雑談(21)「人間50年」からの出発 2003年1月13日
田信長が「本能寺の変」で命を失ったのは、49(数えで50)歳のときだった。信長は幸若舞の敦盛「人間50年、下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり…」を好んだ。私は今年4月で50歳になる。大学教員になって20年の年でもある。半世紀を生きてきて、「やれないできたこと」「やりたかったこと」を後悔することはやめにした。「夢八分目」でも書いた通り、その人にとっての「命の使い方」がその人のAufgabe(使命)にほかならないから、「やれることをやる」ことにした。『論語』の時代より寿命は延びているので、10年を加算して、「50にして迷わず」の心境である。
  酒も煙草もギャンブルもやらないというと、人は不思議そうに私の顔を見る。コンパでも宴会でも、アルコールは一切飲まない。でも、学生たちや親しい人々との酒席を好み、会話を盛り上げるのは趣味でもある。煙草は20代半ばまで吸っていたが、息子が生まれたときにやめた。競馬場の近くに生まれ育ったが、馬券を買ったことがない。麻雀やパチンコなどもやらないできた。土日、年末年始、ゴールデン・ウィーク、お盆…。私の「業界」の人間は、一般の人が休みをとるときに仕事をする。平日は授業と会議の連続で、原稿書きにまとまった時間がとれるのは休日しかないからだ。私の場合は、憲法の公布・施行に関わる休日(5.3と11.3)の前後は、家にいたことがない。地方講演を入れるためだ。だから、ドイツでの2度目の在外研究374日間は、家族と過ごした、私の人生のなかでも貴重な時間となった
  そんな生活を20年続けてきたが、この正月を期して「人生のリストラ」に着手することにした。手始めは年賀状の廃止である。踏ん切りがつかず、とりあえず購入していた年賀葉書は、封を切らずに束のまま郵便局に戻した。せっかく年賀状をお送り頂いた方々には不義理をお許しいただくほかはない。ごめんなさい。
  次に書籍である。自宅書庫にある 1万冊以上の本は、札幌、広島と、引っ越しのたびに何百のダンボールに詰めて運んだものである。昨年700冊ほどを処分した。今後、漸次削減するとともに、雑誌・献本などによる自然増を除いては、必要以上に本を増やさないことにした(研究室は歴史グッズ庫として満杯状態)。
  仕事を限定することも課題となる。いま著書は編著や共著を含めて二桁の企画が進行中だ。学会の企画委員、雑誌のコーディネーターの仕事もある。授業や学生・院生へのサービスは本業である以上、ここでの手抜きはあり得ない。今後、この仕事をどれくらい続けるかは未定だが、一度にできる仕事は限られるし、不必要に寿命を縮めるのは本意ではない。とりあえず講演はある程度減らしていかざるを得ないだろう。組合書記長の任期中は「講演は原則としてお断り」と「お知らせ」に出していたが、その間に「9.11テロ」が起き、「有事法制」問題が焦点となったため、結局、全国10都道府県で延べ31回もやっていた。社会の要請にこたえることも重要な仕事の一つだから、今後とも続けていくつもりではあるが、まだ一度も講演していない12県を優先しながら、もろもろの事情を総合的に勘案してお引き受けすることになるだろう。
それと、ここぞという時に無理に休みをとることに決めた。大学教員の場合、有給休暇を使うという発想はあまりない。多くの大学教員は超多忙で、研究時間の確保に四苦八苦しているが、なかには、実質「週休5日制」の教員もいると聞く。一部にそうした「遊休休暇」状態の人がいるから、大学への世間の眼差しが厳しくなるのだ。でも、私の場合は休まないと「悠久休暇」になってしまうので、そうした不幸を防ぐためにも「発作的に休む」ことにした。手始めに昨年末、頭が煮詰まってきたので、仕事着のまま車で東名高速に向かい、そのまま伊豆方面の温泉に手ぶらで一泊した。朝一番に帰宅して仕事を続行。これはよいエネルギー補給になり、仕事の効率もあがった。
  大晦日は、直前まで仕事をして、夜半に東京オペラシティのジルヴェスター・コンサートにでかけた。3年前にライン河畔で第九と花火をバックに年越しをして以来の「音楽大晦日」である。今回はハンガリー国立ブタペスト・オペレッタ劇場管弦楽団、バレエ団、ソロ歌手によるガラコンサート。妻の提案だったが、これが予想外のすばらしさだった。夜10時にポルカ「ハンガリー万歳」で開演。深夜1時近くまで、オペレッタとジプシー音楽を堪能した。第2部の終わりに、舞台と客席が一体となりカウントダウンを行った。2003年になった瞬間、爆竹が鳴り、天井から"Happy New Year 2003 : Peace & Love to the World"という大看板が降りてきた。舞台の全員がグラスを持ち、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」から「ぶどうが燃えたぎって・乾杯」を熱唱する。コンサートは深夜1時近くまで続いた。新年を喜ぶたくさんの人々の「気」をもらって、私も元気になれた。
  人間には3つの「さか」があるという。上り坂、下り坂、そして「まさか」(魔坂)である。厳島夜襲を前にした毛利元就の言葉として使われたが(1997年NHK大河ドラマ・内館牧子脚本)、織田信長はその「まさか」で49歳の命を終えた。私にとって今年は、「人間50年」からの出発である。「まさか」に遭遇しないですむよう、与えられた時間は上手に、かつ有効に使いたいと思っている。

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