「特別博士」の授与――改正臓器移植法施行の1週間目に 2010年8月2日

幌時代の元同僚、鳥居喜代和氏は、母校である立命館大学から特別博士号(厳密には「特別博士称号記」)を授与された。 彼は1998年、札幌学院大学の学生部長として奔走中に脳出血で倒れ、言語能力と右手の力を失った 。講義をやり、論文を書くことができない。教員研究者としては大変困難な状態に陥ったわけである。だが、彼は懸命にリハビリを続け、少しずつ回復していった。私は北海道で講演があるたびに見舞っていた。こちらの言うことは理解できる。不自由な左手を使い、何かを伝えようと文字や絵を書く。リハビリの成果は次第に出てきた。そんな矢先の2007年、二度目の脳出血を起こし、ついに意識不明の寝たきり状態になってしまった。

脳出血を起こす前、鳥居氏は、それまでの研究を論文集にまとめる意向を串崎浩氏(現在・日本評論社取締役編集部長)に伝えていた。それを何とか実現したいという家族の希望と、その実現に力を貸そうとした鈴木敬夫氏(札幌学院大名誉教授)や串崎氏の努力のおかげで、鳥居喜代和著『憲法的価値の創造―生存権を中心として』(日本評論社、2009年)として出版することができた。 その経緯とこの著作の意義については、私が執筆した「はしがき」(「鳥居喜代和氏の憲法学について」)を参照されたい。

昨年9月5日、串崎氏とともに札幌の病院を訪ね、 出来上がったばかりの著書を鳥居氏に手渡したおり、私は奥さんに言った。「これで学位をとりましょう。これは法螺(ホラ)話ではありません。後に『言った通りになったでしょ』という意味での『ほら〜話』です」と。東京に戻り、私は立命館大学との交渉を始めた。

最初にメールしたのは、倉田玲准教授(当時、法学部の副学部長)だった。倉田氏は実に誠実に対応して下さり、学部、研究科に意向を伝え、学内での検討のきっかけをつくっていただいた。立命館大学法学部および法学研究科では、二宮周平学部長および平野仁彦研究科長を軸にさまざまな可能性を探る努力が続けられた。当初は、「名誉博士」授与ということも言われたが、奥さんも私も、これは趣旨が違うということで意見が一致した。  学部内には、「論文博士を何とか授与できないか」という声も強くあったと聞く。だが、問題が2つあった。「論文博士」の申請は当然、本人が行う。また、立命館大学の場合、「公聴会」という場で論文の内容を申請者が報告をすることになっている。これは学位授与の要件とされている。意識がない状態の鳥居氏には、申請や報告を自ら行うことは不可能である。 「直言」の「学位が売られる?」 でも触れたように、学位に質の低下をもたらすものであってはならない。 「学位規則」(文部科学省令)4条 との関係もあり、慎重に検討が重ねられていった。

その結果、本質的に「論文博士」だが、形式のみ「特別」という形で、本人申請と「公聴会」開催を不要とする「特別博士」の称号が新設されることになった。  4月23日、立命館大学の最高意思決定機関である大学協議会において、「特別博士の称号授与の要件および様式等について」という新しい規程が承認された。その内容は以下の通りである。

 

1.名称  

授与する称号の名称は特別博士とし、「特別博士称号記」を授与する。

2.授与の要件

 (1) 本人が博士学位申請の意思を有していたが、死亡・病気等により通常の論 文博士の学位申請および審査を行うことが困難であり、ご家族等から特別博士の称号授与の要望があること。

 (2) 研究科委員会または教授会(以下、「研究科委員会等」という)が上記(1)の要望に応えることが適切であると判断するものであること。

(3) 研究成果が刊行され、かつその水準が博士学位に相当する成果であると認められること。

3.授与手続き

研究科委員会等は、上記(3)の審査を行い、授与を決定する。授与を決定した後、大学協議会に報告する。

【以下略】

 

このように、「特別博士」といっても、実質において通常の「論文博士」と違いはない。実は、法学研究科では、手続面での整備が行われた場合に備えて、昨年度中の3月30日に審査委員会を立ち上げ、審査が開始された。そして、5月11日、法学研究科委員会において、論文審査委員会の報告を受けて投票が行われた結果、鳥居氏の著書が博士(法学、立命館大学)の学位に相当することが決定された。  5月28日、大学協議会は、「特別博士の称号授与について」を正式に承認した。その内容は以下の通り。

〈特別博士の称号を授与する者〉   鳥居 喜代和

〈経歴〉   立命館大学法学研究科公法専攻博士課程後期課程満期退学(1981年3月)

〈研究成果〉   鳥居喜代和『憲法的価値の創造――生存権を中心として』(日本評論社、2009年)

〈研究成果の評価〉  本論文は鳥居氏が、1980年以来とりくんできたドイツ憲法学研究を集大成したものであり、ワイマール憲法研究のなかで培われた民主主義と社会権をめぐる問題意識を、日本の当面する問題に即して、生存権、生存財産としての財産権、その生存財産とならぶ独占財産の主題である企業・団体の人権享有主体性、また、団体を結成する結社の自由へと研究対象を発展させた本格的な研究であり、博士論文に相当する成果であると評価される。

〈特別博士の称号授与〉  鳥居氏のご家族から特別博士の称号授与の要望があり、これまでの経歴・実績からその要望に応えることが 適切であると考えられること、また上述のとおり、鳥居氏の研究は論文博士(本学学位規程第18条第2項によるもの)に相当する成果を収めていると認められることから、特別博士の称号を授与することとした。                                   

以上

 

同じ大学人として、私は大きな感動を覚えた。一般の方々にはなかなかご理解いただけないとは思うのだが、大学内の手続というのは実にやっかいで、新しいことを行うときは大変なエネルギーを必要とするものなのである。

「特別博士」。何とも聞きなれない言葉である。一般に、大学院博士後期課程に所定の期間在籍し、博士論文を完成させて提出し、それが審査に合格すれば、博士課程修了による博士号が与えられる。 これが「課程博士」である 。いま理系の場合はほとんどがこれである。他方、大学の教員などの職についてから研究成果を著書の形にして世に問い、それで博士号を取得するのが「論文博士」である。後者はきちんとした著書の形をとることが求められるだけでなく、 審査基準も後者の方が一般に厳しい 。「特別博士」というのは、「論文博士」に相当するが、本人が死亡または植物状態にあるような場合に、本人以外の者の申請で授与されるものである。このような制度は、私が知る限り、かつて存在しなかったのではないか。立命館大学は、初めて、死者や病気で意思表示ができない人にも「論文博士」を授与する道を開拓したわけである。論文集をまとめる途上で病床に伏した方や、死後に関係者が編集して論文集の形で出版したものなどについて、こうした形で学位を認定することが可能となった。 学位をめぐって軽薄短小的傾向が目立つ昨今 、このことの意義は、はかりしれないほど大きい。大学の歴史のなかで新しい形をつくるために努力した立命館大学は本当に立派である。尽力された皆さまに、心からの敬意と感謝の意を表したいと思う。

たまたま「特別博士」号授与の日(7月24日)は、改正臓器移植法が施行されて1週間目であった。 私は1997年以来、この法律に批判的である 。改正法成立時には、 「『人の死』を政局で決めていいのか」 を書いて、この法律の問題性を指摘した。 博士号授与に立ち会うため札幌に向かう当日、NHKラジオ第一放送で「新聞を読んで」でも 改正臓器移植法の施行をめぐる新聞各紙の論調を紹介した。

新聞の論調は1年前とは一変していた。そのなかで、『信濃毎日新聞』7月17日付社説が、「臓器移植は本人の意思が前提だ。たとえ脳死の状態にあっても、本人の意思が明らかでない場合は、対応は慎重でありたい」と書いたことについて、 私は「法改正により『家族の同意だけでよい』という形に理解するのではなく、どこまでも本人の意思を尊重すべきことを説いた点は重要だと思います」と述べた。 この社説は改正法(A案)の安易な成立 があっても、本人の意思が軽んじられてはならない、という意味が込められたものだろう。さらにアドリブでこう付け加えた。 「本日午後、私は札幌に行き、脳障害で意識不明の状態にある友人の元大学教授に対して、母校の大学が博士号を授与する場に立ち会います。…著書を準備する過程で、『おい、本が出るぞ』と彼に大声で呼びかけると、顔を赤くして反応しました。私の言うことがわかっている。そう確信しました」 と。

この放送の後、新聞が取材依頼をしてきて、病院にもやってきた。『朝日新聞』25日付は、《脳障害の学者 功績に博士号》《仲間が研究まとめ立命大が授与》(東京14版)、あるいは《寝たきり後、立命大が博士号》《研究者仲間支援 立命大『思い応えた』》(大阪12版)などの見出しで、第2社会面で伝えた。 asahi.comでは、「全身マヒの憲法学者に博士号 立命館大、要望受け授与」となっている 地元の『北海道新聞』25日付は、第1社会面トップに《友情の論文集に博士号 植物状態の札学院大元教授・鳥居さん 立命館大が業績評価》という見出しで大きくこれを伝えた

ここで、病院での学位授与の風景を少し書いておこう。 この論文集の企画を最初に提案した鈴木氏や、その実現に奔走した串崎氏が見守るなか、立命館大学の使者、倉田氏が学位記を読み上げた 。背後には、奥さんが持参したブルックナーの交響曲第5番の第2楽章が流れる。3年前に二度目の脳出血を起こす直前に、彼が聴いていたCDだという。奥さんによれば、不自由な左手で、毎日聴いているCDの曲名や演奏者をノートに書き続けていたそうで、そこに残された最後のメモがこの曲だった。彼はいろいろな指揮者の演奏でこの曲のCDを持っているが、自らの意思で聴いた最後の1枚が、ゲルト・アルブレヒト指揮のチェコフィルハーモニー管弦楽団のものだった。

第2楽章の5小節目からの、哀愁に満ちたオーボエソロに続いて、31小節(B)から重厚な弦楽合奏が始まると、彼の目がみるみる大きくなっていった。「ここ、いいよなぁ」。 同じブルックナー・ファンとして、思わず声をかけた 。「対話」をした気持ちになった。

一つ残念なことは、こうした場に、彼が所属した大学の現役スタッフの参加がなかったことである。時の流れを感じた。 なお、『憲法的価値の創造』は、通常の出版ルートを使わずに販売したため、アマゾンなどで注文することはできない。研究者や図書館、あるいは関心のある方々からの注文のおかげで、残り部数はわずかになった。直接、串崎氏(kushi@nippyo.co.jp)にメールすれば、まだ購入することは可能である。

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