「9.11」10周年から見えてくるもの 2011年9月12日

年の2月、古本屋で「9.11」関係の新聞号外を5枚入手した。7カ月後の「9.11」10周年の直言に使うためだった。全国各地の多くの号外があったのだが、1枚が高額のため、予算の都合上、『岩手日報』『福島民報』『デーリー東北』(青森)、それにThe Daily Yomiuri』と『スポーツ報知』の号外(Extra)を購入した。東北3県紙を選んだのはまったくの偶然だったが、今思えば『河北新報』(宮城)も買っておくべきだった。なお、スポーツ紙を購入したのは、撃墜されたユナイティッド航空93便に、早大理工学部2年生が搭乗していたことを、唯一トップに持ってきていたからである。

「3.11」のあと、『福島民報』号外を半分に折って学生に見せると、「死者数千」という見出しから、誰もが「3.11」のそれだと勘違いした。「9.11」と「3.11」。ともに「それまでの価値観が大きく転換した」と言われるほどの大きな出来事だった。ここ1 週間ほど、メディアは、「あれから10年」と「あれから6カ月」の特集を一斉に行っている。そのなかで、『ニューズウィーク日本版』2011年9月14日号の特集「3.11と9.11――二つの悲劇、失われた転機」が興味深かった。リード文は「アメリカを戦争に駆り立てた『恐怖』の物語と日本を緩慢な日常に引き戻した『美談』の氾濫」である。

東日本大震災6カ月なのに、いまだ原発収束の目処はたたず、震災からの復興のテンポは鈍い。内閣も変わった。だが、この内閣は「不完全状態」(平野博文・民主党国会対策委員長)だそうで、目の前の台風12号災害についての対応は、この台風と同様、あきれるばかりの「鈍行」だった。和歌山や奈良の山間部には、少なくとも4 箇所、決壊のおそれのある「土砂ダム」(川が土砂にせき止められたもの)がある。「いま、そこにある危機」が進行中にもかかわらず、首相の動きが見えない。「まず福島、翌日和歌山」。まるで日程消化のような被災地視察が続く。「平成になって最悪の豪雨被害」と言われる紀伊半島の大被害が目の前にあるのに、である。

一方、前原誠司政調会長は、就任後わずか6日でワシントン入りし、「武器輸出三原則」見直しや、海外における自衛隊の武器使用緩和について踏み込んだ発言をした。内閣としてまだ何も議論をしていないのに、「素人」防衛大臣を無視して、前原流の「破壊的軽口」とパフォーマンスで、好き勝手をやっている。紀伊半島の被災者救援には鈍行で、米国に対してはまさに超特急のサービスである。これについては次回詳しく書くことになろう。

さて、『ニューズウィーク日本版』に戻る。この号で注目されるのは、「9.11」への冷静な眼差しだろう。湾岸戦争についても、その「意図せざる結果」が議論されたが、「9.11」についても、著名雑誌が冷静な編集を行ったのは注目される。

まず、A.サリバン(政治評論家)は「恐怖に屈したアメリカの敗北」と題する論稿で、「私たちはそろそろ自らの誤りを認めるべきだろう」と書き、「私たちを打ち負かしたのは、ビンラディンとその手下ではない。彼らもまた敗者だ。私たちは自分たちの恐怖に負けた」と断ずる。「無実の人間に拷問を加え、自国の憲法を軽んじる破産国家アメリカ。そんなアメリカを誰が相手にするだろう。…私たちの文明が生き延び、存続してきたのは、過ちを犯すたびにそれを認め、その多くを正してきたからだ。だが、恐怖はただの誤りよりも手ごわい。恐怖を克服できるのは希望だけだ。そして希望は、与えられるものではなくつかみ取るものだ」と。

B.ライデル(元CIAテロ分析官)は「アルカイダを増長させた対テロ戦争の過ち」について語り、これに、「アメリカに翻弄された戦地の10年」と題する現地レポートが続く。後者では、アフガンやイラクの「語られざる過酷で悲しい物語」が描写される。2001年以降、米軍とNATO軍の死者数は2700人以上、戦費は現時点で3360億ドルに達する。
   「増長させた過ち」や「翻弄された戦地」という言葉づかいに、米国の「テロとの戦争」に対して距離をとる姿勢が見て取れるだろう。

ところで、ドイツのdie taz紙は、「“9.11”で誰が得をしたのか」という観点から、興味深い特集版を出した(die taz vom 3.9.2011)。「9.11」は二つの戦争の根拠に使われ、基本権を制約する法律の理由ともなった。国防予算は2倍に増えた。「テロへの不安」で利益を享受した者はいろいろいる。冷戦が終わり、大規模な国家間紛争に備える装備を売るのが困難になるなか、「テロとの戦争」は無限の需要創出装置として機能した。軍事産業にとって追い風となったことは間違いないだろう。P.Bennishはいう。「9.11」が世界を変えたわけではない。世界を変えたのは、ブッシュ大統領が世界を戦争に導く意図を宣言した「9.12」である(die taz vom 5.9.2011)。

「テロとの戦争」に参加することについても、各国は米国により強いられたという印象がある。しかし、米国はドイツに対しては「具体的援助」を要求しなかった。むしろ、社民・緑の党のシュレーダー政権が自ら協力していったという(Die Welt vom 5.9.2011)。日本も同様だろう。「Show the Flag」(旗を見せろ)も、米国が圧力をかけてきたように装ったが、実は「外圧の国内政治的利用」をはかる日本の外務官僚の仕掛けだった日本でも、「テロとの戦争」への関わり方について、冷静な検証が必要だろう

オバマ政権はイラクとアフガンからの米軍を撤退させる一方、ピン・ポイントで「テロリスト」の幹部を殺害する作戦を展開している。特に今年5月のビンラディン容疑者殺害は、米国の相変わらずの傲慢な面を世界にさらした。

5月2日付各紙夕刊の見出しは分かれた。夕刊一面担当デスクの判断に、各社のそれぞれの特徴が出た。『読売新聞』は「ビンラーディン殺害」、『毎日新聞』は「ビンラディン容疑者殺害」、『朝日新聞』は「ビンラディン容疑者死亡」。「ラーディン」とのばすのは趣味の問題としても、「容疑者」を付けるか呼び捨てか、「殺害」か「死亡」か。夕刊最終版(4版)締め切り間際、どのような見出しを打つかで、各紙の夕刊担当当番デスクの判断の違いが出た。自爆の可能性もあり、米軍からの一方的情報だけで見出しをつけず、この時点では「死亡」と打った『朝日』の判断は正しい。

5月19日の夜遅く帰宅してテレビをつけると、フジテレビの「ニュースジャパン」が始まっていた。お茶を飲み新聞を読みつつ、ながら視聴をしていると、知性を感じさせない女性キャスターがこういった。「ビンラディン容疑者の暗殺で…」。えっ、聞き違いではないか。暗殺? フジのホームページで検索したところ、米大統領選挙に向けた候補者選びを報じたところに、「ビンラディン容疑者暗殺で、一気に支持率を回復させたオバマ大統領は、その直前に余裕のパフォーマンスを見せていた。…」とあった。私の聞き違いではなかった。

その後、ビンラディン容疑者に続き、アルカイダのナンバー2も殺害された。なお、米国はリビアの指導者カダフィ大佐についても標的作戦を展開したが、「非国家的武力紛争」において、軍とそれを支援する部隊が、「敵対的戦闘員」を、具体的な敵対行為以外のところでも意図的に攻撃することは、国際人道法上許されるかという問題が出てくる。ビンラディン容疑者殺害の日、「9.11」遺族のなかには、「真実を知りたかった」と、生きて逮捕し、裁判にかけることを求める人々もいた

「9.11」から10周年というこの時点で、「9.11」直後にカルフォルニア州バークレー市議会が挙げた決議(2001年10月16日)を改めて見ておこう。 いま読みなおしても、この決議が、米国がブッシュ政権のアフガン攻撃になだれ込み、冷静さを失っていたときに出されたことに、驚きと感銘を覚える。特に(5)は、中東の石油への依存からの脱却を説いている点で、そして原発を含めず、太陽光などの持続可能なエネルギーへの転換を求めているという点で、「3.11」の「フクシマ」を体験したいまから見て、きわめて先駆的なものと言えよう。

(1)「9.11テロ」を糾弾し、犠牲者と救助にあたる人々への連帯を表明する。
(2)アフガニスタン空爆を停止し、罪なき人々の命を危うくすることをやめ、米国兵士のリスクを減らすことで、暴力の連鎖を断ち切ることを求める。
(3)テロを共謀した人々を国際社会とともに裁判にかけるあらゆる努力をすることを求める。
(4)あらゆる国々の政府と協力して、テロリズムの温床となる貧困、飢餓、疾病、圧政、隷属といった状況を克服するために努力することを求める。
(5) 5年以内に、中東の石油への依存を減らし、太陽光や燃料電池などの持続可能なエネルギーへの転換をめざすキャンペーンに、国全体で取り組むことを提案する。

(2011年9月8日脱稿)

トップページへ。