小沢一郎的憲法論に要注意  2007年11月12日

11月3日、日本国憲法公布61周年の日、早稲田祭の企画として、今関ゼミ主催「加藤紘一氏と語る会」が行われた。校務で参加できなかった今関源成教授にかわって、私が閉会の挨拶を行った。講演会には、NHKと民放4社がつめかけた。加藤氏は、「昨日の出来事〔注・福田・小沢会談と大連立問題〕について、私が何をいうか期待してのことでしょう」と笑いをとりながら、「憲法問題を政治の現場から考える」という学生の依頼趣旨にこたえて、淡々と語りはじめた。

  まず、「憲法改正はいろいろといわれているが、結局のところ9条問題である」として、PKO等協力法成立時の宮沢内閣官房長官としての体験もまじえながら具体的に話を展開していった。そのなかで、加藤氏が集団的自衛権行使に否定的なのは当然としても、国連の強制措置についても、日本が参加することには慎重な姿勢をとっていることがわかった。
   質疑のなかで、PKOPKFPEU(平和執行部隊。ガリ元国連事務総長の構想)について意見を求められた加藤氏は、ソマリアの例などを挙げつつ、軍隊が紛争地域に入ることのマイナスを強調した。そして、海外で武力行使のできない日本を「ハンディキャップ国家」と呼んだ外務省OBに怒りを覚えるとしながら、軍事力を使うのは簡単だが、それをあえてしないとすることで、たくさんのことを工夫しなければならなくなり、それが望ましいという見解を示した。国連の旗を掲げていても、やってきたのが米軍だった場合、かえって現地の反発をかうことなども指摘した。加藤氏は持論において、海外における武力行使は行わないという点で一貫していたのが印象に残った。
   なお、官房長官当時、カンボジア4派の東京会議のあと、料亭に招待したこと、そのあとカラオケをやったら、シアヌーク殿下が谷村新司の「昴」を日本語で見事に歌いきったというエピソードなどの披露もあり、実に興味深かった。

  また、自身の議員バッジを示しながら、その裏に第44回総選挙と書いてあることを紹介。1890(23)年の選挙から44回目であり、その間に大、中、小の選挙区制がさまざまにかわっていったことを述べ、いずれ中選挙区にもどるだろうという見通しを述べた。そして、現在の衆参の「ねじれ」現象について、米国では大統領・上下院が一つの政党で一本化したことはあまりなく、「ねじれ」が常態であることを指摘。「ねじれ」があるからこそ、話し合いや合意の工夫が生まれると述べた。
   最後に、山形の実家が放火されたことがその後の発言に影響したかという質問に対して、しばらく沈黙した後に、「このことで意見を変えるわけにはいかない。今後とも自分の意見を主張していく」と決意を表明。学生はじめ、参加者は共感の拍手を送っていた。

 

   さて、この加藤講演の前日(11月2日)は、福田康夫首相と小沢一郎民主党代表との党首会談で「大連立」構想が飛び出し、列島に衝撃が走ったわけだが、講演会当日(4日)夕方には、今度は小沢代表が突然の辞意表明。これは号外も出る騒ぎとなった。そして11月7 日、「ぷっつんしました」という小沢氏の辞意撤回・代表続投の記者会見とあいなった。
   私は、1994年に、武村正義氏(当時、新党さきがけ党首、元官房長官)が出版した『小さくともキラリと光る国』と対比して、小沢一郎『日本改造計画』について、「大きくて、ギラリと光る普通の国」と批判したことがある(『軍縮問題資料』1994年9月号)。そして、8年前には、小沢氏の憲法論議を、「ヤクザ憲法論」と批判したこともある。自分の論理を力づくで押し通す。しかも、論理運びは実に乱暴で、突き放した物言いから、意見の一致を見いだそうとする姿勢に欠ける。これが「小沢一郎的」とされる所以である。

  湾岸危機、湾岸戦争当時の自民党幹事長は小沢氏である。この頃に喧伝されたのが、「日本はいつも、お金だけですませ、汗もかかず、血も流さないから、湾岸諸国から感謝されなかった」という、いわゆる「湾岸トラウマ」というものがあるが、これはかなり意図的なプロパガンダといえる。「日本は感謝されていない」との「自虐的」評価をあえて流して、自衛隊海外派遣の基盤づくり、その理由づけに寄与することになった。

  ところで、8年前、ドイツに在外研究で出発する直前に、『この国は「国連の戦争」に参加するのか』(高文研、1999年)を出版した。副題は「新ガイドライン・周辺事態法批判」である。帯には、「『国連』の旗の下、『普通の国』の軍事行動をめざす危険な政治動向を徹底批判。平和憲法に基づく国際協力、人間の安全保障への新たな道・新たな選択肢を提示する」とある。今にして思えばフライングぎみのタイトルだったと思う。私があの本を出したときに最も意識していたのは、自由党の小沢氏だった。
   自由党といっても、この8年ほどの政治があまりに変転が激しいので、多くの方はその単語すら忘れているのではないか。防衛大臣を55日で辞めた小池百合子氏の政党渡り鳥(日本新党〔参比例→衆・旧兵庫2区〕→新進党〔兵庫6区〕→自由党→保守党→自民党〔衆比例→東京10区刺客〕)との絡みでいえば、その彼女が自由党時代の99年1 月、「自・自連立」政権が誕生した。その際の合意文書に、小沢氏は、「PKFの本体業務の凍結解除」を挿入させたのである。そのことに8年前、私は注目した。

  1992年のPKO等協力法が成立する際、国連の活動とはいえ、海外での武力行使にあたるおそれから、平和維持軍(PKF)の本体業務(武器回収、緩衝地帯監視など)を凍結した。PKFには参加しないということで、施設大隊をカンボジアに派遣した。小沢氏は、武器使用基準を緩和して、上官命令で発砲できるようにするとともにPKF本体業務の凍結解除を強力に主張してきた。国連の活動ならば武力行使も可能という観点を自民党に浸透させたのである。8年前の拙著の序文から引用しよう。

  「…自由党の小沢一郎党首は、湾岸危機のときの自民党幹事長で、『国連の旗』の下での武力行使は憲法上可能と主張してきた人です。その小沢氏が『自・自連立』にあたり、『船舶検査』(臨検)を周辺事態法案から切り離し、単独の立法にすべきだと主張している点は要注意です。…米第七艦隊が北朝鮮シフトを敷いて日本海に展開したとき、海自の護衛艦は、海上阻止行動への参加を求められてくる。そのとき、…単独立法にして、国連安保理決議さえあれば動けるような柔軟性を確保しておく。そこに小沢氏の狙いがあるように思われます。…」

  小沢氏は、「多国籍軍的形態であっても、国際社会の秩序維持行為と見なされると解釈すれば、湾岸戦争や朝鮮動乱のような場合でも日本は参加できる。…私は国際社会でいいという行動は、宇宙の果てまでともにする。…要請があれば地獄までも行く」(『朝日新聞』1996年6月7日付)とはっきり述べていた。
   小沢氏はなぜ、「国際社会」や国連の要請ならば、「地獄までも行く」などという乱暴な物言いをするのだろうか。実は彼には、国連に対する独特の思い入れがある。

  小沢氏は、『世界』2007年11月号の公開書簡「今こそ国際安全保障の原則確立を」のなかで、焦点の洋上給油問題との関連で政府・与党を厳しく批判し、海自の活動は「米国の自衛権発動を支援するものであり、国連の枠組みでの行動ではありません」と的確に指摘している。政府・与党の米国追随政策への批判も鋭い。他方、アフガンで医療や灌漑の活動を続けている「ペシャワール会」中村哲氏の活動を高く評価して、「貧困を克服し、生活を安定させることこそが、テロとの戦いの最も有効な方法である」とも述べている。ここまでならば、その限りで多くの人が共感しただろう。ところが、小沢氏は、そこから、「ISAFのような明白な国連活動に参加しようと言っているのです」と飛躍していく。
   小沢氏の議論の荒っぽさは、まずISAFの活動を「明白な国連活動」としていることである。ISAFNATO軍が主体の活動であり、国連安保理決議1386がバックにあるものの、「明白な国連活動」とは到底いえないものである。昨年夏頃からは、南部で「不朽の自由作戦」(OEF)の作戦をも担任している。ISAF部隊の「誤爆・誤射」でアフガン民衆にかなりの犠牲者を出している。そこに自衛隊を参加させようという小沢氏の議論は、政府・与党から「それこそ憲法違反だ」という反論が返ってくるほどだった。ドイツはアフガン北部にISAF部隊、南部にOEF、そしてトルネード偵察機という三つの形で参加しているが、与党内部にも撤退論が広まっているISAF活動の行き詰まりと破綻は時間の問題だろう。小沢氏はISAFを過大評価して、上記のような発言をすることで、かえって議論を混乱させたように思う。日本はISAF参加などではなく、医療支援(とりわけ結核への対処)や技術支援(とくに灌漑)などの非軍事面に特化した協力を強化すべきだろう。そのことは小沢氏が主張している通りである。

  また、小沢氏は、「国連の決議に基づいて参加する活動は日本国憲法に抵触しないということですが、合憲なら何でもやるということではありません。国連の決議があっても、実際に日本がその活動に参加するかしないか、あるいはどの分野にどれだけ参加するかは、その時の政府が総合的に政治判断することです」と述べている。これも問題である。小沢氏は、国連決議に基づく活動は、憲章第7章の軍事的強制措置であっても、憲法上参加できる(合憲)とみているようである。「国権の発動たる戦争」ではないし、「国際紛争を解決する手段」でもないという論理のようだが、これには無理がある。そして、参加やその程度を、政府の広い裁量に委ねすぎている。政府の政治判断ではなく、憲法9条によって遮断された方向に対しては、裁量は限りなく収縮するのである。

  さらに、小沢氏は、「国連の平和活動は国家の主権である自衛権を超えたものです。したがって、国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない、というのが私の憲法解釈です」という。だが、これは乱暴な議論であって、憲法の首を落とす「憲法介錯」になりかねない。そもそも、憲法9条解釈からすれば、憲章7章の正規国連軍への参加も認められない。国連憲章43条によれば、加盟国は国連と特別協定を結び、それぞれの憲法上の手続に従って、軍を出すことになっている。憲法で軍の派遣を認めていない日本の場合は、軍の派遣以外の方法で協力する余地が残されている。だが、正規国連軍は「夢のまた夢」であり、これまで一度も編成されたことはない。
   小沢氏は、20代半ば、日大法学研究科で司法試験の勉強をしているとき、憲法学者の清宮四郎『憲法I』(有斐閣)や国際法学者の横田喜三郎『自衛権』(同)などの著書に触れ、国連の武力行使への参加を理想とするようになったようである。しかし、横田氏は、日本は自衛権をもつが、保有できる「実力」は「警察力」までにとどめている。そして、国連の軍事的強制措置についても、日本の場合は基地提供や経済援助に限られるとしている。その横田氏は生前、「正規の国連軍の結成を見てから死にたい」ともらしていたそうである。葬儀には、「衆議院議員・小沢一郎」の花輪が立てられていた。それを目撃したある国際法学者に直接うかがった話である。なお、小沢氏は横田氏のことを「憲法学者」と誤って書いている。横田説のかなり強引な理解、そしてISAFの一面的な理解、さらに「地獄までも行く」とまでいう国連に対する思い入れは、青年時代に憲法や国際法を勉強したときの思い込みからくるものか。それらが、いま、強引な主張となって押し出されているようである。

  福田・小沢党首会談でも、国際貢献「恒久法」の問題が出てきた。小沢氏がこれに乗ろうとしたふしがある。新テロ対策特措法案の問題補給支援活動特措法案の問題)でも、今後、微妙な軌道修正がはかられるかもしれない。「国連決議さえあれば」とか「国連の平和活動」といった言葉に要注意である。武力行使を伴う活動は、かりに国連決議があっても参加することは許されない。「この国は『国連の戦争』に参加するのか」と問われる事態が今後生まれる可能性は小さい。むしろ、国連決議を拡大解釈して、米国が軍事介入を行うことがこれからも続くだろう。憲章7章は、いずれ国連改革が進むなかで、むしろ縮小されていくだろう。国連の活動には、過大評価も過小評価も禁物なのである。

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