NATO「北方拡大」は何をもたらすか――「ヴェルダン」と「ミンスク」のメルケル前首相
2022年5月30日

ヴェルダンの戦いから見えるもの

6年前の今日、2016530日、在外研究中のドイツ・ボンで定期購読していた『南ドイツ新聞』(Süddeutsche Zeitung)に「相合い傘の男女」の写真が載った。後日、この記事とパンフレットを組み合わせて撮影したものを、直言「過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン)で使った。オバマ大統領(当時)の広島訪問とセットで下の方に出したので、あまり目立たなかったので、今回、改めてトップに出すことにした。写真を拡大して、左上をご覧いただきたい。「相合い傘」は、ドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領(いずれも当時)である。

  第一次世界大戦中、ベルギー国境に近いフランスのヴェルダンで、ドイツとフランスとの間で凄惨な戦いが行われた。わずかな期間に、両軍合わせて70万人以上の死傷者を出した。正面の白い巨大な「ドゥオモン納骨堂」(Ossuaire de Douaumont)には、約13万人分の身元不明(識別不能)の骨が詰め込まれている(私のヴェルダン取材記、直言「「戦争に勝者はいない」ということ――ヴェルダンで考える」参照)。「ヴェルダン後100年」の式典で、両首脳は、兵士たちの墓の前に頭を垂れ、子ども4人とともに花輪をたむけた。メルケル首相は挨拶のなかで、ここからヨーロッパが始まったことを強調した。式典では、両国の若者4000人が、5000人の兵士の墓標の間に走り込んできた(冒頭左の写真の下参照)。墓に眠っている兵士と同年代の男女である。ドイツとフランスの若者は二度と殺し合うことはない。「ヨーロッパでは戦争はもはや存在しない」というヨーロッパという言葉に込めた二人の決意を感じる挨拶だった。

 
「ミンスクⅡ」に尽力したメルケルとオランド

実は前年の2015211日、両首脳はウクライナ東部の紛争(「ドンバス戦争」)を解決するための「ミンスクⅡ」に尽力していたのである。両首脳の仲介と欧州安全保障協力機構(OSCE)の枠組みのなかで、ロシアのプーチン大統領とウクライナのポロシェンコ大統領が署名した。この合意を得た翌年、ヴェルダンで、ともに尽力したオランド大統領とともに、ヨーロッパへの決意の表明につながったのだろう。なお、この「ミンスクⅡ」の重要性について、侵攻の3日前にアップした直言「ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラルで次のように書いた。 

2015211日、ベラルーシのミンスクで再交渉が始まった。これには、プーチンとウクライナのポロシェンコ大統領、ドネツクとルガンスクの指導者のほか、ドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領が加わった。メルケルの自伝、Ralph Bollmann, Angela Merkel: Die Kanzlerin und ihre Zeit, 2021によれば、1830分に始まった協議は延々と続き、翌12日朝630分に一端合意したが、メルケルによればその後もプーチンとの電話を含む細かな対応が続き、2時間後にようやく、文書の修正なしに合意したという。メルケルとオランドが午前11時頃に記者会見をして、合意を発表した。「睡眠抜きで17時間の交渉」となった。プーチンが「人生のなかで最もハードな夜」と語ったほどだった(S.479)

プーチンをしてそこまで言わしめた文書が「ミンスクⅡ」である。ロシア系住民の自治権を認め、軍事的な対立に終止符をうつとともに、ドネツクとルガンスクの自治権強化のためのウクライナ憲法の改正まで含むものだった。…この「ミンスクⅡ」はその後も遵守されず、今回、プーチンは武力を使って合意の前提を脅かしている。困難な道だが、この合意が重視されねばならない。…

 

NATOの東方拡大は、キューバ危機(1962年)と同根

「ミンスクⅡ」をまとめたメルケルは、現在のところ、「ウクライナ戦争」について沈黙を守っている。「ミンスクⅡ」をつぶしたのはプーチンだけではない。むしろ、ウクライナ政権側のボイコットも大きい(特にウクライナ憲法改正によるドンバスへの高度の自治権付与に対する)。

メルケルはまた、一貫して、NATOの東方拡大に慎重だった。実は、20084月、ルーマニアのブカレストで開かれたNATO首脳会議で、ウクライナとジョージアのNATO加盟が議論された時、ブッシュ米大統領(当時)は「NATOの扉は常に開かれている」という積極姿勢だったが、メルケルとサルコジ仏大統領(当時)はこれに反対だった。結局、首脳宣言では、これを押し切って、NATO拡大が宣言されたという経緯がある。

 このNATOの東方拡大こそが、「現在の危機の根本的な要因なのです」と指摘するのは、シカゴ大学教授のジョン・ミアシャイマーである。『文藝春秋』6月号に、開戦後初のインタビュー記事が掲載されている(146-157頁)。そこでは、「米国は東方拡大に深く関与していきました。いわば、米国は熊(ロシア=プーチン)の目を棒でつついたのです。怒った熊はどうしたか。当然、反撃に出ました」として、ウクライナ侵攻の背景を指摘する。『文藝春秋』5月号で、「戦争の責任は米国とNATOにある」と明言したエマニュエル・トッドのインタビュー記事については、すでに、直言「「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」」で紹介した。これに続くものとして注目される。

  ミアシャイマーの場合、さらに踏み込んで、オバマ政権時代の副大統領として、2014年のウクライナの政変に深く関わり、ロシアのクリミア侵攻・併合を引き出したバイデン現大統領の責任を問うている。「バイデンはNATO加盟の「超タカ派」」として、NATOの東方拡大を押し進めたが、この「戦略ミス」がロシアの侵攻につながったと鋭く指摘している。ミアシャイマーが、ウクライナと、1962年のキューバ危機とを対比する下りには合点がいった。フロリダ半島の南端から145キロという、米国が「裏庭」とみなすキューバに、ソ連が核ミサイル基地を建設しようとしたわけで、米ソの間で核戦争一歩手前までいったことはよく知られている。ミアシャイマーはいう。「米国が2008年以来、ロシアに隣接するウクライナでやってきたことは、ソ連がキューバでやったことと同じではないでしょうか」と。

  ミアシャイマーは、NATO東方拡大の理由として米国の「リベラル覇権主義」があるとみる。ウクライナの場合も、これが背景にあるという。「クリミア侵攻の2014227日以前まで、ロシアの脅威はなかったのです。ということは、東欧の状況を変えたのは米国に他なりません。「西側が善人でプーチンは悪人だ」とういう言説は、米国自身が非難されないための作り話なのです」。ミアシャイマーは、ロシアのウクライナ侵攻の最大の勝者は中国だという。米国はウクライナに深く足をとられ、東アジアに軸足移動できないという戦略ミスをおかし、そこを中国につかれたというわけである。

 

北欧2国のNATO加盟も「火遊び」

ミアシャイマーはいう。「ロシアのような大量の核兵器を保有する大国を追い詰めるのは、きわめて愚かな行為」だと。ロシア軍を決定的に敗北させ、ロシア経済を崩壊させることは、ロシアの生存を脅かす「火遊び」だとして、フィンランドやスウェーデンのNATO加盟の表明についても、紛争をさらに深化させてしまうと危惧する。

 これまで中立政策をとってきたフィンランドは、国民の76%のNATO加盟支持の世論を背景に、36歳の女性首相が、NATO加盟に積極的な姿勢をとっている。すでに必要な手続を終えている。ロシアと1300キロの国境を接し、二度にわたるソ・フィン戦争の結果、戦後77年にわたり、独特の中立政策をとってきた。欧州安全保障協力機構(OSCE)への道を開いた「ヘルシンキ宣言」(1975年)も、東西冷戦下、中立国のフィンランドであればこそ、ソ連・東側の代表も参加できたわけである。1975年当時、まだ生まれていなかった女性首相のNATO加盟への決断が、フィンランドの歴史への深い洞察を踏まえたものなのかどうかはわからない。

長らく軍事的中立を維持してきたスウェーデンも、NATOに同時加盟しようとしている。そうなれば、NATOの「北方拡大」が完成するわけである。両国は、国民の不安感に押されて、他国にない絶妙な安全保障方式を捨てることになるのだが、NATO加盟が安全保障を確実なものにするのかどうか。これはかなり疑問である。すでにロシア安全保障会議副議長のメドベージェフ前首相は、フィンランドがNATO加盟すれば、NATO加盟国との国境が2倍以上になると指摘して、「バルト海の非核化はもう議論できない。(戦力の)バランスを戻す必要がある」として、核配備の可能性に踏み込んだという(『毎日新聞』419日付)。NATOに加盟すれば、フィンランドが平和仲介外交を担うことは困難になると同時に、ロシア国境で防衛力を高める「北欧の要塞化」が進むとする見方もある(ミカ・アールトラ(フィンランド国際問題研究部長)『朝日新聞』516日付)。

  しかし、ここへきて意外なアクターが登場した。トルコである。エルドアンという権威主義的な大統領のもとで人権問題など、数々の問題をかかえる国だが、NATOの新規加盟には加盟国全体の合意が必要という条約の規定に基づいて、トルコは2つの国の加盟に反対している。理由は国内問題だが、本音としては、これ以上のNATO拡大はロシアを過度に刺激して、安全を損なうという現実的な判断があるだろう。メルケルが一貫して追求してきた、ウクライナを「NATO加盟の永遠の待合室」に置くというのと同様、フィンランド、スウェーデンのNATO加盟に時間をかける(あわよくば「永遠の待合室」)というのはそれなりの見識だと思う。

 

NATOの前科「ユーゴ空爆」

冒頭右の写真は、19993月の「ユーゴ空爆」の時に、セルビアにまかれた「伝単」(空襲警告ビラ)である。参加各国の国旗が並ぶ表面には、「我々は全面的に関与している。民主主義の武器は、深い。我々は、何年といわないまでも、何か月も戦うことができる。ヘンリー・シェルトン大将 米統合参謀本部議長 1999430日」とある。NATOといっても、結局は米軍の指揮・命令のもとで作戦を展開するもので、米軍の制服トップの名前でセルビア市民を脅迫しているわけである。裏面には、ミロシェヴィッチ大統領が、コソボにおける大量虐殺や組織的レイプ、強制退去などの犯罪行為をやっていることや、セルビアが世界から孤立しており、それがNATOと国際社会を団結させていること、そしてロシア連邦でさえも、同盟国であると主張していないぞ、という趣旨のことが書いてある。しかも、上の「伝単」はB52の爆撃の場面の絵を使っており、19457月の中小都市空襲の際に日本にまいたB29の「伝単」と同じ発想といえる。裏面には、NATO50周年を勝手に祝った文章が並んでいて、日本にまいた「伝単」の裏面にあった「御承知の様に人道主義のアメリカは罪のない人達を傷つけたくありません。という日本語の傲慢無恥と重なる。「鬼畜米英」と教育された当時の日本人が、「人道主義のアメリカ」を「御承知」のわけがないからである。時空を超えて、空から爆弾を落とす側の傲慢さが見え隠れする。

 NATOの「ユーゴ空爆」が行われるコソボ紛争は「78日間戦争」といわれたが、開始の時点でドイツでの在外研究を始めた私としてはNATOに対するネガティヴな認識を維持している。NATO60周年の際の直言「「家の前の戦争」から10 ―― NATO60周年から引用しておこう。 

NATOはなぜ「空爆」に踏み切ったのだろうか。…組織保存と「存在証明」のための「NATO50周年の花火」だったのではないかという疑いは晴れない。1998年秋から欧州安保協力機構 (OSCE) 監視団がコソボで活動を行い、世界の世論をバックに、ミロシェヴィッチ大統領に方針変更を迫りつつあったまさにその時に、「空爆」は始まった。あたかもOSCEの成果を妨害するかのように。「それ以外の方法がなかった」といわれたが、78日間の「空爆」が終わってみれば、コソボ問題は解決に向かうどころか、憎悪の連鎖をさらに深める結果となった。戦後、NATO軍主体の国際治安部隊(KFOR)が約15000人駐留したが、そのなかにはアルバニア系のコソボ解放軍(KLA) 出身者がいた。彼らは紛争時にセルビア系住民の虐殺にも関わっただけに、セルビア系から反発をかった。言うまでもなく、NATOは国連ではなく、「仮想敵」をもつ集団的自衛権体制である。NATOは紛争の一方当事者に武器を与えるなど、新たな敵を設定して動く。国連のような中立性は期待できないのである。…

 

停戦に持ち込むために

日本の国会では、ウクライナの事態に便乗して、「敵基地攻撃能力」(「反撃能力」と言い換え)から防衛費GDP2%、憲法改正まで、歴史を知らない議員たちがはしゃいでいる。国会審議から緊張感が消えた。大政翼賛状態に近づいている。そうした時、岸田文雄首相NATOの首脳会議に参加するという。NATOの東方拡大の終着点は、日本のNATO実質加盟なのか。15年前に1回目の政権投げ出しをやった安倍晋三について、直言「ナトー好きの首相――送別・安倍内閣(その2・完)」を出した。そこでは、安倍首相(当時)が、「片務的」な日米安保条約を、「双務的」なNATO型条約に変えたいという狙いがあったこと、「日米安保のNATO化」は祖父、岸信介元首相の「見果てぬ夢」だったことを指摘した。「「日本にもっと分担してもらえる」という期待は、従来の金銭的負担だけにとどまらず、文字通り「金だせ、人だせ、血も流せ」という水準になりつつあることを、市民は知るべきであろう。」とも書いた。岸田首相が同じことを考えているとすれば、ウクライナの事態に対応して、日本も積極的なコミットを求められるだろう。

 15年前のこの「直言」では、「日本は、OSCEを軸とする「シビル・パワー」としてのヨーロッパともっと連携すべきだろう。」と指摘している。ウクライナの事態が6月中旬頃を目処に大きく動く可能性がある。停戦交渉の再開の条件も整いつつある。224日の侵攻に際して、プーチンが挙げた侵攻目的のうち、①ウクライナの中立化については、ゼレンスキー大統領がNATO加盟について一歩引いた態度をとるようになったし、②ウクライナの非ナチ化についても、ロシアは、マリウポリでアゾフ連隊を多数捕虜にできたので、しばらくすると「ネオナチ裁判」のようなイベントをやって、自己の正当化をはかるだろう。③ドンバスの住民の安全というのは、ロシア軍の東部制圧によってほぼ達成されつつある。なお、②のウクライナ政権のなかのナチス的要素については、ロシアのでっち上げではなく、米国政府も、20156月に、アゾフがナチスの標章を掲げていることを理由にミサイル供与をやめていたという報道があることを付言しておこう(産経新聞』2015622日付)。

トップページへ