「コソボ戦争」5周年 2004年3月29日

週の水曜日(3月24日) の朝、いつものように各国の新聞をチェックしていたら、die tageszeitung紙の「コソボ戦争5周年」論説に目がとまった(taz vom 24.3.2004) 。「あれから5年がたったよ」と家族に伝える。在外研究のため、家族とフランクフルトを経由してケルン・ボン空港に降り立ったとき、ロビーで最初に買った夕刊紙Expressの巨大な赤見出し(「ヨーロッパの戦争」"Krieg im Europa ")が今も目に焼きついている 

  3月20日は「イラク戦争1周年」で、全世界でたくさんの人が街頭に出て、戦争反対を叫んだ。その影に隠れて、「コソボ戦争5周年」に関心をもつ人はほとんどいなかったと思う。だが、すべてはここから始まったのだ。国連の安保理決議もなしに、また自衛権行使の要件も存在しないのに、集団的自衛権体制であるNATO(北大西洋条約機構)が独立主権国家たるユーゴスラヴィア連邦共和国を「空爆」したのである。当時、「人道的戦争」は許されるとか、「人権のための爆弾」という表現すらあった。「人道的介入」という「筋のいい」説明も駆使されたが、国際法違反の武力行使であることに変わりはなかった。「緊急救助」という説明もまた、無関係な第三者(例えば、ベオグラード大学の学生たち)の死を正当化することはできない

  当時のクリントン民主党政権のオルブライト国務長官はプラハ生まれで、11歳の時にナチスによる追放・迫害を体験した。彼女は顔だけでなく、繰り出す言葉にも迫力があった。社民系が多かった当時の欧州各国の首脳たちを見事にまとめきった。特に、NATO域外派兵に厳格な枠をはめてきたドイツには、戦闘行動への参加というハードルをついに超えさせた。ところで、今にして思えば、オルブライト国務長官が欧州各国を「空爆」に参加させた時の「論理」と「情」は、ブッシュ大統領やラムズフェルド国防長官らのなりふり構わぬ単独行動主義に比べれば、はるかに「高尚」に見える。だからといって、NATO「空爆」の犠牲になったユーゴ市民1200人(同政府発表)の死を正当化することはできない。コソボでアルバニア系住民が迫害されていたことは明らかだったけれども、それを阻止するために、なぜベオグラード「空爆」なのか。98年秋から欧州安保協力機構 (OSCE) 監視団がコソボで活動を展開。世界の世論をバックに、ミロシェビッチ大統領に方針変更を迫りつつあったまさにその時、「空爆」は始まったのだ。国連決議もなく、また自衛権の行使ですらない「空爆」について、当時、大規模な人権侵害をやめさせるためには「他に手段がなかった」という言い方がなされた。J・ガルトゥングはこれを「TINA」(There is no alternative.)理論と皮肉った。かつての反戦派政治家たちが、「TINA」を理由に始めた戦争である。ある政治家は、問われているのは「ノーモア・ウォー」ではなく、「ノーモア・アウシュヴィッツ」だと感情的に叫んだ。ミロシェビッチ・セルビア大統領がヒトラーに例えられもした。だが、78日間の「空爆」が終わってみれば、コソボ問題は解決に向かうどころか、憎悪の連鎖をさらに深める結果となった。「空爆」は、コソボ紛争解決のための適切な手段でなかったのだ。

  ところで、セルビア・モンテネグロ共和国のコソボ自治州は、人口の90%をアルバニア系住民が占める。彼らは長年にわたって独立を求めてきた。そして、少数派のセルビア系住民との間で紛争が絶えなかった。「空爆」の後も、この構図に変化はない。国連は、安保理決議1244号により、コソボを国連の統治下に置いた。国連コソボ暫定行政支援団(UNMIK) である。国連は自らの保護領の管理者となった。NATO主体のコソボ平和維持軍(KFOR)が治安維持のために展開している。私の手元には、ボスニア和平安定化軍(SFOR)に参加したドイツ軍兵士の腕章があるが、コソボでも同じ種類の腕章が使われている。だが、こうした平和維持軍も、その活動はかなり惰性的で、現地の復興につながるような目に見える成果は期待できない。旧コソボ解放軍(UCK)残党の武装解除もいっこうに進んでいない。

  国連の目的は、あらゆる人々が平和的に共生する、多民族的でかつ民主的なコソボを建設することであった。12万のセルビア系住民のほかに、ロマ(ジプシー)やボスニア系、トルコ系などの少数派住民もいる。その地位は不安定である。議会や行政の仕組みはできたし、2002年の選挙に際しては、セルビア系住民の代表も議会に進出した。各国政府やNGO が住宅の再建を支援したり、主要道路の建設を助けた。ユーロが支払い手段となった。国連事務所が発行した身分証明書や車両ナンバーは、しかし、多くの加盟国が受け入れず、コソボの多くのアルバニア系住民とすべてのセルビア系住民は、外国旅行をするときは、旧ユーゴスラビアの証明書や車両ナンバーを今も使っている。電気や電話のシステムの再建はまだだし、経済分野での復興も成功していない。失業率は50%を超える有り様である。食料の大部分は輸入にたよっている。少数のセルビア系住民に特権が与えられていて、貧富の格差は一層広まっている。これが、新しいコソボにセルビア系住民を統合することを妨げているとされる。

  そうしたなかで、コソボが誰に帰属するのかをめぐる争いが起こっている。中世に中心地をもっていたセルビア人か、それとも、イリリア原住民の後継であるアルバニア人か。この帰属の問題について明確にすることを、国連は避けてきた。当時のユーゴ問題の責任者だったR・ホルブルックは、この地位の問題を決定することを求めている。だが、ヨーロッパは慎重だという。UNMIKKFORの活動期間は無期限で延長される見込みである。

  先々週の3月17日、コソボ北部の町で、セルビア系住民がアルバニア系の子どもを水死させたという報道がきっかけで、アルバニア系住民がセルビア系の住宅やセルビア正教会を焼き討ちした。銃や手榴弾も使われ、31人が死亡した。負傷者は500人以上。3600人のセルビア人とロマ(ジプシー)が難民となってセルビアに入り、1100人が国連平和維持軍(KFOR)のキャンプに避難しているという。この5年間で最悪の事件であった。セルビア首相は、アルバニア系住民による「民族浄化」だと非難した。ボスニア紛争では、この「民族浄化」という言葉が、米国の広告代理店によって創作され、セルビアを国際的に孤立化させることに成功した。今度はセルビア側がキーワードとして使っている。「民族浄化」といえばナチスを連想させ、冷静で理性的な思考を停止させ、武力行使へのためらいを麻痺させてしまう。この言葉の罪深さを思う。

  コソボもイラクも同じである。強引に軍事介入した結果、現地の問題を一層こじらせたのである。NATO「空爆」が終わった一週間後に、「国境なき医師団」代表が述べた言葉は印象的だった。「軍隊は人道援助を行なうべきでない」「軍隊が人道任務を引き受けると、当該地域の民衆にとって危険となりうる。援助組織の活動を困難にするおそれもある」と。そしていう。「軍隊は、人道の力ではないし、なったこともないし、今後もならないだろう。人道分野における軍人の活動は、民衆にとり『安全のリスク』を意味する。難民施設に軍隊がいれば、他の紛争当事者は、その施設を民間ゾーンとして尊重せず、難民は暴力の目標となりうる。現実の状況では、軍隊は、あくまでもロジスティクな支援(輸送など)に限定すべきで、それも、国連の難民救援組織(UNHCR) や他の民間組織のもとで行なわれるべきだ」と。この指摘は、イラクに自衛隊を送ってしまった日本についてもあてはまる。コソボと違うのは、イラクが今も「戦闘地域」そのものだということである。

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