「核の傘をたたむ日」に向けて 2010年3月1日

日は何の日? 「三・一独立運動」の日。韓国併合(日韓併合)100周年の今年は、特に若い人々が歴史とどう向き合っていくかを考える上でも大切な日である。同時に、3月1日と言えば、「ビキニ・デー」である。夏でもなく、まだ肌寒いのになぜ、という人は水着メーカーの宣伝に毒されすぎ。真夏の8月6日・9日よりも前だが、この日は、核時代の象徴的な日なのである。「ヒロシマ・ナガサキ」65周年の今年、56年前の同じ月曜日に起きた「ビキニ」を「心に刻む・想起する」(erinnern)ことは重要だろうこれは、映画「ゴジラ」第1作(その年の11月3日封切り)と実は深い関係がある

1954年3月1日(月)、マーシャル諸島近海で操業していたマグロ延縄漁船の第五福竜丸(静岡県・焼津市)は、米国がビキニ岩礁で行った水爆実験で生じた放射性降下物(「死の灰」)を大量に浴びた。乗組員23人全員が急性放射能症にかかり、顔はどす黒くなり、歯茎から出血した。無線長の久保山愛吉さんは、「身体の下に高圧線が通っている」「原爆被害者は私が最後にしてほしい」と叫んで死亡した。以来、3月1日は「ビキニ・デー」として、原水爆禁止運動の象徴的な日となったのである。

そこで、「ビキニ・デー」の今日、核問題の原点とも言うべき「原爆ドーム」のある風景を紹介しよう。これらの写真は、原爆ドーム健全度調査(広島市都市整備局)の模様である。2008年11月4日〜09年3月31日に実施された。水島ゼミ7期生で、現在、広島市で働いている藤田裕喜君が撮影したものである。藤田君は私の携帯に、原爆ドームの四季折々の風景を送信してくれている。そのなかに、桜や雪のなかの原爆ドームというのとは明らかに異質な写真が含まれていた。それが健全度調査の写真だった。すぐに関連する写真をパソコンに送ってもらった。

原爆ドームは、雨の日も、風の日も、あの場所にある。広島県物産陳列館として完成してからまもなく95年。「原爆ドーム」と呼ばれるようになってから、まもなく65年がたつ。広島市は3年に一度、このドームの「健全度調査」を実施している。この調査は、1989年の第2回保存工事を契機に始まった。足場を組み、作業員が壁のひび割れや鉄骨の腐食の進み具合を目視でチェックしていく。地盤がへこんでいく「不同沈下」がないかどうかも調べる。広島市は、2045年まで現状のままで保存する方針を4年前に決定しており、震度6強の地震にも耐えられる補強工法も検討中という(『朝日新聞』2009年2月18日付広島県版)。

『法学セミナー』編集部から、新年最初の2010年2月号の巻頭言の原稿を依頼された。テーマは「核時代と人権」。写真を1枚必ずつける。なかなかむずかしいテーマである。その時、私はこの写真のことを思い出した。パソコンのなかに眠っていた写真をゆっくり一つひとつ見ていった。そして、1996年に世界遺産に登録された原爆ドームの「健全度調査」という言葉に注目した。ひび割れなどを調べて、ドームの建物としての「健全度」を調べるものだが、人々の核兵器に対する考え方の変化も調べてみる必要はないか。いわば「核健全度調査」である。広島や長崎に原爆が投下されたこと自体についても十分な知識を持たない若者が増えていることからしても、また、政治家や普通の人々のなかにも、核兵器の必要論、「核抑止論」がいまだに根強いことからしても、この原爆ドームの原点性が改めて確認される必要がある。

今日、3月1日は、その『法学セミナー』の巻頭言を転載して、「核の傘をたたむ」ことの意味を考えたいと思う。


「核の傘」をたたむ日

「負の世界遺産」は3年に一度、ひび割れや沈下量などが調べられる。「原爆ドーム健全度調査」。2009年で6回目になる。では、核兵器をめぐる人々の意識の「健全度」の方はどうだろうか。

8月6日、田母神俊雄元空幕長が広島で講演し、「核の悲劇を繰り返さないために、日本は核武装すべきだ」と主張した前政権の政治家たちも折にふれて、核兵器保有の可能性やそのための議論は排除すべきでないと発言してきた

そんなおり、核搭載艦・航空機の日本寄港や通過を「事前協議の対象外」とする日米密約の存在が、外務省により確認された。非核三原則のうち、「持ち込ませず」について、長年にわたる「嘘」が明らかになりつつある。問題は、非核三原則を「現実」に合わせて二・五原則化するのか、それとも、寄港・通過を厳格に「持ち込ませず」に含め、この「原則」の徹底を米国に求めていくのか、である。米国に過度に遠慮して、この「原則」を緩める必要はまったくない。米国も動き始めている。

4月、オバマ大統領がチェコのプラハで、「核兵器を使った唯一の国として、核兵器のない世界の実現のために努力する道義的責任がある」と明言した。もちろん、これは過大評価できない。オバマが強大な権力を束ねる「米合衆国大統領」であることを片時も忘れてはならないだろう。だが、最大の核武装国家のトップが、「核兵器のない世界」を目指すと明言した意味は大きい。これをリップサービスにとどめることなく、確かな根拠をもった「現実」にしていく世界市民の運動が求められている。

だが、日本の現実は、非核三原則と「核の傘」の併存である。鳩山由紀夫首相は国連演説で「非核三原則の堅持」を明言した。これは世界に対する国際公約といえる。他方、日米安保体制は実は「核持ち込み」密約により維持されてきた。この状態をいつまで続けるのかが現実の課題となったのである。

『中国新聞』11月22日付特集のタイトルは「『核の傘』をたたむ日」である。脱「核抑止力」の時がきたとして、核によらない新たな安全保障構想を政府に求めている。すでに冷戦は終わり、恐怖の傘を広げておく理由を探すことは困難になった。無理に広げた傘はたたむだけである。

2010年5月のNPT(核不拡散条約)再検討会議では、世界各国と市民が、核保有国の軍縮義務(NPT条約6条)の履行を求め、強力に働きかけていくだろう。世界は核廃絶に向けて確実に動き始めている。

09年に特筆されることは、過去の核犠牲者への救済が進んだことだろう。原爆症認定集団訴訟では、06年5月の大阪地裁判決以降、東京、大阪をはじめ全国の地裁、高裁で国側は21連敗を喫した。厚生労働省幹部が「前代未聞の記録」と嘆いたという、国の全敗だった。原告救済の立法の動きが一気に進み、原爆症基金法が参議院先議の議員立法として、12月1日、衆議院本会議で可決・成立した。7年余にわたる集団訴訟が、立法的解決を促したのである。

まもなく被爆から65年。あまりにも長い時間を使ってしまった。認定基準の抜本的見直しなど、待ったなしの早急な解決が求められている。

2010年を「核のない世界」に向け、さまざまな面で意味のある年にしていく必要があるだろう。

〔『法学セミナー』2010年2月号巻頭言「現代の人権」(22)〕

 

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