秘密保全法で何を「保全」したいのか(その1) 2012年5月28日

富蘇峰が『国民之友』22号(1888年5月)に執筆した「インスピレーション」という一文がある。そこに、次のような含蓄ある言葉がある。


「人は常に我が胸中の秘密を語らんとする者なり。…胸中の秘密は、決して長く胸中に隠伏する者には非ざるなり、口に顕はれざれば、挙動に顕はれ、挙動に顕はれざれば、容貌に顕はる…蓋し人間が有する所の四支五官は、総べて是れ人間が心中の秘密を顕はす間諜者なり」(藪禎子他校注『新日本古典文学大系26・キリスト者評論集・明治編』〔岩波書店、2002年〕209頁)


 人は何か秘密を持った場合、それを隠しておくことは難しい。口には出さなくとも、手や体の微妙な動きにあらわれ、顔にも出てしまう。人の体全体が、心のなかの秘密を外にバラしてしまうスパイのようなものだ、ということだろう。なかなか鋭い指摘である。

 秘密を「保護」あるいは「保全」しようとするならば、秘密が存在すること自体を知られないようにすることから始めなければならない。秘密を扱う人を限定し、接近しようとする人すべてを疑ってかかる。そうやって秘密が秘密を生んでいく。秘密の自己増殖である。古今東西、秘密と秘密漏洩のイタチごっこが無数に繰り広げられてきた。でも、そうまでして守るべき秘密とは何か。誰の、何のための、どのような秘密なのか。そういう根本的な議論が抜け落ち、いずこにおいても、「秘密は秘密だから秘密なのだ」というシンプルな理由が一人歩きしていく。

 冷戦時代にさまざまなアネクドート(小話)が普及したが、そのなかにこんなものがある。モスクワの「赤の広場」で、酔っぱらった男がウオッカの瓶を振り回しながら叫んだ。「ブレジネフ〔共産党書記長〕は大馬鹿者のアル中だ」 男は駆けつけた国家秘密警察(KGB)によって逮捕された。容疑は、国家元首侮辱罪ではなく、国家秘密漏洩罪によって。この種の小話は独裁政権の国々に、さまざまに変形されて存在したし、いまもそういう国々ではネット上に生息しているようである。

 情報公開や「開かれた政府」を標榜する民主主義国においては、公開が原則であって、秘密は例外的にのみ認められる。「国家的自己価値観が否認された今日の民主主義国家においては、ア・プリオリな『秘密保持原理』はその基礎を失い、秘密保護に特別の正当化が必要となった。原則=例外関係は逆転されたのである」(拙稿「現代国家における秘密保護」日本公法学会『公法研究』50号〔有斐閣、1988年〕91頁)。

 だが、公開が原則で秘密は例外といっても、そう簡単には実現しない。民主主義国家においても国家秘密は増殖の一途をたどり、日本にも秘密保護法制が存在し、それ自体かなり問題をはらんでいる(詳しくは拙稿参照)。

ここにきて、「秘密だから秘密なのだ」という法案が浮上してきた。「秘密保全法案」である。2011年8月8日、「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」(長・縣公一郎早大教授)が、「秘密保全のための法制の在り方について(報告書)」を発表し、そこで秘密保全法の制定を提案した。これを受けて、政府の「検討会議」が同年10月7日、通常国会での提出に向けた法案化作業を決定した。その後、今国会への提出は見送られたものの、タイミングを見計らって提出してくるだろう。

 この法案化に対して、日弁連は2012年1月11日に会長名の反対声明を出し、15弁護士会が会長声明や意見書を出した(4月20日現在)。

このうち、大阪弁護士会はこの4月21日、「秘密保全法とは何か?――その危険性と問題点」というシンポジウムをいち早く開催した。パネリストは毎日新聞元記者で、かつて沖縄密約を暴露し、国家公務員法違反で処罰された経験をもつ西山太吉氏。最近、山崎豊子原作『運命の人』のテレビドラマ(キー局はTBS)で、彼の役を本木雅弘が演じたのでご記憶の方もあろう。それから、軍事評論家の前田哲男氏である。これまでさまざまなシンポジウムなどご一緒してきた。私を含む3人で、3時間にわたり、秘密保全法について多角的に論じた。私が語ったことについては次回書くことにして、今回は秘密保全法が出てくる背景事情について少し述べておくことにしたい。

 いま、なぜ秘密保全法なのか。この法律の制定を正当化しうる立法事実は何か。前述の「有識者会議」報告書によれば、従来からの外国情報機関等による情報収集活動による情報漏洩に加えて、政府の保有する情報がネットに流出して、短期間に世界規模で広がるケースが起きているという事情が挙げられている。念頭に置かれているのは、2010年9月の尖閣沖漁船衝突事件のビデオ流出事件である。“sengoku38”を名乗る海上保安官がネットに流したものだった。この問題については、1年半前の「直言」でも触れたので立ち入らない

特に深刻だったのは、2010年10月、警視庁公安部のマル秘資料114点がネット上に流出した事案だろう。そこには、公安部国際テロリズム緊急展開班13人の警察官の個人情報(顔写真、家族構成、現住所、自宅電話番号、携帯番号、非常連絡先等々)から、監視対象者の氏名、住所、顔写真、勤務先、家族構成、捜査協力者の本人情報、在日イラン大使館員50人の全給料明細、海外捜査機関(FBIなど)捜査要請資料、銀座「かに道楽」でのイラク大使館内部情報提供者の聴取資料等々。世界中で1万人以上の人がこれをダウンロードしたという。日本のテロ対策の手の内は世界に暴露されてしまった。しかし、「被害者」であるはずの警視庁は、これが本物であることをなかなか認めようとはしなかった。秘密資料はその存在そのものが秘密なので、それが暴露されてしまったことは大変な痛手だったようである。

 同年11月、東京の書店がこの114点を書籍の形で出版した。東京地裁はすぐに出版や販売の差し止めを命ずる仮処分を出した。

出版社は地裁に訴えた人物の部分だけを黒塗りにした第2版を出版した。裁判所の差し止めが続いたため、第3版はほとんど真っ黒になり、読めるところはわずかになった。

 だが、このような流出を防ぐために、市民やメディア関係者まで捕捉するような秘密保全法が必要なのだろうか。秘密活動の秘密が秘密活動に関わる者によって外に出されたわけで、背景には部内の対立もいろいろとりざたされている。部内対立を生むような活動のあり方こそが問題なのではないか。海保ビデオ流出にしても、海保関係者のなかで広く見られていたもので、むしろその流出の背景には、漁船衝突事件をめぐる政治の迷走と稚拙な対応があった

ここで秘密保全法案について考える上で、これまでの秘密指定文書の公開事例から、政府は何を、どのように秘密にするのか、あるいはしたがるのかについて、実務の一端を見ておこう。

例えば、イラク戦争のとき、航空自衛隊の輸送機がイラクで一体何を運んでいたのかは一貫して伏せられた。実はほとんどが武装した米兵だった。まさに武力行使と一体化する違憲行為を行っていたのである。だが、この事実はイラク戦争の最中は表には出なかった。日本はあくまでも「復興支援活動」をしているということで、国民は事実を知らされていなかった

写真をご覧いただきたい。イラクに派遣された航空自衛隊小牧基地のC-130が、一体何を運んでいるのかについて、愛知県の市民が情報公開法に基づき、浜田靖一防衛大臣に公開を請求した。写真の右側は浜田大臣が公開したものである。2006年11月9日付の航空自衛隊航空支援集団司令官から航空幕僚長(運用第2課長)にあてた「週間空輸実績(報告)」。発地から着地、人数に至るまですべて黒塗りになっている。

 「政権交代」後、同じ資料を、今度は北沢俊美防衛大臣に公開請求したところ、すんなりと認められた。それが左側の写真である。統合幕僚監部の受付印の番号が「第3535号」と一致するから同一事項であることが分かるだろう。浜田大臣のときに黒く塗りつぶされていたところを見ていくと、イラク各地から主にバクダッドに向けて、武装した米軍人を空輸していたことがわかる。「備考」欄には、「小銃9、拳銃9」と携帯武器の中身まで書いてある。政府が国会答弁で、主に国連職員などを空輸していたということが嘘であったことが明らかとなった。

 なお、北沢防衛大臣(当時)の「決定書」(2009年9月24日)には、2009年5月21日に浜田防衛大臣(当時)が不開示とした部分について、これを開示する理由としてこう書いてある。「本件異議申立てにつき、処分庁として審理した結果、原処分において不開示とした部分について、現時点で不開示とする理由がないことから、そのすべてを開示することにした」と。4カ月前に「不開示」にしていたのに、なぜ突然、「不開示とする理由がない」ことになったのか。それは9月の政権交代である。鳩山内閣が政治主導を前面に出していたこともあり、北沢大臣は官僚の助言を受けたのだろうが、前大臣とは違った。まだ政権交代の数週間後で、目立ったことをやろうとはりきっていた頃のことである。もし政権交代が起きていなければ、この文書はずっと非開示だったはずである。政権交代のささやかな成果とはいえる。

 次の事例は冒頭の写真である。「弾道ミサイル等に対する破壊措置の実施に関する訓令」(平成19年防衛省訓令第9号)8条1項に基づく「弾道ミサイル等に対する破壊措置の実施に関する達」(平成19年3月23日)、「弾道ミサイル情報の受領及び伝達要領」(同)などの情報公開により公開された資料である。そこでは、行動準備に関わる手順や、早期警戒情報(SEW情報)の具体的ありようなどが黒塗りになっている。手の内を相手に知られたくないということだろうが、過剰すぎないか。「保全のための措置」は完全黒塗りである。秘密の保全の保全は徹底している。

少し拡大して見ると、「伝達要領」の「目的」の箇所ですら黒塗りであることから、ここに特定の国を想定した略語が入っているのではないかと推察される。それゆえ、「定義」部分でも黒塗りが続くわけである。

最後にもう一つ。外務省安保政策課の「秘(無制限)」の印が押された資料も、秘密指定解除されたものを見ると、黒塗りの箇所が目立つ。例えば「集団的自衛権を巡る議論とその論点整理」(1996年4月3日)では、内閣法制局がいう「武力行使の一体化」は憲法9条との関係で問題があるとする下りが、なぜか真っ黒に塗りつぶされている。ここでどのような見解が「整理」されていたのだろうか。前後の関係から推測すると、外国による武力行使と一体視されるものは憲法上問題があるというケースが具体的に論じられているようである。これがなぜ公開できないのだろうか。そういう例を挙げて論じたこと自体を秘密にしておきたいということだろう。単なる「論点整理」の資料のなかでも、このようにして秘密は作られていく。

日本のお寒い情報公開の現状を改善することなく、秘密保護法制に加えて、新たな秘密保全法を制定することは、情報をめぐる原則と例外の関係を逆転させるおそれなしとしない。次に、この法案の内容と問題点について見ていくことにしよう。(この項続く)

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