アルジェリア人質事件をどう考えるか 2013年1月28日

1月16日、アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設がイスラム武装勢力に襲われ、日本人を含む多数が人質となる事件がおきた。アルジェリア政府は、人質をとられた関係各国が慎重な姿勢を求めるのも聞かずに、事件発生の翌日から軍事作戦を強行した。武装勢力29人が殺害され、8カ国37人の人質が死亡するという悲劇になった(武装勢力による直接の殺害なのか、アルジェリア軍の攻撃に巻き込まれたのか不明なため「死亡」と表記する)。アイルランド人の生存者の話として、「アルジェリア軍は動く者全てを撃った」という(1月20日各紙)。人質の救出作戦というよりも、武装勢力の殲滅を優先した可能性もある。武装勢力の狙い、アルジェリア政府の意図、天然ガスなどに利害関係をもつ諸国の思惑、リビア軍事介入以降の北アフリカへの欧米列強の関与、旧宗主国フランスの、マリへの軍事介入とその影響等々、この事件の背景や深層について、解明されるべき問題はあまりにも多い。

 特に、英国の国際石油資本、ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)副社長と、プラント大手の日揮の最高顧問(前・副社長)が死亡している点が注目される。日英の「最高幹部会議」が狙われたという報道もあるが(26日付各紙)、真偽のほどはまだわからない。

死亡した人質の3割近くの10人が、日揮の社員および関係者だった。この数字は重い。軍事作戦で日本人が二桁の死者を出したことが戦後初めて、ということも当然ながら、テロや紛争において、あえて日本(人)を狙うという事態が(おそらく)初めて起きた可能性が高いからである。逮捕された武装勢力の男は、フランス人、英国人、日本人の計5 人の人質を確保するよう司令官から指示されていたという(25日共同通信配信)。武装勢力側は「日本人出ろ」と、国籍で選別していたともいう(『読売新聞』26日夕刊)。

 断定的なことは言えないが、ここは全容解明に向けて、メディアは全力を挙げるべきときだろう。「メディアスクラム」で被害者の家族に取材が殺到することについては、各社とも自粛を申し合わせたそうだが、事件の原因、背景、そこに存在する「闇」を探ることに自粛は不要である。「ご遺体、家族のもとへ」的な表面的取材にとどまることなく、本来のメディアの能力を発揮して、この問題の闇に切り込むべきだろう。

 危惧されるのは、邦人を武力で保護できる「強い国」になれという議論がメディアにかなり流布していることである。邦人保護は大切な国家の任務であり、外務省設置法4条9号に定められている。今回、情報の収集やその後の対応について、日本外務省が十分に機能していたのかが問われてくるだろう。問題は、邦人保護のため、もっと自衛隊を使えという議論である。尖閣諸島をめぐる問題に加えて、またぞろキナ臭い議論が頻出しはじめた。典型は、『産経新聞』26日付大型社説。「安全第一では国民守れぬ」「憲法解釈の見直しが急務だ」「日本人が狙われている」「防衛駐在官の増員図れ」…。

 邦人保護は「法人保護」を経由して、海外権益保護のための軍事力強化の議論に傾きやすい。もし、武装勢力が日本人(日揮の関係者)を意図的に狙ったとすれば、「日本における9.11」ということになるのか。2001年「9.11」では日本企業関係者も亡くなったが、それは「巻き添え」の面が強かった。今回はどうも違うようである。単に海外で活躍する企業が狙われたという一般論には解消できない「闇」の部分がある。このあたりが、事件の全容解明のなかで欠かせない視点だろう。「9.11」のすぐ後に出した直言「最悪の行為に最悪の対応」を改めて読んでほしい。

 安倍首相は「企業戦士」という言葉を使った(1月22日午前の自民党役員会)。「企業戦士の戦死」なのか。これには強い違和感を覚える。自衛隊を国防軍にして、羽田に国防軍兵士が日の丸に包まれて戻ってくるようなことがあってはならない。

 思えば、このホームページを始めた時の最初の「直言」は、「ペルー日本大使公邸人質事件」だった。1996年12月に起きたこの事件について、「テロリストを許すな」という論調が多いなか、「もっと背景を見る必要がある」という短い文章をホームページに出した。これが今日まで16年間休まず続いた「直言」の第一声だった。巨大商社が現地の腐敗した政治と結びついて、現地の人々の恨みをかうようなケースもある。そうしたさまざまな面を掘り下げないで、日本人=被害者という面だけで書くべきではない。そういう思いで書いた記憶がある。

 ペルー人質事件は4カ月あまりかかった。最後は強行突入だったが、そこには大きな問題があった(緊急直言「ペルー・日本大使公邸の大量虐殺」。16年前、「直言」をこう結んだ。「『テロリスト』に対する強攻策ばかりに目を奪われることなく、冷静な視点が必要だろう。これ幸いと、自衛隊のなかに海外法人救出用特殊部隊をつくれという『世論』を煽ることだけはやめるべきである」。ここでは、「邦人救出」ではなく「法人救出」とした。つまり国家が企業の海外権益を軍事力で確保する。海外派兵のルート開拓につながる危うい思考回路である。

 その意味で、1月26日付アサヒ・コムの「天声人語」の見出し「企業戦士をどう守るか」は誤解を招きかねない。手元にある『朝日新聞』26日朝刊の現物には、もちろん見出しはない。ただ、ネットに出すときには見出しが付き、「朝日新聞デジタルヘッドライン」にも同じものが付くのだが、この「天声人語」を執筆した外報部出身の論説委員は、こんな見出しにOKを出したのだろうか。

海外で働く人々の安全をどう確保するのか。そこですぐさま選択の視野を狭めて、「国防軍に」と誘導するのは不純である。今回の事件を、日揮の活動も含めて深く解明して、教訓を引き出す必要があろう。実は、アラブ諸国やアラブ系のアフリカ諸国において、日本(人)の評価はずっと高かった。これを崩したのは、2003年のイラク戦争に対する日本の関わり方である。小泉首相がブッシュ大統領の国際法違反の戦争をすぐに支持して、自衛隊のイラク派遣を行って以降、アラブ諸国における日本(人)の評価は変わった。海外の日本人の安全を本当に脅かしているのは、実は米国一辺倒の「対テロ戦争」への関わり方なのだということに気づくべきである。

2004年4月のイラク人質事件のとき、3人の人質に対する政府の対応は冷たかった。彼らが政府のイラク派遣の方針に批判的だったからである。「自己責任」という言葉が政府高官の口からも飛び出し、一般の人々の人質へのバッシングも凄まじくなった。邦人救出の議論の怪しさを見た(直言「自己責任と無責任」2004年4月19日)。

 ところで、今回の政府専用機の運用は、自衛隊法84条の3で行われた。「外国における災害、騒乱その他の緊急事態」に際して、自衛隊の航空機等により邦人を輸送することができる。ただし、これには、「当該輸送の安全…が確保されていると認めるとき」という限定がついている。

 1990年の湾岸危機の際、邦人輸送に自衛隊機を送れという声が巻き起こった。その時、邦人救出には自衛隊機ではなく、民間機を使うべきだという鋭い問題提起を行ったのが、信太正道氏だった。元特攻隊員で、航空自衛隊のジェット戦闘機の訓練教官〔一等空尉)を経て日本航空の国際線機長を27年務めた方である。私の授業にゲスト出演していただいたこともある。現場を知り抜いているからこそ、政治家が安易に力の政策に向かうことを厳しく批判できるのである。

 なお、現行の自衛隊法84条の3に至る経緯を簡単に述べておくと、邦人救出の議論は、当初は、雑則の100条の5「国賓等の輸送」の規定中「国賓、内閣総理大臣その他政令で定める者」の「その他政令で定める者」として、いわゆる特例政令に在外邦人を含めて解釈することから始まった。1994(平成6)年法律第102号による改正で、第8章の雑則に100 条の8「在外邦人等の輸送」が入った。1999(平成11)年法律第61号により、航空機に加えて、自衛隊の艦船(搭載のヘリ)にまで輸送手段が拡大された。また、隊員と邦人の防護のための武器使用権限も加わった。それが2006(平成18)年法律第118号による改正で、3条1項の「公共の秩序の維持」に該当する本来任務(従たる任務)と位置付けることとされ、根拠規定が第6章に移行して84条の3となったものである。

 政府専用機は、航空自衛隊航空支援集団隷下の特別航空輸送隊第701飛行隊(隊長は一等空佐)の所属である。その女性客室乗務員は、「特別空中輸送員」という女性自衛官である。今回の事件を契機に、「安全が確保されないと派遣できないのはおかしい」「危険なところだからこそ自衛隊を派遣すべきだ」「だから、もっと武器使用基準の緩和を」という議論が起き始めている。この議論の往く果ては、米国海兵隊のようなものを日本も持つべきという議論である。注意すべきは、そうした英米仏並みの軍事組織を備えても、今回のような事件を防ぐことはできなかったことである。むしろ、そうした軍事組織による介入が「テロ」の危険・リスクを高めているということではないか。

 日本企業が海外展開し、世界中に日本人が活動する以上、その安全を守ることは重要である。だが、真の守り方は、現地に溶け込み、現地の人々に信頼されることである。「平和を愛する諸国民(peoples)」(憲法前文)〔平和的解決を望む民衆同士〕のネットワークをいかに創るか。安全を守るためには力の政策を、というのでは内向きの「守り」になる。むしろ、平和と安全の守り方と創り方が大切だろう。今回の事件で明らかになったように、日本(政府、外務省)は大事な情報をもっていない。これは「創り方」がきちんと出来ていないからである。「邦人を守れないのは憲法9条のせいだ。今こそ改憲を」という議論がまたぞろ出ているが、これは議論が全く逆である(「9.11」の背景についても同様)。

邦人保護に真に資するのは、自衛隊を増強し、海外派遣をなし崩し的に拡大していくことではない。むしろそのことが引き起こす反発・反感を考え、テロを誘発する原因となる「闇」を追究していけば、自衛隊を「国防軍」にすることは言うに及ばす、より実戦的な組織改編や運用の変更にも必然的に慎重にならざるを得ないはずである。いかに「平和」を創りだせるのか、という議論を組み立てていくことの方がずっと生産的で有用ではないだろうか。

 目下、入試・学年末の繁忙期のため、この問題を詳しく掘り下げる時間がまったくとれない。この原稿も、採点の合間に時間をとって書き下ろしたものである。来週以降、しばらくストック原稿や「雑談」の掲載が続くが、後日、この問題をしっかり掘り下げて書く予定なので、それまでお待ちいただきたい。


《付記》写真は、羽田空港の待合室から携帯で撮影した政府専用機である(2012年11月2日12時47分)。

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