけると思います。

  人間生まれたときの第一声は「ラ」の音で、世界共通だそうです。私もあの子供たちも同じように生まれてきたのになんでこんなにも育つ環境が違うのだろう、神様が人間を作ったというのなら、どうして私は日本人に生まれてきたのだろう…。 でもこの旅で少しわかりました。私は普段何不自由ない生活をしています。彼らも彼らなりの生活をしています。でも、彼らが困っているとき自分は手をさしのべることのできる物や技術を持っています。世界各国、それぞれその国での幸せというのは必ずあるとおもいます。でも困っていたら「スッ」と手をさしのべられる世界になればいいなとおもいます。

  孤児院でリコーダーを吹いてみたり、折り紙を折ったり、たくさん遊びました。ほんとに普通の、無邪気な子供たち。「NAHO大好き」と、あげたペンと紙を使って書いてくれたり、みんなに囲まれて歌を教えてあげたり。ほんとに言葉ではなく心で会話をした気がします。
   足のないお母さんの髪を切ってくれないかと時間ぎりぎりに頼まれて、その子の部屋に行きました。初めて目の前に足を失った擬足のない人を見て、とても悲しかったです。でもそんな風な目では見てはいけないと思い、得意のお笑いテンションでみんなを笑わせてきました。「私たちは友達ね」と言われ、すごくうれしかったです。でもほんとに地雷が憎く感じました。地雷博物館に行ってたくさんの地雷を見てこれでもまだまだ撤去するのに100年以上かかるくらいの量残っていると思うと背筋が凍りましたあの地雷がこの国の人々を苦しませ、悲しい思いをさせているのですよねほんとに許せない。戦争なんてしなければこんな現状になってないのに。少しでも早く安心して暮らせる国になってほしいです。次回は地雷撤去の手伝いもしたいです。あの素敵な笑顔をいっぱいにしたいです。

  今回参加させていただいたことによって、美容師というのは世界共通であることを実感しました。それ以外にもほんとにたくさんのことを勉強させていただきました。来年も是非参加させていただきたいです。今度はもっと面白い芸を子供たちに披露して、笑顔に満ちた時間を共有したいです。
   ほんとうにどうもありがとうございました!

  南田さんによると、この美容ボランティアは、現地病院の年間行事のなかで大きなイベントの一つになっているという。「…継続的にボランティアに行かれると、いろいろな角度から見ること、感じることが出来ると思います。頭でなく身体で『ボランティアとは何か』を自然に自分の言葉で話せるようになれると思います。また、来年カンボジアでお会いできることを楽しみにしています。…」と、返信メールの末尾にあった。

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