「片山事件」と北海道 ―― 自衛隊「事業仕分け」へ 2010年2月1日

のゼミは毎年8月最終週にゼミ合宿を実施している。「合宿」といっても、小さな班に分かれて、テーマ毎に各地を取材してまわる。2000年以降は、長崎北海道、そして沖縄隔年毎にまわっている。ゼミ合宿では、私はどの班の取材にも同行しない。携帯電話を使うようになった近年では、現地において、携帯メールで報告を受け、またアドバイスをしている。こういう形の合宿をすでに13回実施した。昨年は3回目の北海道合宿だった。学生たちは、夕張班、自衛隊班、アイヌ班、知床班、北方領土班の5班に分かれて道内各地を取材した。そのうち、自衛隊班が撮影してきた3枚の写真は実に興味深かった。

1枚は、千歳市役所正面に掲げられた垂れ幕の写真である(8月26日)。「みんなの力で自衛隊の現体制維持を!」とある。千歳市内を走っていたタクシーのリアウィンドにも、同じ内容の黄色いステッカーが貼ってあった(同)。そして、北恵庭駐屯地前の風景(8月27日)。雨が降り、夏でも肌寒く感じられる天気のなか、数人の男性が、「自衛隊の体制維持強化」という横断幕を広げて、黙って立ち続けている。よく見ると、一人が、自民党候補者のポスターを掲げている。何かを連呼するわけでもなし、雨のなか、ひたすら立っている。自衛官やその家族に向けた選挙運動と思われるが、かつてこの場所では、基地反対運動の人々が横断幕を広げていた。いまは、陸上自衛隊の存続を、このような方法で訴えざるを得なくなったわけで、隔世の感がある。なお、ポスターの候補者(外相・官房長官経験者)は、この写真を撮影した3日後の総選挙で落選した(比例復活当選)。

自衛隊駐屯地のある地方自治体の現況を取材してきた学生たちは、「片山事件」という言葉を何度も使った。当初私はすぐには理解できず、「何だ、それ?」と思わず聞いていた。学生たちは、恵庭市長や千歳市役所危機管理課、北海道庁危機対策局などを取材するなかで、その言葉と出会ったという。「片山」とは、あの「小泉チルドレン」の片山さつき元衆議院議員のことである。それが、なぜ、北海道の自治体関係者の間で「事件」と呼ばれているのか。

2004年7月、財務省主計局主計官(防衛担当)だった片山氏は、冷戦の終結により旧ソ連の脅威が低下したことを受けて、防衛費1兆円減を打ち出した。北海道の4個師団・旅団を1個師団に縮小するなど、陸上自衛隊の編成定数(16万人)を10年間で12万人(4万削減)に圧縮する。正面装備も、戦車425両(519両減)、護衛艦38隻(16隻減)、戦闘機216機(84機減)など、大規模な削減が盛り込まれていた。実現すれば、「過去に例のない自衛隊リストラ」となる(『日本経済新聞』2004年11月8日付)。その際、片山氏は、「災害派遣は自衛隊の仕事ではない」と述べたという。この「片山ペーパー」は財務省原案となり、北海道の自治体関係者に驚愕が走った。

その後、修正が重ねられたが、片山氏の「削る」という発想が消されたわけではない。平成16年防衛計画の大綱では、北海道の陸自を8000人削減することが決まった。2008年には第11師団(7200人)が第11旅団(3600人)に改編された。第3施設団(恵庭)は廃止された。

保守系誌の『財界さっぽろ』2005年1月号は、特集「道内自衛隊4万人が1万人になる日―マチが潰れる!23市町村の悲鳴」と危機感を煽る。この雑誌らしく、「自衛隊削減強行派は舛添要一の“前妻”」というゴシップ風記事まで加えている。

2005年2月、北海道知事を顧問にして、180市町村からなる「北海道駐屯地等連絡協議会」(会長・山口幸太郎千歳市長)が結成された。「自衛隊の現体制維持」を求めて各方面への働きかけが始まった。2008年11月には東京で「中央決起大会」が開かれ、「北海道の自衛隊体制維持を求める決議」も行われている。翌12月には北海道議会で、「北海道における自衛隊の体制維持を求める意見書」が採択された。そこでは、自衛隊削減が「地域の安全と安定、さらには地域経済や地域社会に大きな影響を与えている」とある。

北海道の防衛関係交付金は、連絡協議会の資料によれば、2004年度で、基地交付金(総務省)17億6000万円(全国比6.78%)、調整交付金(総務省)2100万円(0.5%)、特定防衛施設周辺整備調整交付金(防衛省)15億8000万円(%の表示なし)、同SACO関係特別交付分(同)3億6000万円、米軍再編交付金(防衛省)6600万円の、合計43億5000万円ほどである。駐屯地がなくなれば、これらの補助金・交付金はこなくなる。また、子どもがいなくなり、学校が廃校になる。税収が減るので自治体は苦しい。旺盛な消費者がいなくなるので、消費が冷え込み、地元商店は苦境にたつ、等々。だが、これらは別に安全保障の問題だけでなく、旧国鉄や旧営林署の問題と実によく似ている。旧国鉄の分割民営化により、北海道の赤字ローカル線は軒並み廃止された。道央・道北を結ぶ重要拠点の名寄機関区もなくなって、大量の国鉄マンと家族が転出した。名寄には第3普通科連隊が駐屯しているが、この駐屯地が廃止されれば、町の過疎化は一気に進むというのだ。旧国鉄、旧営林署、自衛隊と、国の政策の変更により、現場に混乱が生まれている。これは、炭鉱がなくなり、財政破綻に向かった夕張など旧炭鉱町の問題と似たところがある。

『広報ちとせ』2009年2月号の特集は「千歳から自衛隊が去る日」である。部隊改編のない千歳市でも自衛官の数は1年で200人近く減少した。千歳市では、自衛官が納付する市民税と防衛施設周辺整備事業費の合計は52億円。千歳市の財政約467億円の11%にあたる(2006年度)。また、自衛官の消費支出額と部隊の維持・物販費は463億円にのぼり、市内の商品販売額の27.6%を占める(2007年度)。500人規模の部隊が削減されたときは、1年間で市民税が7000万円以上、消費支出額が27億円以上減少すると予想されている。その他にも、町内会役員から少年団の指導者がいなくなるなど、「自衛隊の部隊の削減は、まちづくりのさまざまな活動を停滞させます」とも書いている。

この人々にとって、自衛隊の組織や装備の中身は問題でない。自衛隊の任務もあまり関係ない。とにかく、一定の人間集団が組織的に存在すること自体が重要なのである。北海道の自衛隊は、「何から」「何を」守るのか。地域における税収や消費を「守る」。町内会役員や少年団指導者を「守る」。そういうために存在するということになれば、高額の装備を持たせて配備するのは筋違いも甚だしい。まさに本末転倒である。

2010年度予算をめぐっても、前述の連絡協議会は、戦車や火砲の削減を再考し、自衛隊の体制維持を防衛省に求めている(『千歳民報』2009年8月25日付)。戦車を減らすなとは、必要な脅威を前提とした議論ではなく、戦車連隊(ないし戦車群)の部隊を地域にはりつけられるかにかかっている。

私も6年間、北海道民だった。町内会にも自衛官(陸曹クラス)がいて交流。生活面ではよき隣人であった。だから、駐屯地がなくなり、下士官クラスの隊員とその家族がいなくなるという危機感は理解できなくはない。突然、生活の場面から、子どもたちが大勢いなくなる。その地域は冷えきるだろう。たが、他方で、私と家族は6年間、戦闘機の訓練や、島松・恵庭演習場での実弾砲撃演習(105ミリ、155ミリ榴弾砲)の騒音が日常生活のなかにあった。私が住んでいた町の福祉施設に、20ミリ機関砲弾が飛び込んだこともある。炭鉱がなくなり、営林署が統廃合され、あるいは大きな企業が倒産して社宅がなくなる。これまでも、さまざまな地域で、そうした風景が繰り返されてきた。地域の人々の気持ちは理解できるが、だから自衛隊の現状をそのまま維持すべきだということにはならない。

補助金(交付金)の「麻薬効果」も大きい。基地交付金・補助金にどっぷり依存した自治体にとって、駐屯地の廃止は死活問題だろう。一例を挙げる。網走支庁の美幌町。第6普通科連隊の駐屯地がある。第5旅団隷下の部隊だが、650人しかいない。列国の歩兵大隊クラスである。2004年に重迫撃砲中隊が廃止されたため、家族を含めて210人が同町から転出した。「ソ連軍、北海道上陸か」と煽られた冷戦時代とは異なり、この部隊全体を維持することはかなりむずかしい。だが、町長は、「うちが過疎法の適用外なのは〔自衛隊〕駐屯地のおかげ」という(『朝日新聞』2009年5月13日付北海道版)。自衛隊駐屯地を維持して、その補助金・交付金で過疎化に歯止めをかけようというわけである。

こうした北海道の自治体の動きをどう評価したらいいだろうか。冷戦時代、最大の「脅威」とされた旧ソ連の北海道侵攻に備えて、道北に第2師団、道央に第11師団、十勝から道東にかけて第5師団、機動運用の機甲師団として第7師団の計4個師団を配備していた。だが、冷戦構造が崩れて以降、巨大な軍事力を維持しておく必要性は急激に低下した。とりわけ北海道に4個師団をはりつけておく必要性が著しく低くなった。地域紛争や「破綻国家」や「テロとの戦い」などを可能な限り派手目に考慮に入れたとしても、冷戦時代と同程度の軍隊を維持する必要性はない。とりわけ北海道に大部隊(2個師団、2個旅団)を配備する積極的理由は見当たらない。特に「唯一の機甲師団」である第7師団は、着上陸した旧ソ連自動車化狙撃師団2ないし3個師団を迎え撃つことを想定していた。冷戦後は、そうした必要性はなくなった。高額な戦車を大量に買う必要もない。片山氏の着眼点はまさに問題の急所を突いていた。

だが、北海道の自治体は、戦車や火砲の削減にまで反対している。理由は、「防衛」上の必要性では決してなく、ただ、ただ、税収と消費を「守る」ために。「自衛隊に依存しない街づくり」は、米軍基地に依存しない沖縄をいかにつくるかという課題と重なる。

なお、片山氏の主張はその後修正されて、「平成17年度新防衛大綱・新中期防衛と防衛予算について」(『フィナンス』2005年2月号40~53頁)として発表されている。「現実的」な方向にトーンダウンしたことが確認できるが、しかし「災害派遣は自衛隊の仕事ではない」という片山氏の主張も、それ自体は間違っていないと考える。パフォーマンスの側面があるとしても、片山氏が2004年に要求した項目すべてを「気まぐれ」と考えるのは早計だろう。

阪神淡路大震災以降、自衛隊は災害救助装備を強化し、「ビッグレスキュー」など、大規模災害対処訓練も実施している。2008年10月31日には、東北方面隊震災対処訓練「みちのくALERT2008」が行われた。宮城県沖地震を想定したもので、宮城・岩手2県の24自治体の78箇所で、16000人が参加した。複数の県にまたがる大規模な実働訓練は全国初という(『朝日新聞』2008年10月31日岩手県版)。

この訓練を統裁した東北方面総監の宗像久男陸将は、陸幕防衛部長をしていた2004年7月、片山さつき主計官と、陸自の予算削減をめぐってやり合った人物である。片山氏と予算折衝の体験をもつ宗像氏は、陸自予算獲得の根拠に説得力を持たせるには、大規模な災害派遣訓練は有効と考えたのか、自らが大部隊を仕切れるポストに就いて、壮大なるデモンストレーションを展開したのだろうか。

そもそも「災害対策には自衛隊」という発想が問題なのである。消防を軸に災害対策の専門組織を充実させる方が合理的である。一例を挙げれば、新潟県中越地震を検証したNHK総合テレビの番組(2007年1月30日)のなかで、新潟県と自衛隊との微妙なズレが紹介されていた。山古志村が孤立したとき、陸上自衛隊第12旅団は、ヘリコプターの暗視装置を使って、村の状況を詳しく撮影していた。その情報に基づき、暗闇での活動は困難と判断した12旅団は、翌朝まで活動せず、夜明けを待って村民のヘリ輸送を始めた。ところが、当時、新潟県知事は、陸自がそのような情報をもっていたことを知らなかったという。もしも、そのビデオテープが陸自から提供されていれば、県が持っているきめ細かな情報と突き合わせて、その夜のうちに、重点を決めて救援活動ができたかもしれないと、知事はいう。一刻の猶予もならない大災害にもかかわらず、自衛隊はその情報を県に提供しなかった。なぜかと問われて、第12旅団長の松永陸将補(当時)は、「自衛隊は軍事組織ですから、情報をすべて県に提供するということはしない」と述べた。「軍事組織ですから」という言い方の向こうに、災害派遣はあくまでも「余技」であるという思考が透けてみえる。

では、「自衛隊に依存しない北海道」をいかにしてつくっていくか。これは、なかなかむずかしい。補助金(交付金)漬けになった自治体には、麻薬をやめるのと同様の苦しみが伴う。今後、自衛隊に対する徹底した、本格的な「事業仕分け」を行い、例えば、22DDH(平成22年度ヘリ搭載護衛艦)というヘリ空母や、45トン戦車(TK-X)、PAC3などをすべて再検討することが必要だろう。8月に先送りした「防衛計画大綱」もさらに凍結し、自衛隊を組織として根本的に転換することが必要だろう(詳しくは、『平和憲法の確保と新生』など参照)。


付記:本稿は昨年秋にある程度完成していたものである。先週、ハイチPKOに自衛隊が派遣されることが決まった。PKO等協力法の5原則に抵触するおそれもある。いずれ、この問題についても論ずる予定である。なお、先週から入試・学年末繁忙期に入ったため、執筆時間がまったくとれない。毎週月曜の更新は、既発表原稿の転載などで対応したい。一部読者に送信している「直言更新ニュース」もしばらくお休みする。

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