災害派遣の本務化へ――大震災と自衛隊(1) 2011年4月18日

「災害派遣」の垂れ幕を付けたジープ(1/2tトラック)を先頭に、73式中型・大型トラックや救急車など20両あまりが水没している。第22普通科連隊(宮城県多賀城駐屯地)の災害派遣部隊が営庭で車列を組んだところに津波がやってきた(『産経新聞』3月28日付1面)。この連隊は、15時18分に災害派遣準備に入った(同連隊ホームページ参照)。「天変地変その他の災害」の場合、「特に緊急を要(する)」ときは、知事の災害派遣要請を待たずに部隊等を派遣できる(83条2項但し書)。阪神・淡路大震災(以下、「阪神」と略す)の際、要請の「遅れ」が問題となり、その後、「震度5弱以上」の場合、「自主派遣」という形で初動が早められていた。同連隊も定められた通りの行動をとったわけだが、津波の来襲は予想外だったのだろう。それでも、写真を見ると、地震後わずかな時間で車列を整え、担当区域の救援に向かおうとしていたことがわかる。隊員は地元出身者が多く、家族が被災していた(『読売新聞』3月28日付)。

私は、「阪神」の時のように、「自衛隊をもっと早く投入せよ」という一面的な自衛隊活用論に対して疑問を呈してきた。そして、災害救助組織のあり方の問題をとりあげ、消防レスキューを基本として、自衛隊もそのような方向に転換すべきことを主張してきた。災害派遣の本務化も、自衛隊の「軍」としての属性を漸次縮小して、災害派遣専門部隊に質的に転換する構想(私のいう「解編」構想)の必要な過程と考えてきた(拙稿「自衛隊の平和憲法的解編構想」深瀬忠一・杉原泰雄・樋口陽一・浦田賢治編『恒久世界平和のために−日本国憲法からの提言』〔勁草書房、1998年〕、拙稿「平和政策の視座転換」深瀬忠一・上田勝美・稲正樹・水島朝穂編『平和憲法の確保と新生』〔北海道大学出版会、2008年〕参照)。

自衛隊は、「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務」としている(自衛隊法3条1項)。「主たる任務」は国民ではなく「国」の「防衛」であり、災害派遣は「従たる任務」、「本技」に対して「余技」と位置づけられる。かつては自衛隊法100条の枝番にPKO活動も入っていたが、2006年の自衛隊法改正で海外派遣任務が「本務」に近いところに位置づけられた。それでも、「主たる任務の遂行に支障を生じない限度において」という一文が入っている(同3条2項)。この改正の時も、災害派遣を本務化することには強い抵抗があり、海外派遣の本務化にあたってさえ、「支障を生じない限度」が書き込まれた。つまり、自衛隊のアイデンティティはあくまでも「防衛」にあり、この点が、憲法9条との関係で議論を呼ぶところである。ただ、各種世論調査を見ても、国民の自衛隊支持の中心は「従たる任務」の災害派遣にあり、年間500回以上行われている活動の蓄積は無視できない。

東日本大震災では、自衛隊のその「従たる任務」が全面的に展開されることになった。菅首相は当初の5万人態勢を、十分な調整もなしに「政治主導」で10万人態勢に引き上げた。どんな組織でも、運用上、休養する部隊、準備する部隊、実施部隊の3シフトが一般的だから、これはかなり無理があった。しかし、首相の稚拙な指示にもかかわらず、事態の重大性に鑑み、自衛隊の大規模投入がすぐに決まった。3月14日11時、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する大規模震災災害派遣の実施に関する自衛隊行動命令」(自行災命第6号)が発せられた

陸自15個師団・旅団の6割以上が動員され、航空機550機、艦艇50隻以上が展開した。即応予備自衛官も初めて投入された。この10万6000人の大部隊の指揮は、東北方面総監に一元化された。陸自に5人いる方面総監(陸将)の1人が、海自の横須賀地方総監と空自の航空総隊司令官を指揮する。2006年3月に統合運用体制に移行して、「有事」(外部からの武力攻撃事態)において編成される「統合任務部隊」(JTF)ではそのような形が想定されていたが、災害派遣では初めてのことである。名称は「災統合任務部隊」とされ、上記行動命令により、東北方面総監が「災統合任務部隊指揮官」となり、陸海空自衛隊の部隊すべてを指揮することになった。武力攻撃事態における仕組みが、大震災のなかで動きだしたのである。横田基地に初めて設置された米軍「統合支援部隊」(JSF)と自衛隊とのタイアップは、「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)に基づく「有事」の「調整メカニズム」に近い機能を果たしている(次回の直言参照)。震災に便乗して、日米の軍事関係を一気に強化する動きには警戒が必要だろう。

東日本大震災は「阪神」と異なり、大津波の被害が南北600キロの海岸地域にきわめて広範囲に及ぶ。自治体消防を基本とした「緊急消防援助隊」も大変な活躍をしたが、広大な地域に大規模かつ迅速に展開するには人数に限りがある。警察も海上保安庁もかつてない規模で全国から力を集中したが、広域対処という点では、自衛隊は国内最大の組織的マンパワーを有し、航空機、艦船、車両(路外走行能力もある)による大規模かつ迅速な輸送能力をもつ。大規模災害の場合、人命救助と災害救援の必要性と緊急性の観点から、この能力に依拠することには現時点では合理性がある。
   自衛隊の初動の救助活動によって、海に流された人々や、孤立した建物の屋上にいる人々などが夜間でも救助された。寒さのなか海水に濡れた人々を一刻も早く救助するには、夜間行動能力をもつヘリが必要である。観測用のOH-1、輸送にはCH-47、救助には陸海空ともにUH-60タイプの多用途ヘリなど、持てる装備をフルに展開した。自衛隊が行った人命救助は、3月27日までの段階で1万9200人。遺体収容4150人という数字が中間的に出ている(『産経』3月28日付)。

初動の救助活動に始まり、救援物資の輸送、給水・給食、入浴支援など、自衛隊は被災者救援のかなりの部分を担っている。臨時埋葬地への遺体搬送も割り当てられた。自治体から被災地に物資を送る輸送統制も担当。空自機で毎日100t以上の支援物資を松島基地に運び、それを陸自車両や陸海空のヘリで避難所まで搬送している。

今回の迅速な対応の背景には、「阪神」以来、災害派遣の割り当て部隊を各連隊に設け、即応態勢を維持してきたことがあるだろう。装備面でも、「阪神」後、災派割り当て部隊には「人命救助システム」T型やU型が備えられるようになった。消防レスキューが常備するような救助資器材で、倒壊家屋にいる要救助者を捜索し、救助するために有効な、エアジャッキや油圧式カッター、破壊構造物探索機、エンジン式削岩機などが含まれている(『自衛隊装備年鑑2010-2011』朝雲新聞社) 。「阪神」の教訓を活かした装備と言えよう。
   油圧ショベルや各種ドーザ、道路障害作業車など、重機もかなり種類が豊富になった。本来は、地雷敷設や地雷源啓開などの軍事目的で装備されたものだが、当初はその「転用」から始まり、次第に災害派遣任務に適合的な装備という視点も入ってきたようである。
   従来から戦闘後方支援として隊員の食事や入浴のために装備されている浄水セット、野外炊具1号と2号、野外洗濯セット2型、野外入浴セット2型なども、「阪神」以来、被災者支援の方向で実質的に活用されるようになった。

この間、本格的な災害派遣訓練を積み重ねてきたことも背景にある。たまたま東北地方では、2年半前、東北方面隊の全部隊参加で、大規模な震災対処訓練「みちのくALERT2008」が実施されている。想定は「マグニチュード8.0、震度6強、大津波発生」。そのものズバリである。その際、施設科部隊は92式浮橋を使って、「民間支援車両にやさしい橋」という名称の仮設橋を完成させている。92式浮橋は、50tある90式戦車も渡れるように、それまでの70式浮橋や81式浮橋に代わって装備されたものだった。これが、今回、津波で連絡橋が崩落して孤立した宮城県東松山市の宮戸島の救援のため、重機を運ぶ門橋として使われた。
   ちなみに、この「みちのくALERT2008」を実施した東北方面総監は、2004年に「片山事件」(片山さつき主計官が、陸自4万削減の財務省原案を提示した「事件」)の際、陸幕防衛部長として片山氏に抵抗した人物だった。4年後にこういう形で陸自の「存在証明」をやってみせたのかもしれない。それが結果的に「本番」に役立つことになった。

東日本大震災の地震・津波被害の救援活動では、自衛隊の総合力は評価されるべきだろう。『東京新聞』3月28日付社説は「災害派遣をより本格的に」と題して、「陸自に各種災害に備えた専門部隊を新設する」「過剰な兵器の購入費を防災に必要な装備の購入に回し、訓練時間も増やす」という提言をしている。私はさらに進んで、災害派遣の本務化を経由して、最終的には、軍事機能の「転用」ではなく、軍事機能の「転換」が必要であると考えている。

写真は、第11普通科連隊(陸自唯一の機甲師団の部隊)の車両である。冷戦後、ソ連軍との戦車戦の可能性はなくなり、最も不要になった部隊である。こうした人員を災害派遣専門部隊に「転換」することは有効ではないか。装備でも、例えば、軍用ヘリを救助任務に「転用」するよりも、本格的な救助ヘリ(ドーファンU型など)を導入した方がより効果的である。いずれ軍事機能を縮小して、本格的な災害救助組織への質的転換が長期的課題となろう。これが憲法に適合的な道であるだけでなく、大地震、大津波、火山噴火、原発事故など、「いま、そこにある危機」に対処することにも適合的だからである。

3月29日各紙には、震災報道の横に、ロシア機や中国機が領空接近をして「挑発」という記事も並べられるが、これは軍事的な「防衛」も忘れるなという誘導と言える。周辺諸国との関係改善を含めて、大震災後の新たな仕切りなおしが求められている。

途方もなく巨大な既成事実の前に、すべてが棚上げされることになってはならない。災害派遣活動の評価は、自衛隊の「軍」としての強化の肯定を意味しない。そこにある具体的な問題を一つひとつ整理・腑分して論じていくことが必要だろう。
   次回は、大震災のもう一つの側面である原発災害と自衛隊の問題、そして、米軍の「トモダチ作戦」の評価のなかで、この問題をさらに論じていくことにしたい。

(この項続く)

《付記》写真はいずれも、釜石市内で元ゼミ生が撮影したものである。

トップページへ。