総裁選ではなく、直ちに総選挙を  2008年9月8日

月は台風上陸のほか、永田町にもよく嵐がくる。参議院が郵政民営化法案を否決するや、間髪を入れず衆議院を解散した小泉首相。あの「9.11総選挙」から3年がたった

  思えば、「三木おろし」も、32年前の9月だった。
   田中金脈問題などで国民の批判を浴びた自民党は、「クリーン三木」を総裁に選んだ。これは異例中の異例。なぜなら、三木武夫は、保守合同(1955年)前は小政党の国民協同党の出身で、自民党主流派にはなりえない。その三木が選ばれたのは、椎名悦三郎副総裁の決断(「椎名裁定」)で、田中内閣崩壊後のワンポイント・リリーフとしての利用価値からだった。だから、ほとぼりがさめたら、すぐに取り替えるということで、各派閥は「椎名裁定」に従ったわけである。
   ところが、首相になるや、三木は、政治資金規制法強化や防衛費GNP1%枠、「武器輸出三原則」強化など、財界や官僚からも嫌がられる施策を次々に打ち出していく。「専守防衛」政策も三木内閣のときの産物である。メディアも「クリーン三木」を持ち上げた。
   そこで、倒閣の動きが起こった。自民党の国会議員277人(!)が「挙党体制確立協議会」をつくり、三木首相に退陣要求を突きつけたのである。三木は衆院を解散しようとするが、解散証書に15人の閣僚が署名しないという異常事態が起きた。1976年9月10日(金)のことだった。大学院修士課程に入った最初の夏休みだったので、鮮明に覚えている。閣僚たちが首相に抵抗するさまは、息を呑んだ。この署名拒否閣僚のなかに、安倍晋太郎農林大臣と福田赳夫経済企画庁長官も含まれていた。

  憲法上、内閣総理大臣は、「任意に」国務大臣を罷免できる(憲法68条2項)。15人全員を罷免して、新たに閣僚を任命し、衆院を解散することもできたが、三木はそれをしなかった。結局、9月15日(水)に内閣改造を行い、3カ月後に任期満了解散(1976年12月)になる。この選挙で自民党は敗北し、責任をとる形で三木は退陣した。三木は「議会の子」として知られ、閣僚罷免による衆院解散という方法を控えたといわれている。少なくとも三木の場合には、国民の批判を受けたために辞める、党内の圧力に対してではない、ということがいえたわけである。

  この時、三木内閣の官房副長官だったのが、三木の弟子筋にあたる海部俊樹だった。17年前の9月30日(月)、「政治改革」法案を与党が、海部首相の与り知らないところで廃案にすることを決めたため、海部は「重大な決意で臨む」と発言した。首相が「重大な決意」といえば、永田町ターミノロジー(用語)では、衆院解散を意味する。半日ほど永田町は色めき立ったが、最大派閥の竹下派が海部不支持を打ち出し、結局、海部は衆院解散をすることもできず、総辞職した。「海部おろし」である。
   当時、私は「師匠」と「弟子」のスケールの違いを思ったものである。「師匠」三木は、弱小派閥ではあったが、首相の地位と権限を熟知していたため、ギリギリまで抵抗した。「三木おろし」は、一度首相になると、本人が辞めるといわない限り、外部から辞めさせることは困難だという教訓となった。それだけ、首相の地位と権限は強力なのである。このポジションに就く人はもっとそのことを自覚してほしいと思うような出来事が、この2年間で連続して起こった。

  2006年9月20日(水)、安倍晋三が自民党総裁に、3年の任期で選出された。郵政民営化問題で小泉が「ぶっ壊した」自民党の総裁選は、2割の党員が離党をするなか、前回の5分の4の有権者で行われ、安倍を総裁に選んだ。その後、イデオロギー過多の政治手法と強行採決のオンパレードで、教育基本法改正憲法改正手続法などが成立した。そして、2007年9月12日(水)、突然の辞意表明により、安倍内閣は瓦解する。安倍の逃亡のあとに「総理・総裁」になった福田康夫は、いやいややっていることが、顔にも態度にも正直に出てしまうのが特徴である。そして、発足から1年もたたない9月1日(月)、内閣を放り出した。

  「背水の陣・内閣」は逝った。「在任8197時間10分」(『週刊文春』9月11日号のカウント)。いまわの際は「安心実現内閣」と自らを名乗ったが、「不安実現内閣」でしかなかった。
   かつての「三木おろし」や、その縮小版の「海部おろし」の頃、内閣総理大臣の存在はもっと重かったように思う。辞めさせたい側と、辞めまいとする側との間で、緊張感に満ちた、凄まじい駆け引きが行われた。こうした倒閣運動もなく、野党の攻勢もなく、首相が自ら辞めてしまう。簡単に内閣を投げ出す「癖」がついたようである。

  何よりも問題なのは、「神輿」に乗る人間に、執着心がなくなったことだろう。自民党内の二世議員の割合は51.6%といわれ、首相も二世議員が続いた。安倍と福田はともに「元会社員→地盤を継承→突然辞任」という共通性をもち、「早すぎる出世が、もろさにつながった」という評価もある(『朝日新聞』9月4日付)。そして、一度目は、今にも死にそうな悲壮感を漂わせて投げ出し、二度目はあっけらかんと投げ出した。「歴史上、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として登場する」とはいうものの、生活苦にあえぐ国民にとっては、もう惨劇である。

  私は、安倍晋三の内閣投げ出し直後に「福田内閣の任務は…選挙管理内閣に徹すべきである」と書いた。また、福田総裁の誕生当日、NHKラジオ第一放送「あさいちばん」のニュース解説でも、「福田氏は、国会と国民に謝罪すべきだ」「福田内閣は選挙管理内閣に徹すべきだ」と語った。だが、福田は首相になるや、総選挙を先の延ばしにし、サミットまで主催してしまった。地球環境問題などについて国際的な約束をしたはずなのだが、その主催国の首相が消えてしまった。対外的にも、何とも恥ずかしい。

  それにしても、福田の「辞める理由」には驚いた。「福田内閣メールマガジン」(第46号2008年9月4日)の表題は「ありがとうございました。福田康夫です」。辞任の理由は、「国民の皆さんのための政策をより力強く進めていくためには、新しい体制を整えるべきであると考えたからにほかなりません」という。8月の内閣改造によって「新しい体制」をつくり、「安心実現内閣」としてスタートしたのに、なぜ辞任なのか。まったく理解できない。この人の態度は3N、つまり「投げやり」「泣き言」「暖簾に腕押し」によって特徴づけられる。

  まず、「投げやり」な表情・言葉・態度は際立っている。例えば、北京オリンピックのとき、「せいぜいがんばってください」と「客観的な激励」を行い、選手たちを萎えさせた。「せいぜい」(精精)には「努力の及ぶ限り」「できるだけ」という意味もあるが、「たかだか」というネガティヴな意味に受け取られやすい。特に若者には。一義的で明確な、力のこもった励ましの言葉を、この人に求めても無理というものだろう。
   また、開会式のとき、、選手団が入場すると、その国の大統領や首相は、起立して手を振っていた。この時、座ったままでダラーッとしていたのは、福田首相と北朝鮮の金永南常任委員長の二人だけ。テレビカメラは選手団を映し、次に首脳を映すので、やる気のないこの二人の表情と態度は、世界中の人々にバッチリみられた。

  次に、「泣き言」。これは9月1日の記者会見全体を貫いていた。「次から次へと積年の問題が顕在化してきた」(心中は「小泉・安倍のせいだ。俺は悪くない!」)、「民主党の審議引き延ばしなどで時間がかかった」「ねじれ国会で大変苦労させられた」「(小沢代表に)話し合いを受け付けてもらえなかった」等々。

  そして「暖簾に腕押し」。何も特徴的な政策を打ち出せなかっただけでなく、人々が必死に訴えても、この人は、いつも心そこにあらず。普通、首相になれば、自分がトップである以上、ポーズであってもいい、訴えや要望を聞く姿勢を示すものである。原油高騰で船が出せないとして、日本全国の主要17漁業団体20万隻が抗議の一斉休業に入ったその日、首相は何の言葉も対応もなく、夏休みに入った。漁民は虚しかったと思う。すでに紹介したように、翌日の「福田内閣メールマガジン」の空疎な内容はすごい。何をいっても伝わらない。暖簾ならまだ布だから触れた感触が残るが、福田の場合は「空気に腕押し」である。今までの首相のなかで、この点だけは福田が傑出していたのではないか。それもこれも、政治への執念や情熱がないからである。「平成の枯れススキ」の「再チャンレンジ」の動きもあるが、これも論外だろう。

  マックス・ウェーバーは、政治家の資質として、情熱、責任感、判断力の三つを挙げ、「情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業であり、どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』(Beruf)を持つ」(『職業としての政治』〔岩波文庫〕105〜106頁)。情熱も責任感もない福田は、政治家になってはいけなかった。こんな人物を「総理・総裁」に選んだ自民党は、重大な責任がある。
   端的にいう。内閣投げ出し2回の政党は、もはや「与党」の資格はない。直ちに総選挙をやるべきである。

  重要課題が山積のなか、9月12日(金)にやっと臨時国会が始まると思ったら、またもや自民党総裁選である。1年前の9月と同じである。国会は、審議があってもなくても、かかる経費に変わりはないというから、1日あたり約3億円の税金が、後継首相が決まるまで使われることになる。
   9月1日以降、福田はぶら下がり記者会見すら拒否しているという。まったくやる気を喪失した、「政治的ゾンビ状態」にある首相のもと、まだ内閣は総辞職していない。実質的には、「内閣総理大臣が欠けた」(憲法70条)状態である。通説は、内閣総理大臣の自発的辞職を、この「欠けたとき」に含めて、総辞職に連動すると解釈している。この状態のもとで、何が重要か。連続「内閣投げ出し」という事態を憲法は想定していないが、憲法の基本原則からすれば、国会に連帯して責任を負う内閣として、しかるべき対応が必要だろう。
   例えば、首相が事故で脳死した場合、総理大臣臨時代理(内閣法9条)が置かれる。福田は実質的には「政治的脳死」だから、あえていえば、この事態に近い。のんびり総裁選をやるというのは、一政党の事情である。いずれかの院の総議員の4分の1の要求があれば、臨時国会の召集は必須となる(憲法53条後段)。参議院が臨時国会召集を内閣に要求してみてはどうか。「総理大臣が欠けた」状態でどう対応するか。憲法上、国会の決議だけで自律解散できるとするのは困難だし、総裁選しか頭にない自民党がいま、衆議院の解散をするはずもない。しかし、この事態を、憲法の観点から考えた場合、総裁選まで待つというのはいかがなものか。このままだらだらと総裁選を行うのを許していいのか。野党もメディアもだらしない。少なくとも、野党は一致して、この政治的緊急事態に何かをすべきである。一体、国会はどこへ行ったのか

  メディアの責任も大きい。前回の「直言」では、麻生太郎自民党幹事長の歴史認識を問いながら、のんきに「音楽遍歴」にいそしむ小泉純一郎元首相を批判した。まさか、これを出した当日に福田首相が辞意を表明するとは思わなかった。これから、これらの人物のメディア露出度が一気に高まる。ワイドショーは、麻生が特定のテーラーのオーダーメード背広しか着ないといったような、どうでもいいことを長々と伝えている。この国のメディアは、三度、同じ過ちを繰り返すのだろうか。

  一つの政党の複数の候補者に焦点をあて、政策の「選択」を云々することはできない。有権者は自民党員しかいないのだから。それを公的な出来事のように、メディアが扱うからおかしくなる。国民はもちろん、野党が完全に蚊帳の外に置かれている。これは放送法の公平原則からいっても問題ではないか。そもそも「総理・総裁」という言葉自体がおかしい。「総裁選挙は、実質的に首相を選ぶ選挙だ」というのは、この国でしか通用してこなかった。二度までも政権を投げ出した内閣を支えた「与党」に、もはや三度目はないだろう。直ちに総選挙をすべきである。

(文中敬称略)

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