大学の文化と「世間の目」 2012年8月6日


方近くになると、駅の売店(キオスク)には、夕刊紙の派手な見出し広告が張り出される。「小沢が○○」「野田内閣○○」等々、政治ネタが多い。マンネリ化も否めないが、「世間の目」や「空気」を反映している面があるので、週に数回は購入している。ただ、ネタの底がすぐ見えてしまう記事が多いので、リサイクルボックスに直行となるが。

さて、7月21日(土)、駒沢大学で憲法理論研究会のミニシンポジウムを主催しての帰り道、渋谷駅で夕刊紙の見出し広告が目にとまった。「早大凋落!」。「また何か事件?」と思いながら購入し、車内で記事を読むと、「最新予測 13年入試 早大凋落加速」「法学部などハードル下がる」という大見出しで、来年度入試の注目点を「徹底検証」したという。中身は予備校関係者などの声をまとめたもの(『夕刊フジ』7月22日付)。不況下の就職難で「理高文低」傾向が進み、特に法学部が落ち目だという。逆に、NHKの連続テレビ小説「梅ちゃん先生」の影響で、女子の医学部志願者が急に増えているそうだ。何ともシンプルな観測記事だが、これが「世間の空気」なのだろう。早大は「不人気の法学部が狙い目だ」ということで、最後は受験生への逆宣伝の効果大と、入試担当者が喜びそうな結論になっている。

ただ、2面の結びの部分では、「明らかに向いていない職業を希望している場合は、再考を促すアドバイスが必要だ」と、「親の役割大きい」で終わる。中・高校生の子どもを持つサラリーマンに受けるオチで部数を稼ごうという狙いが透けてみえる。

ここ10年ほど、大学に対する「世間の目」はますます厳しくなっている。それは、学費負担者としての「親の目」という形をとる。学生の学費を負担している父母の存在は重要である。これは昔も今も変わらない。しかし、昔の親には、大学との微妙な距離感があった。学費は負担していても、単位が取れているか、留年しないかなどは本人任せ、学生である娘や息子のことにあまり口を出さない。関心はあるのだけど、逆に過度に関心があることを見せたくない。そんな美学もあった。だが、ここ10年で大きく変わった。個々の科目の試験(出題の仕方)にまでクレームをつけてくる親もいる。そうした声を含めて、「世間の目」を過度に意識して、さまざまな施策が打ち出されてくる。そうした積み重ねのなかで、大学における文化は明らかに変わってきた。

 一般社会でも人間関係の希薄化が危惧されている。大学でも、教員と学生との間の何気ない会話が、「セクハラ」や「アカハラ」といった定型的な枠にはめられて非難される可能性は、10年前の何十倍も増えてきた。「公益通報」(内部告発)制度は学校法人にも適用されることから、教授が講義で特定企業を批判したら、その授業に参加していた社会人学生(当該企業の社員)が、公益通報窓口に通報するということまで起きる時代になった。教授の講義に不適切な点があると考えたならば、授業後の質問や手紙(メール)などを通じて、教授自身に直接正すのが大学の文化だった。「公益通報」が一般的に有効な場合もあるのだろうが、上記のケースは明らかに行き過ぎである。授業内容への介入という点では、事柄の性格は異なるが、「天皇機関説事件」のときに、各大学の法学部で美濃部説に従って講義していないかどうかをチェックするために、受講学生のノートを文部省が調査していたことを思い出した

「バスに乗り遅れるな」式に、セメスター制、シラバス、FD、ロースクールなど、横文字の文化が日本の大学に一斉に導入されて久しい。これらにより、大学での教育がよくなった、と本気で思っている教員はどれだけいるだろうか。

 加えて、大学の入学時期までいじろうという動きがある。東大総長が唐突に秋入学の導入をぶちあげた。経団連会長とのタイアップのようで、この場合、「世間の目」は経済界の一部に特化されているようである。そもそも国際化や留学生に対応するためなら、いまやっている学部ごとの特性に応じた対応措置で十分である。全体の仕組みを変える必要はない。

 それに、入試をこれまで通り2〜3月にやって、秋入学までの半年間を、短期留学やボランティアをやらせるという。いわゆる「ギャップイヤー」だが、それは英国の大学の歴史のなかで出てきたもので、日本の大学に接ぎ木するのには大いに疑問である。秋入学までの「ギャップイヤー」を徴兵制(実際は、自衛隊に半年入隊させる)につなげて語る者まで出てきたから、要注意である。

東大がやるとなると、すぐに便乗する大学がある。その逆を行くのが「学風」だったはずの某巨大私学も、秋入学には距離をとりつつ、クォーター制(4学期)の一般的導入を決めた。少なくとも法学部では、その実現は今後ともあり得ないだろう。なお、その大学の理事会は、教員が懸命に研究・教育に努力しているときに、給与10%削減や研究費半減といった脱力する方針ばかり出してくる。その際、常に意識されているのが「世間の目」である。私は、「世間」の要請も受け入れつつも、もっと大学は「世間」から適切な距離をとるべきだと考えている。大学と「世間」がまったく同じ思考になったら、大学の存在意義はなくなる。それは、高柳信一氏が説いた、学問の自由の「両面相反価値性」(アンビヴァレンス)である(詳しくは、後述の拙稿に引用されている)。

 『現代思想』2012年4月号の特集は「教育のリアル」である。中学や高校の現場の教師も執筆しており、義務教育から大学教育までの今日的問題性を多角的に明らかにしている。「キャリア教育は何をもたらしたのか」「公教育を再定義する」「センセー、もう話し合うのはやめて、多数決で決めて下さい!――擬制の民主主義と学校の生き詰まり」「教育疲労の正体」「政治主導の教師政策のゆくえ」「『空気を読む沈黙』をつくるもの」「奨学金はどこへ行く」等々。タイトルから伺えるように、いまの教育状況をリアルに抉ったものが多い。この特集に私も参加を求められた。そこで「直言」で書いたものを再構成してまとめたのが、拙稿「『消費者サービス』と『博士多売』の世界――わが体験的大学論」である。「直言」をまとめたものを再び「直言」に転載するというのは、原稿の使い回しの極致かもしれない。ただ、「直言」のそれぞれの論稿を整理して一本にまとめたことで、大学をめぐる今日的問題状況の一端を私なりに明らかにしたつもりである。この機会に通読していただければ幸いである。


《付記》写真は大隈講堂改修中の写真(2006年10月17日撮影)と3号館の建て替えの写真(2011年9月13日撮影)である。




「消費者サービス」と「博士多売」の世界
――わが体験的大学論――

水島朝穂

はじめに――大学の「原点」からの乖離

 最近、カール・ヤスパース『大学の理念』(福井一光訳、思想社、1999年)を再読した。十数年前に読んだ時には気づかなかった、思わず声が出るくらいズバリの指摘に幾度か遭遇し、赤線を引く手にも力が入った。本書は、ナチス政権下の「大学の道義的破壊」を克服して、「大学の根源的精神を再び蘇生させる」(緒言)ため、戦争終結直後の1945年5月に書き下ろされた新版が1946年に出版された。その年に公布された日本国憲法23条(学問の自由と大学の自治)と同時代の産物と言えるだろう。そこでヤスパースは大学のあるべき姿についてこう述べる。

 「研究と授業の統合は、大学の高い、捨て去ってはならない原則なのです。何故なら、…最高の研究者が理念上、同時に唯一の善き教師だからなのです。研究者は、確かに教授法的に不器用なところがあり、学ぶべき素材の単なる伝達には拙いところがあったとしても、しかしそうした研究者のみが認識の本来的な過程との接触を…可能にするからです。彼こそは、それ自身生きた学問なのであり、こうした人間との交流の中に、学問が、如何にしてそれが根源的に存在するのかということが直観されるのです」と。

 戦後日本の大学復興にあたっての理念から、今日の大学はどれほど乖離したか。本稿は、私の個人的体験を中心に、私のホームページや連載のなかでその都度発信してきた、昨今の大学の問題状況に関する言説をまとめたものである。


1.「走る大学」への変貌

30年の経験から

私が大学で教えるということを始めてから、非常勤を含めると今年で30年になる。地方の私大と国立大に12年半勤務してから、現在の職場に赴任した。地方の大学にいた頃をふりかえると、何よりも時間的余裕があったと思う。1996年に現在の職場に赴任するとともに生活は大きく変貌した。授業コマ数が激増し、会議の数も半端ではない。それでも2003年くらいまでは、まだどこか余裕やゆとりがあった。何より授業が楽しく、自由な雰囲気で取り組めた。研究もおおらかにできた。

 2004年頃からその生活が激変する。学内の各種書類がやたら細かくなり、提出期限も短く、取り立ても厳しくなっていった。研究成果の公表についても、大学がいろいろ注文をつけるようになってきた。学会出張をしても、航空機の半券まで提出を求められる。かつての大学には、教員へのおおらかな信頼関係が存在したが、それが薄らいでいった。もちろん、研究費などをめぐる教員側のゆるみの問題もある。だが、教員側の弱点に乗じた管理強化のなかで、大学の命とも言うべき学問・研究の自由、教育の自由は確実に縮減しているように思う。その大きな転換点が、2004年だった。あるいは、ゆっくり締め上げてきて、この年に一気に顕在化したと言ってもいいだろう。

 私の勤務する大学では、この年に大きな組織改編が行われた。法学部、大学院法学研究科、比較法研究所に私は所属しているのだが、それらを合わせた「法学学術院」が発足し、それが本属となった。国立大学の独立行政法人化に合わせて、理事会の権限を強め、トップダウンに傾斜した運営に転換することを狙ったようである。法学部はこの改編に最後まで反対した。それもあって、私は2008年まで名刺に「法学部教授」と刷ってきた。「学術院」になって8年が経過するが、この組織改編が研究・教育の発展に何かプラスになったという話はついぞ聞かない。昔から私の大学は学部自治が強く、それが自由闊達な雰囲気の基礎にあったように思う。「学術院」になってからは、理事会が教務事項にやたらと口を出すようになり、脱力するような施策が次々と学部に押しつけられるようになった。

 背景には、少子化時代における「生き残り」競争に勝ち抜くとして、大学が「世間」の目を過剰に意識し、「世間」の要求に過度に迎合していったことがある。また、「経営」の観点を突出させて、大学の原点から離反する昨今の風潮に悪のりしていったことも大きい。『飛ぶ教室』というドイツの小説・映画があるが、そのタイトルだけに引っかけて言えば、最近の大学は「走る大学」である。せわしく、細かく、慌ただしく、結果オンリーで、前のめりで走っている。多様で豊かな、ゆったりした知の交流の世界は、いまや一斉・一律・迅速・画一的な世界に変貌しつつあるのではないか。

「大学のいま」の縮図=センター入試

 大学のそうした状況を、ある意味で「先取り」していたのが大学入試センター試験だろう。2010年1月、私も何年かぶりに1 日駆り出され、たっぷり10時間拘束された。帰宅後、ネットを見ると、試験監督をやった全国の大学関係者がブログで語っているのを30本近く見つけた。ブログには、「ヘトヘト」という言葉が頻出する。

 「ロボットのように」時間通りにやる。注意事項を毎時間、一字一句同じように読み上げる。大学教員にとって、この一律性は美学に反する。同じことを繰り返すことも苦手だ。だが、ちょっとでもアドリブを加えようものなら、次の時間にはすぐに試験本部にクレームが届く。試験監督の歩き方、動き、ため息に至るまで。新聞に出ることもあるから、そのヒヤヒヤ感が各ブログから伝わってくる。

 一地方大学の教員は、「試験監督中に、お腹が『グ〜グ〜』と鳴ってしまった。受験生に気づかれ、振り返って睨まれてしまった」と書いている。また、ある大学では、監督員の打ち合わせで、「マスクをしていいですか」という質問が出た。マスクをしていると、受験生に「風邪をうつすなよ」と鋭い眼で見られ、逆にマスクをしないで咳をすると、「チッ、マスクぐらいしろよな」という呟きが聞こえてきたという。センター入試の監督要領は回を重ねるごとに分厚くなっていく。あらゆる事態を想定してマニュアルは作られるから、異様に細かくなるわけだ。『神聖喜劇』(大西巨人)が描いた軍隊内務班の世界と重なり、苦笑してしまった。

 その昔、大学入試はもっとおおらかだった。1979年の「共通一次試験」から大学入試は一変した。本来、入口から出口まで、大学がそれぞれの特徴を出すことが理想である。だが、自前で入試問題を作る負担感を減らすという幻想にものって、一斉・一律の方式が国立大学で始まった。その後、「センター入試」という形になり、私の大学も含めて、私立大学の多くが安易に参加していった。

 自分の学部の入試なら、受験生を見る目も違う。目の前の受験生のなかから、自分が教える学生が出てくるかもしれないから。事実、何年か前の法学部の一般入試で監督をした私が、注意事項告知でジョークを飛ばし、緊張を和らげてくれて助かったという話を、後にゼミに入ってきた学生から聞いた。私も関わった2010年センター入試では、ある地方大学で、監督がマニュアル通りに終了宣言をした後、アドリブで「ご苦労さまでした」と言ったところ、受験生が「ありがとうございました」と応えたという。アドリブ厳禁のなか、何とも微笑ましい風景だが、しかしその教員もブログで認めるように、その大学に起きたレアケースだろう。

 そもそも大学入試は、大学教員が自分たちで作った問題を、自分たちで監督し、採点して、合格を決める。入学者の決定は、「大学の自治」の重要な要素である。だが、センター入試に限らず、中央集権型の仕組みをとると、教員と受験生との関係は、一律で無機質な関係になりやすい。センター入試では、受験生は、試験監督をロボットとしてしか見ない。試験場として来ているだけという受験生も多いことから、監督者にも、受験生に対する前述のような気持ち(「愛情」)はわきにくい。その結果、試験場には、前述のマスクをめぐっての話のような、殺伐たる空気が流れる。もし、大学が1年365日、「センター入試状態」になったら…。これは決して杞憂ではないだろう。


2.誰も幸せにならない「改革」

「教授の成績は3.3」

古い資料の束のなかから、『アエラ』(朝日新聞社)1993年6月8日号の黄色く変色した切り抜きが出てきた。タイトルは「早大法学部教授陣の平均点は3.3」。93年に法学部学生自治会が授業評価アンケートを初めて行ったことを報じたものだ。「年間の講義計画は明確か」「ノートはとりやすいか」「板書は読みやすいか」など17項目を5 段階評価している。最高点は4.6。最低は1.2。「30年前の自分の恩師の教科書を使い、これを朗読する講義」も紹介されている。これを読んだ頃、私は別の大学に勤務していたが、母校の当該教授の顔を思い浮かべて苦笑した。

この種の授業評価は全国に普及し、今ではネット上にも「授業評価」もどきまで存在する。こうした学生の授業評価は、授業の活性化には必ずしもつながらない。「板書が読みやすいか」という設問を置くことで、めったに板書をしない私みたいなタイプの教員は、この項目だけで一気に点数を下げる。結局、学生の授業評価は、講義の質を過度に平均化させる「一方的画一化要求」として機能していく。記述式の評価欄には、教員の人格を否定するような決めつけや悪口も書き込まれる。これが、どれだけ教員の士気を下げ、教室の雰囲気を悪くしてきたことか。

なお、私の学部では、長い議論の末、数年前から授業評価を記名式にした。ただし、試験が終わり、評価も出た後で実施する。学生は名前を出して、授業運営に対する意見をいう。教員が、こうした声に耳を傾けるのは当然だろう。これにより、「2ちゃんねる」的な悪口雑言的な授業評価はかろうじて回避できている。

民間企業でも公務員の現場でも、「第三者評価」や「外部評価」が広く普及した。誰もこれに表立って反対はしづらい。だが、「評価」の名目で、管理や統制がさまざまな分野に普及していったことも否定できない。「授業評価」も安易に実施していると、その狙いから外れていく危なさをもっていることを自覚すべきだろう。

サービス過剰がもたらすもの

「消費者である学生にもっとサービスを」。90年代に入り、米国経由の大学論が跋扈し、大学への「世間」の注文は格段に増えていった。大学もサービス精神旺盛になり、昔の学生なら想像できないようなお節介が定着していった。学生もそれを当たり前のように受け入れている。「小さな親切、大きなお世話」、「小さなお節介、大きな迷惑」、そして「小さな勘違い、大きな害悪」へと膨らんでいく。

 例えば、「シラバス」という授業計画書。奇妙な横文字とともに、大学文化のなかに完全に定着した。今では、詳細な「計画」を出すことが自己目的化している。年々、教務の指示も細かくなり、数年前から、ついにゼミまで毎回の内容を書くことが求められるようになった。最初、教員からは驚きの声があがった。ゼミでやることを事前に書けるはずもないからである。だが、「シラバス」はネット上に公表されるからというので、全教員に一律に要求された。

 検索でヒットすることを意識して、より詳細かつ具体的記述が求められる。とにかく書けばよいということで、私は第1回「人権(1)表現の自由」、第2回「人権(2)生存権」みたいに書き入れた。ゼミ生に話すと大笑いだった。ゼミの場合、「シラバス通りには絶対にやらない」ことが最初から分かっていても、この無意味な書類作りに時間を要した。壮大なる無駄が全国の大学で、膨大な時間をかけて行われている。

授業の形にも変化が生まれた。かつては、専門科目は通年4単位が多かったから、7月になると「夏休みは、こういう本を読んでおくように」と課題を与えて、前期授業は終了。10月に後期が始まり、1月に試験をやって、4単位を認定する。講義で扱うテーマも進度も、とやかく言われることはなく、数回にわたり一つのテーマを掘り下げて講義することも可能だった。90年代の終わり頃から、「国際化」がいわれるようになり、留学生もいるからということで、大した熟慮もなしに「セメスター制」なるものが導入された。ほとんどが春学期2単位、秋学期2単位という形になった。

かつて専門科目は「単位のバラ売りはしない」がポリシーで、前期・後期とじっくり1年かけて授業するのが普通だったが、セメスター制になると、2単位とったら、もうその科目はとらない、あるいは別の担当者の授業に乗り換えていく。一見、選択の余地が広がったようにも見えるが、体験上、セメスター制が学生の学力にプラスの効果を与えたとは思えない。表面的な情報の範囲は広がっても、テーマや問題について辛抱強く熟考することの助けになっているかは疑問だからである。職員の繁忙もかつての比ではなくなった。

一体、こうした制度の導入で、誰が幸せになったのだろうか。誰の利益にもならない「改革の連鎖」は続く。それにより、学生の学習意欲があがり、学力が向上したかといえば、むしろ、社会全体の「知の表層化」や「知の衰退」に寄与している面があるのではないか。

「国民の祝日」も休まない

2009年度からは、さらに無意味なことが加わった。授業の半期「15回」義務づけである。文部科学省の指示だそうで、大学の教務部がその一律実施を求めてきた。「教育の質を高める」というのがその理由だが、授業回数という「量」の問題が、なぜ授業の「質」の向上に連動するのか、まったく理解できない。複数の学部で異論が出たが、結局、全学一律実施となった。その結果、15回確保のため、「国民の祝日」まで授業をやることになった。私も、2010年は初めて、4月29日(「昭和の日」)に授業をやった。

こうした教育現場の変化は、学会活動にも影響を与えている。かつて憲法の学会は5 月と10月の平日に行われ、授業を「学会休講」にして参加した。学会出張だから休講は当然という意識があった。ところが、2004年に法科大学院ができたとき、学会出張の規制が行われるようになり、それが定着してしまった。休講には補講が義務づけられるが、15回だと、補講を何度も入れることは困難になる。勢い、研究のための出張も自粛されるようになった。学会の平日開催はあり得なくなり、土日・祝日を使った開催となった。そのため、学会の途中で帰る地方大学の人も出てきた。月曜1限の授業を入れている人は、夕方5時までの学会に出席していては、交通機関の関係で、その日のうちに帰れないからである。

一昨年10月の京都での学会のおり、ある教授が、「私は全国憲法研究会の創設以来、一度も休まず皆勤しましたが、明日の「体育の日」は休日授業のため初めて欠席します。残念です」と私に語り、足早に去っていかれた。その悔しそうな後ろ姿が、いまも目に焼きついている。

 誰も幸せにしない「改革のための改革」の後遺症は、大学の研究・教育のあらゆる分野に深く沈殿している。


3.結果への強迫と画一化

「異物」の増殖

日本の大学にとって、2004年は巨大な転換点だった。一つは国立大学の独立行政法人化である。もう一つは、専門職大学院の発足である(2003年の学校教育法改正)。ともに大学の歴史において、原理的にも大きな変更を伴う出来事であった。

 大学では、学問はそれ自体が目的であるが、専門職大学院は資格取得に特化され、そこでは学問が手段となる不断の傾きをもつ。それは、大学に持ち込まれた「異物」(Fremdkörper)であり、それは大学の「文化」を確実に変えていった。学問を真剣に追究するのとは別個の問題意識を強烈かつ先鋭にもった学生が大量に入学してきた。学内には、当初とまどいや抵抗もあったが、いつの間にか定着してしまった。

 大学には、画一性と同質性への強迫が蔓延している。他と違ってはいけない。同じ期間、同じ回数、できるだけ同じ内容を、同じように提供する。大学が「世間」に過剰に気をつかい、教員は萎縮する。法科大学院が出来てから、「結果オンリー」の、これまでの大学にはない価値観が蔓延してきた。例えば、ある教員が外国の例を説明しようとその国の話を始めたところ、教員に向かって、「関係ない話はやめてください」と言った学生もいたそうだ。試験に関係ないことは話すな、というわけである。「結果オンリー」の空気は、「厚顔無知」と「傲慢無知」を増殖させていく。いま、この制度のあり方を含め、根本的な総括が必要となっている。

横並び思考の「空気」

故・阿部謹也氏の『学問と「世間」』(岩波新書、2001年)では、「世間」の横並び志向が大学のなかにも忍び寄ってくる状況が描写されている。1991年に大学設置基準の改定が行われ、一般教育と専門教育の制度上の壁が取り払われた(「大綱化」)。これは、大学における「規制緩和」の最初の一突きだった。これにより、大学における戦後の一般教育は解体され、「教養教育」の改革が行われた。しかし、これは成功したとはいえない。「教養とは何か」についての共通理解なしに行われたからである。

 もう一つは、財政再建的視点である。公務員の定員削減。その行き先が、国立大学等の独立行政法人化であった。国立大学は国民の税金でまかなわれているから、「そこで営まれている学問・研究は果して国民の需要を充たすものなのか」という厳しい眼差しが向けられた。阿部氏は、「独立行政法人化のような乱暴な政策が強行されようとしているのも、まさに国民のそのような目を意識してのことだとすら思われる」と書いている。一橋大学学長だった阿部氏。この本が出版された3年後に、国立大学の独法化が発足する。

 鴻上尚史『「空気」と「世間」』(講談社現代新書、2009年)は、阿部氏の視点を現代風に展開したものと言えるだろう。そこでは、「世間」が流動化したものが「空気」として捉えられている。私の職場でも、教員のボーナスを減額する際、理事会が持ち出した最大の根拠は、「学費負担者の眼」であった。「世間の空気を読め」というわけである。

 ここ10年の間に、「国際競争力」とか「グローバル・スタンダード」といった浮ついた理由づけが熱病のように広まった。どんな仕組みや手段が適切なのか、また必要なのかについての十分な検討も熟慮もなしに、長年行われてきた仕組みが無造作に改変されていった。どの分野でも、「結論先にありき」の傾きに抗しがたく、とにかく「待ったなし」で「改革」は進んでいった。今にして思えば、じっくり議論すれば化けの皮が剥がれるから、急ぎ実現しようとしたとしか思えないような勢いだった。

大学の運営に企業の経営論理が竜巻のように侵入し、いまや大学全体をおおっている。採算性と競争原理が、大学という世界に無理やり持ち込まれるとどうなるか。事務部門にその種の発想をもった「優秀な」人材を登用した結果、大学教員を管理し、動かすことに使命感をもつような職員(幹部)も増えてきた。壮大なる勘違いが増殖されている。

 そもそも大学は、ある意味で壮大なる無駄の逆説である。収益を考えたら、これほどペイしないものも珍しい。だから、税金による助成は不可欠なのである。逆説的に言えば、そこに大学の存在理由がある。

 だが、企業原理が大学に浸透し尽くし、とうとう「株式会社立大学」に至ってしまった。「構造改革特区」制度に便乗して、株式会社が設立した大学である。私立大学を設置できるのは学校法人に限られてきたが、2003年の小泉改革で規制緩和が進み、営利企業に学校設立を認めたのである。こういう形態の大学もいくつか生まれた。小泉・竹中がいなくなり、残ったのは壮大なる荒野である。まさに株式会社立大学は、「小泉改革の遺跡」の一つになるだろう。

ちなみに、モデルとされる米国でも、例えば、カリフォルニア大学バークレー校の一教授が、「大学のキャンパスに、新しいタイプの人物像が現れた。それは『企業家教授』ともいうべき人々で、大学にいることで手っとり早く金を稼ぐことができると考えている人々である」と書き、「市場志向大学」のあり方をさまざまな角度から批判的に検討し、警鐘を鳴らしている(I. Warde「アメリカの大学に見る資金の誘惑」『ル・モンド・ディプロマティーク』日本版2001年3月号)。これは、日本の大学「改革」が、「グローバル化」「国際化」の名のもとに、性急かつ一面的な米国化の傾きをもつことに対して反省を迫るものと言えよう。

「開ききった大学」

いつの時代においても、「世間」や国家権力が大学や学問の世界に過剰に期待し、過剰に介入した結果生まれるものは、学問と大学の荒野である。その恐ろしさに、多くの人々は気づかない。「国際競争力をつけろ」「国民のニーズにこたえよ」「もったいない」といった「世間」の注文や要求は、それ自体としては反論しようがない。大学が「学の独立」の理念を大切にしながら、「開かれた自治」を求めていくことは正しい。だが、特定の方向に「開かれすぎた大学」、あるいは「開ききった大学」は、「学の独立」を失ったに等しい。それは、経済・社会の真の発展のためにもマイナスだろう。「世間」のニーズや短期的な利益などから距離をとって、すぐには役に立たないかもしれないが、長期的な文化や科学の発展に寄与するような地味な研究、基礎研究がしっかり行われる空間、それが大学である。私は企業との協力一般を否定するものではない。ただ、研究費配分が先端研究に傾きすぎた結果、基礎研究が脇に追いやられ、大学全体が、企業と完全に一体となった研究に傾斜していく。その先には、企業の研究所と変わらない「開ききった大学」があるのではないか。

 いま、大学には、学問の本質や大学本来の目的とは必ずしも適合しない制度が生まれ(例えば、職業養成や資格取得に特化したもの)、従来の大学では「枝葉」の存在だったものが、大学の根幹部分に影響を及ぼしつつある。その結果、「無邪気ゆえに危ういエリートたち」はますます成長・増長していく。

 何よりも、大学における一番の危機は、私自身を含め、学問の自由が縮減されることに馴れてしまったことだろう。大学の歴史上、露骨な権力的介入の手法をとらずに、ここまで大学を統制できた例はないのではないか。

 著名な憲法学者が、2005年1月の最終講義で述べた言葉が忘れられない。「皆さんが社会に出てから、大学をやさしく見守ってほしい」と。数年後には卒業して、「世間」の一角をしめることになる学生たちに、大学でやることをもっと長い視野で見守り、すぐに成果を求めないようにと呼びかけたのである。


4.「博士多売」の風景

学位授与の仕組み

ここで博士学位の取得について、私の所属する法学研究科を例に、簡単に説明しておこう。まず、学士の学位を取得した者が、専門科目と語学1カ国語の試験に合格して、博士前期課程(修士課程)に入学する。講義・演習に出て、所定の単位を取得する。研究指導を受け、修士論文を書き上げたあと、かつてはすぐに2カ国語の語学試験を受ける。これに合格しなければ、博士後期課程(ドクターコース)には進めなかった。後期課程は3年間。その間に原則として博士論文を完成させる。博士論文を出さないで単位取得退学した者は、その後の3年間は、課程博士論文を申請できる。それ以降は、一般と同じく、「論文博士」として審査を受ける。

 なお、2年前、この博士後期課程に進学する際の語学試験を廃止した。修士論文だけで博士後期課程に進学できる。「マスター・ドクター(MD)一貫制」と呼ばれている。語学試験は、博士論文資格試験として、博士進学後にどこかのタイミングで1カ国語を受験すればよい。そして、計画書と達成度をはかれるように、毎年1度の中間発表会を行い、3年間で書き上げるよう指導していく。かつてのように、院生個人の自発性に任せていた面が強かったところを、外から援助、助長、促進していく方向に転換したわけである。

 大学院を担当する者としては、院生と一緒に無心に研究をやりたい。そういうなかから共同研究も自然に生まれる。学問を徹底して追究した人に学位を出したい。そんな学問内在的な形が失われ、「結果への強迫」の空気がいま、大学を厚く、重く覆っている。

大学院政策の迷走と現場

 学問に終わりはない。学位は、学問の途中の一つの区切りにすぎない。だが、いま「世間」で関心を持たれるのは、そういった学問の成果としての学位ではなく、むしろ、就職に有利になるから取得しようという、いわば「手段としての学位」ではないか。民間企業では、キャリアアップのため、経営学修士号(MBA)をとる人が増えている。大学には、そのための研究科やコースまで新設されている。学内に同じ種類の学位を出す複数の学科が並立する。昔では考えられないほどゆるくなっている。学問体系上の必要性というより、てっとり早く学位取得を目指す社会人の需要に応えるという面が強い。企業の要請もある。そのため、夜間、最短で学位を取得させる研究科まであらわれた。学費はかなり高額に設定してある。薄利多売ならぬ、「博士多売」というのは、あまりいい洒落ではない(MBAは修士だが)。

 他方、「国際化」ということで、外国人留学生もたくさん受け入れなければならない。彼らは学位を取得して帰国することが、本国では当然のように期待されている。そのため、留学生に学位をできるだけ出すことが「要請」されてくる。だが、文系では、実はこれが容易ではないのである。

理系の場合、学位は研究者の出発点である。助手でも講師でも博士号を持っている。だが、伝統的に文系、特に法学や文学では、教授を長くやったあとに、その功労として博士号を出す傾向が長らくあった。近年変わってはきたが、理系に比べればまだまだハードルは高い。この違いを一般の方はあまりご存じない。文系に対して、「もっと学位を出せ」というプレッシャーがかかるのだが、そうすぐに、大量に出せるものではない。ちなみに、博士(法学)になってから学位を授与された人は、早大では1991年から2010年3月までの間で、わずか103件。年平均5件程度である。近年、学位を出しやすくする「改革」が行われてきた。国の大学院重点化政策もあって、とにかく院生を増やし、学位を出すことが求められてきた。しかし、この政策も最近、方向転換を余儀なくされている。

2010年6月、文部科学省は大学院重点化政策を見直し、博士課程の定員減を、全国の国立大学に通知した。「産めよ、増やせよ」と院生の増員を求めながら、ほんの数年で言わば「産児制限」に転ずる。生身の院生や留学生を受け入れている教員の立場からすれば、国の政策の迷走は、研究・教育に重大な悪影響を与えている。そこへもってきて、2004年には専門職大学院という新しいタイプが発足したのである。こうした政策決定過程に関わった政治家や官僚、審議会に参加した大学教授たちは何ら責任をとっていない。

「法務博士」の学位フード

私の大学の場合、アカデミックガウンにかける学位章(フード)は、法学博士が緑色、文学博士が銀灰色、理学博士が黄色、教育学博士が朱色というように、学位の種類により色で区別されている(「式服、学位章、アカデミックガウンに関する規程」6条)。学位授与式のあと、さまざまなカラーのフードをつけた学位取得者が、家族と記念撮影をする光景は毎年のことである。そこへ、2007年3月から新しい色が加わった。濃い緑色である。この年の卒業式では、黒のアカデミックガウンにこの色のフードを付けた200人以上が列を作ってキャンパス内を移動していった。誕生したばかりの法務博士(専門職)たちである。

 いま法学博士と法務博士(専門職)と言ったが、一般の人には、なかなかその違いが分からないだろう。端的に言えば、法学博士は、法学という学問を博士論文を通じて追究してきた者に授与される。これに対して、法務博士は、「法曹(実務家)」になるための資格にすぎない。修士論文も博士論文も語学試験も必要ない。厳密に言えば「学」位ではない。新司法試験受験資格の別名と考えればわかりやすいが、「博士」という言葉を使ったため、やや複雑になった。司法制度改革審議会や中央教育審議会で、どれほど詰めた議論がなされたのかが改めて問われてこよう。

 また、法学博士や医学博士という名称も、現在では正式のものではない。1991年に学位規則が改定され、米国式に、博士(医学)とか博士(法学)、修士(法学)という形に変わったからである(91年より前に取得した人はその限りではない)。1991年は大学設置基準の「大綱化」が行われた年である。法学博士をやめて、米国式の博士(法学)にして、日本語の表記として何かプラスがあったのか、私には未だに分からない。

ディプロマミル(学位証書工場)という言葉がある。学位を売ってもうける商売のことである。ネットで検索すると、米国にはディプロマミルが実に多い。Internationalが付く大学名が多いのは偶然ではないだろう。これだけ多いということは、それだけ需要があるということである。学位を買った大学教授が、経歴詐称で問題になったこともあった。学問についての本末転倒は市場原理の突出が進んだ米国が先輩ということである。

 法科大学院も教職大学院(2007年3月の学位規則改定で導入)も、前述の「博士(○○)」の表記も、すべて米国にならったものだった。その米国の大学では、「企業家教授」という新しいタイプの人物像がキャンパスを闊歩している。日本の大学にも、およそ同僚とは思えない、この種のタイプの教授が増殖している。


5.コピペ時代の博士号――ドイツ政治家の剽窃事件

「大学のマクドナルド化」

ドイツの大学においても、米国化が著しい。社会学者ウルリッヒ・ベックは、「反教育的教育改革」を批判し、「ドイツの大学のマクドナルド化」に警鐘を鳴らす(U.Beck,Die Wiederkehr des Sozialdarwinismus,in:Frankfurter Rundschau vom 5.2.2010)。彼は「ファースト・フードはファースト・エデュケーションに照応する」と指摘し、国家は「マッキンゼー・スターリン主義」を養成していると述べている。市場原理主義と旧東ドイツ的な管理手法の合体が大学を壊していく。新自由主義的な改革を「社会ダーウィン主義の再起」という観点から批判するベックの切り口は、いちいち鋭い。

そのドイツで、大学教授が、学位(博士号)をめぐって検察の取り調べを受けるという事態が生まれた。それを報ずる新聞の見出しは「博士号を売る」だった(Frankfurter Rundschau vom 24.8.2009)。100人の大学教員(教授、講師)に対して、検察当局が収賄容疑で捜査を行った。関係者が所属する大学は全国13にのぼり、医学から経済、法学などほとんどすべての学部にわたった。教授らは、仲介者から1 件4000〜20000ユーロを受け取ったとされる。

 発端は、2008年6月、北ドイツの大学の法学部教授が60件以上について収賄容疑で逮捕され、3年の自由刑の判決を受けたケースである。金を払った裁判官や高級官僚などは、おとがめなしだった。ここには、ドイツの学位授与制度の構造的欠陥が隠されている、と記事は指摘する。もともとあったドイツの学位授与をめぐる仕組みの問題と、市場原理主義が結びついて、「博士多売」が起きたのである。

博士論文剽窃で大臣辞任

ドイツでは、博士学位論文(Dissertation)といっても、日本の修士論文程度のものもあり、博士号は日本よりも容易に取得できる。だから、官僚や政治家はもとより、企業経営者やホテル支配人、商店主まで、名刺をもらうとドクター(Dr.)のタイトルが付いていて、驚かされることがある。ちなみに、メルケル首相は物理学研究で博士号をもち、コール元首相は法学博士である。

 そうしたなか、2010年3月1日、貴族出身の華やかなムードで人気の高かったグッテンベルク国防大臣が、その博士学位論文に大量の剽窃があることが判明し、辞任した。彼の博士論文は『憲法と憲法条約――米合衆国と欧州連合における立憲的発展段階』。2009年発刊で、総頁数は475頁である。私はこれを入手し、ざっと読んだものの、印象に残らなかった。事実叙述がひどく細かいわりに、一つひとつの分析・検討が大味だったからである。文献目録は49頁もあって、本当にこんなに読んだのかと思うほどの分量だった。最近の博士論文の傾向なのだが、パソコンの検索機能やデータベースの法令・判例検索などを使えば、脚注は相当に増える。有名週刊誌が剽窃部分の対比を行っているが(Der Spiegel vom 11.2.2011)、そのなかに、米国の政治制度に関する概説書から拝借した箇所も示されている。一字一句丸写しだった。

グッテンベルク大臣の博士論文の主査は著名な憲法学者、ペーター・ヘーベルレ教授である。私も院生時代から彼の著作は何冊も読んできた。さすがのヘーベルレも、有名政治家からの学位申請については審査を甘くしたのだろうか。残念でならない。バイロイト大学は調査委員会を立ち上げ、前国防相の博士学位を取り消した。

その後、わずか数カ月の間に、欧州(EU)議会議員や連邦議会議員、連邦軍大学講師等々の博士論文が次々に問題化した。当事者となった大学は、バイロイト大学、ハイデルベルク大学、ボン大学、チュービンゲン大学、コンスタンツ大学、ハンブルク大学と、有名大学が軒並みである。なかでもボン大学が複数のケースを出している。かつて首都だった関係で、政治家からの博士論文提出が多かったからだろう。

インターネット上には「剽窃ハンター」が誕生し、政治家の博士論文を執拗に詮索し、ネットに公表している。“VroniPlag Wiki”という博士論文剽窃探索サイトで、まるでバーコードのように、剽窃とされる箇所をカラフルに示す(Der Spiegel vom 18.7.2011)。何割くらいが剽窃かが一目瞭然となる。例えば、赤色は「1頁につき75%以上が剽窃」というもので、ほとんど真っ赤という政治家もいた。これをネタに、新聞各紙に、「論文の46%が剽窃に該当する」といった類の記事が載るようになった。大学は慌てて調査委員会を立ち上げ、該当者の博士号を剥奪していく。殺伐たる風景である。

日本では――法学博士のいない立法府

 国会関係者に調べてもらったところ、医学や工学などの博士号をもつ議員が衆参両院で計29人(うち外国の大学5人)いる。そのうち法学博士(博士「法学」)はゼロだった(『衆議院要覧(乙)』『参議院要覧』等参照)。法学博士が一人もいない立法府というのは、日本だけだろう。

ちなみに、博士課程満期(単位取得)退学の議員は6人いるが、彼らは博士課程に在籍し、博士論文を提出しないで退学したので、博士号取得者にはカウントされない。1991年の学位制度の変更にもかかわらず、「博士課程修了」とホームページなどに表記している議員もいる。厳密に言えば、この「満期(単位取得)退学」を「修了」とすることは、経歴詐称の疑いがある。該当する議員が衆院に2人いた。2004年に、米国の大学在学を「卒業」と偽ったとして、経歴詐称で辞職した議員がいたことが想起される。なお、次の総選挙では「法務博士」の議員が誕生する可能性もあるが、これは厳密な意味での学位ではないので考慮に値しない。

近年、大学は、「国際競争」や「生き残り」のために、てっとり早く学位・資格を取得させよという「世間」の要請に前のめりでこたえている。本来、研究は自由なものであり、一人ひとりの院生・研究者の内発的な研究意欲の発展こそ重要である。「箔」をつけたい人に「博」をつけるのでなく、学問が好きでたまらず、学問を徹底して追究した人に学位を出したい。だが、昔なら考えられないような手取り足取りの「指導」までして、できるだけ期限内に学位論文を書かせようとする。私もその一端を担っているのだが、内心忸怩たる思いがある。学問の自由(憲法23条)の観点からすれば、研究対象・方法の選択から研究成果発表の仕方を含め、「もっと自由を」が必要ではないだろうか。「薄利多売」ならぬ「博士多売」の世界。ドイツで起きた出来事が、いずれ日本でも起きないと誰が言えるだろうか。


6.「改革」からの解放

「もっと光(時間)を」

学問には、ゆったりとした時間が決定的に重要である。細切れの時間では研究はなかなか進まない。研究者が落ちついて研究が出来なくなった時、学問や文化の発展も停滞する。競争資金に応募して、研究費は自分で調達せよ。その資金は限られた期間に、限られた額を使い切れ。報告書を適時に出せ…。こんな「結果への強迫(オブセッション)」のなかでは、ゆっくり研究などできない。

 研究には波があり、計画通りに進むものでもない。だが、研究者は懸命に「結果」を出そうと、期間内の報告書作りに精を出す。「結果」を大きく見せようと無理して、誠実さを欠いた研究も生まれる。巨大資金を得て、膨大な共同研究を実施しても、目的と手段が逆転した「ハコモノ」的思考、巨大公共事業と同じ発想に陥る危うさもある。私はそんな風潮からドロップして、わが道を行っている。研究はどこまでも個人的なものである。これが基本である。共同研究というのは、その基礎の上に成り立つと考えるからである。だが、本末転倒は至る所に生まれている。

 故・高柳信一氏の名著『学問の自由』(岩波書店、1983年)を執拗低音のように貫流する、学問の自由に関する「分析視角」は重要である。なかでも教育研究の「両面相反価値性(アンビヴァレンス)」についての指摘は、いま重みをもって響く。高柳氏はホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を引きながら、大学とは「遊び」に起源をもつこと、それは「自由な行動」、「非日常性」(必要・必然からの自由、目的−手段連関の「外」にあること)、「完結性・限定性」からなる、と書いている。

 怒濤のような「改革」が大学の現場にもたらしたものは、高柳氏の指摘とは正反対の「必要」への従属、「結果」への強迫、「自由な時間」の喪失であった。「自由な時間」(スコレー)への切々たる思いは、研究者の「健康で文化的な最低限度の生活」を問い直さずにはいられないだろう。それは、今後の後継者たちの人的供給のありよう、その学問体系や内容、研究者のありようなどへの影響とも絡んで、現在および将来の学問にかかわる重要な問題を含む。多くの大学教員は、「もっと光を!」(ゲーテ臨終の言葉)ならぬ、「もっと時間を!」と心底叫ぶだろう。

大学再生の道はあるか

「構造改革」の大学版が全国の大学を席巻したが、いま、その荒野からの復興が課題である。では、大学に「再生」の可能性はあるだろうか。そもそも大学は、社会からも(「世間」からも)自律性を保つ必要がある。社会や国家による介入を免れて、学問の純粋な「理念」を貫徹しようとすれば、大学は自らの任務と活動に責任を負い、かつ他からの干渉を受けない。これが、ベルリン大学の創設者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが説いた「孤独と自由」である(西山雄二編『哲学と大学』未来社、2009年)。大学は、目先の競争や社会の喧騒から免れ、純粋に学問を追究する。そこに大学の存在理由がある。原点には、「孤独と自由」があるべきである。

 2008年のノーベル物理学賞を受賞した京都大学名誉教授の益川敏英氏は、その著書『学問、楽しくなくちゃ』(新日本出版社、2009年)のなかで、大学の役割は基礎研究にあるとして、こう述べている。

 「大学での基礎科学を枯らしてしまったら、100 年後、社会は大きなダメージを受けることになります。このところ大学は、国立大学の法人化とか、研究費の削減とか、いろいろな形で基礎科学を切り縮められているのですが、このことは大きな問題だとぼくは思っています」と。

 そして、大学は最終的には科学の発展に責任を負いながら、研究成果は最終的には人びとに役立つものでなければならないが、急ぎすぎてはいけないとして、こう続ける。

 「いま、『競争的資金』ということで、研究者自身が研究費を獲得するためにあまりに力が消耗されている傾向を感じます。…『評価』にあたっては、その学問なり研究が『面白い』と思える判断を下せる能力が重要だと思います。…『今すぐ役立つかどうか』という物差しで『評価』するのはまずい。…『第三者評価』ということもよく言われますが、…その研究テーマを研究している研究者以外は本当の面白さは分からない…。学問の発展とは無関係な『評価』になってしまう」。こう述べて、益川氏は「競争的資金」や「第三者評価」の過剰傾向を批判し、こう続ける。「私は、『そうしたことをしてしまったために科学の発展が遅くなってしまった』となるような時代が必ずくる…。100年後に役に立つ科学もある」と。益川氏のノーベル賞受賞も、実際の研究成果発表からかなり時間がたっていただけに、実に重い言葉である。

ここで、今や完全に色あせた民主党「マニフェスト」の付属文である『民主党政策集 INDEX 2009』を想起する必要があるだろう。そこには、「大学改革と国の支援のあり方」という項目があった。「産業振興的な側面ばかりでなく、学問・教育的な価値にも十分に配慮を行います」「自公政権が削減し続けてきた国公立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直します」…。まったく結構な政策だったが、民主党政権はこれとまともに取り組むことなく、公約違反を続けている。


むすびにかえて――「改革」に乗らない選択

「○○改革」の名のもと、「誰のための、どのような改革なのか」という視点を曖昧にしたまま、「改革」に次ぐ「改革」が行われてきた。そうした「改革」の連鎖に踊らされていると、最後には不利益がすべて民衆にふりかかってくる。大学「改革」で言えば、教職員と学生が当事者となる。唐突に出てきた「秋入学」という「改革」も、国際競争力の強化を言う財界の一部からの要望を受けて東大総長が打ち出したもので、いつの間にか「協議には参加する」というTPPによく似た現象が、私の大学を含め、少なくない大学に生まれている。要注意である。「バスに乗り遅れるな」式の「改革」の典型は法科大学院だった。「秋入学」でまた同じ誤りを繰り返してはならない。

 こういう時代だからこそ、「改革」の本質を明らかにしていく作業が求められると同時に、「改革」の手続論にこだわる必要がある。その上で、「改革」を選択しないという選択も重要である。この10年あまりで変容した大学を復興させるためには、何よりも原点にもどることが肝要である。そのためには、批判的知を磨き続けることが大切だろう。樋口陽一氏はいう。何か新しいことを主張しようとするあまり、「学説の常識に挑戦しようとする強迫観念が、社会の大状況の場面でのコンフォーミズムと全面的に同調する結果を引き出すという逆説」を伴うことがある。そういった場合、「あえて知の世界での常識をくりかえすという凡庸さに耐えることによってこそ、批判的であれという要請にこたえることができる。当り前のことを誰もいわなくなったとき、その当り前のことを語りつづけることこそが、批判的かどうかの試金石となるだろう」(樋口「学説と環境――建設の学と批判理論」『憲法 近代知の復権へ』東京大学出版会、2002年)と。

 大学にとって「当り前のこと」とは何か。それは憲法23条が保障する「学問の自由」と「大学の自治」である。いまの大学の現実がその「原点」からどれだけ離れてしまったかは、大学に関わる者ならば日々感じていることだろう。これからも憲法23条に基づく大学のあり方を求めて、「不断の努力」と「普段(日常)の努力」をしていかなければならないし、私も一教員としてやるべきことはやっていきたいと心静かに決意している。

なお、この間の大学の変容とその問題性について憲法の観点から論じたものとして、永井憲一監修『憲法から大学の現在を問う』(勁草書房、2012年)も参照されたい。


《付記》本稿は、連載「同時代を診る」62〜65回(『国公労調査時報』2010年3〜6月)、81回(2011年11月)、ホームページ「平和憲法のメッセージ」(http://www.asaho.com/)の2010年3月29日、2011年3月7日、同7月18日を加除、修正したものである。


【『現代思想』(青土社)2012年4月号・特集「教育のリアル」224-238頁所収】

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