「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
(2009年1月30日午後5時収録、1月31日午前5時38分放送)

1.オバマ新政権の発足

先週火曜日(1月20日)、バラク・フセイン・オバマ氏が米合衆国大統領に就任しました。新聞各紙は、珍しく英文を併記した演説全文を1頁使って掲載しました(『東京新聞』と『読売新聞』が22日付、『朝日新聞』が24日付)。新たに国のトップになった者の言葉がここまで注目される。「美しい国づくり内閣」「背水の陣内閣」「安心実現内閣」(福田改造内閣)「明るく強い国内閣」と1 年おきに政権が「ポイ捨て」にされる日本では、首相の言葉の賞味期限はきわめて短く、中身も軽い。『東京新聞』29日付「こちら特報部」は2頁を使って、日米の演説の落差を比較検討し、興味深くまとめています。

「オバマ大統領の就任100 時間は津波だ」と評したドイツ紙もありましたが(Die Welt vom 24. 1. 2008)、イラク撤兵、グアンタナモ収容所の閉鎖、妊娠中絶や地球温暖化での方針修正など、前政権との違いを浮き彫りにするような方針転換を続々と打ち出しました。新聞各紙はオバマ政権1週間を特集記事で追い、「就任後最初の100日でどれだけ実現への道筋をつけられるかが、今後4年間の政権の命運を左右する」(『読売』28日付)という観点から分析しています。同時通訳者の鶴田知佳子氏は、『朝日』22日付「私の視点」で、「これで久しぶりに大統領らしい英語の通訳ができる。もっと正直に言えば、通訳者の頭が悪そうに聞こえないで助かる」と正直に語っています。そしてオバマ演説の特徴を、「新たに(new) エネルギーを開発し、新たに雇用を作りだし、新たに学校を建てる」というように、文章や言葉を3つ繰り返す「3点列挙法」にあるとして、雄弁さや巧みなレトリック、クールな語り口、高い教育を受けた知識人の英語に、「希望を実感させる説得力」を見いだしています。現場の専門家らしい興味深い指摘です。

他方、あまりに成果を急ぎすぎる危なさについて各紙とも指摘していますが、私は、鮮やかな方針転換の外観の割に、中身は前政権との連続面もみられることにも冷静な眼差しが必要だと考えています。彼が米国の最高権力者であり、かつ世界最大の「帝国」のトップとなった事実を忘れてはならないでしょう。アメリカ独立宣言の起草者で、第3代大統領となったトーマス・ジェファーソンの言葉が想起されます。「信頼は、どこでも専制の親である。…我々が権力を託さなければならない人々を制約的な憲法によって拘束するのは、信頼ではなく、猜疑に由来する」(1798年)。ジェファーソンもこの演説の3年後、大統領に就任。自らの言葉が試されることになりました。オバマ大統領もまた、「希望」と「変化」への期待を生み出した「言葉」に拘束される日々が続きます。

2.「ねじれ国会」と両院協議会

米国と比べ、日本の政治の状況は「希望」も「変化」も望めません。これを「ねじれ国会」の所為にする人がいますが、「ねじれ」はどこの国にもあります。日本では、「ねじれ」たら粘り強く交渉し議論することで意見の違いを克服していくことができず、問題を限りなく政局化してしまっています。そこにシステムの「よどみ」も生まれています。

その一つは、参議院との調整中にもかかわらず、28日、麻生首相が衆院での施政方針演説を急いだことでしょう。演説内容には、オバマ演説を真似たような箇所もあります。「『官から民へ』といったスローガンや、『大きな政府か小さな政府か』といった発想だけでは、あるべき姿は見えない」。これは20日の大統領就任演説にあった言葉と妙に重なります。『毎日新聞』28日付夕刊は、麻生演説を「小泉路線からの転換」と、1面トップで報じましたが、十分な議論もなく、大きな転換をすることが許されるでしょうか。「麻生演説・信なき人の言葉の弱さ」と題する『朝日』29日付社説は、「首相の言葉がいま一つ胸に迫ってこないのは、信任の問題、つまり総選挙から逃げているからだ。まして小泉時代に得られた与党の議席数を使って押し通すというのでは、著しく説得力を欠く」としています。同感です。小泉路線からの転換をいうなら、小泉時代の衆院を解散して、国民に信を問うことが先決だと思います。

今週各紙が取り上げた「ねじれ国会」のもう一つの問題は、両院協議会のあり方です。衆参両院で予算について異なる議決がされたとき、憲法は「両院協議会」という仕組みを置いています。その開催は、法律案の場合は任意ですが、予算の場合は憲法上義務づけられています(憲法60条)。二次補正予算案をめぐり両院で結論が異なったため、26日と27日の両日、両院協議会が開かれました。『毎日』28日付は、「調整弁」として期待されたが機能不全に陥ったとして、「まるで行司がまわしを締めたよう」という自民党国対委員長の言葉を見出しに使いました。『朝日』28日付のコメントで只野雅人一橋大教授は、「通過儀礼のような位置づけだったが、本来は衆参の間で妥協を模索する場だ。衆参の会派の構成を反映させるなど委員の選び方を変えた方がいい」と指摘しています。今回は会議録の作成、公開、運営のあり方などで改善がはかられ、微々たる前進といえなくもありませんが、今後、両院協議会を実質的な調整役として、より活性化させていくべきでしょう。

3.ソマリア「海賊」対策に自衛艦派遣?

さて、本日最後は「ソマリア海賊」の問題です。28日、浜田靖一防衛大臣は、アフリカ東部のソマリア沖に出没する「海賊」対策のため、海上自衛隊に派遣準備指示を出しました。今週、各紙ともに特集記事を出して詳しく伝えています。安保理決議があり、各国が軍艦を出しているから当然という意見もありますが、昨年6月の安保理決議1816号は米仏両国がかなり強引に可決させたもので、実は議論のあるところです。この決議で、各国はソマリアの領海にまで軍艦を入れられることになりました。91年の内戦でソマリア中央政府が崩壊。沿岸警備隊もなくなると、EU諸国や日本など先進国の漁船がソマリアの海で魚をとり、また産業廃棄物を捨てました。ソマリア漁民や元沿岸警備隊員たちが「海賊」となって、この間の資源被害を海賊行為で賠償させているという面もないとはいえません。「海賊ビジネス」といわれる側面です。

海賊は犯罪で何ら正当化できませんが、だからといって自衛艦を派遣して問題が解決するわけでもありません。しかし、海軍力を強化している中国がいち早く軍艦を送ったことから、『朝日』25日付によると、内閣官房のある高官が「中国に負けるわけにはいきません」と進言。首相が「そりゃそうだ」と応えて、自衛艦派遣を急げという流れになったようです。防衛省は慎重で、「海賊対策新法」を制定してからというのを、麻生首相が急がせた結果、自衛隊法82条の海上警備行動による派遣になったものです。この規定は日本近海を想定したもので、しかも海上保安庁では対処できない「特別の必要」性が示されねばなりません。海自か海保かという選択肢で考えてよい問題ではないのです。第一義的に海上保安庁の問題として緻密に検討されるべきでした。

実際、海保には、東南アジア各国の海上保安・沿岸警備機関とのネットワークもあり、中東にもサウジやアラブ首長国連邦などに人員を派遣しています。ソマリア海賊問題でも、周辺諸国への人的・資金的援助も実際に展開している矢先、なぜ自衛艦を送るのか。今回は中国の影が大きいと『東京新聞』29日付は指摘していますが。

今週の各紙社説の評価も微妙に割れました。『産経』29日付社説が海賊新法までの「つなぎの措置」として柔軟に運用せよ、『日経』29日付社説は「むしろ遅すぎた」というトーン、そして『朝日』24日付までもが「新法での派遣が筋だが」、例外的に海警行動でやむを得ないという論調でした。他方、『毎日』28日付は、派遣を批判するトーンが強いものでした。地方紙・ブロック紙では、海賊対策の根拠法を急げという主張が『熊本日日』27日付、『南日本新聞』29日付などに出ましたが、むしろ「危うさ残す見切り派遣だ」(『西日本新聞』26日付)、「憲法を軽んじていないか」(『琉球新報』27日付)、「ソマリア派遣『積み残しが多すぎる』」(『北海道新聞』27日付、同旨『岩手日報』29日付)等々、批判的な姿勢が目立ちました。特に『新潟日報』29日付の「泥縄の海自派遣はやめよ」は最も厳しい論調でした。海警行動による派遣は「論理も筋もない場当たり的な派遣で、到底容認できない」として、「海上交通の安全を確保するのは海上保安庁の任務である。…海賊対策を急ぐなら、なぜ海保の活用を考えないのか。…海自より哨戒や洋上監視の能力が劣るとは思えない。海自を派遣するとしても、自衛官には逮捕や尋問の権限がないため、海上保安官を同乗させるという。木に竹を接いだような部隊が機能するのか。…憲法軽視も極まれりである」。まったく同感です。

海賊行為は犯罪で、これを取り締るのは海上警察の仕事です。犯罪の抑止、鎮圧、逮捕、捜査、人質救出のプロではなく、各国ともに軍艦を送ってきたところに別の問題もあります。軍艦で船舶をエスコートするやり方にも限界があり、仏海軍中将によれば、各国の軍艦でカバーできるのはソマリア沖の2 %にすぎません。「海賊がロケット砲で武装しているから自衛艦」というのも安易な理由づけです。武器使用基準の曖昧さは最たるもので、海警行動の場合、警察官職務執行法7条で正当防衛が基本です。それに海自の場合、逮捕権限がない。武装工作船に対する軍事行動の訓練はしていても、海賊逮捕や人質救出などの訓練は十分でないという点からも、素人の自衛隊の派遣はむしろ危険という指摘があります。海自の特別警備隊を乗せていくようですが、この部隊も「不審船」対策専門で、逮捕や証拠保全の権限もノウハウも持っていません。なお、この部隊は、「はなむけ」という特殊な訓練で隊員が死亡する事件を起こしました。昨年10月のこの番組でも話しましたね。

『新潟日報』がいうように、海保の装備や能力は近年かなり強化されています。大型巡視船13隻を保有(「しきしま」は外洋型)。特殊警備隊(第5管区)もあります。首相の一言「そりゃそうだ」で急いで派遣され、その間に首相が交代では、送られる自衛艦艇にとっては突然の「派遣切り」のようなものです。

「広大な海域で有効な海賊対策を行うには国際協力が不可欠だ。その役割分担として日本は何をすべきか。こうした議論を脇に置いての海自派遣は拙速の見本といえよう」。前述の『新潟日報』社説の結びの言葉です。この問題は冷静に、かつ日本が持っている能力を緻密に検討した上で判断すべきで しょう。その際、基本に憲法の視点を忘れてはならないでしょう。今日はこのへんで失礼します。

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