雑談(46)音楽よもやま話(8)早稲フィルの「第九」  2005年12月26日

2005年最後の「直言」になった。世界も日本も、そして私自身にとっても激動の1年だった。「9.11総選挙」の結果は、この国の憲法動向に重大な影響を与えつつある。個人的にも、2月に体調を大きく崩した。2006年は、前向きに、一歩一歩着実に生きるため、年末年始は気分を一新して、再出発をはかりたいと思う。というわけで、今年最後の「直言」は、憲法や政治の話ではなく、昨日行われたコンサートの話でしめたいと思う。

  12月25日のクリスマスに、私が会長をしている早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団の第53回定期演奏会が、錦糸町の「すみだトリフォニーホール」で行われた。プログラムはシューベルトの交響曲第7番「未完成」と、ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」である。早稲フィル初の「第九」は、ソプラノ・家田紀子、アルト・阪口直子、テノール・角田和弘、バリトン・長谷川寛、合唱・早稲田大学創立125周年記念祝祭合唱団(合唱指揮・草野一哉)、指揮・飯守泰次郎という贅沢な布陣で臨んだ。ホールは新しく、音響もよい。聴衆が開演前から長い列をつくり、開演と同時に満席となった。これまでのコンサートで最高の入りだった。クリスマスを二人で過ごそうというデートの場として選択してくれたカップル(老若男女)がけっこういたようだ。大変光栄であった。同じ時間帯に「第九」コンサートが各地であった。チケットぴあ扱いの都内の演奏会だけでも、読売日本交響楽団、東京都交響楽団、東京フィル、日本フィル、ロイヤルチャンバーオーケストラ、多摩市民「第九」など。「クリスマスの第九」は、新年に向けての活力と希望を与えてくれるのだろう。
  
「第九」についてはいいたいことはたくさんあるし、今回の演奏についてもあれこれと書きたいことはある。ただ、会長になりたての頃とは違って、主催者側となった以上は、演奏について多くを語ることはしない。ただ、飯守氏の精密で的確、豊かな表現力を伴う見事な指揮によって、早稲フィルのもつ潜在的な力が引き出された力演になったように思う。シューベルトの第1楽章あたりはハラハラしながら聴いていたが、「第九」の第1楽章から第2楽章へと、しだいに緊迫感が増してきて、思わず身を乗り出して聴いていた。ティンパニー奏者は理工学部1年生。第2楽章のメリハリのきいた連打にはオッと思った。ブルックナーの第5交響曲のときに活躍した別の女性ティンパニー奏者は、今回はパーカッションの裏方にまわっていた。第3楽章の弦にはもっと透明感がほしいし、聴こえるはずの管の音が聴こえないなどのミスもないではなかった。しかし、演奏が進むにつれて精神的な燃焼のようなものを感じるようになった。特に第4楽章の後半は、ソロ、合唱、オケが一体となった火の玉のような演奏になった。1800人ホールを満杯にした聴衆からはあたたかい拍手が長く続いた。演奏については書かないといっておいて、けっこう書いてしまった。そこで、今週の直言は、昨日のプログラム冒頭に載せた「会長挨拶」の全文を転載することにしたい。なお、文中にはNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」からの長い引用がある。また必要に応じて注やリンクをつけた。

  それでは、今年も計52回の「直言」をお読みいただき、どうもありがとうございました。来年も毎週更新ができるよう、体調管理をしながらがんばりたいと思います。なお、年賀状は2003年から一方的な廃止を宣言しているので、不義理をあらかじめお詫びしておきます。
  それでは、読者の皆さん、2006年もどうぞよろしくお願い致します。

 

ご挨拶

早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団会長/早稲田大学法学部教授
水島朝穂

  師走の寒いなか、早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団第53回定期公演にお越しいただき、誠にありがとうございました。
  
この国では、「年末恒例の第九」という言葉があるように、この時期になると、どこのオーケストラもこの交響曲を演奏します。個人的には、ブルックナーかマーラー、あるいはショスタコーヴッチあたりの「第九」の方が早稲フィルらしいのかな、とも思いますが、正統派ベートーヴェンもまたいいでしょう。どんな演奏になるか。皆さん、どうぞご期待ください。
  さて、「第九」というと思い出されるのは、1989年12月25日、旧東ベルリンのシャウシュピールハウス(現・コンツェルトハウス)で行われた、レナード・バーンスタイン指揮の「歴史的一回性の第九」のことです。この演奏自体はCDで聴きましたが、「ベルリンの壁」が崩壊した直後のコンサートだけに、異様な興奮が感じられました。私はこの演奏会の1年2カ月後に、在外研究で旧東ベルリンに滞在し、7カ月の間、しばしばこのホールに通いました。ドイツ統一直後で旧東の物価水準が維持されていたので、チケット代は大変安く、ここでドイツの八つのオーケストラの演奏を聴きました。
  私はNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」という番組のレギュラーを7年やっています。ちょうど2年前、2003年12月28日の放送で、「第九」について触れたことがあります。イラク戦争が始まった年で、自衛隊派遣問題をめぐる報道などについて語ったあとに、その年最後の番組ということもあって、結びに「第九」のエピソードをもってきました。以下、その部分だけ引用します。


 …さて、最後は年末らしい話題でしめましょう。年の瀬、日本では「第九」のコンサートが各地で行われます。『朝日新聞』〔2003年〕12月21日付の「天声人語」は、ベートーヴェンの交響曲第九番にちなんだ三つのエピソードを綴っています。
  
まず、「第九」の日本初演は、1918年6月。徳島県鳴門市の板東捕虜収容所のドイツ兵捕虜が演奏したのが最初とされています。第一次世界大戦で日本はドイツと戦いました。来年は第一次大戦開戦90周年ですが、大戦中、中国の青島(チンタオ)で捕虜にしたドイツ兵が鳴門の収容所に3年間収容されました。所長の松江大佐は捕虜を寛大に扱い、自由に外出もできました。「45人のオーケストラに90人の合唱団〔捕虜が男声用に編曲した〕という堂々たる編成」。ちなみに、鳴門市のドイツ館には、当時の楽器や楽譜も残っています。二つ目のエピソードは、第二次世界大戦で日本が敗色が深まった1944年夏、東京大学で行われた出陣学徒壮行会での演奏です。「食料難著しいころである。頼まれたオーケストラは『体力不足で第九は無理だ』と渋ったが、第3、4楽章だけでも、ということで実現した。切迫した空気のなかで流れた第九は格別の感動をもたらしたことだろう」と『天声人語』は書きます。三つ目のエピソードは、最近のヨーロッパ連合(EU)の憲法制定の議論のなかで、EU憲法草案に「第九」の第4楽章「歓喜の歌」が統合のシンボルとして採用されたことです。独仏が賛成し、英国と北欧諸国が渋ったが、結局草案に盛り込まれることになりました。でも、憲法自体の論議が難航し、成立のめどは立っていません。「年末にかけて日本各地で演奏される第九は、歴史の波にもまれながら、様々な人々に感動を与えてきた。『苦悩から歓喜へ』。劇的な展開をするこの曲は、時代や国境を超えてなお引き継がれていくだろう」と結んでいます。
  
「天声人語」は触れていませんが、1989年「ベルリンの壁」崩壊直後のクリスマス、旧東ベルリンで、東西ドイツと占領4カ国のオーケストラと歌手がレナード・バーンスタイン指揮で「第九」を演奏したことがありました【注】。その時、バーンスタインは、第4楽章のFreude(喜び)をFreiheit(自由)と歌わせるという歴史的一回性の粋な「演出」をしました。これを加えれば、第一次大戦、第二次大戦、冷戦の終結、そして「ヨーロッパ憲法」へと、歴史の節目において、「第九」は常に国境を超えて、人々の心を一つにしてきたといえるでしょう。今年はこのへんで失礼します。みなさん、どうぞよいおとしを。


  私のホームページ(http://www.asaho.com/)のバックナンバーをクリックすると、番組内容がすべて読めます。「第九」への思いも人それぞれだと思います。皆さんは早稲フィルの「第九」に何を思うでしょうか。それでは、それでは、ご来場いただいた皆さまの2006年のご健康とご健勝をお祈り申し上げます。
  
本日は、どうもありがとうございました。

【早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団第53回定期演奏会(早稲田大学創立125周年記念 特別演奏会)プログラム(2005年12月25日) 1-2頁】

【注】ソプラノ:ジューン・アンダーソン(米国)、メゾ・ソプラノ:サラ・ウォーカー(英国)、テノール:クラウス・ケーニヒ(東独)、バス:ヤン=ヘンドリンク・ロータリング(西独)。バイエルン放送合唱団(西独)、ベルリン放送合唱団員(東独)、ドレスデンフィルハーモニー児童合唱団(東独)。バイエルン放送交響楽団(西独)、ドレスデン国立管弦楽団員(東独)、ニューヨークフィルハーモニー管弦楽団員(米国)、ロンドン交響楽団員(英国)、レーニングラード・キーロフ劇場管弦楽団員(ソ連、当時)、パリ管弦楽団員(仏)。指揮:レナード・バーンスタイン。 CD番号:F25G29131)

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