「レバノン戦争」は「9.11」になるか  2006年8月21日

イツの新聞を読んでいると、Nahostという言葉が出てくる。直訳すれば「近東」である。ヨーロッパからあまり離れていない東の国々が「近東」。シリア、トルコ、エジプト、バルカン諸国などを指す。旧オスマン帝国の外にあるイランやアフガニスタンなどは「中東」になる。それらをあわせて「中近東」ということもある。いま、焦点となっているレバノンとイスラエルの武力紛争は「近東」の問題だが、特にイランとの脈絡で見れば、「中近東」全域を巻き込む重大事態に発展する危険性がある。レバノンの政治学者Oraib Rantawi教授は、イスラエルが侵攻を始めた7月12日以降の事態は、レバノンにとって「9.11」にあたると警告する。「レバノン戦争は中東にとっての意義という点で、合衆国における9.11で起きたことに照応する。すべてが変わるだろう。…これから中東は、さらに過激化し、暴力化するだろう」 (die tageszeitung vom 19.8.2006) 。不吉な予言である。

  国連安保理は8月11日、決議1701号で、レバノン南部からのイスラエル軍の撤退と、レバノン軍を支援する国連部隊15000の派遣を決定した。ようやく先週になって停戦にこぎつけたが、イスラエルの攻撃は散発的に続いている。だが、イスラエル(米国も)は戦争目的を達成できなかった。イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラのレバノン政府への影響力も増大したという。この状況を、ドイツ、カッセル大学のPeter Strutynski教授は、「イスラエルは勝利できず、ヒズボラは敗北しなかった」と評し、この地域の問題の解決には、包括的な政治的解決が必要であると指摘している (Kein Sieger, kein Verlierer, in: Freitag vom 18.8.) 。

  それにしても、7月12日に始まった約1カ月の「戦争」で歯がゆかったのは、イスラエルが露骨な侵略を行っているのに、国際社会の対応が非常に遅れたことだろう。国連安保理の決議をめぐっても、米国が一貫してイスラエル側に立ち、停戦決議や民間人大量殺害事件の非難決議などを徹底して妨害したのは記憶に新しい。
  1982年の第一次レバノン戦争に次いで、今回は「第二次レバノン戦争」ということになるが、これを「第一次イラン戦争」と呼ぶ向きもある (Lily Galili, Tel Aviv, in: Netzeitung vom 24.7.) 。単なるレバノン対イスラエルの国家間戦争ならば話は簡単である。安保理決議も比較的容易に出されただろう。そこには、そうはいかない、二つの事情が複雑に絡み合っていた。

  第一に、イスラエル軍とレバノン軍という国家の正規軍間の全面的な戦闘が存在しないことである。戦闘の当事者は、イスラエル軍と民兵組織ヒズボラである。国家間戦争ではない。『シュピーゲル』誌 (Der Spiegel vom 24.7., S.83) のイラスト写真を見ると、イスラエルの攻撃はレバノン全域に渡っている。これは現象的に見れば、明らかに侵略行為である。レバノンの民間施設などを攻撃して、民間人に多くの死傷者も出た。だが、イスラエル側の言い分は、あくまでもレバノン領内からイスラエルに攻撃してくるヒズボラに対する、個別的自衛権に基づく反撃ということになる。

  ボーフム大学のKnut Ipsen教授(国際法)によれば、非国家的主体(アクター)が、ある国家の高権領域(領土)から他の国家に対して武力行使を行った場合、そのアクター(この場合はヒズボラ)に活動の場を提供している国家は、国際法上、この武力行使を阻止する責任がある。当該国家(この場合はレバノン)がそのことを行う意思がないか、あるいは能力がない場合には、かかる武力行使は、被攻撃国家(この場合はイスラエル)に対する侵略行為として、当該国家(レバノン)の責に帰すべきことになる。これは1974年12月の国連総会「侵略の定義に関する決議」(3条)にあるとされる。ヒズボラによるイスラエルに対する絶え間ないロケット攻撃は侵略行為に該当し、イスラエルはレバノン領土内のヒズボラに対して自衛権に基づき武力行使をする権利がある。ただし、それは、ヒズボラの侵略行為を阻止するのに必要な自衛措置にとどまる。国連憲章51条や国際司法裁判所の判決からも、比例原則(攻撃に対する反撃は、必要な限度を超えないバランスのとれたものであることを要す)に拘束される。だが、イスラエル軍が民間のインフラ(ベイルート飛行場、交通路、供給施設、エネルギーセンターなど)を破壊したことで、イスラエルは自衛権行使に際して、この比例原則に違反した。イスラエルはまた、国連平和維持軍部隊の基地を攻撃し、国連部隊兵士4人を殺害したことで、国連の平和維持措置を促進すべき国連憲章の義務に違反した。さらに、ハーグ陸戦法規で禁止された民間人・民間施設への攻撃や、禁止された兵器の使用の疑いも濃厚である(Frankfurter Rundschau vom 1.8., リンク写真は Der Spiegel vom 31.7., S.90)。だいたいこういうトーンである。
   ベルリン・フンボルト大学のChristian Tomuschat教授(国際法)は、ドイツラジオのインタビューに答えて、国際法上このケースは「戦争」ではなく、「武力紛争」であるとしながら、特に発電施設や水道施設へのイスラエルの攻撃に注目。これらは国際法上攻撃が禁止されている民間施設であると指摘している(dradio.de vom 31.7.) 。
  フランクフルト大学のMichael Bothe教授(Emeritus) は、「戦争」概念の誤用(「対テロ戦争」についても)に言及しつつ、慎重に言葉を選びながら、イスラエルの攻撃の仕方に国際人道法、ジュネーヴ条約違反の疑いを見てとる (Süddeutsche Zeitung vom 3.8.)。

  イスラエルを侵略者として非難する声がいま一つ大きくならないのは、上記のような法的議論の段取りを踏めば、レバノン領内のヒズボラ地域への攻撃は自衛権行使として正当化する向きが少なくないからである。首都に対する爆撃やインフラの破壊、Kanaへの攻撃で子どもたちに大量の死者を出すという事態がはっきりしてくると、イスラエルの国際人道法違反が強く指摘されるようになった(文中リンク写真はDer Spiegel vom 7.8., S.96)。
  イスラエルが主張する自衛権に関する「事態の累積理論」からすれば、レバノン政府はヒズボラの攻撃に「間接的関与」していると解され、自衛権行使が導き出される。だが、首都爆撃など、イスラエルの攻撃は度を越しており、多くの市民に死傷者を出している。限りなく無差別攻撃に近いイスラエルのやり方は、この理論によってさえも正当化されないだろう。
  国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」は、8月10日付の報告書で、「国際人道法の重大な侵害」に両当事者がコミットしていることを指摘しつつも、イスラエル政府や軍が、「犠牲者の多くは、ヒズボラが市民を楯にして攻撃してくるから」との主張を誤りであると断定し、「イスラエルは戦闘員と民間人を区別していない」と厳しく非難している。イスラエルが自己流の自衛権拡張解釈を行っても、世界的な孤立を深めるだけだろう。

  第二の事情は、イスラエル対レバノンの国家間戦争ではなく、パルチザンのポストモダン版「低強度紛争」ということになるのだが、しかし、より大きなスケールの国家間戦争に発展しかねない危険をはらんでいることである。それは、イランとの関係である。

  オスナブリュック大学のMohssen Massarrat教授(中東問題専門)は、イスラエルの「三つの戦線」での戦いを想定する。第一戦線が対ハマス戦争、第二戦線が対ヒズボラ戦争、そして第三戦線が対イラン戦争である。この第三戦線には、米国の積極的な参加が見込まれる。他方、ヒズボラは資金から訓練、装備に至るまで、あらゆる面でイランに「遠隔操縦」されている。かくて、イランに対する国連決議なしのイスラエル・米国による攻撃も予想されている(Freitag vom 11.8.) 。

  8月11日の国連決議に基づき、国連の平和維持部隊がレバノンに展開する。すでにフランス軍の一部が上陸したが、全体の編成・展開が終わるのには時間がかかりそうである。ヒズボラの武装解除もなかなかむずかしい。前述のOraib Rantawi教授によれば、ヒズボラの武装解除をレバノン軍にやらせることは困難であるという。なぜなら、レバノン軍兵士の40%がシーア派だから、軍は分裂し、レバノンは内戦になり、新たな介入を招くと警告する。

  今回、イスラエルが強気に出てきたのには、いろいろな背景があるだろう。イスラエル政府部内、あるいはイスラエルの権力機構内部における複雑な力学もあるようだが、私の分析能力を超えるため立ち入らない。米国の事情はどうか。ブッシュ政権の対イラン武力行使に向けた「布石」の側面もあるとの指摘もある。
  米国内のキリスト教原理主義の勢力が有力に存在し、徹底したイスラエル支持の政治配置を作りだし、世論を誘導している点も注目される。ドイツの新聞に載った「イスラエル支持のキリスト教原理主義者」という論説によると、John Hagee司祭という、米国で最も影響力が強いプロテスタント系の教会が怪しいようである。1987年に創設されたこの教会は5000人から、今日では18000人に増えている。160のケーブルテレビ局と50のラジオ局で毎日放送している。本もたくさん売れている。彼の使命はイスラエルである。この聖なる国は、彼にとっては、善と悪の間の最終闘争の舞台である。イスラエルはイスラムとの戦いで、悪の勢力に対する主要な戦士である。彼の聖書解釈の仕方は、すべてのキリスト教徒は、イスラエルを選ばれし国として支える、神によって課せられた義務をもっているというものである。それは精神的というよりも、すぐれて実践的である。司祭はイスラエルを頻繁に訪れ、すべての閣僚と会っているという (die tageszeitung vom 11.8.)。
  ブッシュ政権とネオコンの関係に一定の変化が生まれているとはいえ、ことイスラエルに関する限り、かたくなさに変わりはないようである。加えて、ロンドンにおける航空機同時爆破未遂事件に際して、ブッシュ大統領の口から出た言葉は「イスラム・ファシスト」だった。この大統領の場合、超大国のトップの熟慮の上での言葉というよりも、乱暴で無思慮な「単語の放屁」でしかないように思われる。イスラム原理主義ばかりに目がいくが、米国内の狂信的な部分への注意も必要だろう。

  では、レバノンは「9.11」になるのか。さすがに、米国内でも、良識ある人々が警鐘を鳴らしはじめた。例えば、カーター元大統領は「イスラエルと米国は孤立している」という長文のインタビューで、イスラエルのレバノン攻撃を批判するとともに、ブッシュ政権の手法に警告を発している (Der Spiegel vom 14.8., S.111f.) 。また、22人の元外交官や将官が、ブッシュ大統領に公開書簡を出して、「近東における目下の危機を克服するために、イラン政府との直接対話を、遅滞なく、かつ無条件で受け入れること」を要求した。公開書簡に署名した元・米中央軍司令官らは、イランへの攻撃は「地域の安全とイラクの米軍部隊に恐るべき結果をもたらすだろう」と警告している。また、元国務次官は「シリア、イラン、北朝鮮との対話を政府が拒否することは、国の安全を危険に陥らせる」と指摘している(Die Welt vom 19.8.) 。11月の米中間選挙の結果次第では、一定の路線修正が期待されるが、過大評価できない。

  国連決議によりレバノンへの国連部隊の派遣について、ドイツは複雑な事情を抱えている。そもそも1948年のイスラエル建国は、全世界のユダヤ人が金と暴力にものをいわせて、パレスチナの人々を追い出してなされたものである。58年前からイスラエルには次のような言葉がある。「全国が前線であり、全国民が軍隊である!」。女性にも徴兵制がある唯一の国である。アラブ世界に浮いたユダヤ教の全周要塞国家。こんな凶暴な国家が出来たのも、そもそもヒトラーがユダヤ人の大量虐殺をやったからである。それがなければ、イスラエルは存在しなかった。だから、ドイツ人はイスラエルという国家の存在そのものに、「特別な責任」を負っている、というものである。イスラエルの存続をドイツは守る道義的義務がある。ドイツ国内にも、ユダヤ人中央評議会というプレッシャーグループがあって、何かにつけて難癖をつけてくる。ベルリンのど真ん中に作られた「ホロコースト記念碑」も、そうした力学が反映していた。だから、どんなことがあっても、ドイツ軍がイスラエル軍(ユダヤ人)と武器をもって対峙することは回避したい、という気持ちだろう。国連平和維持部隊といっても、レバノンは激しい武力衝突が続く、最前線である。ドイツ連邦軍は現在、旧ユーゴ、アフガン、アフリカの角など、計7700人が国外展開しているが、今回のミッションは最も危険なものとなる。単に危険というだけでなく、そのような「歴史的過去」と絡み合っている複雑な地域である。
   イスラエルがレバノンを攻撃したことに対して、ドイツの世論は圧倒的多数が批判的である。ある調査では70%がイスラエルを侵略者としている(Die Welt vom 16.8.)。そして、ドイツ第二放送(ZDF)の世論調査では、国民の58%がレバノン国連部隊へのドイツ連邦軍の派遣に反対している(Die Welt vom 19.8.)。国連決議もなく、自衛権行使ですらないイラク攻撃に対して、ドイツ市民の姿勢は一貫して揺らぐことはなかった。だが、イスラエルを侵略者とする国民のまともな声と、政治家や知識人のそれとは若干距離がある。「イスラエルの領土保全は、ドイツの国家理性の一部をなす」という考え方も政治家のなかから出ている(Die Zeit vom 15.8.) 。イスラエル批判がなかなかできない。唯一、現在の連邦政府のなかからは、Wieczorek-Zeul 開発担当相(社会民主党〔SPD〕)が、閣僚としてただ一人、イスラエルの行為を国際法違反であると明確に批判した。だが、ユダヤ人中央評議会は彼女の辞任を要求したのである。Zeul大臣はこれまでも、さまざまな場面できちんとした発言をしてきており、見識ある態度だろう。

  ドイツの政治家たちはいま夏休みである。ドイツ軍を近東に派遣するのか。どのような形になるか。ここ数日で次第に方向が見えてきたとはいえ、まだ確定的ではない。与党も野党も複雑である(以下の叙述は、Vgl. Der Spiegel vom 14.8., S.31f.) 。自民党(FDP)と左派党は、派遣に反対。緑の党は一致せず、与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と社会民主党(SPD)は割れている。左派党のGregor Gysiと、最保守のCSUEdmund Stoiberの見解が近いというのも興味深い。CSUHans Raidel議員は、「イスラエルに対する歴史的責任においても、しかし、アラブ世界との際立った関係の故に、“ Germans to the front. Boots on the ground ”という過度な熱心さの動機は、われわれの政治的熟慮のなかにはない」と断言している。“Boots on the ground”という言葉が、地上部隊の派遣要請を意味することは明らかだろう。“Show the Flag”でアラビア海に護衛艦を出し、“Boots on the ground”でイラク特措法で陸自をイラクに送った小泉政権とは大きな違いである。目下、レバノン海域に海上警察の艦艇を送るというアイデアも出ているが、最終的に、連邦海軍の艦艇と医療部隊、輸送部隊が派遣されることになるだろう。目的は、あくまでも人道支援、ないし後方支援に徹することになる予定である。なお、19日の段階で、外相と国防相は、海軍を中心に、人道支援を軸に国連任務に参加する点で一致したという。

  レバノンの事態が「9.11」のような形に、つまりブッシュ政権によるイラン攻撃に向かわないように、ヨーロッパ各国は、それぞれの思惑や歴史的事情を抱えながら、いま対応に苦慮している。