「広義の密約」とは何か 2010年3月15日

3月9日夜、テレビのニュースを観ていて、「こうぎの密約」という言葉が耳に入ってきた。違和感があった。時代劇でよく出てくる「ご公儀」や「公儀隠密」の「公儀」と思った人はいないだろう。かつて大名や公家、寺社などの上に君臨する統一的王権である将軍権力が「公儀」と呼ばれた。米国はそのような「公儀」として振る舞い、日本という大名家の家老(日本政府)と「密約」を結ぶ。家中のものは知るよしもない。代々の家老は、「公儀」の意向を忖度し、「お家のため」と思って「密約」を守り続ける。まさに「公儀の密約」である。日本は米国を「公儀」として崇め続けてきた。日本の歴代外相は、「米国務省第51支所事務取扱」のような存在だった。しかし、政権交代により、その不自然で歪んだ関係にメスが入ることになった。その一つが、日米密約問題である。岡田克也外相は昨年秋、大臣命令を出して、「密約」の調査を命じた。これは画期的だった。政権交代したということを実感した。だが、先週、その結果が出た。大臣命令を出した頃の勢いは消えていた。

岡田外相は、日米密約に関する外務省の調査結果と、有識者委員会による「検証報告書」を公表したが、今回調査対象となったのは4件の「密約」である。(1)安保改定時の核持ち込み(1960年1月)、(2)米軍の自由出撃(同)、(3)沖縄への核再持ち込み(1969年11月)、(4)沖縄返還時の原状回復費の肩代わり(1971年6月)である。

(1)は、核搭載艦船の寄港・領海通過は、核「持ち込み」に必要な事前協議の対象にしないというもの。これは今回の調査で、1968年1月27日付の外務省北米局長の極秘メモが発見された。この文書は歴代首相・外相に対する説明に用いられており、そこには首相らが説明を受けたことを示す記載もある。有識者委員会は、これは「密約の証拠とは言えない」ものの、「暗黙の合意による広義の密約があった」と認められるとした。

(2)については、朝鮮半島「有事」の際に在日米軍が事前協議なしに出撃できるとする非公開の議事録の写しが発見され、これは「密約」と認定された。(3)については、佐藤首相とニクソン大統領の署名入り合意議事録が見つかったが、日米共同声明(1969年11月)の内容を超えるものではなく、「密約とは言えない」とされた。(4)については「肩代わり」はあったと認め、「広義の密約」にあたるとされた(『毎日新聞』3月10日付)。要するに、4件のうち、「狭義の密約」1件、「広義の密約」2件、「密約にあたらない」1件という結果だった。

(1)は、日本政府が、米側が事前協議の対象外としていることを黙認し、その一方で米側が、日本政府が事前協議の対象に含まれると国会で答弁することを放置したことで、双方に「暗黙の合意」があったと認められるが、明確な合意文書がなかったので、これは「広義の密約」とされた。他方、(2)については、日本の基地を使用させるという権利を米側に与える文書が見つかったので、これは「狭義の密約」とされた。しかし、「やましいこと」をお互いに知らないふりをし続けることについて、「明確な合意文書」が作成できるだろうか。文書の形にしなくとも、お互いに知らないふりを続けるから「密約」なのである。有識者委員会は「密約」を、「国家間で、公表されている約束より大きな利益を相手に与えたり、負担を引き受けたりするもの」と定義して、「密約」の判断ポイントを、文書などの形式だけでなく、権利や義務が生じているかどうかに着目したようである。だが、これは本当に対等な関係の国々に言える一般論で、日米関係のような「一方的忖度関係」とも言うべき状況では、「密約」が成立するすそ野は広いように思う。もっと構造的なとらえ方が必要ではないか。

そもそも「密約」たる所以は、公開するとまずい「裏事情」を含むことと、一回性の約束ではなく、次の内閣への引き継ぎが反復継続して行われてきたこと、この二つで足りる。いずれも「密約」と認定して何の支障もないにもかかわらず、あえて「広義の」という曖昧な表現にこだわったのは、有識者委員会の多数派が「日米同盟原理主義」とも言うべき立場の人たちだったことと無関係ではないだろう。「密約」の存在は否定できないが、それをできるだけ小さく見せて、「日米同盟」へのマイナスの影響を最小限に抑えるという、「政治的」意図は報告書の表現にも見え隠れする。

(3)について、佐藤・ニクソンの合意文書の現存を確認しながら、これを「密約」と認めないのは、相当無理がある。「核抜き本土なみ返還」が佐藤首相の看板だったはずで、裏で沖縄への核再持ち込みの合意文書を作っていたこと自体が、とりわけ沖縄県民への裏切りであり、密約性は面目躍如なのではないか。(4)について西山太吉・元毎日新聞記者は、財政密約について、有識者委員会が、「氷山の一角である400万ドルしか対象にしていない」と批判。「『広義の密約』という言い方も、密約を否定してきた官僚を擁護しようという思惑が見える」とコメントしている(『読売新聞』10日付)。

このような報告書になったのも、岡田外相(というよりも外務官僚)の人選に問題があったからではないか。核問題などを精力的に取材してきた元・共同通信編集委員の春名幹男氏(名大教授)以外は、前政権の審議会常連にかたより過ぎである。例えば、「安倍晋三懇談会」の坂元一哉氏(阪大教授)のような人物ではなく、日米密約問題に詳しい我部政明氏(琉大教授)を入れるべきだったろう。「尻すぼみの結論」は当初から予想できたところである

国民に嘘をつき続けてきた歴代首相や外相の対応は興味深い。鈴木善幸首相(当時)は、81年にライシャワー元駐日米大使が核持ち込み密約の存在を認める発言をした直後の国会で、「外務省の諸君にもよくただしたが、そういう記録もなければそういう話を聞いたこともないと言っていた」と答弁していた。虚偽答弁を繰り返したことについて、海部俊樹元首相は、「高い次元の目標を達成するために、(核が)通過するぐらいのことは理解しなきゃいかんのかなと(思った)」と語っている(『朝日新聞』3月10日付)。海部氏は9日夜のテレビニュースで、「悪ではあるが、必要悪だった」と言ってのけた。

なお、99年に小渕恵三首相に外務省幹部が「実は核密約はあるんです」と説明すると、小渕氏は「それはないんだろ。ないものを説明したってしょうがないじゃないか」と答えたという(『朝日』同)。小渕氏らしいエピソードである。麻生太郎元首相は、外相時代の2007年3月の参院予算委員会で、「この種の密約は一切存在していないというのが我々の基本的立場だ」と断定していたが、9日のコメントでは、「『密約』について、自分は承知していない」とするコメントを発表した(同)。「承知していない」のに「一切存在していない」と言い切れるところが、「漫画首相」たる所以か

歴代首相の居直りぶりは「いろいろ」である。歴史に誠実な態度をとるならば、政治家として「密約」も必要だったのだと積極的に肯定するか、それとも逆に国民をだましてきたことに対して反省の言葉があってもいい。「必要悪」という言い方が一番悪い。政府は基地関係自治体に「核持ち込みはない」と説明してきたし、国民に対してもそのように語ってきた。国民や自治体に対して嘘と知りつつ、嘘をつき続けてきた。しかも、首相になると、嘘のつき方の「引き継ぎ」まで受けてきたわけである。

「非核三原則」のうちの「持ち込ませず」は守られていなかった。政府は一方で「非核三原則の堅持」を掲げながら、他方で「密約」により核持ち込みを容認してきた。「非核三原則」で佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞は、今回のことで、さらにその「欺瞞性」が明確になった。しかも佐藤氏は、「持ち込ませず」は誤りであったとして、後悔の弁を述べていたことが、東郷和彦・外務省北米局長(当時)によって明らかにされた(『朝日』同)。ノーベル文学賞の受賞者の作品が、後に盗作であると判明した場合、受賞を取り消すことはできるのかはわからない。少なくとも、「密約」問題をきっかけに、佐藤元首相のノーベル平和賞返上の声を強めていくことが肝要だろう。

ところで、報告書が出るや、『読売』『産経』の10日付社説が「非核三原則見直し」に言及している。『朝日』も柳井俊二元外務次官(安倍晋三懇談会)に長いスペースを与えて、「通過・寄港を認め『2・5原則』に」と語らせている。だが、これは本末転倒である。「通過」「寄港」を含めて一切認めないことを米国に改めて要求すべきである。現実に合わせて規範・理念を変えるのではなく、今こそ、「密約」が容認してきた「核持ち込み」を今後は一切認めないという方向に「非核三原則」を厳格実施すべきである。「非核三原則の見直し」という場合にも、「2.5原則」化の方向に低めるのではなく、逆に「非核三原則」の法制化を進める方向で「見直す」べきだろう。

今回、外務省で重要文書の多くが行方不明になっていることもわかった。岡田外相は、3月10日の衆院外務委員会で、「文書の管理保全が不十分だった。公開(基準)も米国に比べて内向きだった」と述べて、今後は30年を経過した外交文書を原則公開するルールを徹底する方針を表明した(『読売』3月10日付)。これはしっかりやってもらわねばならない。

先月10日、「えひめ丸事件」から9年が経過した。ロサンゼルス級攻撃型原潜「グリーンヴィル」が、宇和島水産高校実習船「えひめ丸」に激突して沈没させ、多数の生徒が死亡した事件である。米原潜が見学客を乗せて「緊急浮上」をやった、まさに「原潜体験ツアー」。その犠牲となった若者たち。冷戦が終わり、原潜はテーマパークの観光船のような役回りでしか生き残れないのか。そろそろ「日米同盟原理主義者」が説く「抑止力」やら「脅威」やらの言説から距離をとって、冷静に日本の安全保障を考えるべきではないか。政治家のなかには、未だに「日本核武装論」がくすぶっているが、こと核兵器に関しては、日本は世界に向かってその廃絶を主張する歴史的・道義的使命をもっている。そして、「密約」と嘘と屈辱と忖度に厚く覆われた日米軍事関係をリセットすることが必要である。まずは「非核三原則」を法制化して、世界に向かって日本の姿勢を明確にすることが求められている。鳩山首相も「非核三原則の堅持」をいう以上、「2・5原則化」への後退は許されない。「核の傘をたたむ日」に向けて、積極的に行動すべきだろう


[付記]冒頭の写真は、長野県伊那市の仲仙寺(羽広観音で知られる)付近で2010年1月1日に撮影した。日本禁煙友愛会(本部・伊那市)のシンボルマークで、鳩山首相の「友愛」とも本文とも関係ありません。

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