漫画首相と政治の戯画化―首相公選論というレトリック  2008年12月1日

 

「『み仮名』つき原稿流出」。1年少し前、こんな見出しの記事が新聞に載った(『読売新聞』2007年9月26日付夕刊)。ブッシュ大統領が国連総会で行った演説原稿が、国連のウェブサイトに流出して、すぐに削除されたというのだ。そこには、フランスのサルコジ大統領の名前が「sar-KO-zee」と表記され、アクセントの付け方が添え書きされており、キルギスやモーリタニアの国名などにも同じような添え書きがあったという。

  ブッシュ大統領の言語能力に問題があることは、就任当初からよく知られていた。ブッシュの任期もわずかになったが、この8年の在任期間中、失言と失笑の山が築かれた。それらは「言葉と暴力のリンケージ」として、多くの命を奪っていったことを忘れてはならない。最大の「失言」は、「9.11」直後に発した「これは戦争だ」である。テロは犯罪であり、警察の国際的な連携で対応すべきところ、「対テロ戦争」というミスリードをして、世界史的な誤りをおかした。ブッシュが「十字軍」や「限りなき正義」(2001年9月25日までの作戦名。これが「アラーの神」を意味することから、直ちに「不朽の自由」に変更)という言葉を安易に使って、イスラム教徒の一部が行う「テロ」や暴力を誘発した罪は大きい。11月26日にインドのムンバイで起きた「同時テロ」も、貧困や格差社会の矛盾が暴力の連鎖に拡大している不幸な例であるとともに、2001年9月以降のブッシュ政権の失策と失政の結果でもあるのではないか。ブッシュの失言の連鎖は、21世紀における「言葉の暴力」の象徴として記憶されるだろう。

  ここまで書いてきて、「読み仮名」(添え書き)のサポートが必要であるという点において、末期(まつご)の合衆国大統領と日本国首相との情けない共通点が見えてきた。

  麻生首相は、11月7日の参議院本会議の答弁で、「村山談話を踏襲(とうしゅう)し…」と読むべきところを、「ふしゅうし…」と読んだ(『毎日新聞』11月13日付)。アジア諸国に対する日本の侵略行為を謝罪した「村山談話」が腐臭を放っていると心に思っているからそう読んだのだろう、というのは考えすぎで、これは単純に読み方を知らなかっただけだろう。

   さらに11月12日、母校・学習院大学で開かれた日中交流行事での挨拶では、「1年のうちにこれだけ頻繁に首脳が往来したのは過去に例がない」という文章の「頻繁に」を「はんざつに」と読み誤った(『毎日』同上)。これも中国に行くのが面倒で「煩雑」と内心思っているのかもしれない、というわけでもなく、本当に読めなかったのだろう。同じ会合で、「大地震での未曾有の被害」を「みぞゆうの被害」と読んだそうだが、ここまで漢字を知らない首相はまさに「未曾有」のことである。

  最近の記者会見でも、「詳細は〜」を「ようさいは」と読むのを、私自身、テレビで観た。首相には漢字検定7 級くらいから頑張ってもらう必要があるように思う。

  超軽量級の官房長官を配して、首相が目立つことだけを考えて作った「お一人様内閣」だから、適切なサポートを得られず、首相の失言がニュースにならない日はない。メディアの批判にも負けず、自民党内からのバッシングにも負けず、宮沢賢治風にいえば、

……東ニ病気ノコドモを診る小児科医アレバ、行ッテ「医者は社会常識がない」といい、西ニ〔水害に〕ツカレタ母アレバ、行ッテ「被害が〔名古屋でなく〕岡崎や安城でよかったぜ」といって怒りをかい、南ニ治療を受けられずに死ニサウナ人アレバ、行ッテ「たらたら飲み食いして何もしない人のために、何で〔医療費を〕払う必要があるの」といい、北ニケンカではなく、元厚生事務次官の連続襲撃事件アレバ、直後のぶらさがり(記者会見)で、「これが単なる傷害、殺人事件なのか、そうじゃないのか、よくわからない…」といって、暴力をヤメロと毅然とした態度がとれず、漫画本に感動しては涙ヲナガシ、サムサノナツ[寒さの夏=冷害]でも高級ホテルで酒を飲み、ミナニ「マンガ脳」トヨバレ、ホメラレモセズ、その存在が苦痛だといわれている、サウイウモノニ、麻生さん、あなたはもうなっているのです。

  麻生に欠けているのは漢字が読めないことだけではない。ボキャブラリーの貧困もはなはだしく、「語彙の困窮」の水準にまで到達している。貧困な歴史認識しか持たない、「歩く失言製造装置」としか形容しようがない。あの口から繰り出される、差別と人間蔑視と地方軽視の失言の数々は、まさに「言葉の暴風」である。即座に訂正するというのだから、これは暴言の放屁である。

  麻生内閣は、最初から賞味期限の切れた内閣であった。2005年「9.11」総選挙で強奪した議席で、これまで4内閣ができた。安倍晋三と福田康夫という、政権ポイ捨ての政治的脱走者が2人、立て続けにあらわれた。もはや3度目はなかったのだ。その意味では、麻生内閣は、「発足時から賞味期限切れの内閣」であった。せいぜい選挙管理内閣として、直ちに総選挙を実施すること。これが仕事のすべてだった。だが、麻生は首相の地位にこだわった。

  この内閣は、閣僚も与党幹部も勝手なことをいって、もはや内閣の体をなしていない。内閣「総理」大臣の職務である、行政各部を監督し、政策を調整するような役割においてもまったく期待できない。行政の停滞も随所で起こり、そこで働く公務員の士気は下がっている。そうしたとき、空自のトップは「そんなの関係ねぇ」とばかり、大臣のいうことも聞かずに暴走している。こういう時、極端な暴力的傾向も誘発しやすい(元厚生事務次官襲撃事件)。漫画首相により、政治が戯画化してくると、国民の政治不信は沸点にまで達し、危険な水準に達しつつある。

  麻生内閣のこの状況は、森喜朗内閣末期に似てきた。「森が口を開くたびに、人々の失望は怒りに、そして絶望に変わっていった。政権末期には、森は記者団にも沈黙で通し、番記者の日誌には『……』のみが記録されていった」(後掲・拙稿より引用)という状況は、やがて麻生にも起こるのだろうか。

  森喜朗の内閣が一桁台の支持率にまで落ち込んだあと、誰も首相になると思ってもみなかった人物が首相になった。小泉純一郎である。これは田中角栄が、ワンポイント・リリーフのつもりで首相にした中曾根康弘に似ている。ともに首相になるやいなや、巨大な「構造改革」をやってのけた。この二人に共通しているのは、もともとの派閥の力では首相になれなかったことと、弁とパフォーマンスが抜きんでていること、それに言葉を操ることが巧みだったことだろう。二人とも、国民から直接選ばれる「大統領型の首相」に関心を寄せた点でも、共通している。小泉は、首相公選制を検討する諮問会議までつくった。すぐに飽きてしまい、諮問会議もアリバイ的報告書を出して消滅したのだが。

  そこで、7年前に、『いま、首相公選を考える』(弘文堂)に、中曾根元首相らの論稿とともに収録された拙稿「『首相公選』というレトリック」を下記に転載しよう。麻生内閣の崩壊がカウントダウンに入ったいま、総選挙がいつ行われ、その後の政権がどうなるかが関心事になっている。首相公選論が再び注目されることは当面はないだろう。ただ、政治の展開のなかでは、この議論が浮上してくることがないとはいえない。やや予防的ながら、この論点を早めに提示しておきたい。この機会に拙稿をお読みいただき、首相の地位とそのありようについても考える機会になれば幸いである。

(文中敬称略)

 

「首相公選」というレトリック

1 40年ぶり登場の意味

  いま手元に、42歳の若き衆議院議員中曽根康弘の「高度民主主義民定憲法草案(第二部)」の実物がある。筆者がこれを入手した経緯や、思わぬ「効果」については、『朝日新聞』1997年8月23日付コラム「記者席」(三浦俊章)に譲る。赤茶けた表紙には、「未定稿」「試案」「マル秘」、裏側には「限定版・政82/40 」の文字。次の頁には、「人民の、人民による、人民のための、政府」というリンカーンの言葉が。日付は昭和36年1月1日である。

  1961年10月12日。中曽根は憲法調査会(当時)における討議の席上、「今のところは、首相公選という点でのみ憲法を変えるべきだ」と述べた。この主張には、調査会メンバーの多くは賛同しなかった。だが、世論は違っていた。翌1962から64年まで、「首相公選運動」が展開された。当時の週刊誌は、「首相と恋人は、自分で選ぼう」という見出しで、これを好意的に紹介した。その時、40歳の東大法学部教授・芦部信喜は、次のようにこれを論評した。

  「思うに、一般国民がこれを支持する理由は、現在の沈滞した政治に対する不満から発する一種のエモーショナルなものが多いであろう。『首相を国民投票で選ぼう』というフレーズには、派閥や国会運営をめぐる与野党の抗争に毒された議会政治を改革する希望を感じさせる清新な響きがあるので、その響きに魅せられたと推測される面が多分にあろう」(『ジュリスト』289 号〔1964年1月1日〕219頁)。

  「試案」発表から40年。中曽根が「自分とDNA が似ている」と目を細める小泉首相の登場によって、再び首相公選制が脚光を浴びるに至った。小泉もまた、「首相公選に絞った憲法改正」を説く。その主張は、世論調査で高い支持を得ている(朝日新聞の2001年4月の調査では61%)。

  こうした動きを呼び出した原因としては、森喜朗内閣の存在が大きい。森が口を開くたびに、人々の失望は怒りに、そして絶望に変わっていった。政権末期には、森は記者団にも沈黙で通し、番記者の日誌には「……」のみが記録されていった。森の在任1年余は、日本の民主主義にとって計り知れない損失と喪失をもたらした。政治家が、あるいは政党が、さらには政治それ自体が、市民からここまで幻滅をもって迎えられたことはかつてなかったのではないか。この政治の閉塞状況は、「政治嫌厭」(Politikverdrossenheit) から「民主主義嫌厭」(Demokratieverdrossenheit)の水準に移行しかねない危険水位に達していた。そういう状況のもとで、人々のなかに、方向も内容も不明のまま、「とにかく自分で選びたい」という気分が生まれてくるのは、ある意味では当然かもしれない。「歴史は繰り返す」ではないが、芦部の指摘は、まるで今日の状況を語っているかのようである。違いがあるとすれば、40年前に市民が失望したのが「与野党の抗争」だったのに対して、今日では自民党内の派閥抗争が主で、野党の存在感が著しく希薄になったことだろうか。

2 首相公選論の動機

  さて、かつての首相公選論は、およそ通常の手法では首相になれない小派閥に属する政治家が、派閥力学を超越した論理を求めて辿り着いた手段的主張と言える。だが、とうの中曽根内閣は、最大派閥の田中元首相のプッシュによって誕生した。発足当初、「田中曽根内閣」と皮肉まじりで呼ばれたことを記憶しておられる方もあろう。そうした派閥談合的手法こそ、若かりし頃の中曽根が非難してやまなかったものではなかったか。40年ぶりに首相公選を説く小泉の場合も、「世論の圧力」を使って、党内の派閥構造を改編する狙いがあるのだろう。

  最近になって首相公選制を主張する論者たちは、より「普遍的」な理由づけとして、a:内閣の形骸化と官僚主導、b:リーダーの不在、c:議院内閣制の限界、d:民意と永田町の乖離などを挙げる(小田全宏『首相公選』サンマーク出版、浅尾・山本「首相公選制の手続きはこれだ」『中央公論』2001年1月号160 〜161頁など)。

  だが、首相公選で官僚主導がなくなるかどうかは甚だ疑問だし、そもそも官僚主導が問題なのか、官僚の関与のあり方が問題なのかが明らかではない。また、内閣の形骸化は、議院内閣制という制度の問題というよりは、自民党の党内事情が大きく作用しているように思われる。それに、首相公選を採用したからといって、立派なリーダーが出てくる保証はない。そもそも制度の問題と、党や政治家の資質・能力の問題が混同されているように思われる。森前首相のような、資質も能力もない人物が首相になれるというのは、議院内閣制だからというよりは、議院内閣制にもかかわらず、と言った方が正確だろう。小渕元首相が病の床にあるどさくさにまぎれて、密室で行われた「首相選び」こそ、日本政治史上の汚点として記憶されるべきだろう。筆者は、昨年4月の森内閣の誕生時の一連の動きに、依然として憲法上重大な疑義を感じている

  なお、cは議院内閣制だと首相を国民が選べないとするが、これは説明としては不十分である。かりに選挙制度として小選挙区制を前提にしても、候補者の選択が首相の選択に事実上直結するとする「国民内閣制」論の立場に立てば、首相は国民の手で選べることになる。議院内閣制と国民の手による首相選出が、この議論からすれば両立可能ということになる。こういう説明がある以上、首相公選制導入のための理由づけとして前記cは説得的ではない。dの理由に至っては、何をかいわんや、である。政党の側の弱点を制度のせいにしてはならない。

  ドイツでは、連邦議会選挙について、「連邦首相の直接公選に発展しうる」(O.Kirchheimer, Neue Politische Literatur 5, 1960, S.1103)とか、「首相候補に関する事実上あるいは人的なプレビシット〔国民投票〕」(K.Niclauss, Aus Politik und Zeitgeschichte, B45/92, S.14)といった評価がある。各政党が首相候補(党首の場合が多い)を立てて総選挙に臨むので、有権者がある政党を選択して勝利させれば、実質的に首相を選んだのと同じ効果になるというわけである。「国民内閣制」に近い理解だが、ドイツと日本では政党配置も政党のありようも異なるので、一概に論ずることはできないだろう。

  ちなみに、ドイツでは近年、直接民主制志向が強まっている。「ヴァイマールの神話」(ヒトラーが直接民主制を悪用して権力を奪取したという)により、戦後ドイツでは、直接民主制に対する否定的評価が根強かった。基本法(憲法)にも、連邦レヴェルでは直接民主制の仕組みは存在しない。それがここへきて、地方における直接民主制的仕組み(住民投票など)を、連邦にまで拡大すべきだという声が強まっている。

  ある有力な政治学者は、コール前首相のヤミ献金事件を契機に刊行した書物のなかで、現在の制度に対する対案として、直接民主制の仕組みを連邦のレヴェルでより多く採用するよう提言している(H.H.von Arnim, Vom schönen Schein der Demokratie, 2000, S.299ff.)。直接民主制の強化こそ、政治階級(政治家)に対する最良のコントロールであり、かつ権力の配当をより人民の側に移し、従来の権力保持者から政治権力の独占と、政治的影響力の一部を取り上げることができる、というわけである。ただ、直接民主制は、政治的な問題を、イエスとノーのシンプルな選択に純化し、その結果、性急な政治的選好をダイレクトに統治過程に反映させる傾向が強い。それゆえ、国(連邦)のレヴェルで採用するとしても、いかなる分野に、どのような方式をとるのかが問題となる。ただ、ドイツで首相公選制の議論が出てくる余地は少ない。

3 首相公選制の原理的問題

  ところで、首相公選制は、憲法原理的な問題を多分に含んでいる。

  第1。権力分立の観点から見てみると、(1) 立法府と行政府の関係では、国会の「最高機関性」を排し、国民による直接選挙という強力な「正統性」を武器に、強引に政策実現を図ることになる。省庁再編、首相権限強化という一連の行政「改革」の延長上に位置づけられよう。(2) 司法府と行政府の関係では、司法消極主義が根強いこの国の司法の現状に鑑みれば、十分な司法的コントロールは期待薄と言わざるを得ない。(3) 三権の関係の行方という点では、行政権の優位が一層明確になってこよう。行政権は立法権からの「信任」と立法権への「責任」から解放されるからである。ただし、行政権と立法権は異なる権力基盤に立つので、必ずしも常に行政権優位になるとは限らない。首相と議会多数派との同一性が問題になる。アメリカは、徹底した権力分立を前提としたうえで大統領制が機能しているレア・ケースである。安易な一般化は慎むべきだろう。中曽根案は、議院内閣制に、アメリカ型の大統領制を強引に「移植」したものである。移植臓器(首相公選)に対する拒絶反応が起こり、議院内閣制本体が機能不全に陥る恐れも否定できない。

  第2に、民主主義の観点から見ると、国民は正統性を調達するためだけの存在
に成り下がるおそれがある。国民は一票を行使して、首相誕生に直接関与するが、
その「退場」を要求することは著しく困難である(中曽根案では、有権者の3分の1以上の連署で首相解職を請求できるが、日本の有権者数を考えてみよ)。

  第3に、議会制の観点から見れば、首相が「国民の支持」を基盤にするため、国会の位置づけはかなり低下する。直接選挙された首相は、任期中、国会によって不信任されるおそれはない。その意味では、首相に対する議会統制の手法が開拓されない限り、バランスを失することになるだろう(拙稿「議院内閣制−−首相公選論から考える」『法学セミナー』1998年1月号84〜88頁、同「リーダーシップ」『新聞研究』1998年11月号64〜67頁)。

4 首相公選の同床異夢

  首相公選制を主張する論者のタイプという点では、改憲型首相公選論と現行憲法型のそれとに分岐する。首相公選制導入積極論者のほとんどが改憲型を志向している。かつて憲法改正によらないで首相公選制の導入を主張した論者は、後にこう「反省」の弁を語っている。

  「もともとが、改憲アレルギーの強い状況下での苦肉の方法だった。…改憲によらない首相公選の歯切れの悪さは、首相公選論にプラスに作用しなかった」(小林昭三「首相公選制の政治制度論的考察」『早稲田政治経済学雑誌』320号〔1994年〕49頁)。

  いま、このタイミングで登場した首相公選論は、自民党からすれば、人々を憲法改正へと誘導するタクティクスとしての性格が強い。一方、野党、とくに民主党の一部議員のなかには、政権奪取のために首相公選制導入を主張する者もいる。政党の側の弱点を制度のせいにするという点では、両者に奇妙な一致がみられる。同床異夢というところか。

  「直接みんなで選べば何でも善」という発想は、民主主義のありようにとって常にプラスに働くわけではないことを銘記すべきだろう。

水島朝穂 「『首相公選』というレトリック」より転載 
(弘文堂編集部編『いま、「首相公選」を考える』〔弘文堂、2001年〕228〜236 頁所収)

 

 

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