

ユルゲン・ハーバーマスの死
ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)が3月14日、96歳で亡くなった。ドイツの偉大な哲学者であると同時に、全世界的に計り知れない影響を与えた大思想家であった。憲法学の世界では「憲法愛国主義(Verfassungspatriotismus)」の議論において、必ず引用される存在である。民主主義国家において、国民は祖国愛や情緒的な愛国心によってではなく、共通の憲法のもとで、その規範価値を共有することによって統合される。これが「憲法愛国主義」の核心である。排他的でない、憲法的価値観に基づく愛国主義は、1990年のドイツ統一の際に、「ドイツ民族」が前面に押し出された状況に対して批判的視座を提供するものであったが、その後は欧州統合をめぐる別の局面でも重要な論点となった。
『南ドイツ新聞』3月15日付は1面トップに写真を配してその死を伝え、学芸欄では異例の3頁を割き、さらに特集ページ(Die Seite Drei)を加え、著作紹介を含め全4頁をハーバーマスにあてた。「Xデー」を想定して準備された、周到な予定稿であったことは明らかである。いずれも読み応えがあるが、とりわけ同紙の看板である特集ページでは、作家でジャーナリストのヴィリー・ヴィンクラーが紙面全体を使い、詳細な評伝を寄せている。タイトルはDer Sturmvogel(ミズナギドリ)。嵐を追って長距離を飛ぶ海鳥のことで、この比喩は、彼の生涯を一言で性格づけるものとされる。そのポイントは3つある。
第1に、 彼は常に「嵐の前」に現れた。1960年代の学生運動、1980年代の歴史家論争、1999年のコソボ紛争、2022年のウクライナ戦争。社会が「嵐」に突入する直前、あるいはその只中で、必ず姿を現した。第2に、彼は「嵐を起こした」のではなく、「嵐を可視化した」。論争を回避してきた社会に、言葉を与えたのである。第3に、孤独な飛翔。ミズナギドリは群れず、単独で海上を飛ぶ。ハーバーマスもまた、いかなる政党にも属さず、権力の中枢にも入らなかった。しかし決定的瞬間には、無視できない存在であり続けた孤高の知識人であった。
評伝や論稿はおびただしく、数日で読み切れる量ではない。目についたのは、左派系媒体でのアレックス・デミロヴィッチの評伝である。そこで次のように指摘されている。ハーバーマスはナチス犯罪の隠蔽や権威主義的な姿勢の温存といった、息苦しい「復古」の風潮を経験せざるを得なかった世代の一人であった。彼の世代は、とりわけ右派から「高射砲補助兵の世代(Flakhelfer-Generation)」と呼ばれたが、ハーバーマス自身はその反動的な含意を理解した上で、むしろ西側結合を積極的に評価した。マックス・ホルクハイマーが教授資格の授与を拒んだため、マールブルク大学のヴォルフガング・アーベントロート(ヘルムート・リッダーとも学問的に連携した)が教授資格論文の主査を務めた。ハーバーマスの「憲法愛国主義」や民主主義論は、単なる合意形成論ではない。生活世界から出発し、公的議論を通じて政治体制に働きかけ、不断の民主的是正によって、資本主義の反民主的帰結、官僚化、消費主義を抑制しようとする理論であった。
彼の理論は、民主化された資本主義の成果を守ろうとする審判的な立場をとる。同時に、19世紀以来繰り返されてきたドイツの権威主義的傾向を、欧州憲法によって封じ込め、民主主義を次の進化段階へ引き上げることを構想した。
ハーバーマスのアンビバレントな存在の一面も指摘されているが、これらの評価の当否や詳しい言及は専門の研究者にまかせたい。ここでは、「コソボ」と「ウクライナ」に関連したハーバーマスの発言に限って、過去の「直言」を見ておこう。
「直言」で触れたハーバーマス
大学院生時代、ハーバーマスの著作は読んでいたが、「直言」で初めて彼に言及したのは、1999年3月、ドイツ・ボンで在外研究を始めたときであった。コソボ紛争における「NATO空爆」は、国連安保理決議もなく、またNATO条約5条事態(一つ以上の締約国に対する武力攻撃)でもないにもかかわらず、集団的自衛権システムであるNATOが、独立主権国家に対して武力行使を行ったものであった。当時、ドイツ連邦軍の一部軍人が、この国際法違反で違憲の武力行使に参加するなという呼びかけを行った。私はすぐにこれを翻訳してアップした。
このときハーバーマスは、高級週刊紙Die Zeitに「獣性と人道性―法とモラルの間の限界線上の戦争」を発表した。私は直言「哲学者ハーバーマスとコソボ戦争」で、これを批判的に取り上げた。ハーバーマスは、当時の社会民主党(SPD) と緑の党(Die Grünen)の連立政権を支持していた。そして、当時この政権の外相だったヨシュカ・フィッシャーが「二度とアウシュヴィッツを繰り返してはならない」というスローガンのもとで推進したこの空爆についても擁護したのである。

2022年の「ウクライナ戦争」では、『南ドイツ新聞』に二度、大きな評論を寄稿した。最初の論稿は、直言「ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」─ドイツがヒョウでなくチーターを送る時代に」で紹介した。開戦後3カ月という時点で、戦争の悲惨な現実を前に、「情動」「激情」「感情」を体現する政治家が結論を急ぐことへの警鐘を鳴らした。結果的には、ショルツ(SPD)政権の慎重な対応を支持する論調となった。
次が、直言「「勝利する」と「負けない」の間―ウクライナ侵攻1年とハーバーマス」である。この時のハーバーマスの論説は「交渉のための嘆願」というタイトルで、「西側は正当な理由があってウクライナに武器を供給しているが、それは、戦争のさらなる進展に対する責任を共有することになる」として、武器供与そのものは否定しなかった。しかし、戦車から戦闘機へと武器供与をエスカレートさせることを警告するとともに、妥協による戦争終結の可能性を探るべきだと訴えた。そこで提起される核心的な問いは、「武器供与の目的は、ウクライナが戦争に「負けてはならない」ことなのか、それともむしろロシアに対する「勝利」を目指すものなのか」ということである。「何が何でも勝つ」という観点に立てば、武器供給の性能を引き上げることによって、気づかぬうちに第三次世界大戦への入り口を踏み越える危険がある。致命的なのは、「負けないこと」と「勝つこと」の違いが概念的に明確化されていないことだ、と彼は指摘する。
思弁的で難解な言説であり、政治的に明快な提言を読み取るのは容易ではない。「いつ誰と何が交渉できるかを言わずに、交渉の必要性を訴えている」と評される所以である。その後トランプ政権がウクライナへの対応を変化させるなかで、これについてハーバーマスは沈黙したままであった。理性の可能性を微塵も感じさせないトランプ政権の暴走を前に、語る言葉を失ったのかもしれない。
2023年11月、ハマスのイスラエルに対する攻撃から5週間後、ハーバーマスはイスラエルへの連帯声明に署名し、「反ユダヤ主義に反対」の意を表明した。「ナチス時代の大量虐殺を踏まえて」、ドイツ連邦共和国の政治文化において「ユダヤ人の生活とイスラエルの存在権は、特に保護すべき中心的な要素である」と述べた。イスラエルの反撃は「原則として正当化される」としつつも、「比例原則」「民間人の犠牲の回避」「将来の平和を見据えた戦争遂行」が必要だと付言した。
しかし、この戦闘はあまりにも非対称的であり、ガザに対する一方的な殺戮が続いていった。ハーバーマスが署名した11月段階ですでに、ガザに対する殺戮は拡大していた(直言「サラエボとガザの「包囲戦」」参照)。コソボでもウクライナでも、ハーバーマスの言説は中途半端だったが、このメッセージは明確だった。「反ユダヤ主義に反対」「比例原則は守れ」。しかし、それは結果としてイスラエルの殺戮を正当化することにならなかったか(直言「ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか」)。
「イスラエルの存在権」はドイツの国是(「国家理性」)とされてきたが、ガザにおけるイスラエルの暴虐が、ナチスによるユダヤ人迫害とどこが違うのかという批判に正面から答えることはできるのだろうか。ドイツのジレンマについては、直言「イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか―ドイツ政府の異様なイスラエル擁護の背景」参照。
真正の「ならず者国家」イスラエルが、トランプをそそのかし、イランという国家を消滅させる戦争を始めたことについて、ハーバーマスは何も語らないまま、永遠の沈黙に入ってしまった。
「熟議民主政」(deliberative democracy)とは
さて、実はここからが当初予定していた本論である。冒頭の写真をご覧いただきたい。何度も使ってきた2010年10月26日の国会議事堂の風景である。今回は編集機能を使って、「終末」を印象づける「黄昏色」に加工してみた。日本の国会は一体どうなってしまったのか。
19年前に「議事堂とは名ばかりで実は表決堂である」という尾崎行雄の言葉を引き、国会の状況を批判して以来、私は繰り返し「国会表決堂」について書いてきた。ドイツとの比較のなかで、「熟議の府」であるべき国会が「粛議の府」になっていないかと論じたこともある。
ハーバーマスの民主主義論の核心に、「熟議民主政(deliberative democracy)」がある。著書や論説がいろいろあるが、ザックリいえばこうなる。多元的で複雑な現代社会において、民主的な正統性(legitimacy)をいかに確保するか。これは単なる多数決では解決しない難問である。民主的に正当な決定とは、「その決定によって影響を受けるすべての人が、自由で平等な立場で参加する熟議の過程を通じて、理性的に受け入れうると考えられる決定」である。ここでいう「熟議」とは、相手を説得することだけでなく、理由を提示し、他者の議論に耳を傾け、必要であれば自らの意見を修正する姿勢までを含む討議を指す。 この議論の理論的基礎が、『コミュニケーション的行為の理論』(1981年)である。そこでは、相互理解と合意形成を志向する「コミュニケーション的理性」が中心概念として展開され、それを法と民主主義の領域で体系化したのが『事実性と妥当性』(Faktizität und Geltung, 1992)である。憲法改正や緊急権条項のように、「国論を二分する問題」について、いかに熟議を尽くすか。これはどこの国においても重要な課題である。
ちなみに、ドイツでは、60年代後半に基本法(憲法)に緊急事態条項を導入する際、これに反対する運動のなかで、ハーバーマスがいう「憲法愛国主義」を発展させていく動きがあったという(直言「ドイツ基本法の緊急事態条項の「秘密」」参照)。
高市政権は国会を「粛議の府」にした―「国会翼賛堂」へ
日本の国会は「熟議の府」とは到底いえない状況が続いてきたが、2024年10月の総選挙で自民党が衆議院で過半数を割り、野党が予算委員長を獲得してから少し流れが変わってきた。短期間ではあったが、直言「「国会の風景が変わった」―表決堂から議事堂へ」を出して、「熟議の府」の可能性と重要性を説いた。
だが、2025年11月の高市政権の発足により暗転する。再び「表決堂」にもどったどころではなくなった。さらに悪いことに、審議もさせない「粛議の府」に堕していったのである。
もともと高市早苗という人は議論が苦手である。「熟議」とは最も距離のある政治家と私は見ている。勢いよく自己をアピールする支持者向けの演説や派手なパフォーマンスは得意かもしれないが、じっくり腰を据えて、自分と異なる立場の相手と議論する能力が圧倒的に欠けている。野党との協議などが必須の国会対策や官房長官などを一切やらずに首相になってしまった。閣僚の時代もひどかった。直言「高市政権は日本をどこに「戻す」のか」の下の方にある「「停波の高市」を忘れるな」をお読みいただきたい。この人は批判されると顔が豹変し、言葉のモードも一気に変わる。「はったり」と開き直り、そして沈黙。首相になってまもなく、「台湾有事」をめぐる国会答弁が、どれだけの損害を国と国民に与えたか(与えているか)は記憶に新しい。
通常国会の冒頭解散という意表をつく冒険に打ってでたのはなぜか。敵失と選挙制度のおかげで3分の2を超える大勝利をおさめたが、選挙戦中もNHK日曜討論から病気を理由に逃亡した。師匠の「政治的仮病」をしっかり学んでいたようだ。
首相になった高市は、枝野幸男予算委員長のもとで「いじめられた」という意識をもっているようである。予算委員会で野党から追及されるのを恐れて、予算委員長を取り戻したいという思いから解散したのではないか、ともいわれている。それくらい無理のある解散だった。実際、総選挙さなかの2月3日、さいたま市での街頭演説で、「予算委員長が野党だから自分ばかり答弁させられる」と不満を漏らしたという(「衆院選の隠れた焦点「枝野委員長」交代」『毎日新聞』2月6日)。
結果は、予算委員長どころか、国会を完全に支配してあまりある3分の2以上の議席を獲得した。予算委員長には坂本哲志がなった。農水大臣時代、米の品薄に対して「流通の問題であり新米が出回れば解消する」という楽観論を唱えていた人物である。高市の期待を一身に受けて、およそ国会史上例をみない、めちゃめちゃな職権行使による委員会運営を行った。
まず、3日、委員会での一般質疑や予算案の採決を委員長の「職権」で決定。4日からの省庁別審査や中央公聴会の日程も「職権」によって決定した(写真は、TBS『サンデーモーニング』3月8日より)。昨年は92時間を費やした衆院予算委員会での審議は59時間に短縮され、詳細な審議のために必要な分科会も省略された。分科会が開かれなかったのは37年ぶりという。高市首相が出席して開かれた集中審議はわずか2回、計11時間で、昨年の32時間と比べて約3分の1という短さだった。一般会計総額が122兆3092億円と過去最大の2026年度予算案が、3月13日夜の衆院本会議で可決され、参院に送付された。
委員会の開催は、与野党の合意を基本にするのが国会の慣例である。だが、坂本予算委員長は、職権で9回もの委員会を強行した。予算案の13日衆院通過ありきの日程で進めてきた。委員長は中立的な立場が求められるにもかかわらず、高市に忖度して、首相答弁を極力減らすような議事運営を行った。これ自体、国権の最高機関の予算委員会の長として失格である。
その結果、通常は1カ月かけていた衆院での予算審議を2週間に短縮することになった。もとはといえば、通常国会の冒頭解散が原因であることは誰の目にも明らかである。予算が年度内に成立しなくても、解散・総選挙をやった以上、やむを得ないことだった。
国会審議は、議会制民主主義の基礎中の基礎である。単なる多数決ではなく、あくまでも少数政党を含めてさまざまな意見を聞いた上で合意を形成していく。この過程、プロセスこそが「熟議」の一丁目一番地のはずである。にもかかわらず、このプロセスを省略することだけが、職権行使によって強行されていったのである。おかしなことはまだ他にもある。
例えば、予算委員会の審議の際、首相以下、全閣僚が座っている風景は異様である。首相に対してどんな質問が出ても、委員長は各省大臣に答弁させる。これはタイパ(タイムパフォーマンス)であるといった議員がいたが、私は「プロパ」ではないかと考えている(直言「「コスパ」「タイパ」「プロパ」の過剰がもたらすもの―この国の民主主義に熟議はない」)。
このように、「国会議事堂」は「国会表決堂」にもどるどころが、野党の「癒党」化もあって、まさに「国会翼賛堂」への道を進んでいるように見える。「熟議の府」であるはずの国会は、「粛議の府」となっていくのか。今後、憲法改正のような文字通り「国論を二分する問題」さえも、タイパとプロパを駆使して進められていくのだろうか。ここには、ハーバーマスが警告し続けた、民主主義の内側からの劣化が、ほぼ完成形で現れている。いかにして熟議を成立させ、育てていくか。市民一人ひとりに問われている。
《付記》
3月19日の日米首脳会談やイラン戦争の問題など論ずべきものが多いが、次回までお待ちいただきたい。なお、3月24日から4月3日までドイツ・ベルリンに滞在する。10年ぶりのベルリンである。今回は、高校生になる孫とまわる。彼の勉強のためもあるが、実は老齢の私の介助役である。帰国したら、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだ」と「媚びて×5、まいります」の高市早苗とドイツ政府との対比についても書くことにしよう。なお、この点については、3月26日14時にアップされる「水島朝穂 東京新聞への直言」でも書いたので参照されたい。無料会員登録で3本まで読めます。なお、左の写真はテレビ朝日「報道ステーション」3月20日より。
【文中敬称略】