2010年の年頭にあたって 2010年1月4日

けましておめでとうございます。本年も「直言」をどうぞよろしくお願い致します。
個人的には、9日に「早稲田大学ニューイヤー・コンサート2010」を控えているため、これが終わるまで正月気分にはなれない。充実したコンサートになることを祈るのみである。

7年前に年賀状の一方的な「廃止」を宣言した。「もらうけど出さない」という誠に勝手な言い分である。全国各地で活躍している教え子、友人、知人、講演で知り合った方々からの年賀状は、ありがたく拝見している。「結婚しました」「子どもができました」など、教え子たちからの「年賀状報告」は楽しみにしているし、「写真入り」には思わず微笑んでしまう。返事を出さない非礼を、この場を借りてお詫びしておきたい。

すでにお読みの方も多いと思うが、昨年正月、「2009年を『復興』の年に」を出した。そのなかで、「オバマ政権が発足すれば、日本に対して何かを求めてきたとき、おおらかに「Yes, we can」といってしまわないように、相当タフな外交も求められる。……かつて大隈重信は、『英雄とは、否(ノー)と言うことの出来る人である』と語った。これからは普通の人々のレヴェルでも『ノー』といえる覚悟が必要である」と指摘した。

普天間飛行場の問題について、政府は依然として決断していない。これをめぐる昨年12月のメディアの論調は非常に奇妙だった。「米国を怒らせてしまった」「日米同盟が危うい」というトーンで鳩山政権を批判するばかり。何とも一面的発想である

この問題では、今月の名護市長選挙が一つの山場になるだろう(まさか11月の沖縄県知事選挙までの先送りはないだろうが)。またも政府は対外的「カード」を切る際の理由づけを、名護市民に押しつけるのか。こういう「負担」は1997年12月にもあった。「地元の選挙でこういう結果が出たから」というのを「理由」として使いたいのだろうが、どうして日本政府は、自らの判断で、米国に対してきちんと主張できないのだろうか

2010年は、改定日米安保条約50周年である。世界トップクラスの「経済大国」が対外政策上、他国に例をみないほど、米国に対して屈従的な関係を長期にわたり続けている。この不自然で異様な状況を転換して、日本の外交・安全保障政策の「復興」の年になるのかどうか。今年は正念場を迎える。

国内に目を転じれば、昨年正月の直言で、「戦後復興と同じように、『構造改革』で破壊された日本社会の復興と希望回復が、いま緊急の課題なのである」と指摘した。昨年9月、自民党にかわって民主党が政権をとり、鳩山内閣が発足した。「復興」への歩みが始まったかに見えるが、まだまだ端緒にすぎない。今後の取り組み次第だが、その一方で、民主党・新政権による、国会法改正(内閣法制局長官の国会答弁禁止など)や公正取引委員会の審判制度の廃止など、国民の知らないところで、既存の仕組みの危うい改変が進行中である。要注意である。

5月の憲法改正手続法施行を前にして、これをそのまま施行するのか。鳩山内閣の憲法改正への姿勢が鋭く問われてくるだろう。

さて、2010年は、国連が定めた「文化の和解のための国際年」(International Year for the Rapprochement of Cultures)である。そこで思い出すのは、10年前にライン河畔で書いた「直言」のことである。そのなかで、元西ドイツ首相のH.シュミットの論文を紹介した。彼は21世紀の始まりに際して、さまざまなことを予測していた。そのなかで、西欧とイスラムとの衝突の問題を指摘している。明らかに、S.ハンチントン『文明の衝突』を意識したものだが、「イスラム文化圏と欧米的文化圏との危険を衝突を避けるための、よりよき相互理解は、ヨーロッパ主導でしかあり得ない。米国は歴史的にも地理的にもイスラムと離れすぎているからだ」という指摘は注目される。10年前のシュミットの言葉は、日本の対外政策を考える上で参考になるだろう。

そもそもブッシュ政権下の米国は、味方にできる者まで敵にしてきた。小泉政権下、米国に過度に寄り添い過ぎたため、もともと日本に好意を抱いていたイスラム諸国からも反発をかってしまった。日本は米国と距離をとって、「味方にできなくてもいいから、敵にしない」という自然体で、経済・技術・医療・教育・文化などの得意分野で、対外関係を取り結んでいけばよかったのである。そこに憲法で禁じられた「軍事」の要素を無理に入れてくるから混乱するのである。東アジアはいま、非常に重要な局面を迎えている。鳩山首相の「東アジア共同体」論はいま一つ明確ではないが、日本が、軍事の要素を極小化する安全保障設計を進めていくことは意味がある。

まずは、米国の「基地政治」(Bace Politics) から離脱する必要がある。これは、「日米同盟」のアナクロニズムから脱却して、東アジア地域における集団安全保障の枠組づくりに重点を置く。2010年は、漢字一字であらわせば「変」の年から、「新」の年への移行。何よりも「新思考」が求められている。

最後に、私個人の抱負も語ろう。私にとって節目となった2005年。その正月に「直言」を出してから5 年が過ぎた。早いものである。まもなく私は57歳になる。直後に「おじいちゃん」になるが、精神的にそうならないように、気を引き締めながら、私に課せられたことを淡々とやっていきたいと思う。

今回は、連続更新13年、688回目にあたる。3月末には700回記念を迎える。連続更新の回数が自己目的ではないが、当面は1000回を目指して更新を続けたいと思う。

読者の皆さん、本年も「直言」をどうぞよろしくお願い致します。

付記:冒頭の写真は、八ケ岳南麓の初日の出。二つ目の写真は、昨年8月の水島ゼミ北海道合宿のおり、知床峠付近から学生が撮影したもの。海の彼方に見えるのは、北方領土・国後島である。

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