一等陸佐が大佐になる?――自衛隊の軍隊化がもたらすもの(その2)
2025年12月28日


自維政権の「連立合意書」にあるもの
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25年が終わる。今年、「永田町の政治ギャル」がついに、永田町の頂点にのぼりつめた。間髪をいれず維新の会を引き込み、自維連立政権を発足させた。その手法は、維新の12項目「要求」(10月16日の政策協議メモ)をほぼ丸のみにするもので、その後わずか4日で自民・維新の「連立政権合意書」(10月20日)にまとめ、翌21日の政権発足となった。「合意書」を見ると、維新の主張がかなり反映され、自公政権ならもう少しオブラートに包むような項目まで、本音丸出しで列挙されている。公明党の連立離脱の影響はきわめて大きい。象徴的なのが、「防衛装備品移転三原則」に公明党が「歯止め」として付けた「5類型」の撤廃である。長射程ミサイル等の踏み込んだ記述や原潜導入を示唆する項目のほか、直前に維新代表の吉村洋文が唐突に突きつけた「議員定数の削減」も入っている。人口100万人あたりの議員の数がOECD諸国38カ国中で36位であるにもかかわらず、十分な説明も根拠も示すことなく議員定数のさらなる削減(しかも「民意の反映」に重要な比例区)を主張する。これは「連立の絶対条件」(吉村)だったはずだが、12月17日の臨時国会閉幕にあたり軽々と先送りしてしまう無節操ぶりである(拙稿「東京新聞への直言」12月参照)。

  維新の会は15年前に大阪で設立された地域政党だったが、2012年に全国政党となり、念願の政権入りを果たしたものである。ただ、責任を伴う閣僚は出さずに、「揺すりの政治」に徹している。13年前の直言「「東京維新」と大日本帝国憲法」でも書いたように、維新はもともと右翼的傾向をもっていた。英語名はJapan Restoration Party だったが、フランスでこれを名乗ったら「王政復古」(restauration)の政党である(やばいと思ったのか、2016年にJapan Innovation Partyに変更) 。加えて、「身を切る改革」という割には、どこまでも自己に甘く、他者に厳しい。創設者の大阪市長がやっていた、補助金カットや予算削減などのえげつない手法も、現役世代と高齢者の世代間対立を煽る恣意的な「社会保障改革」のメニューの数々にしっかり受け継がれている

なぜ日本は大佐でなく一佐なのか―特殊な階級呼称の背景
    その維新の「要求」のなかにあった「自衛隊の「階級」「服制」「職種」の国際標準化」は政権合意にそのまま採用され、「令和8年度中に実行する」が加わった。高市早苗首相の所信表明演説では直接には触れられなかったが、11月12日になって、『産経新聞』デジタル11月12日が、「政府が階級名を変更する検討に入った」という記事を出した。「来年度中の自衛隊法改正を目指す」としている。
   13日になって官房長官は記者会見で、自衛隊員の階級名の「国際標準化」へ向けて、「与党間の合意も踏まえ、スピード感を持って検討を進めていく」と語った(『読売新聞』11月13日)。自衛官の階級は自衛隊法で定められている。「将」から「二士」まで16階級ある(防衛省サイトの階級章一覧はここから)。

私は約19年前、海外派遣の本格化との関連で、この問題について次のように指摘している(直言「海外出動「本来任務」化の意味」)。

「…人事面では、「准将」(Brigadier General) と「上級曹長」の2階級の新設も検討されている。自衛隊における「将」は各国の基準では「中将」(幕僚長のみ大将扱い)であり、「将補」は「少将」ランクである。海外に展開した各国部隊の指揮官は旅団長クラスが多く、旅団長の階級はどこも「准将」(英文では旅団の将軍)である。部隊相互の連携をはかるとき、指揮官が「将補」(少将)では高すぎ、「一佐」(大佐)では低い。「専守防衛」にとどまる限り何の支障もなかったことが、海外出動の本来任務化によって、「普通の軍隊」としての階級の整備が必要というわけだろう。 自衛隊発足時は、海外出動は想定されず、「准将」など想定され得なかったのに比べれば、隔世の感がある。なお、旧日本軍も「准将」という階級を設けてはいなかった。…「准将」の誕生後、「一佐・二佐・三佐」から「大佐・中佐・少佐」への呼称変更の動きも出てくるだろう。…」

 結局、「准将」は採用されなかった。最大の自衛隊海外派遣となったイラク派遣でも、「復興支援群」の群長は、連隊長クラスの一等陸佐だったこともあろう。その後、政治の世界で階級が政策の実施段階にのぼることはなかった。自維政権で一気にこの問題が浮上したわけである。

『防衛白書』では長らく、「将」から「二士」までの16階級について、共通呼称として、大区分で「幹部」「准尉」「曹士」、中区分で「将官」「佐官」「尉官」「准尉」「曹」「士」と分けていた(左の写真は平成28年版)。それが近年は、上の写真にあるように、「幹部自衛官」と「准曹士自衛官」の二つに分けて表示するようになった。「准尉」は将校(幹部)ではなく、下士官の最上級者であるので「尉官」ではない。かつては独自の区分をしていたが、「准曹士」という括りにしたのだろう。
   公務員の俸給表では「級」が上がるほど上位になるが、自衛隊の階級(尉官、佐官など)では、数字が小さい方が上位になる。では、なぜ「大佐」でなく「一佐」という形になったのか。

 冒頭の写真は、自衛隊の前身、警察予備隊時代の階級表である。陸将にあたるのが「警察監」で、警察の高級幹部の「警視監」と似ている。連隊長クラスは「一等警察正」である(警察予備隊令施行令(1950年)3条)。最下級は「二等警査」である(同)。

   ポツダム宣言第9項は「日本国軍隊は完全に武装解除され」ると定め、日本国憲法第9条は「戦力の不保持」を規定した。朝鮮戦争の開始により「日本再軍備」が始まったが、「軍隊」の復活は許されない。当初の政府の憲法解釈では、違憲となる「戦力」の基準は「警察力を超えるもの」だった。とはいえ、実際には、定数7万5000人の部隊編成に、米陸軍軽歩兵師団の編制表が使用された。憲法9条との関係で、「兵」や「戦」という言葉は避けられ、戦車は「特車」と呼ばれた。職種(旧軍の兵科・各部)では歩兵は「普通科」に、砲兵は「特科」、工兵は「施設科」と読み替えられた。装備はすべて米軍のお古(貸与兵器)で、教育訓練は米軍式だった(詳しくは、直言「わが歴史グッズの話(34)警察予備隊」参照)。そして、階級の呼称も階級章も、政府の憲法解釈に整合させるべく、軍隊色を薄める独自のものが採用されたわけである。旧軍の将校を意識させる「大、中、少」よりも、「一、二、三」という数字による階級区分の方が、一般の公務員と同じで中立性が強調できるという考えもあったようである。

   「自衛官俸給表」は実に細かくて、二士(陸・海・空)から、将(陸・海・空)まで16階級19区分ある。3自衛隊で異なるが、全体として、幹部(士官)が約10%前後、准尉・曹(下士官)が約30%前後、士(兵)が約60%前後で、陸自は士の比率が高い。

  俸給表を縦に見ていくと、曹長が141 号俸、准尉と三尉は145 号俸まである。自衛隊の現場を支えているのは、「たたき上げ」の曹や三尉クラスである。定年の延長も、このクラスの隊員が減っていけば自衛隊はもたないという事情がある。号俸の多さは、そのまま自衛隊の人事構造を示している。

  持ち家で家族とともに定年まで過ごすため、昇給はずっと続けるが、准尉、三尉より上に昇任しない選択をする曹クラスがいる。 実際、私の北海道時代、息子がお世話になった少林寺拳法の先生は、同じ町内の持ち家に住む陸曹クラスだった。「転勤の多い幹部にはならずに、定年まで過ごす」といっておられた。この人が所属していた部隊は、「札幌雪まつり」を支援していた。部内では、大雪像作りは「雪中築城訓練」として位置づけられていたようである。息子が40年以上前にお世話になった方なので、すでに定年退職されているだろうが、自衛隊の階級を旧軍のように変更することについてどのような感想をお持ちなのか聞いてみたい気がする。 

将補が少将で、一佐が大佐なら、二士は二等兵?

  一体、この時期、このタイミングで自維政権が「一佐を大佐にする」理由は何か。現在、自衛隊の階級は英語表記では国際標準(Colonel、Captainなど)を使っている。「一佐」はColonelで各国の大佐と同ランクである。なお、「一佐」は3 区分あり、同じ一佐職をあてるポストでも、微妙に差を設けている。例えば、陸自の場合、方面総監部の各部部長は三等一等陸佐、連隊長は二等一等陸佐、師団幕僚長は一等一等陸佐をあてる。俸給表では、三等の一佐と一等の一佐とでは月7万円ほど違う。この差が、階級社会における序列を決める。70年以上、一佐は対外的にColonelとして通用してきたため、いまさら「国際標準化」をいうのは呼称だけではなく、軍隊としてのすべての属性を自衛隊に具備させよという欲求のあらわれとみることができる。

  なお、大佐を「一佐」というのは日本だけだという向きもあるが、韓国軍では、大佐は「大領」(Colonel)、中佐は「中領」(Lieutenant Colonel)、少佐は「少領」(Major)といっている。多国籍軍の共同訓練などで説明が煩雑というのは理由にならない。やはり、旧軍と同じ「大佐」を復活させたいという願望のあらわれといえよう。「国際的標準化」というのは、自衛隊を「名実ともに軍隊にする」ということの言い換えではないか。

   自衛隊は軍隊ではない。憲法で軍隊と戦力を禁じている以上、歴代政府は「自衛のための必要最小限度の実力」と説明してきた。「7.1閣議決定」安全保障関連法の制定によっても、なお、「フルスペックの集団的自衛権行使」までは踏み込めない。安倍晋三が、思わず「わが軍」という言葉を口にして批判を浴びたのはちょうど10年前だった(直言「「我が軍」という憲法違反の宣言」参照)。 

  ところで、直言「「普通の国」の「普通の軍隊」へ」で紹介したのが、上の写真にある陸上自衛隊エンブレムである。そこでも書いたが、日本刀は「刃」で強靱さを、「鞘」で平和を愛する心を表現しているとの説明だが、よく見ると、鞘が不自然に長い。欧州では同じ長さの剣を交差させるエンブレムをけっこう見かけるが、鞘との組み合わせはまずない。少なくとも柄の分だけ鞘は短い。「平和を愛する心」を鞘で表現するというのだが、このあたりにも、「普通の国」の「普通の軍隊」になりきれない「悩ましさ」がにじみ出る。

  階級の呼称の問題は、本当に自衛隊員が望んでいるのかどうか。下士官の隊員は、「軍曹殿」と呼ばれることを望むだろうか。一士、二士が「一等兵」「二等兵」となることはどうだろうか。北海道で息子が世話になった陸曹の方を含めて、私前後の世代では、60年代の米国テレビドラマ『コンバット』の主人公、「サンダース軍曹」のイメージが強烈だと思う。また、陸士長は上等兵だとすると、NHK連ドラ『あんぱん』「八木上等兵」(妻夫木聡)を想起する人が多いだろう。 自衛隊にこのような名称が生まれることについて、当事者や家族のなかで違和感を覚える人も出てくるのではないか。          

ことさらに軍隊色を強めることへの危惧や懸念が部内にもあることについて、メディアの取材でキャッチされているのではないか。階級や階級章を変更することになれば、現場の負担も増すし、費用も相当かかるだろう。階級呼称の変更は不要不急で、待遇改善を優先すべきだというのが現場の本音ではないか。

ここで想起するのは、自衛隊発足10年目に行われた東京オリンピックに自衛隊がどう関わったかということである。直言「わが歴史グッズの話(48)オリンピックと自衛隊―東部方面隊「東京1964」」をお読みいただきたい。当時の東部方面隊幕僚副長の一次資料を使って書いたものである。リンクまで見れば、この「陸将補」が責任者となって、7600人の自衛隊員がどのようにオリンピックに関わったかがわかる。

    「安全保障環境」という曖昧な概念に依拠して、その「悪化」を理由に大軍拡が行われている。26年度予算の防衛費は初めて9兆円を超え、国民には「防衛特別所得税」まで課せられる。名実ともに軍隊になるには憲法改正が必要だが、それに先行して、実質的な軍隊化が進んでいる。「存立危機事態」をめぐる高市答弁の深刻な影響は年を越すが、同県の飲み友達、尾上定正首相補佐官の核武装発言の余波がそれに輪をかけて、ボディブローのように効いてくるに違いない。

最後に福島県南相馬市議会の全会一致の決議をここに掲げておこう(直言「自衛隊に武力行使させるな―南相馬市議会意見書」)。  

「…本市は、大震災と大津波及び原子力災害により甚大な被害を受けているが、自衛隊の災害派遣・支援によって大いに助けられたところである。特に福島第一原発から30キロメートル圏内、20キロメートル圏内にいち早く捜索に入るなど、国民と国土を守るために身を挺したことに、心からの敬意と感謝を表している。その自衛隊員が海外に出て行って武力を行使することは到底容認できない。よって政府は、集団的自衛権の行使を容認しないよう強く求める。」

ちなみに、南相馬市の原発20、30キロ圏内に入ったのは、陸自の精鋭、第一空挺団(千葉県習志野)である。率先垂範で、団長の山之上哲郎陸将補以下、1200人が展開していたのを当時、私も目撃している(直言「大震災の現場を行く(4)」参照)。陸将補を陸軍少将と呼ぶことを、誰が歓迎するだろうか。

  今年はこの連載の途中で終わる。自衛隊の精神教育と死生観、靖国神社との関係などについての連載「その3」は、1月中旬にはアップする予定である。

    2025年も「直言」をお読みいただき、まことにありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。                   《この項続く》

【文中敬称略】

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