政治の劣化と選挙制度――2012年総選挙 2012年12月24日


イツの知人が、『南ドイツ新聞』(Süddeutsche Zeitung vom 18.12.2012)の12.16総選挙に関する記事を送ってくれた。「エンジン全開で」(mit Vollgas)無意味化・自滅に向かって驀進した民主党。復権した安倍晋三氏。「日本は右へ寄る、さらにもっと右へ」。17日付解説記事は、日本の「過去に向けた右転回」を憂慮する。

この選挙結果には、現行の小選挙区比例代表並立制の弊害が劇的にあらわれたと言えるだろう。そもそもこの制度は小選挙区と比例代表の「並立制」ではない。「比例代表の要素を加味した小選挙区制」である。私はこれを「偏立制」と呼んでいる。

 小選挙区で自民党は237議席を獲得した。得票率は43%(絶対得票率〔全有権者に占める割合〕は24%)で、議席占有率は79%に達する。小泉郵政選挙(2005年)では得票率48%で議席占有率73%、政権交代選挙(2009年)では47%で73%だったのに比べると、俗に「4割の得票で8割の議席を得る」とされる小選挙区制効果が明確にあらわれた。

他方、比例区での自民党の得票率は27%(絶対得票率は16%)に対して、議席占有率は31%だった。実は自民党は比例区で前回より219万票も減らしている。それなのに、前回より2議席増の57議席を獲得した(『東京新聞』12月18日付1面トップ)。多党乱立の漁夫の利を、自民党が得たということである。

 ともあれ、比例の数字は政党支持の指標である。自民党は4分の1程度の支持しか得られなかったのに、小選挙区と合わせて294という大量の議席を得た。史上最低の投票率(59.32%)と多党乱立が、この制度の弊害を極限にまで押し広げたのである。

 この状況は、有権者が自民党を積極的に選択したからというよりも、民主党を選ばなかった結果として生まれたものである。直後の世論調査でも、なぜ自民党が大勝したかを問われて、「民主に失望」81%に対して、「自民の政策を支持」はわずか7%だった(『朝日新聞』12月19日付)。ちなみに、この調査では、自公で325議席を獲得したことについて、「よかった」35%で、「よくなかった」が43%だった。2009年の民主党「勝ちすぎ」に対して好意的評価が高かったのとは対照的である。

政党の乱立も今回の特徴である。もともと小選挙区制のもとでは、これほど多くの政党が候補者を立てることはなかった。主な政党が12。社会労働問題専門の研究者のブログでさえ、「未来の党」結成について触れた11月28日の回で、「新党日本」のことを「日本新党」と3度も書き間違っていたほどである。

例えば、東京1区には9党が立候補し、当選した自民党候補の得票率は29.3%だった。3割弱でも当選。7割強が死票となった。本制度のもとでの選挙は、1996年以来6回目となるが、今回はその矛盾が最大化した。一体なぜ、こんな制度が作られ、続いているのだろうか。

たまたま研究室に、内閣発足時の新聞切り抜きの束があった。以前、ネットの「紙もの」専門店から購入したものである。宮沢内閣以降の首相と閣僚の顔が並ぶ。

 1993年夏の総選挙。小沢一郎氏らの造反により、宮沢内閣の不信任決議案が可決された。総選挙の結果、長期にわたる自民党政権にかわって、7党1会派の細川護熙内閣が誕生した。社会党、新生党、日本新党、公明党、民社党、社会民主連合、新党さきがけと、参議院会派の民主改革連合の連立政権である。

 宮沢内閣ができなかった「政治改革」が、この内閣のもとで「待ったなし」と鞭を入れられる。そして、「政治改革」が選挙制度改革の問題に単純化され、選挙制度改革は小選挙区比例代表並立制の導入に矮小化されていった。これを導入すれば、政治が少しはよくなるとメディアは報じた。これが今からすれば、壮大なる勘違いだった。


 1994年1月、並立制を導入する公職選挙法改正案が衆議院で可決されたが、造反した自民党議員などの反対で参議院では否決された。選挙法というのは国民代表の選び方を決める重要法律である。これが国会の一方の院で否決された以上、廃案にして出直すのが筋である。だが、ここで異例の事態が起きた。土井たか子衆院議長(社会党)の仲立ちで、細川首相と河野洋平自民党総裁が「トップ会談」を行い、政治的な手打ちをしてしまったのだ。合意された内容で両院協議会が協議案を可決。それが衆参両院で可決されて、並立制の現行法となったものである。

当時これを推進した旧社会党の幹部は、この並立制のことを「毒饅頭」と呼んだ。言いえて妙。毒は20年近くかけて、社会党(→社民党)を136議席から2議席にまで落ち込ませたわけである。

 この政治的手打ちをどう評価するか。当事者だった細川氏は昨年、「『穏健な多党制』が望ましいので、『選挙区』と『比例』は半々ぐらいが適当と考えており、小選挙区に偏りすぎたのは不本意でした」と語っていた(『朝日』2011年10月8日付)。一方の河野氏もその対談で、「〔並立制が〕正しかったか忸怩たる思いがある」と述べていたが、今回の総選挙の投票日4日前、自民党が「右へ右へとウィングを伸ばしている」(河野氏)という点を記者に質問され、改めてこう語っている(『朝日』2012年12月12日付)。

「〔それは〕小選挙区制度にも原因がある。…正直こうなるとは想定していなかった。当時、派閥のない政党、党組織を重視する政治に変わるという指摘は、かなりくすぐられた。政治にカネがかからなくなると思っていたが、あの時の選挙制度改革が正しかったかどうかは疑問だ」と。

 「かなりくすぐられた」というのは、政治家としての冷静な判断ではなかったということの告白にほかならない。今になって当事者から「不本意でした」とか「正しかったかどうかは疑問だ」という言葉が出てくるようになると、この制度をこのまま続けるのかが鋭く問われてこよう。

 特に今回は死票が劇的に出た。小選挙区に投じられた5962万票の53%が死票になった。民主党に投じられた票(1359万票)の82.5%、共産党票(470万票)の100%が死票になった。共産党の場合、泡沫級の候補者を林立させたため、供託金没収点(有効投票の10%)まで届かず、数億円の供託金を没収される。

 では、これだけの死票を生む小選挙区制は憲法違反か。憲法44条には、選挙人の資格について、収入・財産を含む8つの周到な差別事由を掲げた但し書がある。だが、選挙区や選挙方法について定めた47条にはそれがない。ここから、いかなる選挙制度を採用し、また設計するかについては、広範な立法裁量(国会の判断の幅)が認められると解されている。

 最高裁は、この制度のもとで行われた最初の総選挙(1996年)に関する選挙無効訴訟で、小選挙区制が死票を多く生む可能性があることは否定しがたいとしながらも、それは中選挙区制でも同様であり、小選挙区制を採用したことが国会の裁量の限界を超えるということはできず、憲法の要請や各規定に違反するとは認められないと判断した(1999年11月10日、判時1696号62頁)。

 この死票についての評価は十分ではない。中選挙区制で生ずる死票とはスケールが違う。さらに、小選挙区での単純な死票だけではなく、比例復活との関連をどう絡めて考えるかという問題もある。例えば、東京3区では120298票で落選、沖縄1区では27856 票で3位落選した候補が比例復活当選している。従来の一票の較差だけでなく、この種のねじれた較差についても、今後、訴訟の形で問題提起されるかもしれない。

 最後に、戦後最低の投票率の背後にある問題について指摘しておこう。前回の「直言」では、政治に対する抗議の意味を込めて棄権する積極的棄権者について述べた。今回は、地方の過疎地において投票所がなくなり、投票に向かうのが困難になった人々(特に高齢者)がいたことについて触れておく。『朝日新聞』12月14日付は、過疎化と財政難で、2009年総選挙に比べて1764カ所も投票所が減らされた事実を伝えている。減少率は、島根県の20.3%をトップに、秋田県14.4%、宮城県11.0%…と続く。過疎地では、歩いていける距離にある投票所が廃止された。選管が車で運ぶも、「本数が少なく、時間も決まっているので使いにくい」という声があるという。選挙権は、国民代表を選ぶ大切な権利である。財政難を理由にして、大切な権利の行使を困難にするようなことがあってはならない。戦後最低の投票率の背後には、「構造改革」以来の地方切り捨ての傷跡が疼いている。

 小選挙区比例代表「偏立」制による選挙は今回限りにして、中選挙区制を含む新たな選挙制度の検討に速やかに着手すべきであろう。もっとも、この制度の恩恵に浴した現政権は、比例定数削減以外には、しばらく選挙制度改革には関心を示さないだろう。その点で、今回の選挙無効訴訟に対する最高裁判決が、一人別枠方式の廃止の主張に加えて、どこまで選挙制度のありように踏み込むか、注目されるところである。

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